1・最後の日?
「では後でね、フィリシアお姉様」
それは妹が私にかけた最後の言葉となった。
質素なドレスを死装束に、私は数々の災いを引き起こした王女とされたまま、牢獄と大差ないこの塔にひとり残される。
もう、誰もいないのね。
寂しいというよりほっとして、私は冷たい床に倒れ込んだ。
肌が焼けつくような熱を持っているのに震えは止まらず、身体の芯からじわりじわりと冷えていく。
これが家族を代表した妹から、十七歳になった私への誕生日プレゼントなのかしら。
突然のことで驚いたけれど、毒殺はやめて欲しかったわ。
しかもそれを選んだのは元婚約者……新しい物好きの彼が「最近考案されたばかりだ」と、わざわざ見つけてくれたらしい。
初めて贈ってくれた最先端デザインの毛虫のぬいぐるみを見た時に、あまり趣味のいい人ではないと気づいていたけれど……。
彼が私を「厄災を呼ぶ王女」として消した後、聖女に仕立てた妹と結ばれる流れを計画したのだと聞かされた時は、さすがに言葉を失った。
私が塔へ追放されてから一度も来てくれなかったのは、そういうわけだったのね。
頂いた毒は遠慮なく断りたかったけれど、私が飲むことを拒否すれば、妹の背後に控える者たちの責任となるのは明らかだった。
その中には従姉のルネが人質のように混ざっていて、憔悴しきった彼女は私を見ることも出来ず、泣き腫らした顔をずっと伏せていた。
彼女は腕の良い魔彫師を師匠に持ち、私がこの塔に来るまでは「石像のモデルになってほしい」と、よく理由をつけて会ってくれた。
それはいつだって楽しい思い出だったのに。
最後に悲しませてしまって、ごめんね。
私が魔法を使えれば、そんな顔をさせることも無かったのかしら。
だけど七歳を過ぎて受けた魔法鑑定で、私は魔法不能と判断された。
この国の者は体内に宿る魔力から魔法を生み出すことが出来て、王族に名を連ねる者は当然その力も強いとされている。
そのため魔法不能の私は『無能の王女』『王家の恥』と呼ばれることになり、「王族の品位と信頼を落とした」と父に嫌悪され母に拒絶され、周囲の者にも眉をひそめられた。
だけどみんな、諦めるのが早いと思うわ。
私は魔法を諦めるつもりなんて、全くなかったもの。
それは従姉のルネの影響だった。
彼女が私の像を彫ってくれる時、風魔法の刃で丁寧に石を削っていく技はとても細やかで不思議で……出来上がった石像はいつだって、本物の私より神秘的に思える仕上がりだった。
──フィリシアは本当に彫りがいがあるわ。綺麗な二重だし、まつげも長くて目鼻立ちははっきりしているのに、ほっそりとしたその体に何かを秘めているというか……。私の彫る石像には色を付けないけれど、その長い銀髪も淡いラベンダー色の瞳も再現してみたくなって、つい夢中になってしまうの。あなたはいつだって、私をその気にさせる一番のモデルなのよ。
会うたびにそう微笑んでくれる年上の魔彫師に私が憧れるのは、自然の流れだったと思う。
ただ、私が魔法習得に没頭する勢いはルネも引き気味なくらいで、よく心配された。
世界中の魔法書はもちろん、国内外の有識者や魔法士の話を聞いたり指南を受けるためなら、私は別の国の言語だって習得したし、そうして得た知識をもとに、よく王都外れの岩場で石を削る風の刃をイメージして、時間の許す限り魔法習得に打ち込んだ。
大抵、何も起こらなかったけれど。
だけどある日、いつもの岩場で練習していた時だった。
数日前の地震で崩れた瓦礫へ向かって私が手を振り上げると、空気の流れるような気配を感じた。
直後、空砲のような破裂音が大気に轟いて、見ると岩が粉砕されている。
これ、私がやったのよね?
おそらく、魔法っぽいものよね?
ルネの風の刃とは全然違うけれど、瓦礫の中に閉じ込められていた金色のトラ猫を助けることが出来たし、魔法を使うために一歩前進した気がする。
私は能天気に喜んだけれど、事実がわかると周囲はさらに引いた。
それは魔法と呼べるものではなく魔力が暴発したもので、私は『野蛮な王族』『下品な王女』と不名誉な呼び名をさらに増やし、危険だからとここ一年ほど魔力を封じ込める塔に追放されていた。
名誉欲の強い元婚約者は、そんな私を見限ることにしたらしい。
先日、私の家族が彼の提案に乗り、私の魔力暴発のせいで天災が引き起こされていると宣言した。
私を嫌々お世話していた侍女たちの世間話によると、近年は相次ぐ地震や嵐などで被害の対処がままならず、王政に対する求心力が低下しているらしい。
そのため災いを呼ぶ私を妹が断罪して聖女となり、これからは国を導いていくという良い印象を演出するために、王家の厄介者だった私は悪役として命を落とすことになった。
始めは国民の前で斬首刑の予定だったけれど、怖がりな両親は私の魔力暴発に襲われることを極度に恐れたため、魔力を封じるこの塔内での薬殺刑になったらしい。
そんな状況の私に、思念のようなものが滑り込んだ。
(フィリシア、ようやく君に恩返しが出来そうだね)
視線を上げると、塔の高い小窓に猫が現れた。
(……ディノ?)
意識だけで名を呼ぶと、彼は身軽に室内へと飛び降り、音もなく歩み寄って来る。
岩の瓦礫に閉じ込められていた所を助けた、あの金色のトラ猫だ。
彼は思念を送るように話ができるそうで、私が塔に追放されてからも、侍女たちの目を盗んではよく話し相手になってくれた。
ディノは葉っぱのようなものをくわえて私の前に立つ。
(フィリシア、これを食べて。僕は君を助けたいんだ)
(相変わらず律儀なのね)
(ふふ、そうだよ。だから僕のためにも元気になって)
ディノがその葉を口のそばまで持ってきてくれたので、私はなんとか飲み込んだ。
(ありがとう。これで毒が抜けて……ん?)
突然、私の体は締めつけられるように硬くなり始めた。
(あ、あら?)
なんだかすごい勢いで、全身がカチコチになっていく……!?
(効いているようだね!)
私の動揺も知らず、ディノはひと仕事終えたようないい顔をしている。
それが成功を信じて疑わない、詰めの甘い敗者の表情に見えてきた。
(ディノ、さっきの謎の葉だけど、何を根拠に持ってきたの? 食べた途端に、体に妙な変化が起こっているわ)
(少し楽になってきたでしょ?)
(……)
最後だから言うか迷ったけれど、心残りのない方を選んでおく。
(あのね、ディノ。すごく言いにくいのだけど。残念だけど。解毒薬だと思って飲んだけれど、毒が加速しているんじゃないかしら?)
(え? それはおかしいなぁ)
こっちが言いたい。
思っている間にも、私の身体は人とは思えないほどにガッチガチ度が増していく。
あ、きっと私はここまでなのね。
悟った私が最後に見たのは、律儀な猫のドヤ顔だった。
(完璧だよ、うまくいってる!)
(……どこが?)
そのまま私は意識を手放し、あっけない最後の日を迎えた。
はずだった。
どのくらい経ったのか。
ふと、心地よい感触に思考が覚める。
髪に何かが触れている。
撫でられている……ディノに?
それとも別の誰か?
ほっとするような穏やかな気持ちで、私は目を開いた。
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