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巫行084 黒衣

『ミクマリ、早まるなよ』

 そう言った守護神からは、僅かな穢れの気配。

「ゲキ様、大丈夫ですよ」

 一方、ミクマリは子供をあやす様な抑揚で返事をした。


 門より現れた、三人の黒衣の者。彼等からは強い霊気を感じる。

 アズサはミクマリの手を強く握り、「姉様」と不安げに呟いた。


 黒衣の者は男二の女一。やや姿勢を低くしながら、こちらへと小走りに向かって来る。

 だが、その急く様な足取りに反して邪気や敵意は醸されていない。


「我が村へ、何用で御座いましょうか」

 黒き巫覡達は(ヒザマズ)き、視線を地に落とした。そして、そのままの姿勢で話し始めた。

『初見の部外者に対して、祀り上げるかの如くの対応だな』

 ゲキは吐き捨てる様に言った。


「貴方達からは強烈な気配を感じます。我々を遥かに超える霊気(タマケ)に、多少の神気(カミケ)。そして、夜黒ノ気(ヤグロノケ)も」

 黒衣の男が言った。

荒魂(アラミタマ)顕す神々を前にすれば、地に這いつくばる。それが我々の流派の掟で御座います」

 別の男が言う。

「サイロウの手の者を討ち取ったのを御怒りでしょうか? 今更で御座います、泯滅(ビンメツ)よりも服従を選びます故、どうかその黒き気をお治め下さい」

 女が言った。


「私達はサイロウの配下ではありません。表立って敵対している訳でもありませんが、彼と反する考えを志しております。私は漂泊(ヒョウハク)水分(ミクマリ)の巫女であり、神気はこの神器の衣に依るもので人間です。ですので、お顔を上げて下さい」

 今の処、衣の色以外に仇と認めるに相応しい情報はない。ミクマリは、自身の中の平静が装いでない事に安堵した。

「そうで御座いましたが。ですが、こちらの御霊は……」

 黒衣の者が顔を上げた。若い男。ミクマリは息を呑んだ。

 額から鼻先に向けて(ヤジリ)の様な入れ墨が入っているものの、この様な出会いでなければ心揺らぐ様な美形である。

 もう一方の男も歳を食い、顔に傷痕を持っていたが美形。女の方も美しかった。彼等にも鏃が刻まれている。

「え、えっと。こちらは私の里の守護神です。夜黒は里の民に不幸があった為のものであり、私がそれを抑えているので平気です」

 繕う様に言うミクマリ。

「そうで御座いましたか。しかし、守護神様で在らせられるのならば、矢張り面は下ろす事に致します」

 再び顔を地に向ける三人。

「繰り返しの質問を失礼致します。この地を手に入れにいらしたのではないのであれば、どの様な御用件で御座いましょうか」

 黒き巫女が言った。


「えっと、私は……暴君の圧政への対抗策や、守護神が黄泉(ヨモツ)に引かれぬ為の備えを得る為に、見聞を広める旅をしています。これまでにも幾つかの流派でお話を聞かせて頂いております。若しも差し支えなければ、貴方達の流派や御役目に就いてもお聞かせ頂けませんか?」

 目的の半分を隠しながら言う。サイロウには悪いが、若しも里が(ホロ)びた事を語る必要が出れば、それも彼へ濡れ衣を着せる算段と為っている。


「サイロウには我々も困ってはおりますが……。出来る事ならば、貴女は我々に関わらない方が良いでしょう」

 若い男覡が言った。

「何故でしょうか」

「我々は忌み嫌われる者であります」

「“蟲”と言う事でしょうか。私は蟲と呼ばれる方々とも心通わせて来た経験があります。蟲にもそう呼ばれる所以(ユエン)があり、それは里の為であったり、巫覡の役割から来るものである事が多いと存じております。中には蟲と呼ぶ者の方に問題がある事も」

 蟷螂(トウロウ)は同族をも喰うが、それは彼女達の(タネ)を繋ぐ為に神が選んだ策であった。火垂(ホタル)は支配者に逆らった故に付けられた名で、その所以は巫行の弔いに依る火の粉である。

