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巫行095 不安

 ミクマリは自身の中に意識を集中し、変化を探った。

 海神(ワダツミ)は力を吸ってしまったと言ったが、それは余り正確ではない。

 確かに力の一部が移った様で、自身の()の多少が減してはいる。海神の声もここへ到着して来た当初の幽かな霊声(タマゴエ)と違い、溌溂(ハツラツ)としている。


 だが、ミクマリにとってこの程度の気の減少は問題ではなかった。


 懐から竹の水筒を取り出すと、験しにそれを棒状へと変じてみる。

 自然の水を操るは探求ノ霊性(モトメノタマサガ)……。


「……」

 霊気の籠った水は彼女の意思に逆らい奇妙に枝分かれをした形を作り、(アマツサ)えその尖端を蔦の様に巻いた。

 水を水筒へ戻そうとすると、それは本来の自然の摂理に従い、砂の中へと落ちて行ってしまった。


 恐る恐る水筒の残りの水を掌に出し、それに霊気を込める。


 矢張り、出来上がったのは(イビツ)な水の玉。それへ更に霊気を込めて圧縮する。普段の戦いで一番世話に為っている水の弾丸。

 しかし、それは自身の狙った方向とは全く違う方角へすっ飛んで行き、浜の砂を高く跳ね上げた。


『……ミ、ミクマリよ。ひょっとしてそれは、(ワレ)神和(カンナ)いだ後遺症か?』

「そうかもしれません。でも、命は取られませんでしたし、霊気(タマケ)も殆ど失ってませんから」

 掌を見つめるミクマリ。

『殆ど失っておらぬ? 吾はお前から力を吸って、過去の自分が比較に為らぬ程に元気に為った気がするのじゃが……』

 戸惑う海神の気配を探ろうとするも、今一はっきりとしない。霊気の探知すらも怪しいか。

 先程から耳へ届く霊声も、舟に乗って揺られる様な不快感を伴っていた。


「……痛っ!」

 次に験したのは肉に霊気を通し、常人ならざる筋力を発揮する術。ここから蟹神(カニカミ)の村へと引き返す為には必須の早駆けの術。

 苦痛の声が示す通り、術はしなやかな脹脛(フクラハギ)を裏返してしまった。


 脚を攣るなんて久し振りだ。だが、これを治療しようとして霊気が乱れると、足がどうなるか分かったものではない。

 砂浜に尻を付け、足を摩るミクマリ。


――どうしよう、帰れない。


『と、兎も角。一仕事終えたばかりなんじゃ。ゆっくりと休め。一晩休めば、調子も戻るやも知れぬ』

 海神の励ましが頭を揺らす。


――このまま帰れなくなったら、どうしよう。若しもこのまま、二度と霊気が操作出来なかったら……。


 里の無念を晴らす事は疎か、野盗にすら遅れをとるであろう。力そのものは落ちていない為、その暴発は余計に質が悪い。

 髪から垂れ伝う海水が頬を撫でた。


『兎も角、人を呼ぶからの。何ならお前も運んで貰えば良いのじゃ』


 海神は避難所の霊感のある者達へと潮風の声を届け、村の小屋の立て直しの仕度と、浜に打ち上げられた魚の処理の為に男衆を集めさせた。

 アカシリを筆頭に、荒くれた旅で疲れている筈の男達がまたも駆け付け、海の英雄たる巫女を褒め称えた。しかし、称賛も程々に、海神に与えられた仕事も熟さずミクマリに避難所へと来てくれと懇願をした。

 村が襲撃された際には怪我人が多数出ている。水術に依る治療に通じていたのは落命した昆布巫女の唯一人。ミクマリの治療術に繰り返し世話に為っているアカシリは、当然の様にミクマリの憑ルベノ水(ヨルベノミズ)に頼った。

 戸惑い、俯くミクマリ。痛む脚は棒の様に砂から持ち上がらない。

 海神が慌てて事情を説明してやったものの、男達は避難所へ戻った際には既に、怪我人を勇気付けようとその名を馳せる水分(ミクマリ)の巫女からの施術を約束してしまっていた。

