巫行080 猿女
路は木も無く草も生えず、二つの村に依り長らく愛用されてきたのが窺える。
道半ば程で後ろから村民の男がやって来て、隣村に何用かと訊ねられた。
アズサは忌憚なく自身の猿巫女への疑いを述べると、男は「アズサ様の言う通りかもなあ」と唸った。
猿巫女は矢張り、以前から自身の思い通りに事を運ぶ為に、呪いを行っている事が疑われていた。
彼女は男を捧げさせる為ならば何でもするらしい。
自分から自分にしか解決できない問題を作り上げたり、自身から出張って、先の巫行の礼が足りぬと難癖を付けて生贄の男を取り立てて行く事もあったそうだ。
そこまでも贄の苛斂誅求を厳しくされて、どうして誰も猿巫女を糾弾しないのだろうか。アズサは首を捻る。
彼の豺狼の王の様に、力を誇示する事で村民達を抑えているのだろうか。こう為れば術師同士の霊気のぶつけ合いも覚悟しなくては為らないだろう。
村の男と共に隣村へと足を踏み入れる。矢張り普段から行き来がある様で、彼が立ち入ってもそれを気に掛ける者は居ない。
「んじゃ、俺は用事あるから。アズサ様、気い付けて下さい。まあ、あのお二人のお弟子さんやし、大丈夫やと思いますけど」
男はそう言って一件の小屋へと向かって行った。彼が訊ねると、小屋からは直ぐに若い女子が顔を出した。
女子は頬を染め、男を小屋へと引き込んだ。小恥ずかしい言葉のやり取りが聞こえる。
――そーかあ。村同士でも仲良しがおるんやから、神様の事で揉めると困るなー。
猿巫女への配慮として、こちらの村と下流の村で川神を奉る事は未だ伏せてある。
練達した呪術師である以上、精霊の存在にも気付いているだろう。森で見かけた猿の蟲は十中八九は彼女の仕業。
自身が川神の巫女として立てられなかった事を不服に思っての蟲の使役だったのだろうか。
だが、些細な巫行に対しても男を贄として要求するという残虐なる女には神の使いの任は不適切だ。
猿を蠱った事の裏を取ったら直ぐにでも捕え、盟神探湯に掛けようかと考えていたが、ここの村民達が独裁に苦しむ側か加担する側かだけは確かめて置かねばなるまい。
アズサは一旦村から離れ、木陰から隣村の様子を窺う事に決めた。
昼間という事もあり、村には男は余り見当たらず、女達が土器や獣の肉皮の相手をしている姿ばかりだ。
農村という事で男達は何処かに持つ田畠へ出ているのだろう。
意識を集中して、彼女達の仕事片手間のお喋りに耳を傾ける。
「また、うちの人が“サル”の世話に為っとったみたいで、寝てる時に股をぼりぼりやるんやわ」
「そら、厭やなあ。うちはそろそろ二人目を考えてるから、そうならんようにして貰わんと」
「あんたは良いやない。旦那が下手惚れなんだから。余程の事が無い限りは、サルの世話を受けたりなんかしないやろ」
「あー、実は……」
「なんやあったんか? 旦那さん取られたんか?」
「いやな。この前、旦那が大根と交換で、気分が良くなるとか言う茸の粉末を貰って来たんやわ。うちも勧められたから試したんやけど……」
「やけど?」
「ほんまにご機嫌でな。夜が捗ってもうてな」
「ああそう……。あんたも気ぃ付けや。大根やなくてほんまに旦那取られるよ」
「言うても、旦那がやる事やしなあ」
「そうやって使うからサルが好い気に為るんやわ。男共も関わるの厭がっとる癖にな。自分が取られんかったらそれでええんか? って話やで」
「村長が止めてくれはったらええんやけど……」
「無理無理。村長はサルの言いなりやもん。それより聞いた? 村長と言えばさ……」
「またあれやろ? イノさん処の奥さんに、サルの気をイノさんから他に逸らしたるから言うて“お手付き”したっていう話やろ?」
「ちゃうねん。それで、イノさんはサルに呼ばれん様に為ったけど、今度はナメシさん処の旦那さんがサルに……」
「ええ!? それやったらナメシさんが村長に!?」