「……我等は“地蜘蛛(ジグモ)衆”と呼ばれる者。尤も、そう呼ばれるのは巫覡のみで、民は無関係ですが」


「……」

 アズサはミクマリと手を繋いだまま、ずっと沈黙している。彼女は一つの役目を担っていた。

 音術に依る嘘の見抜き。彼等の言葉に嘘があれば、ミクマリの手を強く握るか、子供らしく(ハナ)を啜って報せる手筈となっている。

 他にも、地蜘蛛衆と接触した際の口裏合わせや、探りの計画は予め立ててある。


「御話し頂けませんか」

 押しの一声。ミクマリは自身の地の霊気を強く醸し出した。

 霊気と一口に言っても、人物毎に目に見えぬ色や、鼻に香らぬ匂いがある。邪気でもないのに意地の悪い気配も存在すれば、(ハラエ)の技でもないのに癒す気配もある。ミクマリは昔、浜辺の巫女達へそれを披露して和ませている。

「御優しい気配だ。サイロウと考えが異なると仰るのも頷けます。ですが、そう為らば一層、我々の持つ技を知るべきではないでしょう」

 頑なに拒む男覡。

「それは、魂を黄泉へ送る術の事でしょうか?」

 カエデから聞いた話では、地蜘蛛衆は黄泉送りの寿ぎを持つという。ミクマリ達の里の高天へ昇るの資格ある魂も、その術に捕らわれた。

「その通りで御座います。他には珍しい術は何も持ち合わせておりません。非情の術故、貴女様には無縁。知る必要も御座いませんでしょう」


 握る小さな手に力が籠められ、童女の洟の啜る音。

 送る術があるならば、戻す術や行き来する術も有するかもしれない。

 黄泉國(ヨモツグニ)で民達の怨嗟を抑え続ける実の妹を思い浮かべ、アズサの手を優しく握り返した。


「その非情の術にも、意味と役目が御有りになるのでしょうと理解しております。ですが、貴方達の内からサイロウへ手を貸す者が現れ、あの暴虐の王も好んでそれを行使すると聞きます」

