巫行065 温泉
爆走する娘を止めて合流し、言い争う声の許へと向かう。
当初は賊の懸念があったものの、近づくに連れてそれは別の原因だと分かった。加えて、叩く様な音が再開しており、それはアズサ以外の耳にも確りと届いた。
音の正体は“カンカン掘り衆”。どうやら、主要な堀場で起こる場所の取り合いを避けて、他に良い処が無いか山脈を彷徨っている内にここまで来てしまっていたらしい。
旅の疲れと上がらぬ成果、それに加えて道に迷った為に苛立って口論と為っていたのだそうだ。
叩く様な音は採掘の音だ。言い合いこそ続いていたものの、手だけは確りと動かしていたらしい。
ミクマリ達が男共の前に姿を現すと、彼等はぴたりと口論を止め、女子供が居るなら集落か何かが近いだろう、路の場所を示して欲しいと乞うてきた。
巫女らも詳しい道筋は知らずに旅をしていたが、霊気の探知や卜占を当てに彼等の希望の路へと連れ出してやった。
そのまま、行きずりに堀場にある集落へと同行する事になり、ちょっとした会話を弾ませながらの旅となった。
屈強な男共は気性と言葉使いこそは荒かったが、気の好い連中で、何処か聞いた事のある訛りをしていた。
どうやら彼等は石の社の里の出身者らしく、そこの守り人の一人であり男覡であるイワオの事も知っていた。
共通の知り合いにミクマリは少し愉しくなり、戦闘力こそは自身が勝るであろうものの、男達のそのどっしりと構えた態度に安堵を覚えた。
旅は(ホタルが社の流派から抜けたカエデの事を迂闊に話しそうになった事以外は)順調に進み、翌日の昼には“カンカンイシ”採集の本拠地へと辿り着いた。
「ちぇっ、何事も無かったな」
残念そうなホタル。
「何も無くて良いの。それより、戦神様を御祀りしている場所は何処かしら?」
堀場は単なる採掘場ではなく、一つの集落に成っている。
カンカン掘り衆に聞く処に寄ると、この集落は大昔に腰を据えて掘る為に採掘師の一団が小屋を建てたのが始まりで、野盗や獣に対しての防衛にも良いからと、自然に他の掘師達も集まって出来たものらしい。
掘師達の居住目的以外にも、旅人を持て成す為に屋根や器を貸したり、石を掘る上で争いにならぬ様、一定の規律を設けてそれを管理する役割も持つ。
元は遠近各地から集まる見知らぬ者同士であったが、今やここで子を成し根を張る者も居るそうだ。
長の役職を設けず、地域に関わらず協力し合い、それぞれ資源を分け合うやり方。長きに渡っての平和な地。
だが、最近は諍いが増え、集落の目の届かぬ場所では気を付けた方が良いと警告を受けた。
「喧嘩の原因は何かいなー?」
争いの原因の多くは採掘の良地点を巡っての事。この地は良質な安山岩の他に加えて、幾つかの種類の宝石も出土する。
だが、争いの根は富の奪い合いではなく、互いの不信感に在り、特に豺狼の國の出身の採掘者と、元より連中と仲の良くなかった地の採掘者の間で小競り合いが起こっていた。
発端の根は採掘とは別にあった。何やら、掘師ではない“王の御使い”の一派がここを訪ね、戦神の祠を無作法に検めて傷付けてしまったらしい。
祠は直ちに修理されたが、この地の争いを治める力を持つと言い伝えられる神の祠を荒らしたと為れば、矢張り穏やかではない。
信心故か、それとも祟りか。争いが増え始めた。それ以来、豺狼の國の関係者は肩身の狭い思いをしなければ為らなくなっていると云う。
戦神が祠を荒らされ荒魂を示現しているのであれば、ミクマリの願いへの対価も跳ね上がるかも知れない。
不安要素を聞かされた慈愛の巫女の足は途端に引き摺る様になった。
『何か臭わないか?』
ゲキが言った。
「おっさん、鼻が無いのに臭いが分かるのかよ」
『目も耳も口も無いだろうが。そんな事より、何か腐った臭いがしないか?』
