震える体
「花嫁、お前自らこの世界に来るとはな」
鬼が愉しそうに笑う。さらさらと溢れる赤い髪から覗くその表情は美しい。けれど、整いすぎていて逆に恐怖を感じる。
「私は、花嫁なんかじゃないわ……!」
これでも深碧家の一人娘。鬼の花嫁になんてなるつもりはない。
「なんだ、呼び名が気に入らないのか? では、名前で呼んでやろう。撫子」
「!」
名前を呼ばれたかと思うと、鬼が真横にきていて、がしりと私の腕をつかんだ。
「やめっ……」
払いのけようとしたけれど、手は徐々に体をたどって、私の顎を撫でる。
「お前の運命は決まっている。八年前の、あの日から」
フラッシュバックする。怒鳴り声、熱、優しい手。違う。違う違う。こんなのが、私の運命だなんて、認めない。私は、私は──。
『離しなさい』
「っ!」
鬼がぱっと、手を離す。
「言霊、か」
「私は深碧家の当主の娘よ。いつまでも、弱いと思わないで」
鬼を睨み付けると、鬼は笑った。
「いいな、その目。ますます欲しくなった」
「気持ちの悪いことを言わないで!」
きっ、と睨み付けても鬼はまったく怯む様子がない。
相手の力量にもよるけれど、強すぎる言霊には私自身も代償も支払わなくてはいけなくなる。
離しなさい、が効果があったのは、この鬼がそこまで本気ではなかったからだろう。
悔しいけれど、正直に言って、この鬼は強い。鬼の中でも上位種だろう。
さっきから、その圧で本能的に体が震えそうになる。それでも必死に耐えているのは、深碧家の長女であるという意地だった。
そんなことは、とっくに見透かすように鬼は嗤った。
「……そんな態度も愛いな。愛しくてたまらない、我の撫子」
我の撫子、と言われたとき、より強い圧を感じた。
「……っ!」
まさか、この鬼も言霊を使えるなんて……!
言霊は、人間しか使えない。それは、古くからの常識だった。
その常識をはるばると越えて見せるこの鬼は、本当に、いったい何者なの。
じっとりとした汗が背中を伝う。
それでも、睨み付けるのはやめない。一瞬でも目を離したら、それこそ、喰らわれるのがわかっていたから。
「そう、警戒してくれるな。……碧灯がついたか。今夜は、これまでだな」
そういって、目の前にいた鬼が、消える。
「っ、は……」
そのとたんに、力が抜け、膝から崩れ落ちる。
自分で、震える体を抱き締めた。