告白
照明に淡く照らし出されたドレス姿の彼女は、まるで妖精のように儚げで美しかった。
「あなたのことだから、さっさと荷物をまとめて、帰国しちゃうんじゃないかと思ったの。そうしたらもう誰も手が出せないから、手遅れにならないように追いかけてきたのよ。ジョージはあなたのお屋敷へ、わたしは大使館へ。ジョージのほうが本命で、わたしは念のための待ち伏せだったんだけれど、車止めにあなたのところの車を見かけて、会場から直接大使館に直行したのかって頭を抱えていたのよ」
繊細な美貌を持つリズは、実際は快活な人だ。頭の回転もはやく、口も良く回る。精神もしなやかで、異国からやってきた王族のメンターを任されるのも頷けるというものだ。
場や人の気持ちを明るくさせるお日様のような人だと、今まで何度思ったことだろう。あまりの輝きに、己のふがいなさと比べて気落ちすることもなくはなかった。
「ごめんなさい、別に大使館に逃げ込んだわけではなくて、相談をしにきただけなの。これからのことを考えなくてはいけないと思って。会場のほうはよいの?」
今日の夜会は、リズやジョージが主催したものだった。この国の社交に不慣れな私が、交友関係を広げられるようなにという意図があったことを知っていた。
彼女たちの心遣いを無駄にする形になってしまい、申し訳なく思う一方で、私にはどうしようもなかったという思いもある。
「主賓より大事なことなんてないわ。あっちはウィルやエドがなんとでもするから大丈夫」
「……そう。あのあとカールは」
「会場の一室に押し込めて、みんなでお説教よ。ありがとう、アヤ。あなたが冷静でいてくれたおかげで、大きな騒ぎにはなっていないわ。知っているのはあの時そばにいた五人くらいよ」
礼を言われるとは思わず、首を横に振る。
リズの気配りに対して、自分の狭量さにしくりと胸が傷んだ。
こういう心遣いを見習わなくてはと思う。
「冷静だなんて。あの場で聞くような話ではなかっただけ」
カールの姿を思い浮かべると、口がわななき、まなじりに涙がたまるのが分かる。
今泣いてもリズを困らせるだけだ。落ち着こうと呼吸をゆっくりと繰り返す。
「……っ」
大使や父と話していた時は大丈夫だったのに、どうして今は感情を抑えることができないのだろう。
泣いたところで何も解決しないことは分かっているのに。
こちらをまっすぐ見つめるリズの瞳にいたわりの色合いが宿る。
「ごめんなさい。アヤ。もっとあなたを早く追いかけるべきだったわ。わたしたち、殿下があれ以上馬鹿な発言をしないように対応するほうを優先してしまって。ひとりでつらい時間を過ごさせてしまったわね」
「あなたの立場なら当然よ」
こらえきれずに涙がこぼれて、指先で拭う。
リズをはじめ、この国でできた友人たちは皆、カールを通してできた友人だった。カールが主体で私はその付帯にすぎない。優先順位は決まっている。
それは仕方のないことで、当然のことなのに、今はそれがとても苦しかった。
「私、全然、冷静ではないの。ごめんなさい。あなたにこんな情けない姿を見せたくないのに」
「情けないなんて思わないわ」
真摯な眼差しとかけられた言葉に、涙のかさが増す。
「リズにお願いがあるの。カールはみんなに話をしたのでしょう? 婚約破棄の理由。私はそれを知らなければならないって分かっているいるわ。けれど今は聞きたくないの。今は言わないでほしいのよ、リズ。もう少し待ってほしいの。せめて明日の陽が昇ってからにしてほしい」
別に好きな女性がいるとか。私の黒髪や黒い瞳がいやだとか。年上で扱いにくいとか。性格が合わないとか。話し方が嫌いだとか。一緒に暮らすイメージが持てないとか。文化の違いになじめないとか。国の将来を考えたときに役者不足であるとか。国益を考えた時にもっとふさわしい相手がいたとか。
それがどんなに些細な……あるいは高尚な理由であろうとも、今は聞きたくなかった。
驚いたように目を大きく見開いたリズは私の手をとると、白いその両手で包み込んだ。
「アヤ。大丈夫よ。聞いてないわ。聞いていないの、誰も」