師に指摘をされ、鼻を鳴らしてみる。確かに幽かに臭う。
「水の音がするやんー?」
『穢れた水か? ミクマリ、どうだ?』
訊ねられて水の気配を探る。歩き易く整備された山道を外れた岩場の奥。何やら普段の水と違う感触。
「変わった水の気配……。でも邪気も夜黒も感じません。寧ろ少し神気を感じるかしら?」
「神気なら戦神かもしれないな! 行ってみようぜ!」
そう言ったホタルは既に岩場に向かって走り出していた。
「あーあ。またどっか行かはった……」
「教えられた祠の方角とは違うのですが」
『まあ、仕方あるまい。あの跳ねっ返り娘が心配だ。行こう』
ホタルを追って岩場を進むと、何やら靄掛って来た。大岩の棚の陰から湯気らしきものが上がっている。
「すーげー! 湯が沸いてるぞ!」
栗毛の娘は屈み込んで湯に手を差し入れている。
『……! これは若しや!!』
守護霊が声を上げた。
「ゲキ様、御存知で!?」
嘗てない驚きの声に身構え、霊気を練り始めるミクマリ。
『温泉だ!!!』
「「「温泉!?」」」
『大地より熱が活発に起る土地や、火山の付近で見つかる泉でな。地下の熱に依り暖められており、岩や大地の精霊が籠った力のある水場なのだ』
「確かに神気を感じますが……」
覗き込む。湯は乳白色に濁っており、姿も映らない。
「こっから湧いとる。毒やったりせんかなー?」
岩の隙間から流れ出た湯が窪地に溜まり、池の様に為っている。アズサは湯の出処に手を差し入れた。
「あっつい! この水、めっさちんちんやー!」
軽く火傷をしたらしく、涙目で指先を見せるアズサ。
「危険な処なのね。水も海水や血液程じゃないけど、重たいわ」
水分の巫女は水を霊視しながら妹分の傷を癒す。
『危険? まさか。この水はな、とても身体に良いのだ。髪や肌が潤い、身体の霊気や血の流れを良くし、怪我や難病の治療にも役立つ』
関心のある言葉を耳にし、二人の娘が守護霊を見た。
「髪や肌に良い」
「怪我が治る」
「飲めば良いのかしら? アズサ、毒の気配は無い?」
「傷口に塗れば治るのかな? 持って帰ったら怒られるかな?」
揃って湯の中に手を入れる娘達。
『飲むのは毒だと聞いたな。怪我も直ぐに治るのではなく、打ち身や骨を痛めた時にじわじわと効くと云う。湯の中にゆっくり身体を浸すと良いのだそうだ』
「この中に身体を浸す……」
「でも、めっさちんちんやにー」
「あたい、熱いのには自信があるんだけどなあ」
三人は白い湯を見つめている。守護霊は揺らめいた。
そこへ一匹の動物が現れた。やや茶けた鼠色の毛皮、赤ら顔。
「ありゃ? 猿だな」
猿は湯畔を挟んでミクマリ達の反対側から姿を見せ、躊躇する事無く湯の中へ足を差し入れる。
「お猿さんが温泉に入った……」
「めっさ気持ち良さそうやにー」
猿は乳白色の泉に肩まで浸かり、目を細めてほうっと息を吐いた。
「よっしゃ、決めた。あたい、入ってみるぞ」
「ちょっと、ホタル。誰か見てるかもしれな……」
短髪の娘は既に一糸纏わぬ姿に為っていた。
『彼女の身体は体術で男勝りなだけあって、細いながらも四肢や臀部は硬く確かな肉付きが見て取れる。ミクマリの思う女らしさには適わないが、典雅な曲線と言えよう』
見上げると祖霊。
「おおっ……好いな、これ」
水音。ホタルは股下までを白濁の泉に沈めると喉から嬌音を上げ、おもむろに振り返った。
「なあ、二人とも一緒に入ろうぜ。この辺りなら火傷する程でもないぞ」
「えっ、でも……」
見上げると祖霊。立ち去る気配は無い。
「うちも入ってみようかいなー」
童女も続く。衣を脱ぐとおっかなびっくり足先から湯に浸し、顎まで一気に沈んだ。
「……姉様、これ、好いわー」
