巫行063 治療
「み、皆さん。いつからそこに?」
頬染めるミクマリ。
「最初からですが……」
トムライが答える。
「あたい達も、直ぐにミクマリの事追っ掛けたしな……」
居心地の悪そうなホタル。
「ミクマリ様はこんなにも悲しい事情で漂泊の身分に為られたのですね」
カエデは顔に袖して鼻を啜っている。
「……」
アズサは戸口から顔の半分だけこちらに覗かせていた。
「あ、あの。ゲキ様は半分鬼とは言いましたが、暴れて他者に害を為す事はないので、安心して下さいね」
「言ってたな。まあ、暴れたら勝負だ。鬼とは戦った事が無いんだよなあ。ミクマリは旅をしてたんなら逢った事があるのか?」
当代の村長は鬼の滞在を軽く流した。
「う、うん、何度か」
「強かったか?」
「その辺りの悪霊よりは遥かに。特別な術や怪力を持っている者が居たけど……」
「へぇーっ! 良いな。あたいも旅に出ようかなあ」
拳で掌を叩き、唇を舐めるホタル。
「俺は許さんからな。親から村長の座を奪っておきながら……」
「分かってるって。ちょっと言ってみただけだよ」
「それなら良いが……。ところで、今後に里を立て直すと仰るのなら、うちの村も見学なさってはいかがでしょうか? うちは否応にも防衛に優れた村作りをしてます故に、里を攻め泯ぼされたのならば、何かお役に立てるかと」
トムライはゲキを見て言う。彼の目にも警戒や敵意を感じない。
「そうだな! 案内するよ。うちは住民を外から入れ続けているからな。ミクマリの里だってそうするんだろ? まさか、自分一人で全員産む気じゃないよな?」
「へっ!? ま、まあ、そうだけど」
里の再興に就いては具体的な事はまだ何も考えていない。確かに住人は何処からか招くしかないだろう。
「うちが姉様の里の最初の住人やにー。巫女頭に就く約束しとるんさー」
アズサが駆けて来る。
「へーえ。ちっこい癖に巫女頭かあ。弱っちそうだけど」
ホタルが笑い、アズサの額を突いた。
「やめりー! うちは姉様とゲキ様の弟子なんやー!」
「へえ。その大きな弓を使って戦うのか? 矢が見当たらないけど」
「うちは梓弓の巫女でなー、この弓は矢を番えるもんと違うんやにー。弦を鳴らして響きで占ったり、術を使ったりするんさー」
「ふうん。どんな術を使うんだ?」
「日誘ノ音。音術さー」
「音術? 戦った事も聞いた事もないな。カエデ、知ってるか?」
ホタルが首を捻る。
「社の流派でも存在が語られる位で、実際の使い手は居ないわ。神へ声を届ける力を持つとか」
カエデも何か思慮深い瞳でアズサを見ている。
「それって巫覡にとっては普通の事じゃ無いのか?」
「……さあ。私も詳しい事は知りません」
「何にせよ珍しい術なんだな。面白いじゃん。ちょっと闘ろうぜ!」
肩越しに親指で外を示すホタル。
「え、遠慮しておきます」
アズサはミクマリの陰に隠れた。
「いいじゃん、いいじゃん。おねーさんが怪我しない様に手加減してやるからさあ」
「べーっ。怪我するのはあんたやにー」
アズサが舌を出す。
「生利きだなあ。やっぱ、闘るか?」
「やらへん! うちの音術は目に留まらへんし、めっさ早いから人に向けたらあかんの!」
「面白そうじゃん! じゃあ、こっちは手出ししないからさ、一発あたいに向けてやってみろよ!」
「姉様、この人“野太い”わ……。全然、話聞かへん……」
アズサが見上げ助けを求める。
「ホタルはもう少し女の子らしくした方が良いわよ」
ミクマリが溜め息を吐く。
「戦好きな女はいけないってのかよー?」
ホタルは栗毛の頭を掻いた。
「う、どうかしら……」
濁す言葉とは裏腹に、誰から見ても否定の貌のミクマリ。
『偏見だな。お前は男だ女だと拘るのが好きだな。処で、何故ホタルは髪が短いのだ? それだけの霊気があるのなら、伸ばした方が何かと便利が良いのではないのか?』
「これかい? あたいも小さい頃は伸ばしてたんだけどな。火術を使うとどうしても焦げたりするから、いっそ短くしちまえーって切った。うちの村は火術使いが多いから、男も女も髪を切ってる連中が多いな。中には態と焦がして縮めてる奴も居る」
「可愛くないわ……」
ミクマリがぼやいた。余所の文化に吝を付けたい訳ではないが、自身はその様な髪型は御免だった。
「別に可愛くなんてなくったって良いだろ。こう見えても、あたいは結構もてるんだぜ」
犬歯の欠けた笑顔を見せるホタル。
「こいつは、自分に勝った者と契ると言ってまして。毎日の様に村の男共と戦ってるのです」
