巫行085 始末
「あの……黄泉へ行こうとお考えではありませんよね?」
ミクマリの瞳に反射するは悪霊の光。
『何を訊ねるかマヌケめ。見て分からぬか。俺はこれよりこの者達を殺害し、黄泉へと招かれるのだ』
血の色を湛えた霊魂が宣言する。
黒衣の術師達、それにアズサが立ち上がり身構えた。その視線の全てはゲキへと注がれている。
「鬼と成って正気を失えば、目的を果たせる筈が無いでしょう?」
『やって見なければ分からぬ。鬼が復讐の為に動く存在だと云うのならば、目的には適うだろうが』
「ゲキ様抜きでサイロウに勝てるとも思えません」
『そうだな。お前は未だ生前の俺よりも腕前が劣る。だが、今ならばアズサもおる』
「ええ……」
アズサが呟いた。
『俺を信じよ。俺は神であり鬼である上に、男覡だ。あわ良くば黄泉にて妹巫女に加勢し、直接我が巫女と信徒を清める事が出来るやも知れぬ』
「それでも、させません」
ミクマリはゲキの前へと立ちはだかった。
『俺に劣ると聞いても相対する根性には、敬意を表してやる』
高まる霊気、加えて強烈な夜黒ノ気が溢れ出す。
「ゲキ様では私に勝てません。実力の差はゲキ様が肉体を持っていた頃の話です。それに、穢れた存在が巫女に勝てる道理がないでしょう」
ミクマリは祓に使う巫女の聖なる霊気を膨れ上がらせる。それだけでゲキの黒き焔の端がちりちりと音を立てた。
『だが、その背中に居る者共は俺達の仇の身内だ』
「身内であり、仇本人ではないと貴方も納得した筈です」
『故に、殺せば俺は鬼と成る』
「行かせません。私は、貴方までも失いたくありません」
『俺がしくじり鬼と成り地上に影向したら、それを滅して復讐も棄てよ。お前にはアズサが居る。何処かで二人で安らかに暮らせ』
「……はあ」
ミクマリは溜め息を吐く。
「それでは幸せには成れません。“責任を取って貰う”約束ですから」
『……』
ゲキの発している気が弱くなった。
「それに、誰かしら? “俺が鬼に変ずれば、お前も無理だろう?”……なあんて言った大マヌケは」
『……』
霊魂の色が落ち着き、縮み始めた。
「やれやれ」
次に溜め息を吐いたのはアズサだ。彼女は坐り直した。
『……今のは無しだ。鬼の側面が出ておった故に、頭が回らなかった』
元の翡翠の輝きを戻したゲキは部屋の隅へと逃げた。
「でも、ゲキ様が居らしても、あのサイロウに勝てる自信は無いのですけれど」
『そうだな。天津神を一部とはいえ滅し、戦神の祠を平然と荒らす男だ。それに、怨みをサイロウへと集約させる術が無い』
「結局、あの子や里の人達の魂を救う方法は無いのかしら……」
『無い? これまで通り黒衣を追うのではないのか?』
「ゲキ様、残った者も殺された者も何も知らない今ならば、分流した地蜘蛛衆を退治すれば、里が襲われた事に関する怨みは晴れるでしょう。でも、里の者が良くても、私達は事情を知った以上は村抜けをした連中を討てば良いだけだと言い切れなくなってしまっています」
『理屈はそうだが……』
「怨み辛みは理屈ではありません。気持ちの問題です」
『むう……。しかしそうなると、ここへ乗り込んだ事が間違いと為らぬか?』
理屈屋が唸る。
「為りません。あの子は夢占いで全てを見ていたのかも知れないのですよ。私達はそれを信じて行動をしたのですから、これもまた意味のある事です」
『何か別の道があるという事か』
「はい」
『絡まる糸を解くには順序がある。順に倣うのであれば、先ずは黄泉の妹巫女へこの事実を伝える術を探そうと思うが……』
ミクマリは黒衣の術師達を見た。彼らは首を振った。
「……サイロウは一度黄泉へ行って戻ったという話ですが」
『サイロウを斃す為にサイロウに頼ると申すか? お前が敵の腹に飛び込むのが好きなのは知っているが、流石にそれは』
「いけませんか?」
『当たり前だろう。危険過ぎる。奴は強き者と手合わせをするのを好むのだ。会ってはくれるだろうが、殺されて黄泉に送られるだけだ』
「では、彼を従わせる程に鍛錬を」
ミクマリは不敵な笑みを浮かべ、言葉詰まらせずに言ってのけた。
『剛毅な奴。だがな、今のお前は頭打ちだという事を忘れて居らぬか? 無闇に修行をすれば神に近付く。神和に賭けるにも、神の力で従わせられようとも、神が抜けた後はそうはゆかぬ。珍しく力に頼る事を言ったから天津に似るかと思えば、矢張りお前はお前。マヌケだな』
ミクマリは顔から笑みを消すと「ぐぬぬ」と唸った。
他にも法は無くはない。ホタルが言った「サイロウの妻になり抑える」という手だ。その案をちらと思い出しはしたが、無論、選考対象にすらならなかった。