「声が大きいわ。見てみ、ナメシさん革干したるで」
「聞こえへんやろ……ここからやったら。せやけど、ナメシさんお腹大きなって来たんやないの」
「だから大丈夫やろって、村長言うとったわ」
「言うとったって、あんた覗いたんか」
「せやで、がん見やで。ナメシさんも満更でも無い感じやった。その大きな棒で、悪い穴に罰を与えて下さい! とか言うてな」
「はえー。ナメシさん処の旦那さんて、でかい言う噂やったろ? それよりもか」
「なんや、村長はサルの呪術で、でっかくして貰ろうた言うとったわ」
「はえー。サルも流行らせるんやったら痒くなるのよりも、でかくなるのは流行らせたらええのになあ」
「でかくても、ええもんやないわ。男共はでかい方が元気で丈夫な子が生まれるて信じとるけど、そうやない気がするもんなあ。うちの子は元気やしな」
「それもそうやな。でかい言うたらお祈り用の石の方がよっぽどやし。それにしても、村長もお手付きが酷うなって来たな。うちの妹に隣から“好い人”が通ってるんやけど、どっちも心配やわ」
「サルもどっか行かんかなー。何だかんだ、うちらも男共取られん様に巫女の仕事真似る様に為って久しいし、もう居らんでも困らんやろ」
「元々は居らんかった奴やしな。歩き巫女には碌なもん居らんって噂、ほんまやってんな」
「あー、そうでもないらしいで。隣には今、“ほんまもんの巫女さん”が訪ねてるらしいわ」
「はえー。せやったら、サル追い出してくれんもんかなあ……」
――ふむ。
アズサは女達のお喋りの意味が今一つ分からなかったが、分かった様に頷いた。
要約するとこうだ。この村でも猿巫女は男を捧げ物にさせている。命までは取っていない様だが、村民達は迷惑している。
ここの村長は猿巫女の言いなりで、贄になる男の嫁さんの方にも何かしている様だ。恐らくは、男を生贄にする事を頷かせる為に脅しているのだろう。
――そして、皆はうちに助けを求めているんやにー。
アズサは眉毛を上下に動かし鼻を鳴らした。
猿巫女に関しても幾つか情報が得られた。
サルは村を陰で操ってはいるが、元々はここの者ではないという事。今や彼女の巫行は村には無用の長物となり、居なくても困らないという事。
そして何よりも、人間の身体を巨大化させる程の恐ろしい術力を有する実力があるという事だ。
呪術師は隠し玉を持っている事が多い。昨晩の蜈蚣三匹が切り札であれば、このままふん縛っても構わないが、万一手落ちがあって犠牲者が出ても面白くない。
アズサはもう少し村の様子を窺う事にした。
暫く噂に耳を傾けていると、村の外から何やら妙な音が聞こえた。
何処かで聞いた音だったか、それが村へと近付くのを感知しながら記憶を探る。
空転鈴々。
――そや、あれは楽器や。
御使いの流派での神楽で用いられていた楽器の一つ。
空洞のある丸みを帯びた土器に細工を施し、揺らせば音が鳴る様に作った品。土鈴だ。
草叢を掻き分け、音の出処へと向かう。
見つけたのは大小の土鈴を束にして握った奇妙な女。戦好きの火術師よりも短い髪は真っ白で、顔には不気味な化粧。
戦士の化粧は相手を威嚇するものが多く、巫覡の化粧や入れ墨は流派や神に関わるものが多い……が、あの化粧の意味は分からない。兎に角派手だ。
衣装もまた同様で、贅沢な染め物の衣を重ね着しており、耳には輪の飾り、手首や首にもじゃらじゃらと勾玉、管玉が煩い。
それから、年増の女とは聞いてはいたが、想定していたよりも更に年寄りだ。
衣から覗く手足や首は子供でも殴り合いで勝てるのではないかという程に貧相。
そして勿論、顔は潰れた猿の様だ。
――きっしょいなー。あれじゃ化けもんやにー。
老婆が立ち止まる。
気付かれた? アズサは草叢の中へ頭を引っ込めた。
老婆は懐から何やら蓋付きの小さな壺を取り出すと、それの蓋を仰々しく外した。
