WILL
ウィリアムが王子殿下の婚約者に求婚をしたのは、他の四人より自分は上手く立ち回れるだろうという思いからだった。
彼女が好きか嫌いかであれば確かに好意を抱いていたが、愛か恋かと問われれば答えに窮する。王子の彼女に対する執着を恋だとするならば、自分の感情はもっとふわふわとしたものであったし、リズの心配りを見れば軽々しく愛という言葉は選べなかった。
ただ、王女殿下にとってはあのふたりの気持ちは重いのではないかと感じてはいた。彼女は博愛の人であったし、彼女がふりまくその愛は自らの王女という役割に付随しているものだったからだ。生まれながらの王女である彼女にとって、他者に対して好意や優しさを示すのはもはや義務に等しく、それが自らの感情によるものなのか、教え込まれた礼儀によるものなのか、区別はついていない気がした。
絵に描かれた美しい女神のように慈愛に満ちた姫君に、わが王子殿下がしびれをきらすのは、予定調和といえば予定調和だった。ウィリアムと王子は幼馴染といってもよい間柄で、王子が幼い頃からいかに彼女に思慕を募らせていたかを知っていた。ひとりの人間に対して、こんなに深く思い入れることができるのかと、いささか恐ろしく感じたものだ。
王女殿下がこの国に遊学して一年。ふたりの仲は決してわるくはなかった。端からは仲睦まじく見えたことだろう。だが、王子が求めるほど、心の距離は縮まらなかったようだ。なにせ彼女は女神のような人であったので、個人と強く結びつこうとはしなかった。婚約者である王子とでさえも。
例外といえばメンターであるリズくらいだろうか。リズの前では、年相応の少女の顔が見えることが多く、そのことも王子を苛立たせていた。
ウィリアムには、王子の婚約破棄発言は、状況に耐えかねた彼の破れかぶれの戦法にしか見えなかった。彼は王女の心ごと王女を欲していた。だからあの言葉は本気ではなかっただろう。婚約を破棄すると口にすることで、王女殿下から王女の仮面を剥がし、素の彼女を引き出す目論見だったに違いない。
あれは、少年が気になる少女へ意地悪をして気を引くということの延長にあたる行動だったわけだが、古今東西の例に違わず見事に失敗した。
王女殿下は個人的な感情を露わにすることなく、王女の体面を保ったまま、その場を後にしてしまった。王子はすぐに追いかけて謝罪を口にするべきだったのだが、周囲の人間に取り囲まれ事情説明を求めらてそれもかなわなかった。
そうして婚約破棄事件は、王の耳にも届くほどの、大事となったのだった。
月のように満遍なく優しさをふりまく王女に王子は焦れたが、ウィリアムが彼女に惹かれたのはその点だった。美しく、穏やかで、賢い。みなに優しく、自らを律することを知る女性が婚約者として微笑んでくれることになんの不満があるだろう。相手が自分に恋をしていないことがそんなに大きな問題だろうか。
そんなふうにウィリアムが考えるのは、精神的に脆い部分がある母がいたからかもしれない。愛であろうと打算であろうと、人の心は時が経てば移ろうものだ。永続を願うなら、それに見合う熱量を注がねばならなない。ウィリアム個人に対しての情があろうとなかろうと、かの王女ならばその努力を惜しまない気がした。
国家が絡んだ婚約が、王子殿下の一言でひっくり返るとは決して思わなかった。だが万が一のことをウィリアムは想像した。ウィリアムだけでなく他の四人も思いはせただろう。可能性として。
さようならと、美しい微笑みを残して、王女がこの国を去る。
祖国に戻った彼女は、また別の国へ旅立つ。
女性である王女は、生まれた国を出なければならないから。
そうして彼女はウィリアムたちの知らないところで、美しい微笑みを浮かべて、人々に慈愛を振り向くのだ。
その未来はとても寂しいことに思えた。
他の四人が王女殿下に対して、何らかの行動をすることは予測できた。自分が行動しなくても彼女に救いの手はのびる。
