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前編


 夜九時過ぎのオフィスの片隅。

 腰まである長い黒髪に白いブラウスの女性が、声もなくぬぼーと立っているのを見た男女二人は、ギャアアアと悲鳴を上げて出て行った――


「ギャアアて。叫びたいのはこっちだよ」

 

 私、鷹野(たかの)美咲(みさき)は、自分で言うのもなんだが、根暗だ。二十五歳にもなって彼氏はできたことないし、両親は共に病気で亡くなり、兄弟も親戚もいない。

 コミュ障だし、顔は長い髪の毛にほぼ隠れているしで、あだ名はサダコ。ちなみに髪の毛を伸ばしているのは、美容院が億劫だから。地味にコツコツ経理社員として生計を立てているが、残業していたら、営業課長と派遣の女の子のイチャイチャを見てしまった。存在感ゼロの私が悪いのか。気づかない方が悪いのか。

 

「不倫現場、えげつなー」

 

 幽霊と間違えられたのは別に良いが、明日の出社が憂鬱だ。仕方なく、退社してトボトボ帰宅していたら、アスファルトに現れたのはビカビカ光る魔法陣。あれよあれよと吸い込まれてやってきました異世界へ。


 ――なんて軽い感じだけれど、本人は十分驚いている。

 剣を腰に下げた騎士たち、ローブをまとった魔法使いたちに囲まれるというファンタジーな光景に圧倒されて、言葉が出てこない。

 

「聖女様、か?」

「髪が長すぎて、御尊顔が見えない」

「生きてるのか?」

「アンデッドではないのか」


 だいぶ失礼な声だらけだが、致し方ない。私の長い黒髪は、俯くと顔どころか上半身まで覆い隠す。色白でガリガリ、サダコってぴったりなあだ名だと自分でも思う。あれってテレビから芸人が這い出すネタなのかと思ってたら、ガチのホラーなんだよね。

 

 呆然としたまま、導かれて大人しく歩き、どこかの部屋へ招かれ、ソファに座らされた。部屋の中を見回すと調度品も家具も豪華だし、向かいの椅子に腰掛けた男性は、よくアニメなどで見かける真っ白な鎧とマント姿だ。

 その人物は、王国の王子で聖騎士のグンターと名乗った。王子と聞いて、金髪碧眼でキラキラした容姿を想像した私だったが、グンターは一言で言うと、シロクマだ。身長二メートルはありそうだし、金縁模様と白銀に輝く鎧に覆われた胸板は、見るだけで分厚くて筋肉もりもり。銀色の短髪に眉が太くて凛々しく、全体的に大きくてがっしりしているのに、目は濃い青色でつぶらだ。


「シロクマ……」

「ん?」

「なんでもないです」


 そんな私は、こう見えてとてもパニクっている。当然だろう。帰宅途中で、気づいたらいきなり異世界なのだから。

 流行りのコミックは、誰かの体験談がテンプレとして広まったのか、と頭の隅で冷静に考えたりするが、十分動揺している。その証拠に、座らされたソファの座面を、意味なくサワサワ触っている。ベルベットだ。絶対高い。

 

 グンターさんは、私が黙っているのを見て安心したのか、非常に紳士的な態度で説明をし始めた。

 

 王国の叡智と技術を注いだ魔法陣で、王国魔術師たちが一心不乱に魔法を唱えると――別世界から聖女となる女性が召喚されるらしい。どんな基準で選ばれるのかは、魔術師たちも知らない。とにかく召喚魔法で、適した人物が選ばれるらしい。

 

 そうして呼ばれた聖女は、百年かけて王国に溜まった『魔素の澱み』を、祈りによって浄化するのが役目だ。魔素というのは、空気中に漂う魔法の素となる物質で、人間が魔法を唱え魔素を消費する過程で、残り滓のようなものが溜まっていく。そしてそれを浄化する(すべ)は今のところ、聖女の祈りしかないという。