壺には霊気が籠っていたが、蓋が開くと同時に可也の濃度の夜黒ノ気が漏れ出て来た。
壺が掲げられると、村の方からゆっくりと薄い邪気が引き寄せられてくるのが見えた。それは壺の中へと吸い込まれて行く。
悪口や、いら付き程度の些細なものからも生まれる邪気。それらを集めて夜黒ノ気へと育て、強力な術の糧にしているのだろう。
老婆から感じる霊気や壺に籠っていると思われる気は、それ程に強力なものではない。アズサでも容易く打ち破れる程度だ。
しかし、呪術師の本領は霊気のぶつけ合いではない。自身も呪術を識る身として、それは良く理解している。
「さっきので殆ど使っちまったね。壺の吸いが良い。……全く、あの魚め、手間取らせおって。また恨み辛みを集めないとな。ま、男女の仲を引き裂くのは愉しいから構わんがの」
――魚言うとった……若しかして。
「こらあ、猿巫女! お前、精霊様に何しとー!?」
アズサは堪え切れずに飛び出していた。
「むっ、何奴っ!?」
猿巫女は鈴を鳴らしてこちらを振り返る。
「童ではないか。しかし、見掛けん顔。妙な衣に妙な入れ墨。さてはお前、巫女か?」
「お前に妙とか言われとーないわー! 村で散々悪さ働きよって、盟神探湯に掛けたるさー!」
「悪さ? 儂は感謝されとるんじゃがのー?」
恍けた顔をしながら股座に手を突っ込み、ぼりぼりとやる老婆。
「狙いは何ぞ?」
アズサは弓を取り、霊気を込めて弓端を撓らせた。
「恐いのう。儂を殺そうと言うのか。一度あの世を見た身である故、命は惜しくはないが……。儂を殺すと、あのでかい鱒がどうなるかのう」
老婆は股を掻いた指の臭いを嗅ぎながら言った。
「言っとくが、儂を斃しても術は解けんからのう」
「……」
遅かったのだ。精霊は呪術に嵌められたとみて間違いないだろう。
見立てを使った呪術である場合、元凶を破壊しなければ呪いを解いてやる事が出来ない。
「若い癖に儂が何をしたか気付いた様じゃな。その通り、御主は儂が呪った木彫りの鱒を見付けねば為らん。もっとも、厳重に隠しておるが故、あの精霊はもう永遠に儂のものじゃが。神に成られると厄介じゃからの」
「何で、そんな事するん?」
「そりゃ、儂が男を喰うのを止められるからじゃ。神が産まれれば巫女が要るのは道理。じゃが、儂は神に縛られるなど真っ平。かといって、神を滅する力等持たぬし、害し過ぎて悪神に成られても手に負えぬ。故に、この天才的な匙加減で精霊を抑え込み、遊ばせて貰っておった訳じゃ」
「自分一人の為に他のもん不幸にしたらあかん! 生贄も止めりー!」
逆ならまだしも。嘗ての生贄の娘は叫んだ。
「生贄? よう分からんが、人生なぞ、愉しんでなんぼのもんじゃろが。お前さん、例の川の傍の村に来た歩き巫女じゃろ? だったら、儂のやっとる事の愉しさが分かる筈じゃろ? こちら側だと思って放って置いたのじゃが……」
「お前と一緒にせんな!」
「噂に聞いておるぞ。お前達姉妹は、“凄い”そうじゃないか」
「せや。うちや姉様はなー、お前より立派な巫女やにー!」
「どうじゃ? お主らはそちらの村の男達、儂はこっちの村の男達で分けるとして手を打たんか? 精霊の神化に気付くのがもっと早ければ、そっちの村から攻略したのじゃがな、そっちの方が狩人が多いせいか、精のある旨そうな男が多くてのう。最近になって味見を始めたのじゃが、すっかり腰を痛めてしまった」
猿巫女は腰を叩きながら言った。
どうも先程から老婆からは敵意を感じない。霊気を練る様子も無いし、辺りに蟲の気配がある訳でもない。
さりとて、訊いても呪具の場所を吐きはしないだろう。
「要らんわー。この人食いめ!」
「いやいや。お前さんの姉君の方が喰っとる様な話を聞いたが。儂は男専門じゃが、姉君は子供も女も喰うそうじゃないか」
老婆は畏敬の念を示す様に鈴を持った手を擦り合わせて拝んだ。
――こいつ!