 居合わせた誰しもが平謝りの始末。

 一同は消沈し、魚を抱えて避難所へと戻った。


 避難所は、山仕事に集中する際に狩り暮らしの場とする為に設けられた集落で、村民全員を収容する余裕はない。死者の分だけ頭数が減ったとはいえ、健康で若い連中は小屋の外でもどかしさや焦燥と戦って居た。


 避難所に着くと、早々に口火を切ったのは海神であった。

 自身の子の不始末に依り災いが招かれ、剰えその母であり、自分が我が子に手を下しかねた事に依り村は泯滅(ビンメツ)の危機に瀕してしまった。

 彼女は元来よりも増加した力を以て、霊感の薄い者までも含めて、村民全体に此度の顛末を聴かせ、謝罪した。


 信心もまた神の存在に影響する要素である故、自ら民からの信を失う真実を打ち明けるのは些か危険な行為である。

 しかし、村民達は神を赦し、また多くの者は、初めて聞いたその幼き神の声に頬を綻ばせた。


 昆布の巫女の娘も、漸く振りに哀しみ以外の貌を見せた様だ。

 当時の海神は、この避難所までは声を届ける事が出来なかったらしく、娘巫女は頼り切りだった老いた母の死からずっと、海底へ落とされた心持だったらしい。

 避難所は嵐を前にしたかの様相であったが、海神の話が終わると、村民達は銘々(メイメイ)に己の役割や手伝いへ戻り、仮初めの平和を取り戻した。


 彼等の間で言葉が交わされるようになると、この避難所で織り成された物語が幾つか見えて来た。


 先ずは一つ。人は去るばかりではなかった事。

 老巫女が敗れ身罷(ミマカ)った直後に、新たな命の誕生が始まっていた。物資や人手の苦しい中での産褥(サンジョク)の戦いであったが、こちらでも母は勝利を収め、その賜物は今は静かに乳房を吸っている。

 また、別の甘えの酷い幼児はこの件での大人達の空気を感じたか、働く母の脚に纏わり付く様な事をしなくなったと云う。穀物や実の貯えも尽きた今、海神自らが獲った魚を以て魚味始(マナハジメ)を行う事と為るだろう。

 無論、他の多くの子供達も気丈に村の助けを行い、僅かな間に大人へと少しばかり近付いていた。

 この話を聞いた海神は感極まって涙声を聴かせてしまい、子供達に笑われてしまった。


 霊性(タマサガ)の不調に意気消沈していたミクマリも元気を貰い、霊気に依らぬ面で高き巫力を振るった。

 薬師として優秀なアズサと共に奉仕に努めたり、同じくナマコの秘薬の話をしつこく聞き込んだのが功を奏した様で、直接の傷の治療は出来なかったものの、村民達の感謝と安心を拝む事が出来た。

 だが、矢張り、痣や瘡蓋(カサブタ)の残る怪我人を見ると、彼女は満足が出来なかった。


 避難所の仕事が一段落した時、アカシリが声を掛けて来た。

 彼は陽が沈むというのに、片腕と口を使って縄沓(ナワグツ)を締め直し始めた。自身の脚と命を懸けて、蟹神の村へと走ると言うのだ。

 早駆けの術が失われた今、ミクマリは蟹神の村にいる守護霊や妹と連絡を取る術がない。為らば自分が声を届けようとの事だった。


 ミクマリは縋りたい思いを抑えて反対した。幾ら俊足の益荒男(マスラオ)であろうと、馴れぬ隻腕だ。単身で遠地へ旅をするのは危険過ぎる。心とはさかしまに、出掛けんとする男の片腕へ縋って弱き娘の力で引き留めようとした。