 ところが今回の召喚では、三度召喚のやり直しが行われ、二人に断られたそうだ。次の聖女に託そう――と繰り返した結果。

 

「三人目が私、ですか」


 そこまで説明を聞いた私は、目の前に置かれたティーカップを持ち上げて、ごくりと中身を飲んだ。香ばしいお茶は、元の世界の紅茶となんら変わらない味だ。美味しい。


「その通りだ、ミサキ殿。そして本当に言いづらいことだが、我々には、後がない」

「後がない?」

「聖女召喚は魔素の関係上、三回までしかできないのだ。これ以上行えば、『魔素澱み』で人体が汚染されてしまう」

「私が最後……」

「そうなのだ。だからどうか、ミサキ殿。聖女として任務を行なって欲しい。無理は重々承知だ。我々にできることなら、なんでもしよう」

 

 私の世界と時間軸が同期しているのかは分からないが、百年前の女性とは違って、現代女性たちを召喚したならそりゃあ断るだろう、が私の率直な感想だった。まず、スマホもテレビもない。ドレスは若干気分が上がるかもしれないが、基礎化粧品とかメイク道具とか品質大丈夫か? だ。もちろんカラコンもツケマもないし、ネト●リもイン●タもない。多少イケメンがいたとて、身分だのマナーだの訳がわからない。両親や友達が心配する。


 そりゃ帰りたいですよね、である。


 よくよくグンターさんに話を聞いてみると、意外なことに聖女は、浄化が終われば報酬を得て元の世界の元の時間に帰れるのだそうだ。

 

 おおよそ三十日ほど祈り続ければ、任務は終わるらしい。期限があるとはいえ見知らぬ土地でとなると、当然誰でも最初は嫌がる。だから報酬として提示されるのが、元の世界に一つだけ何でも持ち帰れる、というもの。


 今までの聖女たちの例でいうなら、宝石・金貨・視力や病気を治す・スタイルが良くなる・晴れ女になる・植物がよく育つ、などだ。

 希望を言って、王国側でできることならばOKが出て、任務して、帰る。


 別世界から来た女性にとって、今まで住んでいた場所と全く異なる環境で見知らぬ人々の中にいるのは、非常に辛い。だから皆、報酬を得て帰還できると知れば、素直に任務を行う仕組みだそうだ。

 

「二人の聖女には、報酬があるという説明すら、する余地がなかった。一人目は九歳の女の子で、泣き叫んで居た堪れず、すぐ帰した」

「そりゃそうですね」

「二人目は、年齢を聞いたら失礼だと怒鳴られて……おそらく四十歳ぐらいだったと思うが」

「うわぁ」

「王子はどこだと聞かれたから、俺だと答えたら、ますます怒って帰ってしまった」

「……なるほど」


 王子って、顔面キラキラのイケメンを期待したんだろうなぁ。私は、シロクマの方が好きだけど。大きな体で、シュンと落ち込んでいるのもまた、良い。


「どうか、引き受けてはくれないだろうか」

 

 部屋にいる騎士たちや魔法使いたちが、ごくりと唾を呑み込んで、私の答えを待っている。正直、圧が凄すぎて、断れない。

 

「えーっと、はい」


 イエス・オア・イエスだ。この状況でノーと言える女性は――たっぷりいるだろうが、私は言えない。最後が私で大正解である。

 

「! やってくれるか!」

「はい」


 目の前のシロクマが、目に見えて興奮している。獲物を前に気が立っている状態だ。落ち着かないと、鎧が吹き飛ぶんじゃなかろうかと、変な心配をしてしまう。

 部屋に詰めていた人々からも、おぉ、とかよかった、などと安堵の声が聞こえてきた。

 するとグンターさんは、恐る恐るとばかりに身を乗り出してきた。


「その、ミサキ殿。条件を、聞いても良いだろうか」

「条件? あ、報酬のことですか」

「ああ。そうだ」

「うーん……思い浮かびませんね……別になくていいですよ」


 これにはさすがに、部屋がどよめいた。欲がなくてすみません。でも宝石とか興味ないですし。幸い視力良いですし。身寄りのない、薄給貧乏。空気食って生きられたらいいのに、というレベルの私がお役に立てるなら、という感じだ。

