1:oratorio
xx歴xxxx年。地球は自力で己を支える事がとうとう出来なくなり、人類の手によって動かされることになった。
これは、継ぎ接ぎだらけの星に生きる、自然を忘れたウゴク物達の話。
灰色の空が続き続けていた。
いや、その全ては分厚く気体に覆われていた。
灰色大地が続き続けていた。
いや、その全ては鉄色の物体に覆われていた。
空等、大地等、欠片も見えはしない。
地面がら芽吹いたようにそびえ立つ大きな鉄の群れ。天を手に掴もうと欲しているのもあれば、屈して地でのたうち回っているのもある。みな、無数のモノを内に抱えて。
その中の一つで光が動いた。
地に幾つも在る光の中で、それは一際明るかった。
それは動いていた。真っ黒なモノを従えて。
地と同じ匂いをベースに、悪臭としか言いようの無いものだけが含まれた薄暗い空気。その中を狂ったように這い回る脂肪の塊が、踏み潰されぬよう駆けて行く。
どこからとも無く聞こえてくる隙間を通り抜ける空気の音が規則的に、断続的に流れて行く。その音の主が、真っ黒なコートを着て歩いていく。足元ではモノ達が生存本能に従い、そうでないモノ達が胸を悪くするような音を立てて地面に擦り付けられて行く。そのコートを着たモノの顔は、目深に被ったフードで伺えない。いや、フードが無かろうとその顔が外気に晒されることは無かった。
顔を隠しているそれは、コードや機械がべったりとへばりついた奇妙なマスクだった。
手には冷たい光を発するものがぶら下がっていて、ある一定のリズムで機械音を脈打たせながら、慰み程度に周りを照らす。
性別も分からない、年齢さえも判別できないそのモノは、混沌とした鉄屑の海で、迷う事無く歩みを進めている。同じような鉄の塊達が、別のものに見えるのだろうか。古すぎて空間がまだ保たれている事が不思議でならないほどに崩れ、朽ち、崩壊した鉄の世界が。
自重にさえ負け、床も天井も変わりの別の屑が足場や天井、壁を構成している鉄の通路を、そのモノはしっかりとした足取りで歩いて行く。あちらこちらから突き出た鋭いものやねじ曲がったものに目を向けずに、全て始めから知っているかのように。
しかしその歩みが不意に止まった。
「どっから漏れてきた?」
ぼそりと、己にも聞こえないような音量で呟かれた声は、奇妙なマスクで籠り掠れていが、確かに男の発する音程だった。そしてもう一度疑問を呟き、そのモノ、彼はフードの上から頭をかいた。遮光ガラスの向こうの眼は、前に横たわっている大きな水たまりに注がれている。拉げた鉄板に溜まった水は、彼が通ろうとしていたであろう通路の全てを満たしていた。
コートの裾を地面に付けたくないのか、たくし上げて座り込み手に持った無機質な光を近付け水面を覗き込む。光は思考があるように彼が見やすいようにというように光量を上げた。
「…………仕方ないか。」
そうさっきより大きめの声で呟くと、彼は腕を前に垂直に伸ばし、一本だけ立てた親指を下に向けた。光により僅かに伺える眼がすっと細められた。
「2.4、5ちょい、かな?うん。それくらいかな」
感慨無さげな言葉が溜息と共にこぼれ落ちる。受け答える相手は存在しない。それでも彼は背伸びをするように爪先立つと、今度は脚をくっと撓め、伸ばした。
瞬き一つも出来ぬ時間で、彼の物量すべてが水たまりの向こうに在った。
空気が動き、風が一拍遅れて巻き起こる。ぱらぱらとあちらこちらから塵や埃、鉄屑が落ち、そして、音を立てて溶けた。
彼はそれを気にも留めず、濡れた音を立てながら先へと進む。
その靴音だけが世界を支配しており、そして"静かだった"。
「遅かったな坊!早よしろ早よ入れ俺が死ぬ!!」
同じようなぼろぼろの壁やパイプの並んでいた筈の場所が突然割け、内側から少しくぐもったしかし大音量の重低音と強い光が打ちまけられた。それを背に、Tシャツとジーパンという外の彼とは正反対にラフな格好のをしたニット帽の男が、朗らかに笑い手を降りながらひょこりと顔を出した。顔は逆光ではっきりとしないが、それを見たフードの方はびくりと方を震わせると突然駆け出し、自分の機械だらけのマスクをはぎ取るとニット帽の男の顔に押し付け、そのまま裂け目の向こうへつっこんだ。
それを感知ちた裂け目は、軽い空気音を立てて口を閉じた。
「ぼ、坊!!いきなし何すんねや!!」
フードの男にタックルされ、後頭部を強かに打ち付けたニット帽の男はマスクの向こうで激痛に身悶えながらもごもごと不平を叫んだ。フードの男がその様子にあきれた溜息をつき、身を起こそうとすると、突然部屋の四方から張り出した太いパイプが大量の霧を吐き出した。