だが、他の人間に任せて何もしないという選択は、ウィリアムにはなかった。王女にとって選択肢は多ければ多いほどよい。
ウィリアムをはじめ、それなりの家柄、それなりの能力があっても男は国に縛られる。
彼女がこの国にいる理由は婚約のためだ。その婚約が白紙になれば彼女はこの国にはいられないのだ。
自分が今持っている力で彼女を手助けするには、まず王女殿下にこの国にとどまってもらう必要があった。
「だからみんな急いで求婚したんだよね。みんながみんな、そこまで頭が回ったかは、ちょっと疑問だけどさ」
お詫び行脚と称してウィリアムの邸を訪れた王女に求婚の理由を説明すると、彼女は目を丸くしたのち、顔を赤らめた。
「みなさんがそんなふうに心を砕いてくださっていたとは思いもよらず。ごめんなさい、自分の視野の狭さが本当に恥ずかしいわ」
「だから僕たちの第一目的は、婚約が継続となったことで果たされているんだよね。君はこの国にとどまる。僕たちはこの国の中であれば、君の手助けをすることができる」
ソファに腰かけた彼女は居住まいを正し、まっすぐウィリアムを見つめる。
「ウィル、あなたにどんな意図があったのかは分かりました。その心遣いはとてもうれしい。ありがとう。けれどあなたの申し出に私は」
言葉を続けようとした王女の言葉をウィリアムは遮る。
「求婚への返答なら今はいらないよ、アーヤ。きみが将来を決めるまで、手札として持っておきなよ。王子とは将来的には婚約を白紙にするんでしょ」
あの王子が目の前の女性の婚約者という立場を手放すなどと、ウィリアムはかけらも信じていない。きっといかに彼女の気持ちを自分に向かせるか、策を練っていることだろう。長期計画で婚約を破棄なんて取り組みはしないだろう。
だがそれはウィリアムにとってはどうでもよいことだ。
重要なのは、今回のことで彼女は自身の欠落を知ったことだ。王女ではない自分に目を向けられていると気づいたことに意味がある。
立場など捨ておいて、自分自身の心の声に素直に従ったとき、彼女はどんな決断をするのだろう。
籠の中の鳥は空へ飛び立つだろうか。それとも籠の中の生活をよしとするのだろうか。
「あまりにも私に都合がよすぎるわ。あなたの将来にも制約が発生する手札よ。分かっている? この求婚が有効なかぎり、あなた、他の誰かに求婚はできないの」
「そうだね。だからもし僕側の都合がわるくなったら、今度は僕からあの求婚はなかったことにしてくださいってお詫びに伺うよ。それまでは持っていてもらってかまわない」
王女は眉間にしわを深く刻み、それを手で押さえるしぐさをする。ウィリアム側にどんな利益が発生するのかとでも考えているのだろう。
「アーヤ。僕から君への善意に寄るものだよ。考えこまなくていい」
ウィリアムが笑うと、王女は膝に手を置き、深くため息を吐いた。
「ごめんなさい。今回の件で知ったのだけれど、私、本当に人の好意をそのまま受け取れないのね」
「打算や駆け引きが普通にあるところで君は生きているからね。それに君は上手くやりたいという気持ちが強いひとでしょう。人から好かれたいわけではないから、好意に鈍感なんだ」
王女はしばらく黙り込み、何かを考えているようだった。その表情には失礼な物言いをしたウィリアムに対する怒りはない。次に口を開いたときは、ソファからぐっと身を乗り出す。
「ウィル。求婚云々の件はおいておいて、私と友人になってほしいわ。私は表面的なことばかり拾い上げて、深いところで人を見ていないのだと思う。あなたのように苦言を呈してくれる人が必要なの」
「こんな突っ込んだ話をできるのって友達だからだと思うよ。君が王子と結婚したり、僕と結婚したら、もっと大切な人になる可能性はあるけれどね」
ウィリアムの軽口に、よかったと王女は笑う。
晴れやかで美しいその笑顔を目にしたとき、恨めし気な幼馴染の顔が頭に浮かんだが、ウィリアムは目をつむることにした。
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