 

「帰還の魔法陣には、『報酬を元の世界へ持って帰る』という法則が必要なのだ。結論は急がずに、じっくり考えるというのはどうだろうか」

「あーなるほど……わかりました。んじゃ祈りながら、考えます」


 そうして私は、聖女になった。


   ◇

 

 聖女の任務はシンプルで、神殿で祈るだけだ。準備期間は七日間。

 つまり三十七日と、帰る準備などで大体四十日の滞在。帰還した後は、こちらの世界の記憶は消えるらしい。なんて親切仕様。


 禊をして、この世界の概要を学んで理解して、神様と心を繋げるための儀式(偉い神官の方から、この人が聖女ですって紹介されるだけ)をする。

 神様と心を繋げるってどういうこと? と思ったけれど、とりあえず言われた通り、丁寧に挨拶だけしておいた。

 

 そうして祈りの任務を始めるということで、早速神殿の廊下をグンターさんと歩いている。


「三十日で帰れるってわけじゃないんですね」


 与えられた部屋は聖女専用で豪華だし、食事の味は薄めだけれど満足しているし、聖女の護衛は王子(聖騎士だから)が担っていて安心だし。与えられた聖女の服は、とても綺麗な銀糸の刺繍が入った白いローブで、光沢があって手触りも良い。厚遇されているのは間違いない。ただし、神官や魔法使い、騎士やメイドからは、コソコソと陰口も叩かれている。地味、とか、見目が、とか。


 そうですね、私ナチュラル派――メイクどころかカラコンもマツエクもしない――ですし。誰とも目を合わせたくなくて下向いて歩くのが癖ですし。髪の毛長すぎて、目どころか顔全体が隠れてますし。

 

「すまん」

「あ、ごめんなさい。責めてないです。むしろ嬉しいです」


 シロクマ王子、交渉が下手すぎるのだ。先に利益を提示した方が良いのに、実直すぎる。だがそこが良い。

 

「嬉しい、のか?」

「はい。私、別に帰りたいとか思ってないので、そんな気を遣わなくて大丈夫ですよ」

「そう、か」

「むしろお役目があって、良かった」


 グンターさんが、驚いた顔をして足を止めた。数歩先の私が振り返ると、ゴホンと咳払いをして気を取り直し、また歩き始める。


「……理不尽に押し付けられたようなものだが」

「うーん。私別に、やりたいこととかなくて。ただ息吸って吐いてるような人生だったので。何かをやらなくちゃって、初めてでワクワクしてますよ」

「ミサキ殿は、素直な心持ちなのだな」

 

 怨霊聖女(異世界にも霊や魂っていう概念はあるらしい)って陰口叩かれている私にも、グンターさんは誠意を持って接してくれている。

 

 課長は雑務を押し付けるし、会社の男性社員たちは気味悪がって近づかないし、女性社員たちからはミスをなすりつけられるし。


 まともな人なんていないと思ってたけど、いるんだね。ここ、異世界だけど。


「グンターさんこそ、良い人ですね」

「無理やり引き留めているのにか」

「あー……確かに」

「うぐ」


 こうやってちょっと揺さぶるだけで、たちまち胸が痛いみたいな顔をする善人が王子で、大丈夫なのだろうか。


「ふふふふ」


 陰口や悪口には慣れているから、平気。私のことを気遣ってくれる人だなんて、貴重だ。胸が温まった。


「さて。着いたぞ」


 やがてグンターさんが重そうな両開き扉を開けると、祈りの間と呼ばれる、だだっ広く石灰色の大理石の敷かれた広間が目に入った。

 不規則なマーブル模様が美しい床の中央には、金で描かれた魔法陣のようなものがある。前方には石段の上に、翼の生えた人間の石膏像がある。神様の姿を真似て作ったらしい。鼻が高くて目もぱっちりな、美男子だ。


