2. 手首とか、どう?
誰かが一瞬グロテスクな発言をします。
大した表現ではありませんが、本当に苦手な方は読まない事をおすすめします。
その事に気付いたのは次の日の登校中だった。
昨日は結局、自分の身に起こった出来事を理解しきれないまま早々に眠ってしまった。いろいろな事が一気に起こったので疲れてしまったのだろう。
目が覚めてからも、昨日の出来事に確信を持てなかった。もしかしたら自分はもう死んでいて、昨日の話も今こうして歩いているのもすべて夢なんじゃないか。そんな疑念がぼくの頭を駆けめぐる。
でもぼくの意識ははっきりしていて、昨日の出来事もよく覚えている。それは昨日蹴られた右足の痛みからもはっきりと分かった。
そんな夢現の中、いつものように学校へと続く細い路地を歩いていた時にふと気付いた大事な事。
「そう言えば、どこで会うんだ?」
ぼくの名前も歳も、どこに住んでいるかも訊かず、ただ約束だけを取り付けて帰ってしまった少女。『また明日』と言われたのはいいが、よく考えてみたらいつどこで会う気なんだろう。
そんな重要事項を塩ラーメンのごとくあっさりと流してしまうぼくもぼくだが、それを言わずに帰ってしまうあの娘も抜けている。
やっぱり海の傍だったからなぁ、と一体何人が理解出来るか分からないようなボケをかましていたら、いつの間にか学校に着いてしまった。
昇降口に取り付けられている時計を見ると、針は八時二十分を指している。いつもは八時半に着くのでいつもより十分も早い。
こんな日もあるんだなと思いつつ革靴を下駄箱へとしまい、上履きに履き替える。
この学校にもあと何回来るのか分からない。そう思うと、まったく味気ない、狭く汚い廊下でさえもちょっとだけ愛おしく感じる事が出来た。
すっかり日が延びて、夕焼けの気配がまったく感じられなくなった下校時刻。久しぶりに晴れた空は昨日とは違って、すっきりさっぱりしていた。
下校時間という事もあって、帰り道は様々な制服で彩られていた。この付近にはここの他に高校が三校があり、最寄りの駅は田舎の割にとてもよく賑わう。家が高校に近い生徒もそれなりにいるが、商業施設が駅の近くに集中しているのでほとんどの学生が駅の周辺に集結する。その反対で、駅を離れると人よりも車の方が圧倒的に多くなる。
「田舎だなぁ……」
帰り道の細い路地を歩きながらふと思う。周りは灰色の人工物よりも緑色の自然の方が圧倒的に多く、空が異様に広い。因みに緑色の九割を占めるのが水の張られた広い田んぼだ。つい二、三週間前にはこの辺りも田植えでとても賑わっていたが、今は面影がまったく感じられないほどの静寂に包まれている。
軽トラ?よく通りますよ、この周り。荷台に人を載せて。道交法違反?いえいえあれは荷物なんです。ただの農具なんです。
…………。
あまりの田舎振りに、ぼくの頭の中で田舎自慢の花が咲いてしまった。
そんな冗談はさておき、昨日の話。
結局ぼくはどうしたらいいのだろう。やっぱりあれは、からかわれただけなんじゃないか。そんな疑念が頭の上を空中遊泳している。
「どうしようかな……」 「なにが?」
「わあ!!」
もの凄くベタなリアクションをとってしまった。一度乱れた呼吸を落ち着かせる。
落ち着いた所で声のした方を見てみると、いつの間にかぼくのすぐ横に佇む昨日の少女の姿がそこにあった。
「リアクションが安い……」
ジト目で言われた。自分で言うのはいいけれど、人に言われると少しだけむかつく。
「……突然来られても困りますし。って言うかいつからそこに」
少しムッとしながらも、ぼくは少女に尋ねる。
「ん、いま。あそこにいたからね」
少女がぼくらの斜め後ろを指さす。見るとそこには小さな児童公園があった。
「それにしても、よくここを通るって分かりましたね」
小さな疑問を小さい人に告げる。これ、仕返しじゃないですよ。
「昨日、東高の制服着てたでしょ?東高の人って大体ここ通るから」
「なるほど……」
何も見ていないようで、案外大事な所はちゃんと見ていたようだ。だけど――
「制服をチェックするんなら、最初からぼくに訊いた方よかったんじゃないですか。学校名の他に名前とかも訊いた方がいいし」