 その様を見ていた他の男達は黙っていなかった。

 簡単な話だ。今は立派な船もあり、海神様の恩寵も嘗てない程に強力。「アカシリ、おめえは新参者の癖に何でも自分でやろうとし過ぎる。次は俺達の番だ」という訳だ。


 勿論、それも楽な仕事ではない。加えて舟は蟹神に賜ったそれが唯一であり、復興の命綱だ。だが、海神も提案を後押しした為にミクマリも反対は出来なかった。

 そう言う訳で、海の男達は神器の(カイ)を握って(ナギ)の海へと繰り出して行ったのであった。


 娘は無事を祈ろうと空を見上げたが、既に太陽は眠りへと就いていた。



 深夜、ミクマリは山を登った。川で清流に触れれば、術の勘も戻るやも知れない。

 たった独りの山道。冬の空気は拒絶する様に肌を刺し、妖しく啼く(フクロウ)の声が耳に忍び寄る。

 甘手に依り獣の心配は無いものの、一歩進む毎に草木の震えに怯えねば為らなかった。


 漸く聞こえる(セセラギ)が安堵を呼ぶ。ここは以前、アカシリに覗きと窃盗を受けた川だ。


 髪の乱れは霊気の乱れ。ミクマリは塩を吹き白くなった髪を清流で洗い清める。

 次いで、辺りに気配の無い事を五感で探索した。

 玉肌の全てを月下に晒し、霧で編んだ衣を水へ浸す。身体も乾いた塩や砂でざらつく。指を滑らせ余す事無く、入念に汚れを落とした。

 不揃いに為った毛達も、黒鉄の刃で処理をした。切れ味がやや鈍って来ており、肌に赤い玉を作り出してしまったが、これも治す事が出来ない。

 水垢離(ミズコリ)を一通り終え、もう一度、誰も居ない事をしつこく調べ、一応の安心の後に霊性の鍛錬を始める。


 三つの霊性。一つ、自身の肉体を巡る気を操る調和ノ霊性(ノドミノタマサガ)

 肉体を破壊せぬ様に、神経を磨り減らしながら脹脛へ気を流す。

 激痛が走り、施術を断念。

 落胆しつつ、もう一つ。自然物に働き掛ける探求ノ霊性(モトメノタマサガ)

 日中の暴発の経験も加味し、慎重に水へ気を込めた。


 だが、矢張りの失敗。小さな水球は破裂し、辺りへ飛散した。川水跳ね、木々の枝折る水撃。それは自身の身体にも叩きつけられた。

 自分の繰った水で怪我をしなかった事を考えると、基本的な霊気の纏いに依る護りは働く様だが、水の裏切りに心臓は跳ね、心が酷く傷付いた。


 もう一つ、他者の気との関係を操り、治療の要となる招命ノ霊性(マネキノタマサガ)だが、これは験すまでも無いだろう。意図せず他人の身体を吹き飛ばす恐れがある故、調子が戻るまでは一切禁止にする他にない。


――戻るまで……。


 冷たい冬の川の中へしゃがみ込む娘。


 未だに覚えのある水の気配。力の使い方を覚え始めたあの頃。盗人の足を穿ち、それを自ら治療した未熟者のあの頃。

 あれからそれ程長い時は経ってはいなかったが、遥か昔に引き戻されてしまった心持がする。


 蟹神や海神との件で頭の隅に追いやられていたが、自身の旅の進捗も実質的な変化はない。

 心には尚悪い事に、信を置き切った守護霊や妹とも引き離されてしまっている。


 振り出しよりも悪い位置に居る気がして、酷く惨めな気持ちに為った。


――どうせ戻るならば、幸せだったあの頃にまで戻ってくれればいいのに。


 次第に体が冷えて来た。本来であれば、御神胎ノ術(ミカミバラノジュツ)に依る神和(カンナギ)の後は、胎の疼きと熱に苦しむのが約束だ。水垢離に来たのはそれへの備えの意味もあった。