「うわー、すごい」


 周囲はステンドグラス、天井は青空と夜空を交互に描いたドーム型で、建物としてだけでも素晴らしい造りだ。


「その陣の中心で、祈りを捧げて欲しい」

「はあ」

「日が暮れる頃、迎えに来る」


 一人、残されるってこと? まあ、いっか。逆に気楽だ。


「わかりました」


 グンターさんが扉を閉めた後、静寂の中で膝を床に突いて目を閉じ、手を組む。

 百年に一度の聖女が、私みたいなのでごめんなさい、と祈ってみた。

 

『変わった子だね』

「神様?」

『うん』


 すぐに返事があったのが、意外だ。

 目を開けて周りを見てみるけれど、姿は見当たらない。声だけのようなので、私はまた目を閉じて、祈りながら話しかける。

 

「こんにちは。私の祈りで、浄化できますかね?」

『うん。でも、百年前よりも酷い状態なんだよね。だから、ミサキを呼んだんだけど』


 どの世界でも、環境汚染は深刻なんだね。

 

「だから私って、どういう意味ですか」

『元の世界に、未練がない子を選んだ。帰りたいとは思っていないだろう?』

「なるほど、そうですね」

『おそらく浄化には、過去の何倍もの時間がかかる。だから、周囲からきっと悪く言われるだろう』

「別にいいですよ」

『……ごめんね。その代わり、わたしにできることは精一杯するから』

「いえ、お構いなく」

『ふふ。やっぱり変わった子だ。ありがとう、ミサキ』

 

 声が消えた、と感じたので目を開けると、いつの間にか外は暗くなっていた。床に突いていた膝が痛い。次から、柔らかいクッションか何か用意してもらおうと思っていると――


「ああ良かった、ミサキ殿。大丈夫か?」


 思い詰めた様子のグンターさんが、背後に立っていた。私があまりにも静かで、生きているかどうか不安になったらしい。やはり優しい人だと思う。


「足、痛いです。あと、お腹減りました」

「ふは。わかった。肩を支えても?」


 シロクマ王子、二の腕もムッキムキでした。


   ◇


 次の日も、当然祈りの間に入った。

 膝用クッションと、飲み水と軽食。夜が明けてから暮れるまでの時間、ひたすら祈る。気まぐれな神様が雑談してくれるから、意外と退屈しない。


「神様っておしゃべりなんですね」

『いや、こんなに聖女と話すことなんてないよ』

「そうなんですか」

『今回は結構深刻だし、長い付き合いになるだろうからね』

「なるほど。この国の信仰心があんまりないから、澱みがめちゃくちゃ溜まっちゃったって、他に誰か知ってます?」

『知らないよ。神託できるほど信仰心が厚い神官、いないもん。聖女が祈れば綺麗になるし、いっかあ程度になっちゃったんだよね。悲しいね』


 神様も溜息、つくんだね。


「聖女の権威も、衰えまくってる感じですしね」


 私を大事にしてくれるのはグンターさんだけ、な空気をしっかり感じている。神官たちは寄付金集めにしか興味がないし、魔術師たちは魔法で澱みを浄化できれば聖女不要と思っているし、騎士たちはどうせ守るなら美人が良かったって言っている。うん、それはそうかも。

 

『え〜、もう悪口言われてるの?』

「はあ。まあ。目に見えて浄化できてる訳じゃないですから」

『百年前のことなんて、知らないくせにねえ』

「あ。言われてみたら、ほんとそうですね。比べようがないのに、なんで役立たずってわかるんだろう?」

『は〜。わたしへの信仰が薄いからさ。ごめんね』

「いえいえ」


 二日目にして、愚痴大会になってきている。これで良いんだろうか。

 

「でもグンターさんは、信心深いですよね」

『ああ彼ね。小さい頃、虚弱でさあ。いつ死んでもおかしくないって言われてたんだよね』

「え!」

『それでも、毎日熱心にお祈りしてくれてさ。わたし、ちょっとだけ加護を与えられたんだあ。今じゃ王国唯一の、加護持ち聖騎士なんだよ』

「へえええ」

『わたしのこと、大事にしてくれてるの。ありがたいよ』

 

