母です。娘が婚約破棄されそうになっているので、化けて出てみました。
―――エクソダス王国王都、ネクロマ侯爵家タウンハウスにて。
「ウィチカ嬢……」
「は、はい……」
訪問の要請を行い、きちんと時間通りに訪れたバーチ・エクソダス王太子殿下は、沈痛な面持ちで指を組んでいた。
金髪碧眼、白い肌をした美男子である。
が、元々上背があり、服を着ると細身に見えるが、剣を振って鍛え上げられた肉体は肩幅が広い。
そのせいで、真面目な表情をしていると、非常に威圧感があった。
対面に座っているのは、ネクロマ侯爵家令嬢であるウィチカ。
銀髪に浅黒い肌、紫の瞳を持つ彼女は、ネクロマ侯爵家の特徴を受け継いでおり、エキゾチックな魅力がある。
が、頭が小さくスタイルはとても良いのだけれど、背が伸びず、かなり小柄なほうだった。
彼女は緊張した面持ちで笑みを浮かべ、僅かに頬を引き攣らせている。
二人の間には、妙な緊張感が漂っていた。
バーチ殿下とウィチカは、婚約者である。
幼い頃からの許嫁であり、二人はお似合いだと言われていた。
少し真面目で悩み過ぎるところがあるけれど、落ち着いていて思慮深い、バーチ殿下。
逆に、少々礼節に欠ける面はあるけれど、明るく社交的で誰とも仲良くなれるウィチカ。
外見も対照的で映えるし、性格的にもお互いに足りないところを補い合う関係性だ。
けれど今は、それが悪い方向に出ていた。
「もしかしてウィチカ嬢は、私に何か不満を抱いているのだろうか」
重々しい口調で切り出されて、ウィチカは目を彷徨わせる。
「いえ、王太子殿下。決して、決してそのようなことはないのですけれど……そのぉ……」
ウィチカの歯切れの悪さに、ますますバーチ殿下の表情が暗くなる。
「先日君が教会に赴いた際に、アンナグル伯爵令息に声をかけ、親しげに話していたと聞き及んだ」
「あ、えぇ……あの、ちょっとした、魔術のことで質問がありましてぇ……」
「ちょっとしたことなら、私に聞けば良いだろう?」
「そ、それはそうなのですけれどぉ、あの、アンナグル様は浄化がお得意な家系の方なのでぇ……」
「私も得意だが。それを知りながら、婚前の令嬢が、自ら他の殿方に声をかけに行くのは、どうかと思う」
「そう……ですよ、ねぇ」
ウィチカの言い訳は、理路整然と論破されてしまう。
当然、バーチ殿下の言葉は反論の余地もない正論である。
「他にも、貴族学校でタリスーン子爵令息と、校舎裏に向かったのを目撃した者もいるそうだ」
「タ、タリスーン様はその、魔導具作りを、お仕事にしておられる家の方でしたからぁ……ちょっとそちらもご相談が……」
「正式に、侯爵家から寄親を通して相談すれば良いのでは? それが礼儀だろう?」
「お、仰る通り、ですぅ……」
「そもそも、ネクロマ侯爵家の寄子ではない下位貴族に、上位貴族から直接声を掛けるのは、あまり好ましくない。寄親の家の者は良い気がしないし、寄子側は君の要請を断りたくとも断れず、萎縮させてしまうこともある」
「あぅ……」
貴族社会の爵位、というのは、幾つかの段階に分かれている。
上から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準子爵・男爵家、騎士爵である。
公爵位は、王兄、王弟などの兄弟に与えられ、三代続く王家の血筋の者に領地と共に与えられる爵位。
侯爵位は、公爵家の四代目以降と、広大な領地や特殊な力を持つ有力貴族。
伯爵位は、中程度の領地と特別な功績を持つ上位貴族。
子爵位は、平民上がりの貴族が到達できる最高位で、ここからが下位貴族であり、基本的に伯爵以上の上位貴族と『寄親・寄子』の関係にある。