 一つ一つ順序立てて切り込んでゆく。


「矢張り、サイロウの手に渡ったか……!」

 黒き巫女が拳で地面を叩いた。


『……どうやら、地蜘蛛衆も一枚岩ではないと見えるな』

「仰る通りです。流派の中で、考えの違いからその流れを別つ出来事が御座いまして。この地を出た者達が進んでサイロウに手を貸しております」

『流派に就いて話せ』

「不出の事であります故、拒否をしたい処で御座いますが……」

『話さねば滅する』

 ゲキの霊魂の色は翡翠から深緑へと変じている。

「ゲキ様!」

 思わず声を上げるミクマリ。だが、直ぐに心を落ち着かせる様に努めた。彼の巫女である自身が恨み辛みの対岸で踏みとどまらねば、鬼神は荒魂を以てここを泯ぼしかねない。


……姉様、ゲキ様。だんないよー。落ち着きやー。身内にだけ届けられる童女の声。


『……』

 変色は収まり、巫女の霊簪(タマカンザシ)と同じ色を湛え始めた。

「霊気を交え合う事はしたくありません。御役目についてお聞かせ願います」

 息を吐き、再三の交渉。


「貴方達がお求めなのは、我々の役目の話やサイロウへの対抗策ではなく、黄泉送りの術に抗するものでは御座いませんか? 或いは、御霊を黄泉よりこちらへ引き戻す法……」

 年増の男覡が訊ねる。


「……」

 ミクマリは沈黙した。訊ねられれば正直に答える手筈にはなっている。だが、仇本人である可能性が薄いとはいえ、これを口に出すのは容易では無かった。


「矢張り、ここを出た連中が貴女方の里へ手出しをしたのでしょうね」

 黒き巫女が項垂れ、歯噛みする。

『そうだ。俺達の里は黒衣を纏いし術師共に泯滅(ビンメツ)せしめられたのだ』

「袂を分かったとは言え、元は(トモガラ)の犯した罪。深くお詫び致します」

 黒衣の術師達は地に沈み込む様に顔を下げた。

「ですが……御期待には沿えません。黄泉よりこちらへ招き返す術は伝わりません故に」


 ミクマリは妹の手を強く握り、その顔を見下ろした。

 アズサの見つめ返す瞳は潤んでおり、手は握り返さず、また鼻汁は流れるままにされていた。


『……無念だ。だが、お前達は何故この様な術を持たねば為らぬのかを知らぬままで済ます訳にはいかぬ』

 霊声も何処か震える様に響いた。

「御話し致します。貴方達には知る権利がある。ですが、こんな処に立たせ続ける訳にも行きませんから、我々の村へと案内致しましょう」

『招き入れても良いのか? 俺は自身の鬼を抑えるのに精一杯だ』

「形だけでも謝意と誠意を御見せ出来ればと。尤も、何処であろうが、貴方達がその気に為れば、こんな村等は瞬く間に滅する事が出来るでしょうが」

『容易かろう。だが、俺の巫女はその様な事はせぬ。させぬ。そうだな? ミクマリよ』

 ミクマリは無言で頷いた。

「本当に、申し訳御座いません」

 黒き巫覡達は繰り返し謝った。



 失意の中、仇色(カタキイロ)に染まった村の中を案内される。

 若い男女の巫覡は村周りの罠の清めへと向かい、案内するのは傷痕を持った年増の男覡。

 彼の名は“(オクリ)”と言った。地蜘蛛衆の長。現在、この村に残る術師はたったの三人。

 役目への解釈の違いからの分裂で、役目を放棄した連中は全体の大半を占めており、巫力術力に長ける者も多く在った為に、流派は殆どその力を失ったそうだ。


 先程見掛けた大きな建物とは別の小屋へ案内され、食事を供される。

 先ずはアズサが舌先を付け、それからミクマリが続いた。

 出された食事は持て成しと懺悔の印で見事であった筈だが、舌も鼻もそれらを記憶しなかった。


『で、その役目とは何だ?』

 ゲキが訊ねた。

「“高天の穢れを送る”のが役目で御座います」

 オクリが答える。彼の後ろには、仕事を済ませた先程の男女の巫覡も控えている。

『成程な。高天國でも穢れは発生する。向こうでも(ハラエ)は行われるが、どこへ去るのかが疑問であった。お前達は、高天から放逐された夜黒の者を滅する立場にあるのか』


――だとすれば、非常に尊い役目だわ。


「違います。“送る”と申し上げました。黄泉送りの寿ぎも、本来はそれにのみ使うべきものです」

『送る? 詰まり、黄泉國(ヨモツグニ)へという事か? それが鬼に成り地上に出て来れば、また巫覡が滅する。二度手間では無いか』

「正確には、“贈る”。贈り物や貢物に当たります」

『その様なものを貰って喜ぶのは“欲深なる母”位だが……』

「はい。我々の流派は彼女の機嫌を取るために高天からこの地を通し、黄泉へ鬼を送るのが役目で御座います」

穢神ノ忌人(サグメノイワイビト)か』

「穢神ノ忌人としての任を隠す目的で、避けられる様に自ら蟲を名乗っております。以前は只の“(ムシ)”でしたが、今は地蜘蛛の名を借りています。それは流派が分裂した以降で、村外の者達向けの名称として、分流した者達が自ら付けました。獲物を地に巡らした巣へと引き込む母への皮肉を込めています」

『故に、巫覡のみが蟲の名を持つと言うのだな』

「はい。村民達は無関係です。彼等にも我々の真の役目を知らせておりません。穢れや罪は全て我々の内のみにあります」


――虫が良すぎるわ。


 嘗ての里長は胸を押さえた。自身が同じ立場でも民を護るだろうが、今の彼女には呑み込み難かった。


『よもや、黄泉の手がそこまで回っていたとはな。それで良く高天との均衡が取れておるものだ』

「……全く、分からぬ話です。それも母の機嫌が取れてる故なのでしょうが。なので何卒、我等に任を全うさせて頂きたい」

 黒衣の巫覡達は手を付き、再び頭を下げた。


「……」

 睨むミクマリ。役目を放棄した者の所為で自身の里が失われた。彼等が止める事が出来ていれば……。


 ふと、ミクマリの衣の大袖が引っ張られる。アズサだ。顔を見ると彼女は洟を啜った。

『嘘があるという事か』

 ゲキが(ハバカ)らず言った。

『隠しても無意味だ。こちらには嘘を見抜く術がある。腹を探る為に黙っておったが、今度は全て吐かせる為に使わせて貰うぞ。どれが嘘だ? 均衡の理由か? 母の機嫌が取れているという事か? 任を果たすという事か……』