「おーー、そういうやり方があったんだ」
少女はパチンと両手の平を合わせると感嘆の声を上げた。やっぱりこの娘は抜けてるんだという事に改めて気付かされる。
「んじゃ、はい」
少女がぼくに向かって右手の平を差し出してくる。
「え、な、なんですか?」
「名前、おしえて?」
何だか「お小遣い、ちょーだい」と言われているような気分。それくらい言い方が軽い。
はぁ……。ぼくは一度だけ溜息をつく。この娘と話していると何故だか疲れるのだ。
「藤宮あきら。太陽の陽って書いて『あきら』」
そう言うとぼくは歩き出す。ただでさえここを通るうちの生徒が多いのに、こんな場所に突っ立ってしかも噛み合わない会話をしていると、どことなく見られている感じがして恥ずかしいのだ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
置いてけぼりを食らった少女は、小走りでやって来てぼくの隣へと収まる。
「『陽』って書いて『あきら』くんなんて珍しい名前だね。私は佐伯千鶴。北高の二年生です。よろしくね、藤宮くん」
「に、二年生?って事は同い年?」
少女の言葉に少しだけ驚く。正直一年生かと思っていたのに、実は同じ学年だったのだ。それでいて北高出身という事に更に驚く。北高はこの辺りでは進学校としてとても有名な学校なのだ。言葉には出せないが、この娘が通っている学校とは到底思えない。
「ふ〜ん、年下だと思ってたんだ。まあどうせ私、背が小さいですしぃ。一年生に見えない事もないですけどぉ」
と、ちょっぴり不満げな佐伯さん。でも正直言ってしまうと、高校生というよりも姉の制服を着てきた小学六年生って設定の方がどことなく合っている気がする。
「でも、藤宮くん同い年なんだね。じゃあさ、敬語とかやめようよ。なんか堅苦しいし」
「はい……あ、う、うん」
という訳でぼくは、駅へと続く長い田舎道を佐伯さんと並んで歩く事となった。
「あの……佐伯さん、一体どこに向かってるの」
ぼくらはさっきの公園から十分ほど歩き続けていた。途中でいつもの通学路を外れて、大通りを南に進んでいる。
「行けば分かるよ。大丈夫、私に任せてくれたらお望み通り死ねるから」
相変わらず笑顔で恐ろしい事を口走る佐伯さん。笑って言うような言葉ではない気がするんですが……。
そんな会話をしながら、ぼくはふと今の状況に違和感を感じる。
よく考えてみるとおかしな話だった。
確かにぼくは死にたいと思っている。そしてぼくの前を元気に歩いている彼女は、ぼくが死ぬのを手伝ってくれると言っている。
ぼくは生きている事が辛くなった。だから死のうと思った。
だけど――
だけど何故か彼女と歩いている間、ぼくは何となく楽しいと感じていた。
本当は、これからどうやって死ぬとか、どこで死ぬとか、もっと暗くて恐くて真剣な話をするのだと思っていたのに。なのに彼女が振ってくる話題は、普段どんな勉強をしてるのかとか、彼女はいるのかとか、そんな日常の話ばかり。その上彼女の話しぶりに重みはまったく感じられず、昨日逢ったの時のようにずっと笑顔のままだった。とても、これから死のうとする人間と会話しているようには見えない。
それから昨日の事。
よく言えばとても明るく活発、悪く言えば騒がしい。そんな少女は昨日あの崖の上で、ぼくの死ぬ所を見てみたいと言った。そしてその一瞬に見せた、魂の抜けた、人形のような目は今でもぼくの目に焼き付いている。
あの目は一体……。そんな疑問がぼくの心を脳を浸食する。
――どうしてだろう。
疑問は消えない。
――どうしてだろう。
答えは暗闇。
あの瞳を思い出すと今でも吸い込まれそうになる。
深く、暗く、寂しい、哀しい、心を盗られそうな、あの闇の――
「着いたよっ」
佐伯さんの声で現実に引き戻される。見ると佐伯さんがこっちを向いて、訝しげにぼくの顔を覗き込んでいた。
「えっと……なに?」
「べっつにーー。それよりほら、着いたよ」
彼女が指さす先を見ると、そこには大きくてカラフルな看板が立っていた。
「ひゃくえん……ショップ?」
看板には大きく一〇〇円均一と書かれている。よく見るとここは大通りから少し中に入ったところにある、この辺りで一番大きい一〇〇円ショップだった。