男爵位は、子爵よりもさらに小さい領地を預かる貴族と、侯爵領をさらに分割統治する小領主などに与えられる爵位だ。
そして、領地を持たず継承出来ない『本人限りの一代貴族』と呼ばれる騎士爵や準子爵・男爵位がある。
伯爵以上の上位貴族と子爵以下の下位貴族には、明確な線引きがされていた。
上位貴族と下位貴族は、余程の事情がない限り婚姻は結べず、ギリギリ伯爵家から子爵家への降嫁が認められている程度である。
つまり、二つも爵位が違う侯爵家の令嬢であるウィチカに声を掛けられると、タリスーン子爵令息は『まずい』と思っても断れないのだ。
これについても当然、バーチ殿下の言葉が正しい。
「か、考えが足りず、申し訳ありません……」
「今回、家同士の問題にはなっていないので、今後、気を付ければいいとは思う。それよりも問題なのは……タリスーン子爵令息も男性だ、ということだ」
そもそもの、侯爵令嬢としての明確な間違いを指摘した後、バーチ殿下はまた暗い表情になった。
「さらにウィチカ嬢は、聖騎士候補であるセント侯爵令息に夜会の庭で声を掛け、芸術で名を上げている私の従兄弟、オレガノ公爵令息にまで手紙を出したと……」
「あの、それはそのぉ、セント様の聖剣の御力に興味があったり、オレガノ様は、建築や土地にもお詳しいお家なのでぇ……」
「だから、直接声を掛けたと?」
「じ、事情があったり、なかったり……」
「その事情とは?」
バーチ殿下の問いかけに、ウィチカはまた目を逸らして口を噤む。
重たーい沈黙の後に、彼は目を伏せた。
「ウィチカ嬢が、いきなりそんな行為に及んだことで、皆の間に『尻軽ではないか』という噂が流れ始めている。君がそんな人ではないことは、勿論、よく知っているが……もしかしたら、私に何か不満があり、別の婚約者候補を探し始めたのではないかと」
「いえ、あの、殿下?」
ウィチカは再び慌てたように彼に呼びかけるが、もうバーチ殿下には聞こえていないようだった。
「もし、もしそうなら、だ。色々な問題があるが、私は……ウィチカ嬢の気持ちを尊重したいと。私の至らない部分が直せるのなら努力はしたいと思うが、もし君が、完全に愛想を尽かしたというのなら、婚約を……」
「殿下! 本当に、本当にそんなことはないんですぅ!!」
そこで、もう流石に。
『我慢がなりませんわ!!』
と、声を上げた。
すると、バーチ殿下が驚いたように顔を上げ、ますますウィチカが焦り始める。
「誰だ?」
「げげ、幻聴ですわ!! 殿下、その、また説明しますので今日は……!」
と、彼女が早口に言い切るよりも前に、バーチ殿下とウィチカの前に姿を見せた。
『ウィチカ!! だから、貴女に隠し事など出来ないのですから、余計なことをしなくて良いと言ったでしょう!!』
「お母様! で、出てこないで下さいぃ〜!!」
『バーチ殿下もバーチ殿下です!!』
ビシリッ! と青白く半透明な手で、同じように透けた扇を殿下に突きつける。
『わたくしの可愛いウィチカが心離れや浮気などするわけがないでしょう!! 昔から殿下殿下殿下とベッタベタしているのに!! それを何ですか、少し他の殿方と噂になった程度で、思い詰め過ぎです! どっしりと構えなさいどっしりと!!』
「お母様!!!」
泣きそうな顔で叫ぶウィチカが、バーチ殿下に背を向けて立ち上がり手を伸ばすが、その手がこちらの体をスカスカとすり抜ける。
「マリヌ・ネクロマ侯爵夫人……? 亡くなられた筈では……!?」
殿下は、しばらく呆然とした後。
ウィチカの背後に浮かぶ自分の……マリヌ・ネクロマの姿を見て、そう呟いた。
『ええ、死にましたよ。殿下も葬儀に参列して下さいましたわね。その節はありがとうございます』
「あ、いえ」
