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巫行087 神楽

「ゲキ様ーーーーっ!!!」

 巫女の絶叫。


 光収まり、我が神の居た筈の場所には(クウ)


「そんな……」

 崩れ落ちるミクマリ。


――ゲキ様が喰われてしまった。矢張り、こんな処に来るべきじゃなかったんだ。早々に立ち去るべきだったのよ。


 絶望、転じて……。

「叩き殺してやる!」

 似合わぬ言葉と共に見上げる娘。その身体からは人に非ざる白き気配。


「何と! 人……神……を持……のか!」

 驚きの声は神気(カミケ)の放出の爆音に掻き消される。神楽(カグラ)も未だ演奏が続いていた様だが、当然誰の耳にも入っていないだろう。


 高める神気、加えて巫女の(ハラエ)の気魄。二つ用いればあれも滅せるやも知れぬ。

 だが、光の女は裂けた口から(キタナ)き水を垂らし、それを拭う素振りを見せていた。


――それでも、一矢報いる。あの人の為に。


 分かってはいる。霊気と神気は本質を同じくするもの。邪気と夜黒(ヤグロ)がそうであるように。

 どんなに霊気を研ぎ澄まし、神気を貫いても結末は……。


「姉様! 姉様!」

 耳に届けられる妹の声。

 そうだ、アズサだけは護らなくては。若しも勝てる気配が無ければ、この力全て肉体の操術へと変じ、女の目の届かぬ地の果てへと連れて逃げよう。


「姉様、後ろを見やりー!」

 アズサの声に振り返るミクマリ。警告か。迫り来るは黒き縄か、白き縄か。


 否、視界に映ったのは赤黒き霊魂。

『おい、マヌケ』


 ふと、消え失せる神気。

「へっ、ゲキ様?」

 娘が裏返しの声を上げた。


『人を勝手にやられた事にするな』

 霊魂は色を翡翠へと戻しながら言った。

「で、でも確かに消えたのを見ました!」

『守護霊が持つ術を忘れたか。俺は念じればいつでもお前の傍にゆけるのだ』

 確かにその様な話を聞いた事がある。実際、旅にアズサが加わる前は、水術に依る早駆けを繰り返していたが、ゆっくりと漂うばかりに思えるゲキはその術に依り、確りとミクマリの後ろに着けて来ていた。

「お、仰ってましたね……」

『その為にお前に傍にいて欲しいと言ったのだ。飛んだ先が戦いの場から離れていると面倒だからな』


 娘は赤面し、瞳潤ませながら奥歯を噛んだ。


『しかし、俺を想い叫ぶお前の姿は見物だった』

 何処か優し気な霊声(タマゴエ)。沈黙一拍。

『肉が有れば笑い転げていたに違いない』


――こいつめ! こんな時じゃなかったら、絶対一発お見舞いしてやったわ!


「……妙だと思ったが、逃げていたか。……まあ良い、旨そうな魂と女よ。今度こそ喰ろうてやる」

 女がまた先程と同じ構えを取る。

 しかし、直ぐには縄は現れなかった。代わりに女の胎の中で二色の気が猛烈に渦を巻いているのが感じ取れた。


『お前ごと狙われれば、同じ手は使えぬな。本気で奴を滅しようと思えば、俺は後戻りできぬ程に黒く染まる』

 翡翠の霊魂が言った。

「アズサを連れて逃げますか?」

 ミクマリは既に妹の手を取っている。

『マヌケめ。これを放って置けるか。それに、オクリ達がくたばれば、次の穢れがどうなるか想像も付かん』

「では、どうなさるのですか?」

『お前の身体を貸せ。鬼の力を以て滅する』

「ですが、肉を持つと抗えないと」

『それは、お前の意識が消えていた所為もあるだろう。今は神和(カンナギ)にも馴れ、意識を保てるのであろう?』

「多分ですが……」

『頼む。仕返しで言うのではないが、お前は俺を抑えてくれると言った。身体を貸してくれ。お前の魂で、俺の昂りを宥め賺し続けてくれないか?』

 揺らめく霊魂。気が急ぐのか彼は娘の唇の先まで迫っていた。


 上方で二色の気の胎動。光の鬼女に呼応する様に、娘の胎が震えた。


「ゆきましょう」

 熱無き筈の焔をその()に宿し、霊気も使わず飛び上がる先は、高き鬼女の蒼き眼前。


「さっきのお返しだ」

 巫女の喉より漏れるは男の硬き声。

 夜黒纏いし爪の貫手(ヌキテ)が女の巨大な瞼にへ挿入される。


 天に(トドロ)く絶叫。


 右目押さえ口の中で呟かれる呪詛の言葉。黒き無数の髪々(カミガミ)が針の束と為り、額に角生やした娘の身へと迫る。

 回避目論み、宙を蹴る娘。しかし、身体を光の腕に掴み取られ、その白衣と茜袴を横殴りの雨に晒す。


 その身に流れし命操るは調和ノ霊性(ノドミノタマサガ)


