「君を愛することは出来ない」と二回も言われた令嬢は、資本主義への道をひた走る
ピューラ侯爵家の庭園で、私は静かにお茶を飲む。
やはり昔よりも、茶葉の質が落ちている。
あとからやって来て席についた、侯爵家の嫡男ビルディスは、徐に口を開く。
「すまない、シエラ。僕はやはり、君を愛することは出来ない」
驚きはない。
いきなり、婚約者や配偶者から言われたくない科白ではある。
いや、何時いかなる時でも、言われたくないね。
言われたとしたら、多かれ少なかれ傷つくし。
でも、「やはり」という思いしかない。
今の私には何の感慨もない。
最小限の傷すらつかない。
だって、私は知っていたから。
こうなることを。
それにビルディスから同じことを、一度言われているから。
しかし、ビルディスの次の科白に、温和な山羊女と言われる私でも、脳内にカチンという音が響いた。
「だってさシエラ。君は商売にばかり熱中して、淑女の嗜みを忘れてしまったみたいだもの。『守銭奴令嬢』なんて二つ名は、如何なものかと思うよ」
私が商売に熱中し、資産を増やしたのは誰のせいかしらね。
下っ端とはいえ、貴族の娘が一人で生きていくことを決意したからよ。
山羊を怒らせると、それなりに恐いのだから。
命を懸けて戦うのよ、草食動物でも。
私もそうしただけ。
そう、三年前のあの日から。
◇◇三年前◇◇
それは高等学園の卒業パーティのこと。
高等学園を卒業すると成人年齢となるため、卒業と同時に結婚する者も多い。
学園生同士で婚約している人たちは、この日に結婚式の招待状を配ったりする。
私もそのつもりでいた。
燃え上がるような恋愛ではないけれど、長らく婚約者として誠実に向き合っていた相手と。
だが婚約者のビルディス・ピューラはいきなり断ち切ってきた。
幼い頃に結んだ家同士の契約を。
「シェラン・オルト子爵令嬢。僕は君との婚約を今ここで破棄する。真実の愛に巡り合った僕には、最早君を愛することなど、到底出来ないのだ!」
賑やかなパーティ会場が、一瞬静まり返った。
ビルディスの横には、彼の上着の裾を握る、一人の女生徒がいた。
マリミル男爵令嬢だ。
ふわふわと風に揺れる水色の髪と、パッチリとした瞳が印象的な令嬢。
学園内で二人が一緒にいるところを、何度も見かけた。
比較したくもないが、私の外見は至って凡庸。
白っぽい灰色の髪だし、知的な顔立ちと言われるが、単に目が細いだけ。
爵位は男爵よりも上で、そこそこ歴史のある家だが、現在のオルト家に誇れるものは特にない。
まあ、昔はあったのだが……。
よってビルディスがマリミル嬢に惹かれたのも、分からないというわけでもない。
だからと言って、公衆の面前で「婚約破棄」を宣言しなくても良いと思うけど。
仕方なく私はビルディスとマリミルに顔を向けた。
「やだ、シェランさん、睨んでる」
マリミルがビルディスに縋りつくと、彼はマリミルの肩を抱き「大丈夫」とか言っている。
すまんね。
睨んでないよ。瞼が厚いから、目が細いのよ。
「承知しました。ただし家同士の話ですので、詳細は後ほど」
ビルディスは鼻息荒く私に言った。
「くれぐれも、マリミルに害をなそうなどとするなよ」
しませんてば。
する気があったら(ないけど)、とっくにやってる。
せっかくの卒業パーティを台無しにされた感満載で、残念な気分がそのまま顔に出た。
ポンと肩を叩かれ、振り向くとライオネルが苦笑している。
同級生だった我が国の第三王子だ。
領地経営の授業で、一緒のグループだったわね。
現地の実習は楽しかったな。
山羊の世話して、子山羊を抱っこして……。
あまりにも子山羊と仲良くなってしまって、「山羊女」の仇名が付いちゃったけどね。
「大変だな、君も」
「まあ、想定範囲ですわ」
「ふうん。夢詠みでもしてたのか?」
「……うふふ。どうでしょうね」
焦ったわ。
上二人に比べると、秀でたところが少ないと言われているライオネル殿下だが、腐っても王族。
いや、腐ってはいないが、王族特有の紫紺の瞳以外、見た目も割と地味。