マリヌが淑女の礼の姿勢で頭を下げると、バーチ殿下もつられたように頭を下げる。
「絶対出てきちゃダメって言ったじゃない!!! もう!!! も〜〜〜!!!」
『貴女が余計なことするから、殿下がこうなっちゃってるんでしょう。元々気にする子なのに、配慮が足りないから結局拗れているのではないですか!』
「そんなこと言ったってぇ〜〜〜!」
バンバン、とソファの背もたれを叩きながら、ウィチカがボロボロ涙をこぼす。
「大っぴらに色々やって悪魔祓いにバレちゃったら、お母様が祓われちゃうかもしれないでしょぉ〜〜〜〜!!! それでなくても幽霊じゃなくて悪霊になっちゃったら、お母様がお母様じゃなくなっちゃうのよ〜〜〜!!!」
『それについては大丈夫だと、何度も伝えているでしょう?』
「分からないじゃないそんなことぉ〜〜〜!!! 幽霊になったのなんて初めてでしょぉ〜〜〜〜!?」
そこで、ようやく正気に戻ったらしいバーチ殿下が、それまでとは違う……苦悩が疑問に入れ替わった真剣な表情で、こちらに問いかけてくる。
「一体、どういうことなのです?」
『ええ、そんなに大したことではないですよ、殿下。死んだものの、やっぱり娘が心配で、ちょっと化けて出てしまっただけで』
「そんな軽く言うことじゃないでしょぉ〜〜〜!?」
『ウィチカ。今わたくしは、殿下と話しているのです』
ピシャリと言って、マリヌはバーチ殿下に微笑み掛ける。
『ですから、ご心配なく。別に悪霊にもならないと思いますし』
「何でそんなに楽観的になれるのぉ〜〜〜〜!!!」
『貴女にだけは言われたくありません。後、耳元でちょっとうるさいですよ』
「ネクロマ侯爵夫人、幾つか確認させていただきたい」
両膝の上に握り拳を置いたバーチ殿下は、色々合点がいった様子で何度か頷いた。
「つまり、夫人が幽霊となって姿をお見せになったのが、ことの発端だと?」
『ええ』
「そしてウィチカ嬢は、『もし夫人が悪霊になってしまったら』と思い、こっそり解決方法を考えようとしたのですね?」
『理解が早くて助かりますわ』
マリヌは口元に扇を広げてコロコロと笑うが、真面目な殿下は相変わらず真剣な顔を崩さなかった。
「アンナグル伯爵令息に、浄化の魔術のことを聞きに行ったのも?」
『わたくしを昇天させたいのですって。本当にウィチカは親不孝ですわよね』
「親孝行なの!!!」
「タリスーン子爵令息を、魔導具の件で校舎裏に連れて行ったのも……」
『幽霊を悪霊にしない為の魔導具がないかどうかを、尋ねに行ったみたいですわね』
「セント侯爵令息の聖剣の話も、従兄弟のオレガノに建築や土地の話を聞きに行ったのも」
『ええ、全部わたくしに関わるお話ですわね。もっとも、祓うとか遠ざけるとか封印する以外に、幽霊に関する情報は、皆様お持ちではなかったようですけれど』
「…………なるほど…………」
気が抜けたように背もたれに体を預けたバーチ殿下は、天井を見上げた。
「では、私に相談しなかったのは」
『殿下に話したら、さっきみたいに詰められて一発で全部バレるからですわね。詰められなくてもバレバレなんですけれど』
「お母様が出てくるからでしょぉ〜!!!!!」
『出てこなかったら婚約破棄まっしぐらだったでしょう。誤魔化しかたも下手すぎましたし』
「う……!」
『どうせバレるのですから、本当に秘密にしたいなら何もしなければ良かったのです。そうすれば殿下にご心配をお掛けすることもなかったのですから』
「お、お母様がちゃんと天国に行ってたらこんなことになってないでしょぉ〜〜〜〜ッ!!!」
『それはそれ、これはこれです』
身悶えて顔を真っ赤にするウィチカをとりあえず放っておいて、マリヌはバーチ殿下にヒラヒラと手を振った。