「姉様の悪口を言うな! 姉様がそんな事する筈ない!!」
怒りに我を忘れたか、貯えていた霊気が音矢ノ術と成り解き放たれる。
「ぎええええええ!!!」
汚らしい悲鳴が上がった。
幸い、腹を立てたアズサの狙いが正確で無かった為に、猿巫女は死なずに済んだ。……が、肩を掠めた矢は彼女の右肩を真っ赤に染め上げていた。
「貴様ぁ! 貴様ぁ! 折角、仲良う商売しようと持ち掛けたというのに! 力付くで来ると言うのか!! もう許さぬ!!」
左手で激しく打ち鳴らされる土鈴。
辺りに鈴々空々と鈴の音が響く。
すると、森の方から三匹の獣がやって来た。
「お猿……」
森で出会った猿だ。昨晩は暗くて良く分からなかったが、こうして陽の光の下で見ると中々に愛嬌のある顔をしている。
「ひっひっひ。儂が何故、“猿巫女”と呼ばれるか知っておるか!? この猿達には六度の蠱毒に依り鍛えに鍛えた蜈蚣を仕込んであるのじゃよ。儂の伝説的な術式に依り力を増し、華麗な猿術殺法に依って猪にも打ち克つ強さを秘めておる。儂の命令なら何でも聞く忠実な僕じゃ。この恐ろしい三匹を使役するが故に、儂は猿巫女と呼ばれておるのじゃ。力付くは好みでは無い故に最終手段じゃが、村民共が暴力で手を打たぬ理由はここにある!」
自慢気に語る猿巫女。アズサは猿達を霊視したが、矢張り腹に蟲は見当たらなかった。猿達はこちらに向かって小さく手を振っている。
「それで、そのお猿でどうする心算なん?」
アズサが訊ねる。
「ひひひ、どうされたい? 話に依れば、姉だけでなくお主も中々のものらしいが、猿の相手をした事は無かろう? 此奴等は全て雄猿じゃ。儂の調合した薬を使って太くした“もの”で攻めるというのも愉しいじゃろうなあ?」
卑しい笑いを浮かべる老婆。
「好きにすればええんちゃう」
アズサは肩を竦めて老婆を鼻で嗤った。
今の猿達が彼女の言う事聞くとは思えない。仮に聞いたとしても、猿とは一度戦って勝っている。巨大化したとしても的が大きく為るだけだ。
自身が既に負けている事に気付かせたら、畳み掛けて木彫りの魚の場所を聞き出せば良いだろう。
「何じゃお前。猿とやりたいのか? じゃが、もう遅いぞ! 儂の肩の仇じゃ! 行け、我が忠実なる僕達よ! 小娘をばらばらに引き裂いてしまえぇいっ!」
老婆は土鈴をこちらに向かって大きく振りかぶって指し示した。
だが、猿達は当然、彼女の命令には従わない。
「どうした? 儂の命に従わぬか!? 逆らえば蜈蚣が貴様等の腹を喰い破るぞ!?」
猿達はそっぽを向いた。
「早く! はぁやぁくぅしぃろぉおおおおっ!!」
地団太を踏み喧しく嗾ける老婆。鈴や装身具が喧しい。
余りにも足を激しく踏み鳴らした為に衣の裾がめくり上がり、汚らしく荒れた番登がちらりと見えた。
猿達はそれぞれ長い手を使って、耳を塞ぎ、口鼻を押さえ、目を覆った。
「何故従わぬぅぅぅ!? 罰してやるぞ!! ぬっ!? ……蟲の気配が、無い!?」
「せやなー。うちが祓っておいたからなー」
「ぬううう!? いつの間に!? 為らばこれでも喰らえぇえぇええぇぇええええっ!!!」
擦り切れんばかりに上げられた大声と共に、猿巫女は異様な構えを取った。
何か術が来るか!? アズサは霊気を高めて呪術への護りを高めた。衣の中には姉から貰った御守りもある。だんないだろう。
「きぃええええええっ!! ぬぅおおおおおおっ!!」
奇声発しながら身をくねらせる老婆。だが霊気の高まりも邪気の変化も感じない。
若しや、彼女が呪っているのはここではなく、別の何処かか。村か、それとも精霊か。
「嘗て凶悪なる水分の巫女と渡り合った最強の舞を見よおおおおおっ!!」
土鈴激しく振り振り踊り始める猿巫女。
アズサはあちらこちらを見渡し、場の変化を確かめる。
響き伝え聴くは調和と探求ノ霊性。
識別域の大きく広がった音の探知。
余計な音は拾わず、生き物の悲鳴や邪気のみに絞って耳を澄ます。
「……?」
特に異変は無し。為らば、今の技は何だったのか?
「お前、一体何……あっ、しもた!!」
はたと気付いた時には、猿巫女は既に背中を向けて森の奥へと疾走していたのであった。
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苛斂誅求……厳しく税を取り立てる。この場合は生贄の取り立て。