だから、私も緊張せずに友人付き合いが出来たのだ。
しかし、まさか……。
夢詠みを知っているとは。
まあ、王族とこれ以上、関わる機会もないだろう。
取り敢えず、帰ろう。
◇
私は邸に戻り、その後のことは親に任せ、さっさと寝ることにした。
寝るのは好きだ。大好きだ。
だって、夢が見られるから。
元々我がオルト家は、「夢詠み」の一族だ。
個人や家の先々のことは勿論だが、先祖らは国家の未来まで、垣間見ることが出来たという。
夢詠みは、夢の中でのみ未来を知る。
方法は口伝のみ。
あとは個人の資質があれば、夢の世界に辿り着く。
私にも「夢詠み」の能力が少しだけあるようだ。
祖母に簡単な方法を聞いたら、夢の世界へと辿り着いた。
小さい頃は、夢の中で妖精たちからお告げのようなものを、何回か聞いた。
――あのね、シエラ。婚約したら
――ダメになるよ、最初。
――そうね、その相手はダメだな。
――本当に、幸せな結婚をしたいなら……。したいなら、ね……。
十歳を過ぎてからは、夢を見ることも減り、当然、夢を詠むこともなくなった。
何故だろう。
多分だけど、ビルディスと婚約したからだと思う。
「夢のお告げ? 馬鹿じゃん、お前」
ビルディスに言われて、夢の世界への扉を閉じたのだ。
格上のピューラ侯爵家から縁談が舞い込んだのも、この特殊能力を血筋に入れたいからだ。
だいぶ資産を減らしている侯爵家だから、お告げで楽に稼ぎたいといったところかな。
それをビルディスは知ってか知らずか、勝手に破棄して来た。
侯爵も夫人も泣いているだろうなあ。
私だって……。
婚約破棄を淡々と受け入れたように見たかもだが、乙女心は傷ついた。
結構傷ついた。
仕返しとか復讐なんて、ちょっとしか思わないけど(ちょっとだけだ)今後の自分の人生は気になるお年頃。
傷モノ令嬢になってしまったし。
跡取の兄はいるし。
修道院へ入るか、はたまた路傍で占い師でもやって、日銭を稼ぐしかないだろうか……。
どうにか自分の人生を、新たに作り上げていくことは出来ないのか。
だから今夜は夢を見る。
夢の世界の扉を開ける。
枕に頭を乗せて目を瞑ると、ぼんやりと見えてくる細い道がある。
――道が見えたら、そのまま歩いて行きなさい。
祖母が教えてくれた、夢の世界への入り方だ。
見えて来た細い道を更に行くと、突き当りに扉がある。
私はこの夜、久しぶりに扉を開いた。
***夢の世界***
夢の世界には、いつも中央に大きな樹が見える。
緑の葉にキラキラと光が当たっているが、妖精さんの姿はない。
ただ、大きな木の下で、おっさん二人がお茶を飲んでいた。
私は知りたいことを思い浮かべる。
私の将来は、修道女だろうか。
それとも路傍の占い師か。
「いやいや、その若い身空で諦めたらアカン」
「そうじゃそうじゃ。人生これからだぞ」
此処にいるのは夢の世界の住人たちだ。
おっさんたちは誰だろう?
「ほうほう。夢が人生の指針になるのか。うんうん、ワシの理論と同じだな」
顎に白い髭を生やしたおっさんが言う。
「ジーク先輩。それなら私の集合体無意識も同じでしょう」
白髭ジークおじさんの後輩なのか、オデコの綺麗なおっさんが喋る。
「カールよ、このお嬢さんの婚約破棄の裏側には、婚約者だった男の『エディプスコンプレックス』の存在があると、ワシは確信しているぞ」
「先輩、それなら私は、近頃あちこちの世界で婚約破棄が流行っていることから、『シンクロニシティ』理論を推しますよ」
ジークさんとカールさんが何を言っているのか、私には全然分からなかった。
そこで訊いてみた。
「ええと、これから私はどうすれば良いのでしょうか?」
二人のおじさんは顔を見合わせ言った。
「彼女の今いる世界は、資本主義の黎明期であろうなあ」
「さすれば、資本経済に詳しい、あの人を呼ぶべきでしょう」
二人のおっさんは、声を揃える。
「「マルちゃ――ん」」
大きな樹が揺れて、幹からぬうっと、もう一人のおっさんが現れた。
マルちゃん?
