ファムファタル1
カールがあのことを思い出す時、まず思い浮かぶのが青い空だ。
それからその青を切り取る細長い窓枠。椅子や机が並んだ、がらんどうの部屋。室内の薄暗さと窓外の明るさのコントラスト。
それらを背景にして少女がって立っている。
肩よりも長い黒髪、黒い瞳、白いブラウスに黒いスカート。胸元で結ばれたスカーフだけが赤い。
彼女は身体をカールがいる方向に向け、その美しい容貌になんの感情も乗せず問うのだ。
『幸せってなんだろうね?』
カールの父親は王都から少し離れた中規模都市の商家の三男坊だった。実家は食料品を中心に取り扱う地元では大店で、彼も結婚をするまでは本店を手伝っていた。結婚後は支店のひとつを暖簾分けという形で引き継いで店舗数を増やし、そこからさらに事業を拡大していった。食料品を軸に飲食店、製造小売業、不動産業、宿泊業と展開し、最終的には本店をも傘下に収め、『王冠と剣の国』でも名の知れた複合企業をつくりあげたのだった。
そんな父親を持つカールは確かに金持ちの家の子どもではあったが、近所の子らと同じく地元の学校に通い、時に彼らとボールを追いかけ、時に野山を駆けまわり遊んでいた。
勉強はきらいではないが天才ではない。本を読むより家の外で遊ぶほうが楽しい。
そんなさほど特別なところなどない、普通の子どもとして日々過ごしていた。
変化が訪れたのはカールが七歳の時のことだ。
青天の霹靂、父親が賢者によってこの国の王に抜擢されたのだ。父親は事業を拡大していくにあたって政財界にも顔が利くようになってはいたが、あくまでも市井の企業人に過ぎなかった。それにもかかわらず。
領主の経験すらない者に王が務まるのか。議会でも疑問視され、父親自身も固辞し、賢者には様々な説得がなされたと聞く。だが賢者の決定は覆らなかった。
『お金の使い方を抜本的に変える必要があるわ~。だから今はお金をうまく使える人間がほしいの~。お金があれば今抱えている問題の六割くらいは解決するから~。国を富ませるための中長期の経営計画を策定してちょうだいな~』
賢者はそう宣ったらしい。
この世界において賢者の言葉は最も優先される。確定されてしまえば人々はそれに従うしかない。かくしてカールの父は王となり、その子であるカールも王子になった。
だが市井の人間が一朝一夕で王や王子に足る人物になれるはずもない。両親も息子であるカールも、王族になってから王族としての教育を突貫で受けることになった。
王都に居を移した最初の一年のことをカールはよく覚えていない。両親も似たようなものだろう。誰にも余裕がなかった。カールにとっては新しく学ぶこと、新しく出会うこと、新しく始めることだらけだった。与えられるものをこなすだけで精一杯で、内容の吟味や咀嚼などできなかった時期だ。
二年目も似たようなもので、余裕が出たのは三年目に入ってからだった。自分が行っていること、学んでいることに対して振り返りや改善ができるようになり始めた。人からの評価も気になり始めたのもこの頃だ。
ただ三年目に入る頃には、カールは王子というものに疲れ始めていた。
放課後は行事や習い事に予定を埋め尽くされ、以前のように友人と遊ぶこともできない。友人に関しては、故郷の友人たちとは疎遠になり、新しい環境では腹を割って話せるような人間はいなかった。
周囲の声に耳を傾ければ、カールたち家族を陰では「成金」と嗤う者もおり、またそうでない人々からの「王子」への要求も高く、評価は厳しい。
ある日突然目の前に敷かれた王子の道は、カールにはひどく窮屈に感じられた。
そんな時だった。
『きっといい気分転換になるわ~。いってらっしゃい~。』
有無を言わさず、賢者にあの研修に放り込まれたのは。