 里の守護霊が揺らめく。


『それとも、謝罪がか』


「……」

 黒衣の巫覡達は顔を見合わせた。オクリが頷く。

「最後のみ半分。我々の責は重く無い故。残りは全て嘘で御座います」


『ふん、謝罪までも否定するか。アズサ、どうだ?』

「嘘はない様です」

『そうか。オクリよ、さっさと話せ。それとも任を果たす気が無いのなら、このまま黙って真実を高天や黄泉まで持ってゆくか?』

「御話し致します。ですが、これは他言無用に願いたい」

『願える立場だと思っておるのか?』

「思ってはおりませぬ。ですが、覡國に暮らす巫覡全てを揺るがす話であります故……」

 そう言うとオクリは口を閉ざした。だが、その目はこちらを真っ直ぐに見つめている。


――他の巫覡を思いやっていると言いたいのね。

 無論、ミクマリはその目を信じる気が起きなかった。言葉はアズサが暴ける。無言の訴えは則ち、信ずるに値せず。

 尤も、アズサが彼の誠意に嘘はないと言った処で、それも信じはしなかっただろうが。


『……分かった。俺達の胸に留めて置こう』

「では、御話しします」


 高天の穢れを黄泉へと送り込む地蜘蛛衆。その頭が語る、余りにも身勝手な話。

 身勝手とは黒衣の集団に非ず。古ノ(イニシエノ)大御神(オオミカミ)也。


 覡國に暮らす巫覡は、貴き御霊を高天へ送り、覡國に発生した穢れを滅する役を担うとされる。それに依って、三國の均衡を保つのが目的である。

 高天國は神々の住まう國。彼等はこの世の多くを司り維持する。穢れは彼らにとっても毒である。

 黄泉國は穢れと死者の集う國。しかし、穢れや魂の大半がそこへ向かう為、溢れ漏れだし他の國に害を為す。

 覡國は生きる者と巫覡の住まう國であり、余分な穢れを清め消滅させ、高天の欠けを補う為に相応しい御霊を送る為にある。

 高天國に逝った御霊や精霊は、地上の信奉に応じて天降(アモ)り、国津神(クニツカミ)へと変ずる。

 国津神はその地に暮らす者達の安寧と繁栄を目指す役を担い、地上のものの幸せを達する事で黄泉へ力を渡す事を遠回りに抑制している。


 穢れや邪気等の悪性のものが凝縮されれば、稜威(イツ)なる存在が生じたり、依り代と為ったものが変容する。

 それが鬼。鬼もまた、均衡に関する役目を担っており、黄泉國にて穢れを集め地上へ影向(ヨウゴウ)し、滅される事で黄泉の力を削ぐ助けをしている。それは鬼自身の与り知らぬ処ではあるが。