「名前が私と同じ、カールだからね。名字で呼ぶと味気ないから、マルちゃん」
へええ。
「呼んだかい? ジークとカール」
マルちゃんは、頭もじゃもじゃ。ジークおじさんよりも長い髭を蓄えていた。
ジークおじさんとカールおじさんは、私の悩みをマルおじさんに話す。
「ふんふん。なるほど。これから何を為すべきか、ということね」
マルおじさんは私に言う。
「貨幣制度の成立に伴い、労働者階級は非人間的な生活を送らざるを得ない。万国の労働者よ、今こそ結集せよ! 階級闘争の狼煙を上げるんだ」
バンコク?
結集?
ええと。
私の未来は一体……。
「マルちゃん、お嬢さんが困惑しているぞ」
「もっと分かりやすく話してあげてよ」
マルおじさんは頷いた。
「君は貴族か?」
「はい」
「歴史ある家門か?」
「それなりに」
「ならば、貴族の子女が一人で生きていくとしたら!」
「生きていくとしたら?」
「生産手段を獲得しなさい。資産を作り出すのだよ。それが君の力となる」
資産を、作り出す……。
どうやって……。
「詳しくは君のお父さんに聞きなさい。貴族の長として、必ずや生産手段を持っていることだろう」
「はあ」
それにしても、ジークおじさん、カールおじさん、そしてマルおじさんたちって、何処の国の何者なんだろう……。なんか、みんな偉そうだ。
でも。
面白い人たちだったな。
◇◇
「起きてください、お嬢様」
侍女の声で目が覚めた。
夢を見ていたようだ。
久しぶりの、リアルな夢だった。
妖精の代わりが、おっさんだったけど。
とにかく、今後の方針はなんとなく分かった。
食堂に行くと、不機嫌な表情の父と母がいた。
「お、おはようございます」
父母無言。
このまま修道院コースかなあ。
「で、どうする? シエラ。次の相手は」
「お父様、そうそう簡単に見つかるとは思えないのです」
覚悟を決めて、私は父に言った。
「だから私は資産を、私自身で資産を造りたいのです」
父の表情が変わった。母は眉を上げた。
「ふむ。どうやるつもりだ?」
「手段を下さい。三年で、アルト家の資産を倍にします! その一部を私に下さい」
なけなしの勇気を振り絞り、私は父に談判した。
◇
アルト家の領地からは小麦が産出されている。それが主な生産手段だと父は言った。
あとは果実の木がそれなりにあるのだが、実る頃にはポロポロ落ちてしまって、売り物にするほどではない。
また、領地の人たちは、土を捏ねて、藁を積み上げた処で焼いたものを食器として使っている。
どうやらアルト家の領地の土は、焼き物に向いているらしい。
私はそこに目を付けた。
大きさや味がイマイチでも、加工すれば売れるはず。
林檎の木が多いので、煮詰めて甘味を付けて、保存が利くようにしてみよう。
甘味の成分は、楓から取れる。
楓の木も、領地には多いのだ。
ジャムというものらしい。
夢の世界で出会った、アレクさんが言っていた。
アレクさんは金髪の美丈夫。カッコ良い男性だ。
仇名は「大王」。料理人さんかな。
アレクさんお薦めのジャムを、焼き物の器に入れて、売り出すのはどうだろうか。
「何だか面白そうなこと始めたね」
嫁にも修道院にも行かずに、ジャム作りを始めたと手紙で書いたら、ライオネル殿下が見学に来た。
「えへへ。食べてみる?」
薄く焼いたパンに、出来立てのジャムを付けて殿下に渡した。
「うわあ、これ美味しい!」
「でしょ?」
