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巫行073 言葉

『お前は一体何者だ?』

 厳しい霊声(タマゴエ)の問い掛け。


「お前だなんて失礼だな。僕は君達が古ノ(イニシエノ)大御神(オオミカミ)と呼ぶ者なのに」

 ミクマリは柔和な笑いを浮かべた。

 その顔は確かに彼女のものであったが、僅かに残った邪気(アドケ)なさは見当たらず、何処か神々しい美しさを孕んでいた。だが、声は澄んだ青年のものである。


「姉様、どうしはったん?」

『ミクマリの身体に神が勝手に入ったのだ。それはミクマリではない。気配の質が読めぬ故、油断をするな』

 ゲキに警告され、アズサは小屋の端に後退る。

「勝手にって、この子のお腹に印があったのに。あの印は“御自由にお使いください”って意味なんだけどな」

 神は頬を掻いた。

『……御神よ。どういった御用件か』

 ゲキの霊声(タマゴエ)は警戒色を示す。


「舞が美しかったからね。他の神に抜け駆けして、逢いに来たんだ。僕は言葉の神だ。まさか言葉の無い舞に魅せられるとは思わなかったよ。流れる身の熟しに硬い意志。

木花(コノハナ)に散り、石長(イワナガ)に変わらぬ美しさとは、まさにこの子の事だね」

『言葉の御神が何の御用件か。ミクマリに逢いに来たの為らば、その身に入らずとも良いではないか?』

「ふふ……僕は、君に警告をしに来た」

 ミクマリの貌が愉し気に歪む。

『警告?』

「何から話そうか。……言ってやりたい事は沢山あるんだけど」

 首を捻る神。それから、人差し指を立てて言った。


「まず一つ、“あの女”に近付くな」


『あの女?』

「ミクマリちゃんはちょっと黄泉(ヨモツ)に近寄り過ぎだ。夜黒ノ気(ヤグロノケ)とは正反対の気質を持つ癖にね。“最初の子”に気に入られたのは拙かったと思うよ。そのせいで“あの女”がずっと彼女の事を見ている」

『“欲深なる母”の事か』

覡國(ココ)ではそう呼ぶんだっけ? 彼女は黄泉國(ヨモツグニ)の主だ。それに魅入られるのが碌な事じゃないのは君も分かるだろう?」

『ミクマリが鬼に成るとでも?』

「成らないでしょ。里を(ホロ)ぼされて、その上で君に酷い目に合わされ続けて来たのに、まだ頑張ってるんだから。これ以上酷い事なんて、そうありはしないでしょ?」

『言ってくれるな。見てたのなら事情は知っているだろうに』

「知ってるからだよ。君が離れていた時の事だから知らないだろうけど、彼女はこれまでに届く筈の無い祝詞(ノリト)を上げ続けて来た。母でもないのに水子を寿ごうとしたり、鬼にまでにも寿ぎを験したりね」

『鬼にまで? 知らぬな』

「どちらも効果は無かったけれど、そのまごころは本物だった。彼女の言葉は僕の心に響くんだよ。だから、ついつい偸み見てしまった。そしたら何だい? 君は彼女と里の守護者の筈なのに、騙したり隠したりし続けて、大した説明も無しに危険へ放り込んでさ。ミクマリちゃんが可哀想だよ」

『ミクマリの気質を知っているならば、叶えようとしている大願への気持ちにも嘘が無い事は分かる筈だ。喩え今が辛くとも、その先には幸せと安らぎが待っている』

「そうだね、嘘はない。彼女は優しいから。でも、同じ人間は還らないよ。他所から人を集めて里を興しても、それは彼女の生まれ故郷じゃない。守護霊の君からすれば、信者の信心さえあれば何でも同じなんだろうけど」

『同じではない。俺とて元は里の者だ。殺された民の多くも辿れば(タネ)を同じくする者だった』

「だったら、尚更やってる事が可笑しいと思うな。ミクマリちゃんだって家族だろうに。最後の一人じゃないか。彼女の生を滅茶苦茶にして、他人ばかり助けさせてさ」

『俺も苛めたくてやっている訳ではない。それに、ミクマリのやりたい様にさせている故に招く苦難も少なくはない。あいつにとっては家族も他人も、人も獣も大きな違いはないのだ。そこに居る血の繋がらぬ童女さえも妹なのだ。鬼と霊魂を同じ目で見ても可笑しくあるまい。今日だって、腹を空かせていながら、羚羊(カモシカ)を手に掛けるのを躊躇しておった。そういう奴なのだ』


