吾輩はイモムシである
幼虫と過ごす二回目の夜。
夜になるとこの世界はとても静かだった。風の音も、虫たちの羽音も、全部が少し遠くなる。その中で、俺とあいつだけが、取り残されたみたいにそこにいた。膝の上で、もぞもぞ動いているそれ。
卵から出てきた、謎のイモムシ。まぁ、俺の知ってるイモムシよりもデカいし丸っこいし、どこか透明感があるし、何より普通の虫より存在感が違う。
ぴー、と高い音を出す。相変わらず意味は分からないけど、俺が喋ると必ず何かしら返してくるようになった。
歌ったあとから、少し変わった気がする。前はただ鳴いてるだけだったのに、今は、俺の声のリズムに合わせるみたいに、音程や音色を変えてくる。まるで、チューニングしてるみたいに。
「……そういえば」
ふと、思った。
「まだ名前つけてなかったな!」
今さら感はあるが、ここまで一緒にいて、名無しのままなのはおかしいだろ。俺は、膝の上のそれを見下ろしながら、少し考える。
名前…、名前かー。正直ネーミングセンスには自信がない。こいつ、イモムシだしな…
「キャタ〇ー、とかどう?」
言った瞬間、飛び上がるようにひっくり返ってジタバタと暴れ出した。ピャーーーー!と今まで聞いたことないくらい甲高い音を出して。
「…めっちゃ嫌そう」
どうみても拒否だった。そのあと、色んな虫っぽい名前を挙げては拒否されること数分、もう少し人っぽい名前をつけてみようかと、目を閉じて頭のスイッチを切り替える。
ふと頭に浮かんでくる、賽の河原の子供達の顔と名前。…スズ、元気かな。いや、死んでるんだから元気ってのも変だけど。でも、なんかこう、あいつはああいう場所でも妙に生気があったし。
「スズ……鈴か……」
鈴。音が鳴る。呼んだら返事が返ってくる。
「……ソネット、とかどう?」
「ポ……?」
一瞬、動きが止まった。
それから。
「ピュイ!ポウ!ピュイユ!」
さっきまでの無秩序な鳴き方と違って、今度は妙に弾んだ音だった。
「お!?気に入った!?」
「ピョウ!」
「じゃあ決定な。お前は今日からソネットだ」
「ピー♪ピョウルル♪ピピピピピ♪」
まるで踊るように歌いながら体をくねらせている。喜んでいるようで何よりだ。
ソネット(sonnette)、フランス語でたしか呼び鈴。実家のインターホンの商品名がそんな名前だった気がする。何となく、由来を告げるのはやめといた。
「あと、俺の名前は神崎ユウヤ。ユウヤって呼んでくれよな」
「……ピューヤッ!」
返事は期待してなかっただけに、ソネットが発した音に、俺は度肝を抜かれた。
「は!?!?!?」
空耳か? 話し相手恋しさが極まって、脳が都合よく変換でもしたのか。たぶん、この時の俺は、すごい顔して固まってたと思う。
それを見て、ソネットが細かく鳴く。今の俺には、それが笑っているように聞こえた。
*****
翌日、俺とソネットは檻から出された。
危険性なし、という判断らしい。まあ、俺もソネットも、虫たちからしたら「よく分からんけど害はなさそうな異物」枠なんだろう。ただし完全に自由、というわけじゃなかった。
「……あれ」
俺の前に、細長い影が落ちる。細い体躯、透き通った翅、節のある手足。
「トンボじゃん」
そいつは、首を傾げた。彼(?)は、俺たちの世話役として飯や水をもってきてくれていた、トンボ型の虫人だった。俺は安直に「トンボ」と呼んでいた。
『□□□□!』
たぶん、雰囲気的に「よろしく!」ってことだと思う。
「おう!よろしく!」
俺が言うと、トンボはくるっと宙返りした。テンション高い。これがホントのとんぼ返りってね。監視役、兼、世話係。たぶんそういうポジションなんだろう。ソネットはというと、俺の肩に乗ったまま、トンボをじっと見ている。
「ピョ?」
少しだけ、警戒するみたいな音。
「大丈夫だって“危険性はないけど、一応、監視は必要”ってことだろ?」
俺が言うと、トンボはまたとんぼ返りした。この世界、虫しかいないけど、少なくとも、殺される気配はなさそうだ。この数日間、檻の中から見た虫人たちの行動・生活はいたって温厚で、文化的で、理性的。言葉はわからないけど、俺がいた元の世界の人よりも平和な思想を持っている感じがした。
あとは、俺がここでどう溶け込んで、どうやって次のストーリーを進めていくかだ。
「……ここから、異世界チート物語が始まるんだな!」
現時点では流行りものの展開とは程遠いけど、それでも俺はまだどこかで期待していた。この先で、ちゃんと「イベント」が起こるんじゃないかって。物語は、ここから始まるんじゃないかって。
「ピョピピイ…」
ソネットが鳴いた。まるで何か思案してるみたいだった。