「そっ。ここならいろんな物が揃ってるでしょ」
「……要するに、ここで使える物を探すって事?」
「ピンポーン。それにここなら安いし」
ほら、早く行くよ、と佐伯さんに急かされて、ぼくは渋々店の中へと入っていった。
中心街から少し離れているという事もあって、店自体はとても広かった。ただ、その広々とした空間にギュウギュウと棚が押し込められているのがやはり一〇〇円ショップで、空間の割に通路はとても狭かった。
すたすたと一人で歩いて行く彼女の背中をぼくは必死に追いかけた。小柄な彼女は狭い通路などお構いなしにずんずんと先へ行ってしまうのだ。それを見てぼくは、こういう場所では便利なんだなと場違いな感想を抱いてしまう。
ぼくが追いついた時、彼女は文房具コーナーに立っていた。商品の置かれた棚を見ながらうんうん呻っている。
「何、探してるの」
「何か死ぬのに適した物はないかなって思って」
「でも、何で文房具」
「え?それは高校生が買っても怪しまれないからに決まってるでしょ」
ああ、なるほど。と、まともな意見にぼくは感心してしまう。この人、案外ちゃんとした考え方も出来るんだな。
「じゃあ、これとかは?」
ぼくは棚の上にあった黄色いカッターを手に取る。もちろん細くて貧弱な物ではなく、柄が太くてしっかりしている物を選ぶ。
「あ、それ。却下」
ぼくの手の中の物を見るや否や、脊髄反射のごとく速攻で却下する。
「え、でもこれって定番じゃない?」
よく本やらテレビやらでこれを使うところを見る気がする。
「それってリストカットでしょ。私嫌いなんだよね、あれ。中途半端っていうか、気合いが足りないっていうか。子どもっぽいのよ。ちまちまやらないで一気にやれっ、とか思っちゃうんだよね」
死神と従姉妹なんじゃないかと思ってしまうほど、佐伯さんは過激な事を平気で言う。自殺をスポーツか何かと勘違いしてるんじゃないだろうか。普通はリストカットだって相当よろしくない事だと思うんですけど……。
「ん〜〜、ない!!よし、次言ってみよう」
一通り文房具コーナーをチェックし終えた彼女は、めぼしい物が見つからなかったのか、隣の工具コーナーへ侵攻を開始した。
「ちょっと惜しいかなぁ」
彼女を見て、シュールだ、とぼくは思う。
普通、小学生みたいな女子高生がバールを振り回しているなどまずあり得ない。どう転んでもそれは異様な光景にしか見えなかった。
「それ……どうする気」
一応の礼儀として、その凶器もとい狂気について尋ねてみる。
「いやぁ、これが刺さったら痛そうだなって」
……やはり発想がグロテスクすぎる。猟奇殺人の本とか本棚にたくさん並んでそうだなと率直に思う。
「い、痛いのはちょっと嫌だな。それに一人じゃそれは使いづらいと思う」
はっきり言って、今の言葉で死ぬ気が薄れてた気がする。いや、とってもいい事ではあるのだけれど、何か違う気がする。
「ん〜〜、そっか。じゃ、これは?」
と、彼女が差し出したのはハンマー――
「次行こう」
めまいがしたので、強制終了をしてぼくだけさっさと隣のコーナーに進む。あのままあそこにいたら、いくら鉄分があっても足りない気がする。
「え〜〜、悪くないと思ったんだけど」
ぼくの後ろからは何も聞こえなかった事にして先を急ぐ。これから一生あのコーナーには近付くまいと今誓った。何に対して誓ったかは知らないけれど、少なくとも神様ではないのは確実。神様なんてものはこの世にいない。もしいたとしても役立たずなだけ。それが神様だとぼくは信じている。そう思い込むようにしている。……どうでもいいけど。
次に着いたのは料理コーナーだった。ぼくの前にある小さな棚には透明なグラスが大小様々に並んでいる。ぼくはそこから青い色のグラスを一つ手にとってみた。グラスは蛍光灯の光を受けてキラキラと輝き、ぼくの手の中で青い光沢を思う存分見せつけている。
ぼくはこのコーナーが結構好きだったりする。あのずらっと並ぶグラスの透明感になんとも言えない感動を抱くのだ。
「何見てるの?」
ぼくが棚の上から隣の通路を見てみると、佐伯さんがしゃがんである一点を凝視していた。ぼくは持っていたグラスを棚に戻すと隣の通路へ向かう。そこはお菓子作りのコーナーで、お菓子を作る器具がいろいろと揃っていた。