瞼を閉じ息を吐くアズサ。頭だけ出した彼女は湯気に隠れて消える。
『どうした? 入らんのか?』
ミクマリは何となく邪気を感じた。
「おいミクマリ。これ、肌が何か好い感じになる気がする」
ホタルは立って肢体を晒したまま、愉し気に白い湯を肌に塗りつけている。
『恥ず事はないぞ。お前にもアズサにも見るべきものは無い。それに、湯に入れば何も見えんだろう』
「あの、少しの間離れるとか、そういう配慮は無いのですか」
『無い。お前達は今無防備なのだ。守護神が護ってやらなくてはな』
「どう考えても見るお心算ですよね」
『当たり前だ。自分の巫女の健康状態を確かめず何が神だ。それに、戦神に神和が必要だった際に備えて、御印の状態も知っておかねば』
守護霊は降下してミクマリの胎の辺りに停滞した。
「印は何も変わっていません! 昨晩確かめましたから! ゲキ様! あっちに行って下さい!」
勿論、ミクマリも温泉を験したかった。しかし、裸体を晒すのを極端に嫌う彼女としては、男覡の霊だけでなく、友人や猿にですら気恥ずかしさを感じる。
『厭だ。あっちへは行かぬ』
膠もなく断られる。
「……」
ミクマリは茜の袴の帯を解き始めた。……が、その手を止めて沓だけ脱ぎ去ると、衣を纏ったまま、温泉に身を沈めてしまった。
それから湯の中で衣を脱ぎ、水術を用いて衣に雫を滴らせる事も無く岩棚の上に畳んで置いた。
「ふ-んっだ」
娘は守護霊を見上げ鼻で嗤う。
『狡い奴め……!』
ゲキは苦々しく吐き捨てた。
温泉は程良い温度だ。身体を蘯かす様な熱と、僅かに滑る様な肌触りが心地好い。
肌に掌を滑らせ湯を擦り付ける至福の一時。
ふと、目前に猿がやって来た。先程よりも顔が赤くなっている。
「お猿さん?」
猿は目を一杯に見開いてこちらを見ている。それから、歯の隙間から息を吐きながら、何やら両手を手を挙げたり下げたりした。
少し、怒っている気がする。
――何かしら、出ろって事? でも、皆が見ているし……。
猿の様子を眺めていると、唐突に身体が灼ける様に熱くなった。
「きゃあ!!」
ミクマリは堪らず悲鳴を上げ、岩の上へと逃げた。
「何だ? どうかしたのか?」
「姉様、何ほたえとるんけー?」
他の二人は平然と湯に浸かったままだ。
猿が湯の中を泳ぎ、岩の上のミクマリの前にやって来る。
それから、打ち上げられた娘の裸体を一通り眺めると、歯を見せて笑った。
「儂は毛がある方が好みじゃ。それに、乳もでかい方が良い」
人の言葉が猿の口から発せられた。
『そうか? 俺は慣れたし、これはこれで気に入っている』
「若いのう」
猿は愉し気に湯を泳いで離れて行き、呆然とするミクマリをもう一度振り返ると、神気を孕んだ湯気と共に去って行った。
「お猿が喋った……やんなあ?」
「いや、ありゃ神様だろ。驚いたなあ」
『湯の神だ。衣を纏ったままで入るとああなるからな、お前達も気を付けろよ』
守護霊が他の二人を見て言った。
「ゲキ様。気付いていらしたのですか!?」
四肢で恥部を隠しながらの抗議。
『と言うか、お前が神に気付かなかったのは意外だったな。水分の巫女なのだから、水場で礼を欠くのは悪手だと心得とると思ったがなあ』
「もうっ、神様って厭らしい方が多いんだから!」
『神への無礼の対価にしては安いもんだろうが。俺も得をさせて貰ったしな。ほれ、早く入れ。身体が冷えるぞ。それとも、俺に見せているのか?』
ミクマリは返事をしないで急いで戻った。足先を差し入れるが温度は程良い。
それから全身を沈めて白い水面に黒髪を浮かせ、嘆きと恍惚の混じった息を長く長く吐いたのであった。
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ちんちん……熱い。