 鬼の娘が力を籠めると、彼女を掴み取っていた指々がばらばらになり爆ぜ飛んだ。

 それでも迫る黒き針。しかし、妖しき男貌の笑みと共に振り上げられた袖に依り滅される。


「――――!」

 またも鬼女の口の中で何事か呪詛。訛りか、知らぬ邦の言葉。鬼女の穿たれ爆ぜた身体が再生してゆく。

『実体の無い者はいつもこうだ。全ての()が尽きるまで、叩き続けてくれよう!』

 着地、瞬間跳躍。黒爪の薙ぎ上げが光の女を股から脳天へと掛けて両断した。

 しかし、両の断面から直ぐに二色の縄が現れ、それらは互いを求め合うかのようにうねり狂った。

『先程“盗ったもの”も返してもらおうか』


 穢れし水を操るは招命ノ霊性(マネキノタマサガ)


 飲み込まれた水筒の水。それは女の身体に広く溶け込んでいた。

 全身から黒き水の粒子が乱れ飛び、両断された巨体を細切れにした。

 水術を繰る鬼の掌に集められる穢れ水。それは玉響の間に限りなく清き水へと変じた。


『ふむ。一通りはいける様だな。ミクマリよ、ゆくぞ!』


 迫りくる無数の縄達。

 右手は鬼の邪爪(ジャソウ)。左手は細き巫女の(タナゴコロ)

 穢れと清めの極みが明暗を嗅ぎ分け、力の差を見せ付けるかの様に同色を剋してゆく。


 白白(ハクハク)黒黒(コクコク)。白白、黒黒。穢穢(ワイワイ)清清(セイセイ)。穢穢、清清。


 繰り返される衝突。散りゆく鬼女の身体が闇に溶ける。

 しかし、未だ晴れの時は遠く。幾十もの月の満ち欠けを受けた贈り物は、幾度も幾度も鬼に変じた女神の身体を甦らせる。

 還る度に怨み深く。孵る度に憎しみ濃く。

 それに呼応するかの如く、鬼神神和(キシンカンナ)ぐ巫女の表情も歪み始めた。


 苛烈極める戦いに割って入れる巫覡は居らず、次第に二柱の額の角が更に伸び始める。


「は、は、は、は、は!!! 肉無き女よ。俺を抱く女の身体が妬ましいか!」

 嘲り、切り、裂き、殺し続ける巫女。圧倒。巨大な鬼女は次第に白黒咲かすばかりと為る。


 しかし、地から伸びるは縄だけに非ず。


 ……どちらも欲しい……。


 幽かな女の声。耳聡い娘以外には届かず。


 黄泉(ダイチ)より()でるは貪汚(タンオ)伊邪那美(イザナ)い。

 腐った人の腕の様なものが地中より現れ、茜袴の中へと潜り込んだ。


「別の夜黒だわ!」

 笑い引き下げ、不快感。一瞬娘の貌が戻り、鬼の肉体を裏返したかの様な祓の気が発せられた。

 脚をなぞる生温かさは腿でぴたりと静止する。しかし、(トロロ)いた指は、僅かに動きを止めるに留まり、再び動き始め、繰り返し産毛を撫ぜ始めた。


 ……いらっしゃい……。


「糞っ! 何だこれは!?」

 鬼の力でも振り払えぬ不気味な腕。


「……――――!!!」


 目の前で鬼女の絶叫。見れば女は身体を再生させていたが、地中より生える無数の腐った手に依って、その肉をもぎ取られている。

 これまで、傷口に光と闇の縄を見せて来たはずの身体は、再生の術の代わりに(アカ)き体液を(ホトバシ)らせていた。


――ゲキ様。これは“欲深なる母”では!?