「姉様、ゲキ様」
アズサが声を上げる。
「なあに、アズサ」
ミクマリがアズサを見ると、彼女は何故か満面の笑みを浮かべていた。
「にっこにこやにー」
アズサは何事か言い出した。
『は? どうした? 姉よりも遥かにマヌケな面をして』
「……」
アズサは笑みを解くと、自身の両頬を指差して見せた。
『気が触れでもしたか? それはそれでマヌケ面だが』
「もーっ! ゲキ様! うちがどこの出やったか、忘れたんけ!?」
『マヌケの里だったか?』
「ほたえんといて! うちは御使い様の流派やん!」
アズサはゲキに向かって拳を素振る。涼やかに避ける霊魂。
「……そっか! 御使い様は、神様への伝言係。黄泉に居る母もまた神。高天だけでなく、黄泉にも行き来が出来る存在なんだ……」
『ミサキは、御使いが里の恥であるサイロウを討つ事を望んでいるという話をしていた。結局は、その通りに為った訳か』
腹立たしそうに言うゲキ。
「でも、光が見えて来たわ!」
ミクマリは大喜びでアズサを自身の衣に埋めた。
「そやけど、御使い様は神様からの伝言を伝えはる役なんで、妹巫女様に伝えるのんはちいと違うんやけどなー……」
『そうだな。だが、ミサキや御使いがこの一連の件に絡んでいるのは間違いない。話を聞きに行く価値はあるだろう』
「アズサも立派に成った処を見せつけてやりましょう!」
『戻って来てくれと言われるやも知れぬな』
「今更返しませんけどね!」
ミクマリはアズサの髪をぐしゃぐしゃにした。
「何かはしかいなー……。でもなー、役に立てて良かったわー」
為されるがまま、頬を真っ赤に染めるアズサ。
「本当、アズサが居てくれて良かったわ」
『拾って無意味に苦労した訳ではなかったのだな』
「ゲキ様だって、アズサが居て満更でも無かった癖に」
愉し気に笑う二人。
ひっそりと、黒き巫女や男覡も笑いを漏らしている。
「サイロウが討たれれば、御使い様も喜ばはるしなー。乱暴されてる人等もにこにこやなー。皆、にっこにこやにー」
アズサはもう一度満面の笑みを浮かべた。
「……では、次は霧の里を目指しましょう。さっさとこんな処とはさよならです」
ミクマリはアズサを小脇に抱えて立ち上がった。
『と、言いたい処だが、そうもいかぬ』
「どうしてですか?」
首を傾げるミクマリ。
『オクリよ。儀式は普段、どの程度の頻度で行っておる?』
「本来ならば、月の満ち欠けに合わせて、新月の度に行います」
『それを四季二巡り分も取り止めていたのだ。高天國では“贈り物”が溜まっている筈だ。邪気や穢れの悪化したものが夜黒ノ気。その性質は巫女の祓には弱いものの、他の霊気を侵食する事に問題がある。穢れは感染るのだ』
「そやなー。当たり前やなー?」
『神気ですらも、夜黒や呪術により侵される事があるのは知っておるな?』
「だから神様の為に巫覡が清めて掃除をしますね」
ミクマリが答える。
『うむ。巫行の基本だ。幾ら神の父が集めた穢れだとはいえ、穢れは穢れ。村抜け連中との均衡がどうのと云ってはいたが、放置するとどうなるかは分かるか?』
半神半鬼の祖霊が揺らめいた。答えぬ黒衣の術師達。
無論、高天で誰かが祓を行わねば害が出るだろう。他の気を塗り替える夜黒が伝染し始めれば、対処の難しさは鼠が増えるかの如くだ。
「そんな大事な事に気付いておきながら、彼等を殺すなんておっしゃったんですか!?」
声を上げるミクマリ。
『だからそれは、鬼の側面が……。まあ、お前の叱りは受けよう。だが、叱られるべきは俺だけではない。そこの童女ですら知っている巫行の基本を此奴等は怠ったのだ』
ゲキは黒衣の巫覡達の頭の上を旋回した。
「我々も気にはしていたのですが」
後ろに控えていた黒き男覡が言った。
「それに、この村の出の者が撒くであろう禍との均衡が」
黒き巫女も言う。
「我々三人だけでは到底成し得ません。この村が元々巫覡の数を多くしていたのは、鬼が従わなかった際に抑え従える為なのですから」
言い訳がましく声を上げるオクリ。
『従わせる必要は無い。三國の均衡を考えるのならば、“欲深なる母”に贈る訳にはいかぬからな。下ろすだけ下ろして滅せばいい。母が受け取らないこれまでと同じ事だ』
「滅するのは思いつきませんでした……。本来でしたら、滅するだけ為らば難しくはありません。私が鬼を降ろし、他の者が神楽の音で鬼を封じ、その隙に黄泉送りにするのが手順。母に喜んで頂く為には鬼の力を削らずに贈る必要があるのです。我々三人は、その最低限を行う為の最低の人数……。しかし、順当に育っていたとすれば本来の数十倍の力を蓄えている筈ですから、滅するのは到底不可能でしょう」