『と、いうことで、わたくしを祓わずにいてくださると嬉しく思いますわ♪』
※※※
「……参ったな」
「はい……」
その後、騒ぎを聞きつけて顔を見せたお父様が、当たり前のように『二人の邪魔をしてはダメだよ』とお母様を連れて行ってしまい。
ウィチカはバーチ殿下の前で肩を窄めて、小さくなっていた。
心配を掛けないようにと黙っていたのに、結局バレてしまったし、別の意味で心配をかけてしまったのだ。
「でも、良かった」
「え?」
「ウィチカ嬢に愛想を尽かされたのではなかった、と分かったからね」
「そ、そんなことあり得ないです!!」
昔から、優しくて落ち着いているバーチ殿下が、ウィチカは大好きなのである。
お母様のことで頭がいっぱいで、まさか浮気を疑われるなんて思っていなかったのだ。
「事情も分かったから、もう大丈夫だ。でも、侯爵夫人のことは確かに色々問題があるね……」
「うぅ……そうなんですぅ……」
どうせバレてしまったので、と、ウィチカは全部話すことにした。
「お母様が現れた時、心臓が止まるかと思うほど驚いたんですけどぉ……お父様はあっさり受け入れてしまって……」
人間が幽霊になる、というのは、非常に問題なのである。
冥界に行けない、というのは、教会から『神のご意志に反する行いをした者』と看做されるのだ。
要は、『冥界にすら行けない、死んで罰を受けることすら許されない程の罪人』ということで、悪魔祓いに見つかると問答無用で退治されてしまう。
そういう魂は消滅してしまう、と授業で習っていた。
けれど。
「お、お母様がそんな罪人なわけがないのですぅ……!!」
生前から、ちょっと抜けたところのある明るい人で、皆から好かれていたのだ。
ウィチカも勿論大好きだったし、死んでしまった時はめちゃくちゃ泣いた。
「それに幽霊になったら、ずっと現世で過ごしていると悪霊になっちゃうって……だ、だからどうにかして、天国に行く方法がないか、探していたのですぅ……」
それも、授業で習った。
幽霊は周りの瘴気を吸収して悪霊になり、土地や建物に住み着いたり、人に取り憑いたりして、危害を加えるようになるのだという。
お母様がそんな風になるのは、耐えられなかった。
「ぐすっ……お、お母様は、ウィチカが頼りないから……だから、安心して天国に行けなかったんですぅ……」
また、涙が浮かんできた。
『ウィチカが心配だから』って、お母様は言うのだ。
『大丈夫だから』『悪霊にはならないから』、って、何回ウィチカが説得してもそう言うだけで、聞いてくれなかった。
「殿下、どうしたらいいと思いますかぁ……?」
「……辛かったね」
バーチ殿下が差し出してくれたハンカチを使って、ウィチカが涙を拭うと、彼は腕を組んで目を閉じた。
そしてしばらく考えた後に、言葉を口にする。
「そうだな、一番は説得を受け入れて、自ら天国に向かってくれることだ」
「はぃ……」
「でも、聞き入れてくれなかったんだろう? ネクロマ侯爵は説得するつもりがないのか?」
「お、お父様も、ちょっと困った顔で『大丈夫だろう』って言うだけで……」
「そうか……そうなると後は、侯爵夫人がその気になるまで悪霊にならないようにするか、無理にでも昇天させる方法を探す、くらいしか方法がない、と思ったのかな?」
コクコクと頷いたウィチカは、恐る恐る尋ねる。
「あの、殿下?」
「何か?」
「殿下は……お母様を祓おうとは、なさらないのですね……?」
するとバーチ殿下は、逆に首を傾げた。
「私もウィチカ嬢と同じように、侯爵夫人を消滅させてしまうのは本意ではない。昔から良くしていただいていたしね」
彼は小さく笑みを浮かべて、言葉を重ねた。
「それに、ウィチカ嬢が嫌がることはなるべくしたくない、と思っているからね」
