シオリとアンリ
シオリは、他人が自分の肌を触ることが嫌いだ。
手をつなぐとか、キスとか、それ以上のこと……そういうことをできない。
かといって、恋愛をしないわけではない。恋愛はするし、性欲もあるのだ。ただ、触れられない。世の中の、そう、恋人らしいと言われるような行為を一切できない。
そんなシオリにも恋人でいてくれる者がいる。シオリはそんな彼を、とても大事にしようと思っている。
「シオリ、どうかした?」
「……んにゃ、アンリのこと、見てただけ」
「なにそれ」
アンリは、ソファの私の隣にスペースに腰掛けながら、シオリの方を見て笑っている。アンリの手には、湯気が立ったマグカップが、二つ。
「……それ」
「これ? ホットココアだよ。シオリ、好きだよね。一緒に飲もうと思って。はい、シオリの分」
シオリは、伸ばされたアンリの手から、ホットココアが入ったマグカップを受け取る。アンリは、よく気がついて、こういうことをしてくれる人だ。
「……シオリはさぁ」
「なに?」
「……本当は、キスとかしてみたい?」
「……わかんない」
「そっか」
「……アンリは、それでいいの?」
「んん?」
「アンリは、私とキスとかずっとできなくても、それでもいいの?」
「それは、構わないよ。シオリの意思が、大事だから」
「でも……それじゃ……」
「なにか問題がある?」
「……子供が……できないじゃない……っ」
「え?」
「わ、私は、アンリとの子供が欲しいの! そのためなら、キスとか……それ以上のことも、できるようになりたいの。アンリとだったらできると思ってるの……! だから、その……まずは、その、肌に触れるっていうところから、慣れるようにしていきたくて……。その……。まず、その、抱きしめてみてほしいの」
「……いいの? シオリがそんなこと言うなんて……」
「いいの! 早くして!」
そう言うシオリの目は本気で言っているようにしか見えなかったから、アンリは、シオリの腕を引き寄せて、シオリの体を抱きしめた。少しのあいだ、シオリはアンリの腕の中でおとなしくしていた。
「……どう?」
抱きしめた姿勢のまま、アンリがシオリに聞いた。
「どう、って、言われても……。やっぱり、人間の肌に触れる感覚はちょっと気持ち悪いかも……。でも、でも……でも、アンリのことは、嫌いじゃないの。アンリに抱きしめてもらえたら、安心する……!」
感情が整理できなくて泣きそうな顔になりながら、シオリはそんな答えを残した。
アンリは、そんなシオリの涙をハンカチでそっと拭いながら、笑顔を浮かべる。
「じゃあ、抱きしめるところまではできたね。今度は何しよっか? シオリが嫌じゃない範囲で、やりたいこと全部やろうね」
アンリの優しさが心の奥底まで染み渡り、シオリはまた、涙を目に浮かべていた。アンリはそれを拭いながら、シオリを抱きしめる。
「これから、たくさん色んな経験を積み重ねていこうね」
アンリの言葉が、シオリの心を刺激する。次の瞬間、シオリは、アンリの唇に自らの唇を重ねていた。
その瞬間、シオリの中で様々な感情が大暴れした。反射的にアンリの体を離し、床にうずくまる。一体なぜこんなことを、と、シオリは自問自答する。
「シオリ……? 大丈夫?」
こんな状況でも、アンリは、シオリへ心配の言葉を口にする。アンリは、優しい。こと、シオリに対して、ものすごく優しい。
「……どうしよう?」
シオリが絞り出した言葉は、そんなものだった。どうやら混乱から抜け出せていないらしい。
「落ち着いて、ねえ、シオリ、落ち着いて?」
そう言って、アンリはシオリの体を引き上げて、抱きしめた。
「……僕がシオリのために、何ができるのかわかんないけど、僕はシオリの味方だから、大丈夫だよ」
アンリはそう言って、シオリを抱きしめる腕に力を込める。
「アンリ……ありがとう」
シオリは言って、アンリに抱きしめられたまま、顔を上げた。シオリとアンリの目が合う。
「焦らず、ゆっくりやってけばいいんだよ、僕らのペースで、シオリのペースで。シオリが嫌なことは、しないから」
アンリの言葉は、とても優しかった。
〈了〉