「ぶわ!!ちょ、おま!!噴出口もろに!!ぐほっ………げふぉっ!!」
「マサさんがフィルマスク無しで外に出るからいけないんですよ、何も考えずに出てきて。今ここの前の通路一帯もう毒ガスが溜まってます。原因は少し行った辺りに気化性の超有害な液体の水たまりです。最近出来たようです、気をつけて下さいね、王水以上に強酸ですから。そんな所に素で呼吸して、肺大丈夫ですか?」
「ごめんなさいごめんなさいほんとすんませんだからお願い早く押さえ付けてる手を話してそろそろ薬無しの酸素が吸いたい!!」
頭の位置まで両手を上げて懇願する様子を気に留めた訳ではなく、ただ十分と判断したのかフードの男はすり切れたニット帽から手を離した。そして倒れ込んで咳き込む男を全く気にした様子もなく、もくもくと装備を解いていった。
何かが含まれていたらしい霧で真っ白になった周囲の空気はしばらくごうごうとうずまき、別のパイプにつぎつぎと吸い込まれていった。人間が5人入れば一杯になるくらいの倉庫のような部屋の中にいる二人の顔が、次第に輪郭を取り戻す。
「相変わらずやなぁ、坊。久しぶりや」
よくみればそうとうくたびれた服を着ていたマサは、白っぽくなってしまったコートを叩いているフードの男、青年の真っ黒な髪で包まれた頭をクシャリと撫で、癖の酷い髪と同じ色の茶色い目を細めた。その人なつこそうな顔で自分の髪を掻き混ぜるマサを、青年は白く磨かれた銀色の眼でちらりと見上げ、溜息をついた。
「マサさんも、お変わりないようで何よりです」
疲労風味付きの声に、マサは40近くなる年の顔で子供っぽくからからと笑った。睫毛で陰った瞳の色が、優しい漆黒色になる。
少しだけ意地悪そうなその笑顔に青年は一瞬だけほうけたような顔をしたが、かすかに分かるくらいの薄い微笑を浮かべ、直ぐに元の表情の薄い顔に戻った。しかしマサはそれに満足げにうなずき、突っ込んできた方とは別の扉を蹴った。
今度は扉と分かるように綺麗に二つに分かれた扉の向こうから、自由になった音と光が二人の神経をびりびりと震わせる。青年は僅かに顔をしかめたが、マサは平然と音と光の洪水の中心へ向かい、音源たる四角い箱を思いっきり蹴った。
ぶつんと悲鳴を上げてそれは音と光を出す事を止め、反対に部屋中を目と耳が痛くなるような静けさと暗闇が襲ってきた。
「マサさん……今度は何にはまっているのですか?」
「んー?100年くらい前に流行ってたらしい、「音と光でコスモを描く☆」とか何とかの何とかジルドってバンドー。大丈夫やって、二、三日したら坊も好きになる」
「いえ、その頃にはもうマサさんの趣向が変わっているでしょう」
「………そうやろうな」
音と光だけが落ち着いた、コードやケーブル、機械やコンピュータだらけの部屋を、マサはするすると抜けていく。青年も廃棄物にまみれた靴の底を取り外し、コートを壁に掛けてその背を追う。しかしあっちに躓きこっちにぶつかりとうまく進めず四苦八苦していた。
そこはだだっ広い、間仕切りの無い倉庫のような場所だった。
元から何も無いのをいいことに、これ幸いと押し込められたような機械類が上から下までぎっしりと空間を埋め尽くしている。縦横無尽に駆け巡る梯子や使わなくなったのだろう機材が階段や床になり、一応は全ての機材の元へ行くようには出来ていたが、その全貌はこの「家」の主にしか分からないだろう。現に青年はここの住人らしいマサと顔なじみのようでありながら、全くこの「家」の構造に不得手な動きでどこかを目指していた。
マサはいつの間にかどこかへ消えていた。
寿命が切れそうな音を、光を放ちながら明滅する機械の作動報告。突然思い出したように動き出すあちこちの映写機が意味不明な羅列を映し出し、それを何かが読み取っていく。
どこになにがどのようになんのためにあるのか分からない無法地帯だったが、異様なほど洗浄されており、埃一つ、塵一欠片さえ舞ってはいなかった。
永遠に続くかと思われた機械の山道は、唐突に終わった。
「坊、もう少し早う来れるようになれや」
「……無理ですね、こう何度も機材の入れ換え配置換えをされては記憶できませんから」
元は同じように機材に埋まっていたであろう場所に、押しのけて作ったような空間があった。そこには異世界のような豪奢な革張りの椅子や、猫足のテーブルなどがしかし乱雑の中にさらに乱雑に鎮座させられている。その長椅子の一つに、マサがマグカップに口をつけながら寄り掛かっていた。更に奥には、ソファーに埋もれるように新しい人物がいた。少年だった。