 神様なのに、こんなに謙遜する? と思っていたら、苦笑されてしまった。

 

『神様なんて、弱い。信じてもらえて初めて、力を発揮できるんだよ』

 

 私、この控えめな神様、結構好きかもと思った。


『ありがと、嬉しいなあ。わたしもミサキが好きだよ』

「心を読むのは、やめてください」


 私は思わず目を開けて、目の前にある石膏像を睨みつけてしまった。

 

『あっ、ごめーん!』


 石膏なのに、苦笑された気がするから不思議だ。

 こんなゆるい感じなので、長い時間のお祈りも苦にはならない。逆に、こんなのでいいの? と思っている。


『今日もありがとね〜』


 日が暮れると、神様が嬉しそうに御礼を言うので、きっと良いんだろう。


 ところが、私にとって憂鬱なのはディナーだったりする。

 聖女だからと、王族に招かれるから断れないし、マナーもあまりわからず、会話も何もかも気を遣って肩が凝る。

 しかも、グンターさんまで肩身が狭そうで、罪悪感を持ってしまう。というのも――

 

「南の森の澱みが収まらないと、林檎とブルーベリーの収穫ができないぞ」

「それは困るわ。ジャムを楽しみに生きているのに」

「ええっ、お茶会のお菓子が貧相になっちゃう」

「グンター、進捗はどうなのだ?」


 国王と王妃、グンターさんの妹である王女から、このように毎回責められるからだ。

 三十日祈るって知ってるだろ、と言いたいけれどグッと我慢して、対応はグンターさんに一任する。余計なことを話したら、きっと大変なことになる。今まで、嫌と言うほど学んできた。

 しかも、王妃も王女も、同じ女性だからか私へのあたりが強い。


「あーあ。大体、こんな地味で暗い人。我が王国にふさわしい聖女と言えまして?」

「お母様の仰る通りですわ」


 うん。私で良かった。普通の女性なら、泣いてる。

 私は、サダコだから平気。長い前髪の中から、呪いの笑いを遠慮なくお届けしよう。にへらと笑えば、相手は引き()って黙る。よし、サダコスマイルの切れ味は、異世界でも通じる。やったね。


「聖女殿は、見知らぬ場所へ来たというのに、懸命に祈ってくださっています」


 グンターさんが昨日と同じようなことを言って、ディナーは締めくくられた。

 私の部屋まで送る間、グンターさんは申し訳なさそうな態度なのが心苦しくて、堪らない。

 これは、私の方から変わらないと改善しないかもしれない。

 

 よし、と発奮した私は、それ以降王女を見かける度、微笑みかけてみた。

 話しかけるのは勇気がいるので、話しかけてもらえるよう、静かに視界に入るように動く。

 ディナーに向かう時も、一緒に行こうと誘うことができない代わりに、追いかけるようにして歩く。

 王女が転びかけた時には、急いで腕を掴んで支えてあげた。装飾品で私の指先に切り傷ができて、王女のドレスに血がついちゃったのは、申し訳なかったけど。あとで思い切って「血、取れました?」て聞いたら逃げられちゃった。後ろめたかったのかな。


 そうして歩み寄る努力をしたのに、王女は私の顔を見ると青ざめて、避けるようになってしまった。

 うーん、なんでだろう。人と仲良くするのって、難しい。

 

   ◇


 もうすぐ、祈り始めて三十日が経つ。

 それでも澱みは、消えていない。王国民の不安感や焦燥感が、私にも伝わってくる。


「こんなことは、前代未聞だ。どうなっている⁉︎」


 ついには国王からも直接責められ、グンターさんの立場がどんどん悪くなっているのが分かる。けれども私にできるのは、祈ることだけだ。

 