「彼女の所為(セイ)にするの?」

 ふわりと持ち上がる黒髪。いつの間にかミクマリの髪留めは解けている。


『ミクマリの所為ではない、ミクマリの(タメ)だ』

「誰を相手に言葉遊びをしているのか分かってる? 君自身、自分に嘘を吐き過ぎだ。彼女に押し付けるのは止めなよ。もう彼女は……」

『説教は聞きたくない。お前は本当に古ノ大御神なのか? 大した神気(カミケ)も感じぬが』

「そうだね。僕自身は大した気は持ってない。単純に力比べをすれば、ミクマリちゃんに勝つ事は出来ないだろう」

『ミクマリに勝てぬのなら、俺に講釈を垂れるのも止すべきだろう』

 ゲキは神気ではなく、自前の霊気を膨れ上がらせた。辺りは光に包まれ、颶風(グフウ)が巻き起こり、集落の小屋全てを吹き飛ばした。

 童女が頭を抱えて悲鳴を上げる。


「図星を突かれたからって直ぐに力付くに出るのかい? その濁った霊気でどうするの? 僕を高天に送り返すの?」

 神は表情一つ変えずに言った。

『望むならそうしてやろう』

「また嘘だね。君はしない。気付いてる筈だよ。ミクマリちゃんの力なら、僕程度の気の神であれば、気に入らなければ追い出す事が出来るって事を」

『……』

 ゲキは膨れ上がらせた気を収めた。雨はまだ野晒しの集落跡を激しく叩いている。


「ごめんね。“少し離れてくれないかな”」

 神は空へと言った。すると、雨がぴたりと止んだ。

「アズサちゃんが風邪引いたらいけないからね」

 姉の身体が妹を見るも、彼女は頭を抱えて伏せたままだ。


『続きを話せ。黄泉に関わる案件なのだろう?』

「違うよ。それは最初の分で終わり。ミクマリちゃんが“あっち”に取られたら三つの國の均衡が崩れそうだから、気を付けてってだけ。詰まり、彼女の心を大切にしろって事。僕の用事の肝は君への文句だ。謂わばミクマリちゃんの心の代弁が一番なんだから」

『代弁だと? 聞かせて貰おうか』

 鼻で嗤う守護霊。


「彼女は“もう疲れた”って言ってる。これは憶測じゃないよ。憑依して読んでるんだから間違いない」


『そんな事は分かっておる。疲れもしない程に楽な仕事ではない。だが、止めてしまう事は出来ない。絶え間なく巫力を磨き、神の力をも借りて急がねば為らぬのだ。妹巫女が黄泉に根付いてしまえば、俺や里の者の魂が夜黒に染められる速度が速まる。完全に染まってしまえば、ミクマリにはこれ以上に無い辛い仕事をさせねばならなくなるのだ』

「言っても分かってくれないか。僕は今、酷く哀しいよ……。彼女はもう、身も心も磨り切れ掛かっている」

『心が切れぬ為の旅でもある、身体の方は水術があるだろうが』

「心なんて切っ掛け次第でいつでも切れるものだよ。身体だって水術で幾ら再生が出来るとは言え、限りがある。肉の寿命が尽きれば霊気で仮初めの命を生き続ける事が出来ても、それは最早人間ではないね。……それに、彼女は“こちら側”に足を踏み入れてしまっているし」

『こちら側? どういう事だ?』

「彼女、神気を纏い始めてるよ。生きたまま神様に成っちゃうかも」

『驚いたな。有りうるのか、生きながらにして神に成る等という事が』

「演武でも舞でも神気を感じたよ」

『衣の所為では無いのか?』

「舞では自分で衣を交換させてただろうに。このお腹の術の所為だと思うけど、普段から彼女を狙っている天津神が多過ぎて、身体が徐々に神気を受けて人から離れて行っている。この衣が護ってくれてるみたいだけど、余り神和(カンナギ)を繰り返すと人ではなくなってしまうかも」