殿下はいくつかの器に入ったジャムを持ち帰り、ご祝儀だといって金貨をくれた。
さすが王族。お金持っているのね。
殿下のご祝儀を有難く使わせてもらい、領地のはずれにある小屋を綺麗にした。
そこをジャム作りの工房とし、ジャム作りに精を出した。
最初は全部、一人でやった。
毎日出来上がったジャムを持ち、街角で売った。
その味が評判になり、次第に顧客と売り上げが増えた。
ライオネル殿下が王族たちに私のジャムを勧めてくれたおかげで、固定の顧客に恵まれた。
ありがたや、ありがたや。持つべきものはお金と人脈だ。
王家御用達の看板を、こっそり掲げて街角にも出た。
段々、家族が手伝ってくれるようになり、ジャムも器もたくさん作れるようになった。
こちらから売りに出かけなくても、毎日注文が届くようになった頃、街の商会が店舗を一つ、任せてくれるようになる。
商会の助言に従って、ジャムを作る工房と器を焼く工房を複数立ち上げたところ、売り上げは飛躍的に伸びた。
オルト家の資産が、高位貴族の約十年分の税収と同額になったのは、婚約破棄されてから二年後のことだった。
***閑話・夢の世界の住人たち***
マルちゃんは、お友だちのフリードくんと、大きな樹の下でお茶を飲んでいる。
フリードくん、本名はフリードリヒだが、長いのでフリード。
マルちゃんと一緒に本を書いたりした人だ。
「スゴイね彼女は。家内制手工業から、マニュファクチュアまで一気に行ったようだね」
フリードくんは素直に感心している。
「彼女がいる世界では、ここで止めておく方が良いだろうなあ。工業制まで発展すると、そこからは搾取が始まるからなあ」
マルちゃんは、少々心配顔だ。
「彼女の世界では、産業革命がまだ起こっていないから、大丈夫でしょ」
そう。彼女、シエラことシェラン・オルトのいる世界は、マルちゃんやフリードくん、ジークおじさんやカールおじさんが存在していた世界とは、次元が異なる。
時間軸もずれている。
ゆえに、シエラと彼らが逢えるのは、夢の中だけなのだ。
◇◇
私が資産を順調に増やす一方で、元婚約者のビルディスと彼の侯爵家はどんどん零落した。
ビルディスは生来の金銭感覚が緩かったし、新しい婚約者となったマリミル嬢に相当つぎ込んだことが原因らしいが、どうでも良い。
婚約破棄から三年後、王家主催のパーティが開催された。
いつもは領地で林檎を煮詰めている私だが、曲がりなりにも貴族令嬢なので参加しなければならない。
手持ちのドレスはサイズが合わなくなっている。
この二年で余分なお肉が取れたようだ。
でも、胸は少々張りが出たのよ。ふふふ。
瞼の脂肪も取れたのか、細い目がちょっと幅広くなった。
そりゃまあ、毎日毎日、林檎が二十個位入った大鍋を持ったり、出来上がったジャムを器に入れて、行商してたりしたもの。
胸の筋肉が鍛えられたのだろう。
帳簿の間違いがないか、何度も両目を見開いて、隅々くまなくチェックしたから目が大きくなった?
お世話になっている商会の伝手で、流行りのドレスを手に入れた。
値札を見ないで買い物するなんて、二年前には考えられなかった。
あ、せっかくだから、化粧品も揃えよう。
エスコートは父に頼む、しかないかな。
そう思っていたら、ライオネル殿下から当日は早めに王宮に来るようにと手紙が届いた。
王宮のメイドさんが、身支度をしてくれるという。
なんと殿下が、エスコートして下さるですって!