 為らば天津神(アマツカミ)は何者か。

 彼等に任はなく、唯、在るのみだという。在る事が万物を司る事に繋がり、その存在、意思こそが答え。

 人の下す正邪を超越する存在であり、全ての國と民は、自分達の為に存在していると言って憚らない。

 国津神も口ではそう言う者も居るが、実際の処は司るものと存在を紐づけられている為に、厭が応にも土地や生き物の為に働かねばならない。

 人よりも尊き巫覡、巫覡よりも尊き国津、国津よりも尊いのが天津。それが彼らの言。


 だが、事実は違うのだとオクリは語る。国津神にとって土地や自然物が先に在りきである様に、天津神よりも先に森羅万象は存在している。

 天津の神々も悪迄、司るものであり、森羅万象へと仕える者なのだ。

 依って、柱々の自由よりも森羅万象の平定と循環を優先すべきである。


「故に、循環を狂わすこの役目に不信を持ったのです」


 神々の父から神々の母への贈り物。

 二柱は、ある時に生死に依って暮らす國を別ちたと云う。

 夫は愛する妻を求めて黄泉に足を踏み入れたが、死んだ彼女の身体は腐り(トロロ)き、穢れと炎と雷に包まれていた。

 それに加えて、黄泉國の臭き事と(キタナ)き事。夫は辟易して、追い縋る妻を棄てて逃げ帰った。故に二人の仲は國だけでなく、心までも遠く離れた。


 この二人の仲を取り持とうとするのが、石の社の里に本部を構える社の流派であり、その為に信仰を広めている。だが、オクリの見解では、人の信心程度でどうこう出来る話では無いだろうとの事だ。


 そして、当の地蜘蛛衆。彼等、“贈りの流派”は神々の父の命を受けて、黄泉の主として根付き“欲深なる母”と成った女神“神々の母”への機嫌取りを行っている。

 彼女の機嫌が取れれば、幾ら黄泉に魂や穢れが溢れたとて、覡國を害する事はないという。ましてや更に遠い高天國は言わずもがな。

 しかし、彼女は贈り物の受け取りを拒否しており、それは結局、鬼として地上へ戻って来るだけと為っているらしい。

 母の色濃き後胤(コウイン)である古ノ大御神が奔放で、時に地上に(マガ)(モタラ)すのも、母を求めての事では無いかとの事だ。


 つまり、巫覡の行う(ハラエ)は、一部の神への極個人的な尻拭いだという事に為る。


「尤も、これらは我が流派に古来から伝わる話に過ぎず、大御神夫妻が宣われた話でもないのですが……」

 オクリは天井を見上げた。


――それが本当なら、多くの巫覡が心身に制限を掛けて、人生を賭けて行っている事は何なのだろう。

 人としての用を為せなくなった胎が疼く。


『俺は今更驚かん。察しは付いていた。オクリよ、任を果たす際は儀式を行うのか? それとも、向こうから送られて来るのか?』

「儀式ですが、“贈り物”は父に依り気紛れに溜められ続けているので、定期的に下ろす必要があります」

『アズサの見抜きと話の筋から大体分かったが、本当に任を放棄しているのは、お前達の方だな?』

「……はい。我々は神々の遊びに付き合う気が失せております」


――私と同じだ。私の里を泯ぼした人の身内なのに。


『もう一つ訊ねる。頭であるお前以外が、贈り物を下ろす事は出来るか?』


「……」

 オクリが沈黙する。

「出来ません。高天よりの贈り物をこちらへ運ぶには、神楽が必要で、それは我々の中でも一部の者にしか明かされぬものなのです」

 黒き巫女が代わりに答えた。若い男覡も頷く。


『詰まり、頭であるお前が儀式を渋った故に、村を抜けた連中は別の手立てで母への贈り物を作り出している訳か?』

 祖霊の冷たき炎が赤黒く変じた。

「そうです。本来、黄泉送りの寿ぎも一部の者だけに伝えられる技。村抜けの者には伝授された者も数人おりました故に、今はどうなっているか見当も付きませんが」

『豺狼の軍門へ下る事を止めなかったのか?』

淹悶(ウンザリ)でしたからな。神や王、身内が勝手をしても良いのなら、我々も只静かにこの村で生きる権利がある。それに、私よりも優れた先代の頭も加担しておりましたしな」


――だったら、私の里は何なの?