『そんなものが高天に居座っていて、神や御霊に仇為す事があれば地上にもどう影響するか分からん。儀式を行え』
「我々が勝てねば、その鬼が地上に跋扈する事に為るのですよ!?」
黒き巫女が声を上げた。
『拒否権はない。お前達は下ろす処までで良い。後は俺達が始末をつける。その後は肉刺に儀式を行い滅してゆけば良いだろう』
「神の父に知られればどうなるか……」
頑なに渋るオクリ。
『俺達がサイロウを討つまでの期間で良い。その後は滅さず贈れば良い』
「本当に出来るとお考えで?」
『知らぬ。だが、余計な禍を生むのは俺もミクマリも望まん。アズサも皆の笑顔を望んでおる』
名前を挙げられた童女が、またも頬に指当てマヌケ面をした。
「分かりました。では、次の新月の晩に神楽を執り行います故。御力添えを願います」
黒衣の術師達は頭を下げた。
その後、ミクマリ達は次の新月の晩を待つ為に、暫く地蜘蛛衆の村に滞在する事と為った。
「“俺達が”なんて、どうして勝手に決めたんですか」
供された小屋の中でミクマリが声を上げる。
『お前の言いたい事は分かる。仇に手を貸す様な真似や、自身の里を泯ぼされたのに、その元凶の一つに手を貸すのが厭なのだな』
「当たり前です!」
『だがな、ミクマリ』
「我がままが天津っぽいとか、お前らしくないとかどうとかは聞きませんよ!」
ミクマリは寝床に座り込むと外方を向いた。
『言わぬ。幾らお前とて、人間ならば我慢の限界というものがあるだろうからな。それでもお前はお前だ。優しき女である事を押し付ける心算はない』
祖霊の霊声は優しい。
「……私はずっと、自分は優しいものだと思っていました。厳しくしなければ為らないと教えられ、厳しくしようとすればするほど優しさの大切さを思い知らされました。でも今は、優しくしようと思えば思う程、憎しみが沸き上がります。今度ばかりは間違っていても、優しさなんて、棄ててしまいたい」
絞り出す様に言うミクマリ。膝の上で拳を握る。
『棄てずに、その胸にしまっておいてくれ。それに、正直に言うとな、俺も高天の穢れは高天で処理すれば良いだろうと思った』
「でしょうに。だったらどうして?」
荒げられる声は僅かに震えを孕む。
『穢れが高天國や覡國に影響する心配もあるが……これはな、守護神としてのちょっとした意地だ』
ゲキは気恥ずかしそうな声で言った。
「意地?」
振り返るミクマリ。
『そうだ。言い伝えが本当かどうか、地蜘蛛の推察が当たっているかどうかは別として、神々の夫婦喧嘩の飛ばっちりが元凶の一つである為らば、俺は神の父とやらに一つ仕返しをしたい。奴が妻を想って貯めに貯めた贈り物を、滅茶滅茶に破壊してやりたいのだ』
「……成程。でも、性格の悪い御考え」
ミクマリはゲキへと身体ごと向き直った。
『その方が俺らしいだろう?』
「ですね」
娘はくすりと笑った。
「では、私も手伝いましょう」
『厭、それはいかん。悪迄、俺が主体で意地を張りたいのだ。破壊はお前の流儀ではない。お前は見ていてくれ。祓の技に就いては、お前が出張ると俺が添え物に成ってしまうからな』
「難儀な御方……。でしたら、どうして“俺達”だなんて仰ったのかしら?」
ミクマリは溜め息を吐く。あの場で口を開かなかったのは、またも自分へ役目が押し付けられると考えたからだ。
これもまた信じる師よりの試練や、紡ぐ運命だと思い、一人寂しく心の中で優しさと厳しさ、慈愛と復讐を対決させていたのであった。
『お前に傍にいて欲しいからだ』
「なっ……!?」
絶句するミクマリ。頬が熱を持つのを感じる。
『負ける予定はないが、いざと言う時は頼るからな。お前が傍に居てくれれば、安心出来る』
ゲキはそう言うと部屋の隅へと逃げて行った。
「本当に難儀な御方……」
ミクマリは呟くと毛皮の敷物の上に横に為った。何となく祖霊が寂しげに見えたので、手招きしてみる。
――反応無し。そもそもどっちを向いてるかも分からないわ。
娘は聞こえぬ様に小さな声で「素直じゃない方」と呟き、瞼を閉じた。
静かな小屋。祖霊の光のみが眠る巫女を淡く照らしている。
「はっくしょん!」
先に床に就いていたアズサが態とらしく“くさめ”をした。
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はしかい……痒い、ちくちくする。