「久しぶりだね、オラトリオ」
「ケイトさん……お久しぶりです」
ほんの少し顔を明るくして、青年……オラトリオはケイトの方へと近寄っていく。足元ではひっきりなしに物が割れる音が鳴っていた。
「今日は起きてても大丈夫なんですか?」
「うん。今は気分がいい。それに、ずっと寝てばかりじゃおかしくなりそうだからね」
ケイトは自分の目元を覆っていたものを額にスライドさせ、オラトリオにその真紅の眼を晒す。声は歓迎の色を含んではいたが、顔には動きが全く見られず、変わらない無表情が浮かび続けていた。人口光すらあまり浴びない彼の色は全て抜け落ちたかのように真っ白で、鮮やかな眼の色と服、スリッパの青が映えた。
「ほら坊。砂糖とかは………欲しいなら頑張って見つけろぃ」
「あ、ありがとうございます」
マサに渡された薄汚れたマグカップには、妙に粘度が高い液体がたぷんと波打ち、元の飲み物を想像できない異臭が鼻骨をぶん殴った。受け取ったオラトリオは、マサを見上げて礼を言った。
そして、飲まなかった。
何も感じていない、というより寧ろおいしそうに、マサは同じものが入っているだろうマグカップに口をつけ、盛大にすすり上げる。
「で、今日はどうしたの?突然。頼みたいことがあるって?」
絹糸のような白髪を揺らしながらケイトは可愛らしく小首を傾げるが、表情にそれが繁栄されることは無い。
マサに勧められたソファーの上で、オラトリオはケイトの顔をちらりと見上げ、何かに逡巡する。一応しておかなければというような迷いの仕草を一瞬で済ませ、彼は腰に幾つか取り付けられたポーチの中から四角いケースを取り出した。
厚さ一センチもない乳白色の透明なケースに、鏡のような側面の更に薄い円盤が入っていた。
「この中の情報を再生できる専用機器、ありませんか?よければ3立体半球型映写で」
端々に期待を寄せた眼をして、彼は差し出された枯れ枝のような手にそれを渡した。受け取ったケイトはぱくんとケースを開き、中の円盤にほんの僅か目を見張った。次の瞬間には無表情が戻っていた。
「これ、どこで見つけたの?」
「第二下層の3D地区。元旧大陸人側の居住区域です」
あまり役に立たないだろう光源に透かし、そして額に押し上げていたプレートで再び目を隠した。
「すごい。すっごく古いよこれ。かるくxxx年はいってるんじゃないかな。それくらい古い映像を保存する外部記憶装置だよ」
「そんな大きなものがですが?」
「うん。僕だって数十枚しか持っていないくらいの古いもの。しかも君が持ってくる内容的に見て、絶対に僕も持ってない映像だろうね」
「は?でも似たような奴百枚くらいもっとらなかったか?」
「このタイプは殆どないよ。五十枚あるかどうか分からない。それくらい古い」
ケイトの眼を覆う透明な板に、黄緑色の文字が並び始めた。マサがケイトの手の中を見ようと屈み込んでいた。
「……ここまで遡っているのに、下二桁も被らない」
円盤の中心に刻まれている文字を隙間から覗きつつ、目の前を高速で移動していく文字を追っていく。その様子をマサはしばらくその体勢で見ていたが、鼻で溜息をつき、つまらなさそうに立ち上がった。
あちらこちらから聞こえる不規則な機械音と、途切れ途切れにマサが液体を啜る音だけが暫く続いた。
「………あ、あった」
ぽつりとこぼれたケイトの声に、オラトリオの空気に緊張が走った。
「「あったあった、これだ。えーっと、xxx年どころじゃないや。xxx年前、旧XXXX社が出した記憶ディスク。映像を初めて数字列で記憶できるようになったとかで一時期大量に出回ってたんだけど、すぐにもっと大容量でコンパクトなものが出たからそれで現存数が少ないんだ………だから再生するのも難しいし、立体でだなんてもっと難しい」
「無理……ですか?」
不機嫌な色を含み始めた、しかし無感情の顔のケイトに、オラトリオは明らかに悲しそうな顔をした。再び現れた真紅の眼がわずかに震える。
「………これだったら、いつものような値じゃだめだよ?」
「っ大丈夫です!!御願いします!」
オラトリオの顔が一瞬で華やぎ、マサが喉の奥で小さく苦笑した。
「それじゃぁマサ、20Dの4と3KFの5、起こしてきて」
「へいへい」
「あっ、待って下さい!」
マサは寄り掛かっていた体を起き上がらせた位置で止まり、ケイトの何も映してない眼だけがオラトリオに向けられる。