『狙っている? 命をか?』

「死んだ後の事だよ。皆が彼女を欲しがっている。まあ、高天で巫女でも嫁でもやらせる気なんじゃないの?」

『ミクマリは俺の巫女だ。他の神にはやらん』

「彼女は誰のものでもないでしょ。言うなら“皆のもの”。君がお腹にそう書いたんだ。その所為で、先ず彼女は自分自身を失ってしまった。本当なら恋か子育てかって歳なのにさ」

『……里が攻められた時には既にその未来は失われておる』

「そう? 君が復讐を勧めないで、何処かの村で落ち着いて暮らさせてやれば有り得た未来でしょ? 君が止めを刺したんだよ」

『……どうしろと言うのだ』

 守護神の声は静かな哀しみを帯びていた。


「さあ? 印を消しても身体はもう戻らないからね」

 事無げも無く肩を竦める言葉の神。それから、意地の悪い笑顔を見せた。


『お前は、単に俺を責めに来たのだな』

「そうだよ。ミクマリちゃんの代わりにね。以前にも本人から怒られた事はあったみたいだけれど、あれは結局、君の思惑の内だったみたいだし」

『責められても何も変わらんぞ』

「君は彼女を無理に変えようとしたのにね」

『守護神らしくあろうと厳格な面を故意に出していたのは認める。だが、元より妹巫女との約束であった故だ』

「また他人の所為にして。そもそも、前の巫女と切れてない癖にさあ。ゲキ様! 私とあの子、どっちが一番の巫女ですか!?」

 言葉の神はミクマリの声色を綺麗に真似た。

『知るか。神等、勝手なものなのだ……』

 ゲキは呟いた。

「開き直るの?」

『……分かった。俺の負けだ。お前の諫言を受ける』

「嘘はないみたいだけど。まあ、良いか。後で本人に君自身の口から謝っておくんだよ」

『約束する。話を戻そう。ミクマリの身体の話が聞きたい。神に成るかもしれぬという話だ。神と成って、何か問題があるのか? 巫覡は元より神の代理人だろうが』

「身体的には何も違いはない。神も死ぬし、神に成ったからと言って覡國に居ちゃいけないって決まりもないしね。問題は、天津の気を受けて神化してしまう事だ。彼女の優しい気質は、彼女が人間だから持ち得るものだ。人で無くなれば気質も天津に寄るだろう」

『性格が変わるというだけか?』

「だけって。大問題だろうに。気紛れで、勝手な子にね。彼女らしく無くなってしまうんだよ? そんな者と里の者の魂を救って嬉しい? 新しく里を興して愉しいかい? 僕はそうなったら見ていて面白くないんだけど」

『これは俺達、里の守護神と巫女の役目なのだ。愉しいだの面白いだのいう話ではない。謝罪は兎も角、旅は止めぬぞ』


 ミクマリの身体は溜め息を吐いた。


「本当に哀しい。数多の祝詞を捧げる言葉の神である僕の言が伝わらないなんて。これだから元人間の神や人と共に暮らす国津はいけないんだ」

『お前達、天津の身勝手さも大概だがな。俺は、地蜘蛛の術師が里を襲った理由が、黄泉の女と何処かに居るその夫との諍いのとばっちりだと踏んでおる。お前が幾ら哀しもうと、俺が幾らミクマリに厳しかろうと、根は貴様等側の問題だ。巫覡の仕事もその尻拭いとして仕組まれたものだろうに』