 嘗ての里長もその整った顔を怒りに歪ませ、立ち上がった。黒衣よりも深き色の提髪が激しく揺れ、小屋が悲鳴を上げた。


「姉様、ゲキ様。一つ嘘があります」

 アズサが言った。それでも二人は気を抑えようとしない。

「オクリさん。お答え下さい、全ては貴方が儀式を渋った所為なのですか?」

 口の代わりに気を開く師達に代わって、アズサが訊ねた。


「“否”で御座います」

 オクリはこちらを真っ直ぐに見て答えた。

「彼は嘘を言っていません」

 アズサも真っ直ぐに見上げた。


「信じられない」『俺もだ』

 小屋の屋根が飛び、柱が傾く。


「姉様、うちを信じて。ここで彼等に手を下しても、きっと意味がありません」

 見詰める妹。ミクマリは唇噛み締め、荒ぶる大袖と提髪を鎮めた。

『申し開き位は聞いてやる』

 赤黒き魂が言った。

「オクリさん、早く続きを!」

 急かすアズサ。

「元より、袂を分かった者達は、この狭い村で納まっている様な性質では無かった。任の重大さと、降りる穢れの量の気紛れさに依り、巫覡の数は余る程に育てられていた。それだのに無用の旅を禁じられ、唯ここで腕を磨く日々。当然、任への不満と疑いを抱いておった。それは残った我等も、そして今でも同じ。だが一点、彼等と我々で違う点があった。我々は母を疑い、彼等は父を疑ったという事。我等は各々に疑問を持ちながらも、任務を全うし続けた。しかし、そこへサイロウが現れたのだ」

『ふん。また奴か』

「あれは今から二年程前か。勿論、我々もサイロウの噂は知っていた。だが、他の村へ(オコナ)った様に、我々を押さえ付けようとはしなかった。代わりに、“自分は一度死して黄泉へ行った事がある”と語った。“故に、お前達の村の言い伝えは真実で、非は妻を見捨てた夫に有り”と。そして、もっと多くの貢物を母へ送る事を提案したのだ」

『呑んだのか?』

「呑んでおりませぬ。奴は確かに黄泉の臭いをさせていましたが、故に信用が出来なかった。不出である筈の我々の流派の役目を見抜いていたので、何か隠された事実を知っての事だとは思いますが……。残った者で天からの贈り物を下ろす事が出来るのは、現在は私のみ。私はこれまで通りの均衡を保ちたかった。神の夫婦の話なぞどうでも良い。唯、人間の巫覡としての任を全うしたかった。一方で父を疑い始めた者達、自由、戦いへの渇望、理由は様々ですが、多くの者がサイロウの唆しに乗って村を出た。その内に聞こえて来たのは我々の嘗ての同輩の加担した惨忍事の数々。私が儀式を止めたのは、その後だ」

 迫る鬼の魂に急かされ早口で並べられる御託。

『儀式は何故止めた。平穏を求めるのならばこれまで通りで良かろう』

「サイロウに手を貸した連中も、魂を黄泉に送る法は心得ています。父への疑いを口にし始めた者達は、父を通さない形での母への(ミツギ)を考えるかと。故に、彼等が起こす惨忍事と差し引きに為る様に、儀式を中断しているのです」

『ふん、それでは父が納得せぬぞ? ……アズサ!』

 ゲキが怒鳴った。

「嘘は吐いていませんが……まだ何か隠していますね?」

 アズサは溜め息を吐いた。

「贈り物は鬼です。地上で暴れるのが本分。黄泉への送還を嫌う事があります」

『要は、鬼に勝つ自信が無いからか』

「はい。溜まる穢れは気紛れで、下ろされる鬼の強さもまちまち。中には黄泉行きを素直に受け入れぬ者も居ります故、その場合は力付く。以前は容易い仕事でしたが、三人では難しいのというのがあります」

『……良かろう。ミクマリ、聞いての通りだ。元凶はサイロウと神々だ』

 魂の色を本来の翡翠に戻しつつ言うゲキ。

「分かりました。でも、もうここには居たくありません。充分です」

『俺も同意見だ。腹は立ったが、有益な話は聞けた』

「有益? 復讐の道は変わりません。斃さねば為らぬ者の数も」

 ミクマリは唇を噛む。ある点では引っ掛かりは取れた。妹の復活に愚かな希望を持つ事もない。唯々、淹悶(ウンザリ)だ。


『妹巫女と民にこの話を伝えれば、恨みはサイロウに絞られるやも知れぬ』


「ゲキ様、何を仰っているの? あの子達は、黄泉に居るのにどうやって声を……」

 ミクマリは声を震わせて訊ねた。


『お前がサイロウを斃せ。さすれば全ての者が救われる』

 祖霊の魂が、再び赤黒く燃え盛った。


******

後胤(コウイン)……末裔、子孫。

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