 聖女召喚の責任者である心優しい聖騎士は、色々な人たちから白い目を向けられ始めている。すぐになんとかしてあげたいけれど、神様いわく、信心が足りない分、祈りの力も弱まっている。魔法も無駄に乱発していて、魔素の残り滓が多い。


 そうだよね、環境問題が一ヶ月やそこらで解決するなら、温暖化とかで騒いでないよね、である。


「あーあ。人間ってほんと愚か」

『うわ、ミサキって神様みたいなこと言うね』

「あ、ごめんなさい」

 

 祈りの間で毎日話していれば、誰よりも仲良くなるのは当然だろう。神様なのに。


「私は別にいいけど、グンターさんが」

『うん。ちょっと大変なことになりそう』

「魔術師の皆さん、ですか」

『どうやら我慢できなくてついに、南の森へ向かったみたいだね。あそこは澱みが酷い。厄介なことにならないといいけど』

「やばいじゃないですか」

『やばいんだよ〜。犠牲者出ないといいね』


(ぎぎぎ犠牲者⁉︎)

 

「え、ちょ、助けに!」

『ダメだよ、今日の祈りが終わってない。その分、澱みが晴れないよ』

「でも」

 

 神様が、初めて冷たい声で告げた。


『信心もなく、文句ばっかの奴らなんて、助ける価値、ある?』


 ――ああ、この王国はきっと、神様から見放され始めているんだ。私はようやく、事の深刻さを実感できた。


「わかりません。けど、人が死ぬのは嫌だから。行ってきていいですか?」

『ふふ。ミサキってまるで聖女みたいだね』

「えぇ〜? 今頃〜?」

『ふふふふ。嬉しいな。行ってらっしゃい』


 目を開け顔を上げると、ステンドグラスの上方に太陽光が差しているのが見えた。

 お昼ぐらいか、と考えながら、神殿の出口へ急いで向かうと、グンターさんが馬に荷物を載せているところだった。


「グンターさん!」

「ミサキ殿⁉︎ 祈りはどうした」

「それより、早く南の森へ! 魔術師さんたちが、危ない」

「やはりか……乗れ」


 瞬時に危険を察知したグンターさんは、鮮やかに馬へ跨ると、上から私の手首を握って引き上げるようにして自分の前に乗せた。

 馬の背中って、高いんだね。知らなかった。そして、躍動する筋肉がすごい。思ったより揺れるし速い。でも可愛い。乗馬は初めてなので、胸がドキドキした。

 

「止めたんだが、無駄だった。情けないことで、すまない。念のため『聖剣』を取りに神殿に行ったんだが」

「はい。神様が言ったんです。南は澱みが酷いって。犠牲者出ないといいねって」

「なんだと!」


 慎重に馬を操っていたグンターさんは、鞭を入れ急がせた。(いななき)を上げながら、馬は全速力で駆けていく。

 そうして太陽が少し傾いた頃、眼前に鬱蒼とした森が見えてきた。


「……黒い魔素が、渦巻いています」

 

 私がそう言った瞬間、ガルルルルルと野太い声が空に轟き、木々の間を真っ黒く大きな生き物たちが行き交うのが見えた。

 

 ぎゃああ、とか、どうする、とか。複数の人々が動揺する声が風に乗って耳まで届く。炎や水飛沫が木々の合間から見える。おそらく魔法を放っているだろう。


「くそ、遅かったか!」


 私もグンターさんも急いで下馬して、様子を探る。


「ギャアアア!」

「助けてくれーーーっ」


 人の悲鳴が、あちこちから響いてきた。


「ちっ」


 グンターさんが、剣を抜いて私を背後に庇う。金色の柄には凝った装飾がしてあって、刃が太陽光を反射して白銀に輝く、いかにも聖剣だ。


「グンターだ! 助けに来たぞ!」


 よく通る声で叫んだグンターさんの声が響くと同時に、バラバラとローブ姿の魔術師たちが、こちらへ走ってくるのが見えた。

 背後から、見たこともない獣が何頭も追いかけてくる。恐ろしい。

 