 頭の中で器の主が警告する。しかし、その叫びは目の前の血肉の狂乱に依って掻き消された。

 鼻を衝く黄泉の香り。女ののたうち回る姿が巫女の額のものを太く大きく(アデ)やかに(ヌメ)らせる。


 腿を撫ぜていた指が内腿へと喰い込む。下へ、下へ。掴まれた腿ではなく、胎の底から引きずり込まれる様な感覚。

 頭蓋で、胸で、胎で叫ぶミクマリ。しかし魂の同居人へはその声は届かず。

 夜黒一層高まり、ミクマリの身体を染め上げる黒き靄。嗤う口から牙が覗き、細き指先には艶やかな棘が伸びる。


 ……全て(ワラワ)のものに……。


 唐突に内腿に喰い込んだ指が抜けた。指は脚を粗雑に伝い下へと逃げる様に去った。

 失われる欲の気配。血肉踊る狂乱の宴もいつしか消え、鬼の女神の絶叫も途切れている。


 玉響の沈黙を掻い潜るは、琴の音と笛の音。


 神楽の音届けるは、招命ノ霊性(マネキノタマサガ)


 調べに重なり漂うは幾度も抱き撫ぜた童女の霊気。

 鬼を抑える神楽(カグラ)の響きが、巫女の願いを守護神へと届けた。


 正邪穿つ矛を成すは探求ノ霊性(モトメノタマサガ)

 鬼の手が求め掴んだのは穢清(アイサイ)の水。正邪共に呑み込んだ水矛(ミズボコ)清穢(セミナ)の力を纏う。


「……知らぬ父も、知らぬ母も碌なものではない。()は唯、故郷(フルサト)で鎮められたかった」

 元の夜神(ヤカミ)孕んだ、哀しみの声。それでも鬼女は眼前の鬼を喰わんと再び縄を()う。


「異邦の神よ。最期まで、つき合ってやる」

 神楽の旋律に合わされ突き込まれる矛先。

 白縄黒縄問わずに散らせ、白き肌と黒き印を滅してゆく。確かな鬼の力。だが、その腕が再び靄に包まれる災厄は彼方(カナタ)


「……連れて来られたのに。きっと大事にされると思って、言葉も覚えたのに。本当は、ここへ来たくなかったのに」

 繰り返される嘆きと薙ぎ。

「……待たされたのに。やっと何処かへ行けると思ったのに」

 潮待ちの先に夢見ていたのは月満ちか。されど、宛先は欲の大地。喰らう鬼女を喰らう神の腹。

「……ここは女月(メツキ)の無い穢き國だ」

 白き人形は滅され、再生を繰り返しながら天を仰ぐ。今宵は新月。そもそも月等ありはせぬ。加えて、長き戦いはいつしか払暁(フツギョウ)を招き始めていた。


 ()ゆ始める空。終わらぬ神楽。

 繰り返される清穢の技に蝕穢(ソクエ)の力は封じられてゆき、鬼神の暴力ではなく巫女の慈愛が鬼女の身体を滅し始めた。


 巫女は殺し再誕を待ち、神は殺され再生を望み。黒き命と共に散る憎しみ。白き命と共に散る哀しみ。

 無数の輪廻。重ねた満ち欠けに等しい再生を重ねた白き女の身体は、只の人と変わらぬ丈へと縮んでいた。

 黒き印を失い、長き髪も穢れなき神色に茜差すものへと変じている。

 産まれたままと似て異なる姿。彼女の白一色の肢体を隠すものは何も無い。

「……吾は、遥か遠き地の穢れた神だった。何処でも鬼よ悪魔よと(ソシ)られたが、異邦の神に選ばれ連れられてぬか喜びをした」

 白き人影には最早、穢れも憎しみも無かった。残るは僅かな恥じらいの素振り。


「同情をさせて下さい」

 角を隠した鬼が言う。握る貫きを解き、神気と慈愛を込めた水の羽衣へと転じた。


「……受けよう。是非滅せよ。吾が國では泯びでも、罪を(ソソ)げば転生が出来ると言い伝えられておる。この地は吾の地で無い故に、(マツ)ろわぬ者の願いを聞き届けてくれるかは分からぬが」

 異邦の神の唇が微笑を浮かべる。


「貴女の國に、祈りはありますか?」

 覡國の巫女が両手を握り合わせて、見詰めた。


「……吾が故郷にもある」

 青眼が見詰め返す。彼女の両手も真似する様に握り合わされた。


「貴女を、おくります」

 水の羽衣。それは細き娘の手に依って白き裸体へ掛けられ、辱めから優しく守った。


「……ありがとう」

 羽衣と共に掻き消えてゆく白き神の姿。



故郷(フルサト)に、帰りし命を寿ぎます」

 愛分(アイクマ)る巫女の祈り。遠い異国の地へ届け。



 昇る太陽。それは神去(カムサ)りし女の生まれ故郷も等しく照らしているだろうか。

 ミクマリは、その場に居合わせた全ての巫覡は、見知らぬ国の魔とされた者への祝福を朝日へと(コイネガ)った。



******

清穢(セミナ)……穢れを祓い清める事。

払暁(フツギョウ)……夜明け。

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