 だが、此度の胎は無言で潮は満ちず。代わりに骨や肉が寒さに依り悲鳴を上げるばかり。

 男神と母神では勝手が違うのだろう。珠を産ぜれば不調も治るかと僅かな期待を寄せていたが、現実は非情であった。


 何もかもが悪い方へ向かっていく様な気配を感じ、ミクマリは堅い丸石の転がる水底へ膝を付き、顔を凍える流れに浸した。

 暖かなものが瞳から染みだし、冷ややかな水中へと溶けてゆく。

 どうせ哀しみに帰結するのならば、仮初めの幸福等に(ウツ)ろわざれば良いのだ。脳裏に頼もしい祖霊の厭味や、新たに得た妹の訛りの言葉が響く。


――何もかも流して頂戴。厭な事も、役立たずな私も全部。


「あっ、こら! 行っちゃいかんて!」

 男の声。直ぐに分かった。アカシリだ。

 慌ててミクマリは顔を上げる。衣を纏わなければ。


「ミクマリ様、どうなさいましたか? 御身体の具合が宜しくないのですか?」

 続いて少女の声がした。慌ただしい水音と共に心凍らす流れへ踏み入って来たのは、覚えのない若い娘。


 虚を突かれたミクマリは悲鳴を上げるのも忘れ、心配して自分を立たせようとする娘をぼんやりと眺めた。

 顔に覚えは無かったが、その衣の意匠と、頭に括りつけた海藻には既視感があった。


「あっ! 言っとくが、俺は覗いとらんからな!」

 木立の方でアカシリの声。そちらを見るが姿はない。

 ミクマリは取り敢えず娘に離れて貰うと、衣を搾って纏い、改めて娘に話を聞いた。


「あの、私、昆布巫女の孫のナギと申します。祖母の仇を討って頂き、有難う御座いました!」

 快活な礼と共に提髪(サゲガミ)が跳ねた。


 ナギは浜の村の巫女見習いだそうだ。巫女である母や、村を興し海神を神和いだ祖母と(タネ)を同じくする者らしく、月水(サワリ)と共に強い霊感に目覚めたと言う。

 まだまだ見習いも始めたばかりで、殯葬(モガリ)や簡単な薬事すらも覚束ないらしいが、母よりは筋が良いと言われているらしい。

 ミクマリが単身で山へ登るのに海神が気付き、アカシリと共に遠巻きに護衛する様に指示したのだそうだ。


「私、ミクマリ様や御婆様の様に凄い巫女に成ります!」

 青い憧れが先行する口数の多い娘であったが、ミクマリは微笑み、帰りの道すがら話を聞いてやった。

 残念ながら今のミクマリでは娘の才を測る事は出来なかったが、褒めたのが海神自身だというのだから、きっと良い巫女に育つであろう。


 村の持ちうるものの多くは消滅した。海もまた磯焼(イソヤ)けの傷跡を残して、多くの魚貝も失われてしまっている。同じ命は戻らず、復興には長い時が掛かる。


 だが、確かにミクマリと海神が繋ぎ護ったものが、新たな芽吹きを見せていた。それはきっと、一足早い春であろう。


――大丈夫、私が海神様を降ろした事は間違いじゃない。


 乱れた霊気を感じながらも、自身へ言い聞かせる。

 慰めを肯定するかの様に衣は独りでに乾き、記憶の片隅に幽かに残る神の(イオリ)の温かさを届けた。


 村へ戻り、床へ就くミクマリ。これも押し問答の末に無理矢理供された貴重な寝床だ。


――ゲキ様が戻っていらしたら、素直に話して叱って貰おう。


 他所の村の為に、自身の仕事が覚束無くなったなんて、彼は絶対に怒るだろう。

 娘は頭に甦る「マヌケ娘」に苦笑しながら眠りへと誘われていった。



 翌日、寝穢(イギタナ)い彼女にしては珍しく、深夜の水垢離の疲れにも拘わらず早くに目が覚めた。

 そして直ぐに、自身の霊性へと落胆した。

 村中は張り切っており、既に人々の声が聞こえたが、恐らく彼女は用無しだろう。


 一人寂しく溜め息を吐き、ふと天井を見上げる。癖になった仕草。いつも頭上に就ける祖霊。


『目覚めたか』


 幻ではない霊声。

 彼の声は本当に確かで、海神の声の様に彼女の頭を苛む事は無かった。


「御早う御座います。アズサは?」

『まだ舟だ。舟は岸に付けてはいないが、陸が見えたので守護霊の術で駆け付けた。不調だそうだな。少し心配に為った』

 彼らしからぬ優しさ。ミクマリは敢えての叱責を選ぼうと、甘えずに自身の現状と、これからの旅への憂いを打ち明けた。


 だが、ゲキは何一つ不満を漏らさずに話を聞き、唯こう言った。


『お前は良くやった。村を泯滅の危機から救ったのだ』


 そして娘は、妹と顔を合わせるまでの短い間、温かな揺らめきの前で弱き涙を晒した。


******

磯焼(イソヤ)け。磯に生えている海藻等が水質の変化により大量に死滅する事。

魚味始(マナハジメ)……魚を始めて口にする儀式。乳離れ的な意味合い。

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