「バーチ殿下ぁ……!!」
ウィチカは安心した途端、また溢れてきた涙を慌てて拭いた。
「な、泣いてしまって、申し訳ありませぇん……」
「気にしなくていい。……しかし、確かに困ったね。外に出歩いて教会の悪魔祓いに見つかってしまっても困るし、ウィチカ嬢が思ったような、お守りや結界で瘴気の影響を防げるかどうかも分からない、となると」
バーチ殿下が、眉根を寄せてしばらく考えた後、こう口にした。
「他に悪霊にならない可能性があるとすれば、死霊使いの力を借りること、かな」
「それは何ですかぁ?」
ウィチカが尋ねると、バーチ殿下は説明してくれた。
死霊使いは、死者の魂と交霊する力を持ち、悪霊を浄化ではなく調伏して従えたり、降霊して力を借り受けることが出来るらしい。
「聞いたことがないですぅ……」
「教会にとっては『神を冒涜する力を持つ悪魔の使い』らしいからね。口にすることもあまり好ましくないと言われているし、知らずとも無理はない」
「そ、そんな人に頼るのですか……? 怖くないんでしょうかぁ……?」
「分からないが、幽霊が悪霊にならない方法を知っているかもしれないし、天国にいる魂と交信出来るなら、逆に天国に戻す方法を知っているのではないだろうか。探してみる価値はあると思う」
「それは、そうかもしれません……!」
バーチ殿下に言われて、ウィチカはハッとした。
「で、ですが教会に目の敵にされているのでしたら、表には出てこないのでは……?」
「そうだな。だから、こっそりやろうと思う。ウィチカ嬢のようにね」
言われて、ウィチカはコクコクと頷いたが、そこでバーチ殿下が笑いを堪えるように唇を噛んだ。
「も、もしかしてバカにしてますかぁ!?」
「していないよ。ちょっとした冗談を言っただけだ」
「全然コソコソ出来てないって言ってます!!!」
ぷくぅ、とウィチカが膨れるのに、ついに殿下が肩を震わせて笑い始めた。
※※※
『仲直り出来たようで、何よりですわね〜』
隣の部屋で、るんるん、と聞き耳を立てていたマリヌに呆れたように、夫……リッチィ・ネクロマ侯爵が首を横に振る。
「笑い事じゃないよ、全く……」
夫は、ウィチカと同じ銀髪紫瞳、そして浅黒い肌をしていた。
ウィチカは顔立ちはマリヌに、その他の特徴はリッチィによく似ている。
『殿下は死霊使いを探されるようですけれど、どうなさいますの?』
ふふ、と笑いながらマリヌは問いかけた。
昔はその甘い顔立ちで大層モテた夫は、軽く片眉を上げる。
「どう、とは?」
『さっさと心配事を解決して差し上げるのも良いかと思いますし、二人がどうなるかを見守るのも一興ですわね? 〝死霊使い〟リッチィ・ネクロマ侯爵閣下♪』
ふふ、と口元に手を当てるマリヌに、リッチィはため息を吐いた。
「そんなにあっさり、バラせる訳がないだろう。王家と我が侯爵家の密約を、まだバーチ殿下が知らされていないのなら、私から勝手な真似は出来ん」
『後々ややこしくなりませんか?』
「そう思うなら、君が今そうしている時点で、既にややこしくなっていることに気づいてくれないか」
困ったような顔をする夫のところにふよふよと漂っていったマリヌは、寄り添うように椅子に座る。
『わたくしのワガママを、可愛いと思ってくださいませんの? 側にいられますし』
ネクロマ侯爵家は、正にその、バーチ殿下の探そうとしている死霊使いの家系なのである。
マリヌがその事実を知ったのも、結婚した後のことだ。
大昔、教会と死霊使いが『教義に沿わない存在である』として対立していた時代。
当時のエクソダス国王と、南部に広大な領地を持っていたネクロマ王国は、契約を交わした。