「えっ」
「殿下は理由を言わなかった。だから誰もどうして殿下があんなことを言い出したのかは知らないの。あの場にいて、あなたの心配をしていない人はいなかったわ。わたしもあなたを不用意に傷つけた殿下に憤りを感じている」
カールを思い浮かべたのか、リズの眼差しが一瞬、険しくなる。けれどもすぐに私をいたわる表情を浮かべた。
「ありがとう、リズ。そしてごめんなさい、あなたにそんなことを言わせてしまって」
「気遣いで言っていると思っているの? あなたの前でなければかなり悪し様に殿下を罵っているところよ」
私の手をつかんだまま、リズは微苦笑を浮かべる。
「でもあなたは殿下の悪口も聞きたくないでしょう?」
「……ええ、確かにそうね」
彼女にはそんなことも分かってしまうらしい。
私がわかりやすいのか、リズの洞察力が優れているのか。
思わず口からため息が漏れた。
彼が私をどのように否定したのか知りたくなかったように、私は彼を否定する言葉も聞きたくはなかった。とげのある言葉は今の私には刺激が強すぎる。
カールが私に嫌悪感を持っていたとしても、私は別に彼という人間が嫌いになったわけではなかったし、悪し様に罵りたいというわけでもなかった。
「この国に来てから、あなたのそういう配慮に私はずっと助けられてきたわ。今まで本当にありがとう」
これまでの感謝を込めた言葉にリズは、眉間を少ししかめて首を軽く左右に振った。
「アヤ。別れの言葉は受け取らないわ」
リズはそこで視線を落とし、しばし言葉を選ぶように、口を閉じた。
ただ再びまっすぐ私を向けた時に、その眼差しには迷いはなかった。
「そうね、あなたは不謹慎って怒るかもしれないのだけれど、今言っておいたほうがよいと思うから言葉にしてしまうわね」
「あなたに対して怒る? 私が?」
「そう、冷静で慎重なあなたも怒るかも。アヤ、あの言葉不足の殿下が本当にあなたとの婚姻を破棄するというのなら、わたしと結婚しましょう。だから先のことは心配しなくて大丈夫よ」
強く手を握りしめられる。真剣な眼差しが向けられるが、私は彼女の言葉がうまく受け止められなかった。
「あなた、自分が何を言っているか分かっているの?」
聞き間違えでなければ、結婚を申し込まれた気がする。
「遺伝子を残すのであれば異性婚が前提だけれど、そもそも同性婚が禁止されているわけではないもの。あなたと私もかなりお似合いだと思うわ」
確かに同性婚は禁じられてはいない。かつ異性婚より法律的な縛りも緩くなる。両者の子どもが生まれない同性婚の場合、居住地への縛りもない。
その結婚で子孫を残すことが重要視されている場合、周囲の視線は厳しいものにはなるけれども。
「……本気?」
「こんな時にこんな冗談をわたしはつかないわ。あなたを傷つけてしまう」
お父様、婚約者にふられたら、美少女に結婚を申し込まれました。
先ほど電話で話した父を思い浮かべて、心の内で報告をする。
突拍子もない申し出に怒りやあきれを覚える前に、思わず笑ってしまった。
私の反応にリズも少しほっとしたように、笑みが柔らかくなる。
「殿下という障壁がなくなったらね、あなたのことを周りが放っておかないもの。だからわたしのことも選択肢にいれておいて。是非とも第一候補として。そういう道もあるんだってことも知っていてね」
「今まで考えたこともなかった選択よ」
リズはその口元に浮かべた笑みの種類を少し変える。
「あなたはきちんと人を愛そうとする人だもの。殿下のことも愛そうとしていたし、脇目もふらず愛していたのをわたしは知っているわ。殿下がその愛を受け取らないというなら、わたしがほしいの」
本当に本気よと、そこだけ茶目っ気たっぷりに告げられる。
リズの申し出が冗談でもこの場限りの慰めでもないというのなら、私はきちんと考えなければならないことが一つ増えたことになる。
「いろんなことがありすぎて、熱が出そう。でもありがとう、リズ」
今はただ、私を必要だと言ってくれる言葉が嬉しかった。私のこの国での日々を肯定してくれる言葉がありがたかった。