 私はすかさず、懸命に祈った。どうか心優しいシロクマ聖騎士に、神様のご加護を。


「うわああああ」

「グンター様!」

「助けてーっ!」


 慌てふためいた魔術師たちの声に、耳を傾けている余裕はない。私は、祈り続ける。どうか、グンターさんを守ってください。彼は本物の聖騎士です。信心深くて、優しいんです。加護があるのなら、今こそその力を発揮できるようにしてください。


 必死だ。人生で、こんなに必死になったことはない。

 別に自分の命なんか、惜しくはない。けれどこのクマみたいな見た目なのに繊細で、優しい人のことは、守りたい。


 守ってあげたいの。どうか、無事で。


 騒々しさの中、目を閉じてひたすら祈っていた。私には、それしかできないから。

 耳には、飛び交う怒号や激しい息遣いと、何かがぶつかり合う音、逃げ惑う人々の足音が聞こえてくる。

 私はグンターさんを信じて、目を閉じたまま必死に祈る。もし何か見ちゃったら、恐怖に震えて何もできなくなる。聖女なら、祈れ。それしかできないんだから。


 グンターさんだけは、死なせない。死んじゃだめな人だから、守らないと。


「ミサキ殿。ありがとう。終わった」


 聞き慣れた声がして、恐る恐る目を開けると、体のあちこちに泥や傷や血や汗をまとったグンターさんが、眼前に立って微笑んでいる。

 私が立ち上がると、グンターさんは安心したのか、聖剣に付いた何かの液体をブンっと振り払う。筋肉が、すごい。やっぱり戦っているところ、見るべきだった。


「終わった……?」

「ああ」


 少し向こうの地面に、ぐったりと体を横たえる獣がたくさん見える。さらに、地面に尻もちを突いたり、土下座したりしている魔術師たちも。


「おやー、遅かったか」


 そこへ、黒髪で碧眼の男性が悠然と歩いてきた。長めの前髪を真ん中で分けて、耳にかけている。耳にはきらりと光る耳飾りをつけて、腰には細い剣。青い騎士服に黒いマント、白いズボンに黒いロングブーツ。

 その彼は、気さくに挨拶するように、右手を軽く挙げている。


「ルッツ!」

「グンター。すごいな、この量、一人で倒したのか」

「応援に来てくれたのか」

「おう。スタンピードとなったら、我が皇国も危ないだろう?」


 ニコニコ笑顔で近づいてくる、ルッツと呼ばれた男性を、いかにも王子様なキラキラした顔面だなあと見上げていたら、目が合った。


「あ。君かな、怨霊聖女って」

「あー……はい」


 生きてるし! 恨んでないし! 見た目だけだかんね!

 

「ふふ。確かに、あんまり生命力なさそう。呪いそう」

「よく言われます」

 

 悪口なのに、あまりそう感じなかった。


「おい、失礼だぞ」

「あっは。ごめん。僕はルッツ。隣の皇国の皇子だよ。グンターとは友人なんだ。よろしくね〜」

「ミサキといいます」


 ルッツさんは、私の前髪をかき分けようと、無遠慮に指を伸ばしてきた。

 だいぶ馴れ馴れしいなと思ったので、後ろに一歩下がって逃げる。


「わ。僕、女の子に避けられたの初めてだ!」

 

 まあその顔面なら、そうかもですね。なんで嬉しそうなんですか。

 

「グンターが怖い顔してるから、今日は諦めるけど。今度お茶しようね!」


 手をひらひらさせて、あっという間に去って行った。陽キャは苦手だから、頷かない。


「ルッツが、すまなかった。悪いやつではないんだが」

「はい。おかげさまで、さっきまで物騒だったのを忘れました」


 毒気を抜かれた、とはこういうことを言うのだろう。全身の緊張が解け、冷静になれた。


「……そうか。では、戻ろう」


 グンターさんが複雑そうな顔をしていたので、あとで神様にちゃんとお祈りしますねと慰めてみたら――寂しそうに、笑った。

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