傘下に入るように『見せかける』ことを条件に、侯爵家の血統が死霊使いのものであることを、教会の目から隠すのに協力して貰った。
代わりに、エクソダス王国が侵略されそうになった時は死霊使いの力で助力する、という条件の密約だ。
周りに敵が多かった上に、教会の隆盛に危機感を覚えていた二つの王国は、手を組むことで周辺諸国で最大の国家となり、今がある。
そしてリッチィは、幼少時にウィチカがバーチ殿下を気に入ったことで国王陛下と協議し、許嫁と定め、血の統合を図ったのだ。
あの子が知らないのは、あの子自身には死霊使いとしての才能がまるでなく、『普通の幽霊』は見えないからである。
ウィチカやバーチ殿下にもマリヌが見えるのは、リッチィに使役される幽霊として、この世に留まっているからだ。
「ワガママね。そのせいで、後1年は苦労することになりそうなんだが」
ネクロマ侯爵家の掟では、幼少の頃から力の強い者……素質のある者以外は、成人するまで家系の秘密を知らされない。
ウィチカがそれを知るのは1年後、18歳の誕生日である。
王家側、つまりバーチ殿下も同じだ。
リッチィは、別に怒ってはいなかった。
けれど、面倒ではあるのだろう、ちょっとチクッとした口調でこう告げる。
「君が死の淵で『自分が死んだら幽霊にしろ』と口にしたのも、なかなかに酷いと思ったがね」
その時のことは、もちろん覚えている。
呼吸をするのも苦しい中で、悲しそうな顔で枕元に座る夫に、マリヌは確かに、そう願った。
―――『それがどういう意味か、分かっているのかい?』
夫に問われて、マリヌは頷いた。
―――『最後のワガママよ。お願い、リッチィ』
―――『私に、愛する君を死霊にしろ、と。天命に従わない者は、死後の幸福を約束されないかもしれないのだよ』
そんな夫の頬を、マリヌは微笑みながら撫でた。
―――『神がわたくしの愛を否定なさるなら、そんな神からの愛は、いらないわ』
出来ることなら、リッチィが死ぬまで、それが無理でも、出来る限り家族の側に居たい。
マリヌは、そう思ったのだ。
―――『今後、私の力が衰えたら、君は瘴気に侵されるだろう。そうなりそうなら、私は今度こそ本当に、君を手放すよ。それでも良いかい?』
―――『ええ。せめて、ウィチカが結婚するのを見届けるまで……』
そうして、マリヌは幽霊になった。
後悔はしていない。
無用な心配をかけてしまったのは……実際、マリヌが悪かったのである。
マリヌが死んだ後、あまりにもウィチカが夜な夜な泣くので、耐えられなくなって声をかけてしまったのだ。
『……リッチィ、ごめんなさい。本当に、迷惑ばかりかけているわね』
「本心でそう思っているのなら、もう少し自重してくれ」
そう言って、リッチィに鼻先をつつかれた。
彼は強い力を持つ死霊使いなので、そういうことも出来るのである。
けれど顔には、笑みが浮かんでいる。
「ウィチカのことを、とやかく言えたもんじゃない。……まぁ、慣れているけどね。国王陛下とまた話をしてくるよ」
特例で、バーチ殿下やウィチカにそれを伝える許可さえ出れば、全て丸く収まるのだ。
「殿下だけなら大丈夫かなと思うけど、ウィチカに伝えるのは少し心配かな」
『ふふ、でもウィチカも、わたくしのことで口は滑らさなかったでしょう? あの子も成長はしていると思うわ』
マリヌ自身も、別に誰にも侯爵家の秘密を漏らさなかったので、大丈夫だと思っている。
『いつもありがとう、リッチィ』
満面の笑みでお礼を言うと、リッチィは諦めたような笑顔で、頭を撫でてくれた。
『どういたしまして。愛しているよ、君が死んでも、ずっとね』
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