「……」
佐伯さんはその棚の一番下、クッキー作りに使うアルミ型が並んだ列を真剣な表情で見つめていた。
「クッキーとか作るの?」
「……ううん」
彼女にしては歯切れの悪い返事が返ってくる。
「じゃあ作ってみたいとか」
「…………」
今度は返事がなかった。星や丸やハートの形をしたアルミのそれをじっと見つめている。ちょっと様子がおかしかった。
「佐伯さん?」
彼女の背中に、一度声を掛ける。しかし応答はない。
「ねえ、佐伯さん!」
「えっ、えっ……」
二度目の呼びかけに、佐伯さんはようやく反応を示してくれた。相当驚いたのか、きょろきょろと挙動不審な動きを見せている。
「大丈夫?顔色悪いよ」
ぼくの言葉でようやくぼくの姿を認めた佐伯さんが、驚いた表情からいつもの笑顔へと変化を開始する。
「……あははゴメンね、大丈夫だよ」
佐伯さんがしゃがんでいた姿勢からゆっくりと立ち上がる。
「さてと、使える物を探さなくちゃね」
そう言うと佐伯さんはそそくさと別の棚へ行ってしまい、ぼくは独り取り残されてしまった。
彼女の行動に不審感は抱いたが、何もなかった事にしてぼくも別の棚へと向かった。
「なんにもなかったね」
「まあね。あのロープは惜しかったんだけど」
ぼくらが店を出た頃には、既に空は赤みがかっていた。ざっと考えて一時間以上は店内をぶらついていた事になる。
「あのロープはダメダメ。細すぎるから途中で切れちゃうと思う。まったく、あれは欠陥商品だよ」
監修の佐伯女史は相変わらずの酷評(彼女の発言の方がよっぽど酷いと思うけど)で、首吊りという本来の用途外の使い方に対応していないその商品を罵倒する。
「ははは」とりあえず笑っておく。「そう言えば話は変わるけど、本当に買わなくてよかったの」
ぼくが話しているのは先程の型の話だ。帰り際にぼくは、あの型が欲しいなら買ってあげるよと彼女に言ったのだが見事に断られたのだ。
「うん、いいの。もういらないから……」
そう言うと彼女は少しだけ顔を俯かせた。顔にはうっすらと西日が射し、彼女の顔を赤く染め上げる。普通の人より少し肌が白い彼女の顔は、少しの西日でも真っ赤に染まる。だけどその顔はとても哀しそうで、赤いはずのその顔が一瞬影を落としたように黒く写る。
ところがやはりそれは一瞬で、ぼくが気付いた次の瞬間にはもとの朱色に染まった顔へと戻っていた。
「今日はダメだったから、明日は別の所に行くよ。今度はもっとしっかりした物を探さなくっちゃ」
そう言うと彼女はよしっ、と気合いを入れる。気合いの入れるベクトルを間違ってませんかという言葉は、心の金庫に仕舞っておいた。因みに暗証番号は覚えていない。
「ほらっ、藤宮くんの為にやってるんだから、あなたがやる気にならないでどうするのよ」
一〇〇円ショップからの帰り道、ぼくは隣を歩く佐伯さんに渇を入れられた。このモチベーションの下落要因が佐伯さんにあると、当の本人は気付いていないようだ。まあ本人はあれだけノリノリだった訳だから仕方がない。
「いい?明日は向こうのホームセンターに行くからね。あそこだったらもっといい物揃ってるでしょ」
と、やはりノリノリの佐伯さんは進行方向とは反対を指さし明日の予定を宣言する。
とりあえず異論はないので「そうですね」とだけ言っておいた。でも心の中では、工具コーナーには絶対行くまいと堅く誓う。あそこはシュールと言うより、ぼくの口からしゅるしゅる何かが出てくる確率の方が高そうだし。擬音の使い方がちょっと間違ってるけどそこは気にしない。
そんなこんなで当初予想していた重苦しい雰囲気とは大きく外れて、自殺の準備第一日目は終了した。
本当にこの娘に任せて大丈夫なのかなともの凄い不安を抱いてはいるものの、彼女と並んで帰るぼくの歩みがいつも以上に軽かったのは悪い気がしなかった。
この軽さが最高に達した時、ぼくは空に行けるのかな。
少し紫がかった空を見上げながらぼくはふと、そんな事を考えていた。
昨日に引き続き第2話です。
今回は連続投稿となりましたが、恐らくこれ以降は1、2週毎に更新になると思います。
もし見つけたら、読んで戴けるとうれしいです。