「そ、その……ここで見るのでは……なく……」
「なんだ。てっきりこの中身も情報量にくれるのかと思ってたのに。機材の貸し出しは上乗せ3だけど、大丈夫?」
くっと唇を噛み締め、彼は何かをこらえる顔をした。他の表情とは何かが違う、本物らしい顔で二三度瞳を上下させ決心した。
「第四地区の十四下層、旧xxx社五階扉を開けて右を二回ブロック四つ左を一回並んだ扉右から五つ目。………そこを入って三歩進んで二歩右に、そこから……」
「ちょっとまって、録音するから」
先がまだありそうなのを感じ、覚えることを止めたケイトは、近くのパネルを操作し、先を促した。
その後いくつか歩数と方向を言い、さらに複雑に隠し扉の開け方を言った後、オラトリオは再び声を失ったように止め、小さく呟いた。
「そこに、あります」
「状態は?」
「第三段階が四つ。でも、今の技術では一つしか育てられないと思います。……他は、人には無理です」
「OK。その情報でいいよ。ロックは?」
「下層第八ゲートに二つ、旧xxx社の正面扉に……」
その後計五十の数を読み上げた。
「………沢山付けたね。でも、まぁ情報料としては上々だ」
そのままオラトリオの目の前に契約書をぽいと投げ寄越し、くるりと椅子を回転させると五つのディスプレイが並ぶコンピュータに手を伸ばし再び目を覆う。
「さて、この情報をどこに売ろうか」
その手が踊るように、楽器を弾くように動き出し、五つの映像が高速で展開されていく。
キーボードが打ち鳴らされる音がまるで音楽であった。
「どちらでもいいです」
悔やむような泣きそうな顔をして、オラトリオは顔をクシャリを歪めた。何か悪いことをした子供のように縮こまっている。
そんなオラトリオを、ちらりと見てマサはずるずる音を立て、ケイトはキーボードの上で両手を踊らせ続けた。そして最後に一際大きくタンッと叩いた途端、画面が一斉に変化し、一瞬後狂ったように文字が下から溢れてきた。
「ふーん。思ったより希望数が多いみたいだね。これならマサが取りに行く必要はないかも」
「あ、でも……」
「大丈夫だから安心して。他の部屋、及び通路、階、全てにおいての立ち入りを禁止。全面ロックに監視にナビ、全て付けておくよ、これを見せてくれたお礼」
こつんと乳白色のケースを叩いて、かくんと首を傾けた。
画面上でどんどん増えていく我欲の文字から目を離さず、ケイトはマサに指示を出し、オラトリオに縦30、横40、高さ10センチほどのいびつな黒い箱を渡した。
箱とディスクを受け取ると、彼はそれを嬉しそうに、一瞬だけ眼を細めて見詰めると、すぐに元の顔に戻して深く頭を垂れ、きびすを返した。
暫くの間、危なげな足取りで行く彼の足音と物が割れる音が続き、最後に扉の開閉音、空気洗浄機のうなり声で終わった。元のように、方々からの鳴り止まない機械音が全てとなる。
「な、前から思いちょったんやけど、坊はなしてあない知られとうないとか?」
平らな場所を歩いているようにすたすたとケイトの隣に近寄ったマサは、飲みかけのカップを画面と眼の間に差し込んだ。
「んー?あーオラトリオにとってあんまり人間に知られたくないんだよ」
大きな掌でプレートを額に押し上げられる動きに乗って首を反らし、マサを仰ぐ。
「いや、それは分かるんやけど、その理由が」
掌いっぱいになる大きなマグカップを両手で抱え込み、中身をゆっくり啜りながらケイトは抑揚の無い声で応えた。
「人間の手に渡れば、色々と「酷い扱い」を受けることは容易に想像できるでしょ。今の技術じゃぁしっかり育てる前に、環境適用とか、仕組みとかの実験から入るしかないんだから。……でも、それでも、それでもオラトリオがあれの場所を教えてくれるのは、その実験によって、この汚れきった星を変えれるからだよ。変われば、アレの生存率も上がる。彼独りじゃ無理なことも出てくるからね。だから、彼は嫌でも情報を提供する。酷い扱いを受けることを承知で。だからいつも、あんな顔をするんだよ」
長い、真っ白な睫毛を伏せ、ケイトはカップの残りを飲み干す。頬に落とされた睫毛の影で一段と表情の分かりづらい顔。その小さな唇の端から黒い液体が足れる。
「なんやそれ。それじゃぁまるで、坊は人間みたいな扱いしよる見たいやないか」
からかいの混じった笑声をあげながら、マサはその口元を自分の袖で拭う。それにつられてケイトの顔が上がり、マサの視線とぶつかる。
「オラトリオは、植物と友達なんだよ」
ケイトの甘えた声が応えた。