そういえば、ライオネル殿下って婚約者いなかったかしらね……。
王宮で久々に会ったライオネル殿下は、しげしげと私を見て呟いた。
「想像以上、だ。女性は変わるもんだな」
「おほほ。ドレスと化粧の力は偉大ですのよ」
殿下は笑う。
あ、学園生だった頃と変わってない笑顔。
「いや……。そういう意味じゃ、ああ、でもそういう意味もあるか」
独り言を言っている殿下に、恐る恐る訊いてみる。
「ライオネル殿下は、エスコートすべき御方、いらっしゃらないのですか?」
「うん」
王太子や第二王子のご成婚やら後継ぎ云々やらで、ライオネル殿下の婚約は忘れられているという。
では、今宵私のエスコートをしてもらっても、問題は少ないよね。
この時私は、暢気にそう思っていた。
「まあまあ。あなたがジャムを海外にまで広めた、シェラン・オルト嬢なのね」
殿下に連れられ、国王陛下と王妃様にご挨拶に伺うと、王妃様は胸の前で両掌を合わせて微笑んで下さった。
ライオネル殿下は、かつて芙蓉姫と呼ばれた王妃様似だな。
せっかくなので、貴重な白い土で造った器に入れたジャムを献上した。
「うむ。そなたは子爵に似ているな」
陛下の御言葉に、あまり有難くないが「ありがとうございます」と膝折礼。
「時に、令嬢は夢詠みが出来るのか?」
陛下の御言葉にドキリとしながら、私は曖昧に微笑みフロアへ戻った。
フロアではとにかく次から次にと、名前しか知らなかった貴族のご夫人たちや、領地以外にも経営をされているご当主の方々から挨拶された。
学園での同級生らは、遠慮していた。
こちらから挨拶に行こうかと向きを変えたら、手首を掴まれた。
「久しぶりね、シエラちゃん」
うげげ。
という声が出そうになったが堪えた。
「こんなに美人さんになるのなら、息子に婚約破棄なんか、させなかったのにな」
手首を掴んで声をかけたきたのは、ピューラ侯爵夫妻、すなわち、ビルディスのご両親だ。
二人共、なんだか色あせた衣装だった。
「ねえシエラちゃん。まだ独り身なんでしょう? もう一度、ビルディスとやり直さない?」
え、嫌です。
即答したかったが、これも堪えた。
「あはは……。ピューラ侯爵ご子息には、お相手がいらっしゃるでしょう」
「とっくに別れたわ」
「まあ」
「だから、あなたと再度婚約するのに、何の問題もなくてよ」
私にはありますけど。
と、心の中で答えていたが、ふと視線を感じた。
侯爵夫妻の後方には、私を見ているビルディスがいた。
確かに、一人で立っている。
あ。
目を逸らされた。
チッ。
「……だからね、来週、待っているわ」
「はい?」
「ウチの邸の庭園で、もう一度ビルディスと顔合わせをしましょう」
「え、あ、ええ!?」
なしくずし的に、侯爵家のお茶会に行くことが決まっていた。
高位貴族様の圧って、コワイ。
私は侯爵夫妻をなんとか振り切り、テラスへ出た。
「で、どうするの? 再婚約?」
冷えた水を持って、ライオネル殿下が来た。
先ほどの侯爵夫妻との話を聞いていたのだろうか。
「いや、しませんよ、今更。お仕事のことで精一杯なんだから。婚約とか結婚とか、考えてもいないし」
殿下はじっと私を見つめる。
月明かりの下のライオネル殿下は、翳りを帯びていて美しい。
さすが、なんだかんだ言っても王族なんだね。
「そうか……。興味ないか、結婚」
「良いご縁でもあれば、考えるけどね」
「君の思う『良いご縁』の相手とは?」
「好きなように仕事をさせてくれる人」
殿下の唇が少し笑みを浮かべた。
そして話は冒頭に戻る。
◇侯爵邸の庭園で◇
「だってさシエラ。君は商売にばかり熱中して、淑女の嗜みを忘れてしまったみたいだもの。『守銭奴令嬢』なんて二つ名は、如何なものかと思うよ」
「ふふ。どなたが守銭奴などと仰っているのやら」
ビルディスの目が泳ぐ。
言っているのはお前だろ、と指さしたくなる気持ちを抑えた。
「ご安心くださいませ。私もビルディス・ピューラ様と再度婚約を結ぶ気持ちは、これっぽっちもないですわ」
「え?」
なぜ驚く。
想い出に残る卒業式の風景を、ぶっ壊したのは貴方でしょうに。
「いや、僕が愛さなくても、君は僕を愛しているんだろう? だから今も独身で」
私は扇子をパカッと開き、貴族風の高笑いをする。
「オッホッホ! 私が結婚しないのは、仕事があまりにも順調で、そちらに全力投球をしたいからです。家同士の契約を、一方的に破棄する男を愛するなんて、一文の得にもならないことを、するわけがないでしょう? 守銭奴なのに」
ビルディスの顔色が白くなっていく。
ま、まさか!
