青天白日3
護衛のひとりにビッキーを送るように指示を出し、その姿が見えなくなるまで見送ったのち、カールとアヤは門外に待機していた車に乗り込んだ。カールが運転手へ目配せすると、車は滑らかに走り出す。
衆目がなくなったところでようやくアヤは深く息をついた。
可憐な闖入者の姿を思い返す。
「恋って素敵、と思えるような涙だったわね」
カールに向けられる思慕は、本来きっとどれも美しいものなのだろう。
一方でアヤへ向けられる感情が鋭くなってしまうのは、その想いを守るための防衛本能のなせるわざといってもいいのかもしれない。
アヤの存在は、彼女たちの恋を損なう存在なのだろう。
ビッキーの恋はまっすぐで、そのまっすぐさはアヤという婚約者がいようが変わらなかった。子供のように純真な想い。もはやアヤが持ち得ぬものだ。
彼女のような女性ならば、見知らぬ異国の地の夕闇の中へも自らの心のままに駆けだしていけるのかもしれない。
「あの子は恋の成就が最終目的じゃなかったからね。誰かの心を欲しいと思ったら、美しい心だけではいられないよ」
カールが物憂げなまなざしを窓の外の景色に向けながら呟く。
それは彼自身の心の弁護であると同時に、ふたりを取り巻く人々の思惑への諦念に聞こえなくもなかった。
「経験談」
淡い笑みを浮かべてアヤがわざと茶化すような口調で告げれば、
「そう、経験談」
視線をアヤへと向けたカールは苦笑を浮かべ、その後はお互いそれ以上は言及しなかった。
「今日の行く先をまだ聞いていないと思うのだけれど、どこへ行くのかしら。少し遠出になるとは聞いていたけれど」
アヤが話題を変えると、カールは少し考えるような素振りをしてから、口元に意味ありげな淡い笑みをたたえた。
「着いてから教えるよ。気取った場所ではないし、誰かに会わせたりするわけではないからその点は安心してほしい。ただわたしと一緒にその場所に行ってほしいんだ」
運転手へもアヤへ行き先を教えぬようにと念を押す。
向かう場所が分かれば自ずと目的も推測できるのだが、さらに尋ねても回答は得られないだろう。
アヤは座席に深く背を預け、ふーっと息を吐いた。
「何か考えがあるってことで楽しみにしておくことにするわ。到着までどれくらいかかるかくらいは聞いてもいいかしら」
「この車なら一時間というところかな」
その回答にアヤは驚いて、座席に預けたばかりの背を起こした。
「それって王都を出るってこと?」
「そうだよ」
「……あなたと放課後にそんなに遠くへいくのは初めてかもしれないわね」
王子としての公務にともなわれる形での遠出や、休日を利用して王都を出ることはたびたびあったが、平日の午後は彼のスケジュールや警備の問題もあって、出かけるにしても近場になりがちだった。
「公務じゃないから眠くなったら寝ても大丈夫だよ」
「それはこちらの台詞。遠慮せずに眠っていいのよ。私も眠くなったら寝てしまうから気にしないで」
カールはもとから日々忙しく動き回っていたというのに、婚約破棄騒動の後始末でアヤ以上に身辺が騒がしくなったとあちらこちらから聞いている。今日のこの時間もかなり無理をして調整したはずだ。疲労らしい疲労は顔に出てはいないが、疲れはあるだろう。
「そうだな、そうしたらお言葉に甘えて少し眠ろうかな」
カールは少し姿勢を崩すと目を閉じた。
「そうして。おやすみなさい」
小声でアヤが声をかけたがカールはもう返事をしなかった。
静かになった車内にアヤは少しほっとする。目を閉じたカールの端整な横顔からゆっくりと視線を引きはがし、目を伏せる。
いつかこの少年の婚約者という立場を失う。
そう考えるとどんな態度で彼と向き合えばいいのか、正直分からなかった。婚約者、いつか妻となる、その前提があった時には、カールに対して対等に物申す権利が自分にはあると思っていた。権利のありなしすらも考えぬほどごく自然に。
今はまだ婚約者だ。以前と変わらぬままでも許されるだろう。
けれど婚約者という立場を失った時、自分はどう振る舞えばいいのだろうか。
その時、カールに対してどこまで踏み込んでよいのか、あるいはどこまで引き下がらねばならないのか、アヤにはまだ判断がつかない。まるでこの国で暮らし始めた時のように、手探りで距離を測っている。
振り返ってみればこの一年でカールとの距離は近くなり、そしてその距離に自分は随分と馴染んでいたのだと気づく。
それを意図的に少しずつ遠ざける。一瞬にして断ち切るのではなく、ゆっくりと結び目をほどくように手放していく必要がある。
いつか別れるその日のために、「かつて婚約者だったふたり」にふさわしい場所にたどりつくまで、アヤもカールもお互いに向き合いながら、後じさりをせねばならない。
なんて淋しい行動だろう。
アヤは目を車窓に向ける。商業区域、都市住宅区域と市街を走り抜けた車は、農業区域へ長くのびた道を走り続ける。
均一的で広大な麦畑はまだ丈が短く、茶色い土が覗く場所もちらほら見える。周囲の緑からはまだ春の伸びやかさは感じられないものの、黄色い菜の花が一面を埋めている箇所も見受けられた。白い屋根がいくつも連なる大規模なビニールハウス群の周囲を小さな白い花が咲く庭木が飾っていたりもする。
春はまだ浅く、その息吹が大地をめぐるにはまだ少し時間が必要なようだ。
農業従事者の居住区域が近くなってくると土地の特性を残した丘や雑木林が現れ、牧畜も見られるようになった。遠目に馬の放牧地が見える。
似たような家々が立ち並ぶ区域をわき目に走り抜けると、さらにその先は工業区域が広がっている。
移り変わる景色をぼんやりと眺めていると肩にカールの頭の重みがかかった。盗み見るように覗き込めば、艶やかな金色の髪がアヤの肩へとこぼれ落ち、その奥には健やかな寝顔があった。起きる様子はなく、規則正しい寝息が聞こえる。少年らしいあどけなさが垣間見える顔に、アヤは思わず笑みを漏らす。
「お疲れ様」
カールに心を寄せる女性たちとも、ビッキーとも違う。カールが求める恋とも違うだろう。
けれどもアヤの中にもカールとの間にあるつながりに執着する心がある。この距離を強く惜しむ気持ちがあることをそろそろ認めねばならない。
まだ名前をつけることはできないけれども。
いつかこの距離を懐かしく思う日が来るのかもしれないと思いながら、アヤも軽く目を閉じた。
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