「おっと、痛い処を突かれた。でも、そこまで分かってて飲んでくれないんだものな。君は相当に頭が悪いよ。君は、彼女の神に相応しくない」

『神が巫女に相応しいかどうか等と。神が巫女を決めるのだろうが』


「黙ってよ。もう良いから。言葉で分かって貰えないなら、肉と命のある覡國(カンナグニ)の流儀に則って“分からせてやる”しかない」

 神気が漂う。


『貴様も結局は力付くか。神和が良くないと言いながらミクマリの身体を使いおって』

 再び解放される霊気。


「戦わないよ。君に試練を与える」

『試練だと? 上からものを言いおって』

「上から見たくないから降りたんだけど。言葉遊びはもうお終い。君や妹巫女と同じ手を使わせて貰う。良いかい、愚かな男覡君? 君が戦うべき相手は自分自身だ。嘘を吐き続けるのは良くない。言葉の力を侮るな。自身の真なる言霊(コトダマ)に耳を傾けるんだ。君はあと少し間違えば黒き運命(サダメ)の糸に搦め取られる事になる。でもそれは、黄泉の所為だけとは限らない、君自身が招く可能性だってあるんだよ」

『何をごちゃごちゃと……』

「簡単な事だ。彼女に謝る。それだけだ。出来なければ彼女は僕が高天へ持って帰るから」

『させるか。矢張りここで滅して……』

 再三高まる霊気。


「“動くな”、守護神」

 言葉の神が命ずると、ゲキの揺らめきがぴたりと静止した。


努々(ユメユメ)間違う事の無い様にね……彼女の全てもまた、一筋の蜘蛛の糸が支えているだけなのだからね」

 言葉の神の気が一瞬だけ鋭くなった。そして、そのまま薄らいで消えて行った。


『……? 去ったのか?』

「お、終わりけ? もう神様帰らはった?」

 (ウズクマ)っていたアズサが顔を上げる。

『その様だ。偉そうに御託を並べるだけ並べて、去って行った』

 ゲキは神が抜けた後も直立し続けるミクマリの周りを回った。

「姉様、大丈夫け?」

『ミクマリ、ミクマリよ。確りしろ』

 二人が声を掛けると、ミクマリが瞼を上げた。


「あら? 私、どうしたのかしら?」

 少し間の抜けたいつもの顔。アズサが無事を喜び抱き着いた。


『急に言葉の神が降りて、神和を控えろだの黄泉に近付くなだの宣ったのだ』

「そうなんですか? ……処で、ここは何処でしょうか?」

 辺りを見回すミクマリ。

『村だが』

「あの、小屋が一件も見当たらないのですけど」

「ゲキ様が神様に怒って全部ひしゃげさせてもうた……」

「ええ……」

 ミクマリは呆れ顔を師へと向けた。

『す、済まぬ。不意の憑依だった為、お前の身体から追い出そうと思ってな』

「言葉の神様は、ゲキ様が姉様に相応しくないって言っとったわー。でもなー、姉様の事めっさ心配してはって、優しそうな人やったなー。ミクマリちゃんって言うてはったわー」

「ミクマリちゃん……ふうん……それで怒ったんですか?」

 訊ねる娘は頬を吊り上げて師を覗き込んだ。

『違うぞ。相応しくないと言われたのは、小屋を吹き飛ばした後だったろう?』

「せやったっけ? そやけど、姉様との事に口出しされてなー、ゲキ様めっさ厭そうやったわー」

「ふうん!」

 師を見つめ続けるミクマリ。


『……』

 ゲキは今回も逃げた。


「ま、何でも良いですけど……。今晩の宿はどうするんですか? 雨は止んでますが……」

 空を見上げると眩暈がしそうな程の満天の星空。ミクマリは少し頭がふら付く気がした。

『俺が責任を取って、一晩結界を張ってやる』

 ゲキはそう言うと守護神の結界を展開した。

「ゲキ様が屋根に為ってもうた! じゃあ、姉様はさー、うちの寝床やにー」

 腕の中のアズサがころころと笑った。


「今晩はもう休みましょう。神和の所為か、私凄く疲れて……」


 ミクマリの視界で、星空が回った。唐突な眩暈と吐き気。

 瞬く間にそれは全身を引き裂く様な激痛に変じ、胃を跳ねあがらせた。

 膝突き、込み上げて来るものを必死に堪える。


「姉様、しんどいん?」

 アズサが覗き込む。


『どうした? 何かに(アタ)ったのか?』

 ゲキも下へと降りて訊ねて来る。


 だがミクマリは、余りもの痛みに言葉を失い、代わりに大量の吐血を以て返事を返したのであった。


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