この人本当に、私がビルディスを忘れられなくて、独り身でいると思っていたの?
「そ、その、破棄は悪かったよ。つい、マリミルにそそのかされて……」
「今更謝罪は結構です。愛らしいマリミルさんと幸せにお暮しくださいな」
ビルディスは俯いて頭を振った。
「も、もうマリミルはいない。我が侯爵家の資産を知って、宝石だけ持っていなくなった……」
おや。
なんというか、賢い選択ですね。
マリミルを少し見直した。
「はあ。真実の愛も金次第ですか。そうですか。で、見た目は山羊で守銭奴だけど、小金を持ってそうな、元婚約者に縋るおつもりだったのね」
「そ、そんな言い方、酷いよ。それに、それに君の一族は、夢のお告げを聞けるのだろ? その能力はとても素晴らしいし……」
ダン!!
私は扇子をテーブルに叩きつけ、立ち上がる。
「お生憎様。夢詠みは、そんな甘い考えの者に、何の答えもくれないわ!」
そう。今なら分かる。
夢の世界の扉は、現世御利益だけを求める人には開かない。
あの時私が、必死であがいて求めたから、住人たちに会えた。
項垂れたままのビルディスを振り返ることなく、私は侯爵家を去った。
◇
自邸に戻ると、応接室にはライオネル殿下が座っていた。
今日はいかにも「殿下」という服装をしいてる。
「あら、どうしたの? 王室のジャム切れた?」
殿下は立ち上がり、私の前に来ると跪く。
はい?
殿下、なにしてますの?
「君の仕事を支えたい。あ、ちょっと違う。キラキラと仕事する君を見ていたい」
「え、見てたいって……」
殿下は私の手を取り、そっと唇を当てる。
「君は好きなだけ仕事をしていいから、結婚して欲しい。僕と」
その瞬間、私は呼吸を忘れていた。
「な、なんで、そんな、山羊顔の私に……」
「可愛いじゃん、山羊。領地経営の実習先で、子山羊と戯れる君は本当に愛らしくて、惚れてしまった。時間がかかったけど、諦めないで良かったよ」
息も出来ず、意識が遠のいた私は、思わず頷いたような気がする。
その後。
私の手がけたジャム作りは、王家直営の工場で大量生産されることになる。
やがて食品だけでなく、何種類もの製品を大量に生産出来るようになった我が国は、経済大国へと成長するのだ。
***終話・夢の世界の住人たち***
ジークとカール、マルちゃんにフリードらは、シェラン・オルト子爵令嬢の結婚式を、夢の世界の大きな樹の洞から、こっそりと見ていた。
「ジーク先輩、あれ……」
カールが指さす方向には、かつてのシエラの婚約者だったビルディスが立っていた。
「失って、初めてその価値に気付いた男か」
同情できんな、とマルちゃんが言う。
「愛することはない、なんて言わなきゃ良いのに」
フリードがため息をつくと、待ってましたとばかり、ジークがしたり顔をする。
「怖かったのさ、奴は。婚約者だった女性の能力が、男の自分よりも高かったことが」
「ジーク先輩の理論、自我が最も頻繁に行う活動は、心の防衛ってことですね」
「そうだ。そして防衛の方法として、リビドーと攻撃性が高まる」
「ああ、だから別の女性に手を出して、公衆の面前で婚約破棄をした、と」
ああ、また面倒クサイ議論をしていると、マルちゃんとフリードは肩を竦めた。
了
お読み下さいまして、ありがとうございました!
夢の世界の住人は、なんとなく歴史上の人物ぽいですね。モデルとなった方々のお名前を記します。
あくまでモデルです、ええ。
ジークさん(のモデル):ジークムント・フロイト
カールさん :カール・グスタフ・ユング
マルちゃん :カール・マルクス
フリードくん :フリードリヒ・エンゲルス
アレクさん :アレクサンダー(アレクサンドロス)3世
お読み下さった皆様をはじめ、感想や評価やブクマ、いいね、その全てに感謝です!!