後ろで父親が溜め息を吐いた。
「ま、今の処は期待できそうな奴は居ないな。ミクマリ位かな?」
そう言ってホタルが覗き込む。
「私は女です!」
「冗談、冗談。そんなに紅くならなくても良いのに。もしかして、満更でもないのか?」
「えっ、紅くなんか」
頬に手をやるミクマリ。
「ははは、嘘だよ。あたいも結婚するなら男が良いや」
『村の事に口出しをする訳ではないが、巫女が結婚をしてしまって平気なのか? 山の神も火の神も男神なのだろう?』
「山神の事は祀ってる訳じゃないから知らないけど、火の神様は結婚が決まったら祭りだ、子が産まれたら祭りだ、次の巫女が決まればまた祭りだ、さあ火を焚け! って言ってたよ。そもそも、そればっかだから声が聞こえなくても別に困らないしな……」
『そうか……』
何となく呆れを含む霊声。
「ま、あたいの事は良いよ。それより、村の見学をするんだろ?」
一向はホタルとトムライに連れられて、防衛に特化したと云う村を見て回った。
多くの村と同じ様に、館や神殿を中心とした円形の配置。周りを濠で囲い、西側には土塁を盛り、その上に防壁が築かれている。
ミクマリが過去に目にした防衛を目的とした村作りでは木製の柵を作るか逆茂木や乱杭に依る防衛手段が取られていた。
しかし、この村は古来より火術を使う為に燃え難い石柱を並べて柵としており、木材での防御は避けている様だ。石柱には霊気が込められており、術的な防御力も高い。
南東側にはサイロウが割った大地の裂け目があり、そちら側の柵は比較的新しい木で低く作られていた。
亀裂が出来た際の地震で石柱が倒壊してしまったそうだ。こちら側から攻撃を受ける事は無いので、柵は夜間誤って亀裂に近付かない様にする程度の目的らしい。
特徴的なのは一件の背の高い小屋。農村で見かける高床式の倉の倍以上の高さがあり、壁は無く落下防止用の柵のみ。
これは遠くまで見渡して敵を発見したり、弓矢や投弾、術に依る先制攻撃を取る為に便利が良い櫓という建物なのだそうだ。
村内の小屋の配置にも拘っており、外周に近い程に戦士の住まいを多くし、加工や生産に関わる設備は被害を受け難い中心の方に置いている。
本来ならば、子を産んだり赤穢落としをする産小屋や殯葬小屋は村から離すべきなのだが、立地の都合上難しく、戦禍に晒され易い配置に為っていた。
最近になって、どちらにも火が点いたので、この際穢れを甘んじて受けて安全な中心部に移動させようかと村長親子は相談し合った。
「この建物は何かしら?」
中心部近くに少し大きな建屋。調べなくとも感じる強い霊気が複数。余り、明るい気配ではない。
「ああ、そこは医療小屋だよ。怪我人が居るんだ」
「ふうん。御手伝いをしても?」
「良いけど、苦労すると思うぜ。最近は怪我人の数も、戦の回数も増えて来たし、そろそろ二件目を建てなきゃならないかなあ」
ぼやくホタルを背にミクマリは小屋へ入る。
小屋へ踏み入れると、これまでの快活な火の村とは真逆の光景が現れた。
薄暗い中に敷き詰められる様に寝かされた怪我人、飛び交う呻きと溜め息。
「酷い臭い……」
思わず袖で鼻を覆ってしまう。
それだけではない。邪気も感じる。幾ら長や戦士達が明朗な気質を持つとしても、長く痛みと共に伏せって居れば、恨み言の一つや二つは出るだろう。
王の部下は各村からの寄せ集めだ。所属を塗り替えられた時期に差があれば、互いに何らか遺恨が残っている可能性もある。
そんな者達が狭く汚い部屋に押し込められていた。村の怪我人は自身の小屋で休んで居るらしいのがせめてもの救いか。
足を踏み入れたミクマリへの視線も、優しいものでは無かった。
憑ルベノ水に依る治療に必要なのは、他者の霊気の操術に関わる招命ノ霊性と、施術者への信頼。
ミクマリは怨みよりも痛みに気を遣っている重症者を一人選び出した。
それから他の怪我人達に注目させ、治療の実演を行う。治療を受けた者は歓喜の声を上げ感謝をし、その様子を見た者達から治療を求める声が上がり始めた。
ホタルの言った通り、治療は容易くなかった。普段から人数や物資の都合で薬草や水が充分に行き渡っておらず、傷口に毒を持った者が多かった。
悔しい事に身体の一部を諦めなければ為らない者も在った。
加えて、治療を行っている内に判明したのだが、医療小屋は男女の違いへの配慮も無かった様で女性は相当な不便を強いられていたのである。
ミクマリはそこに気付くと、ホタルとトムライを捕まえて叱り付けた。
「巫覡たるもの、薬事や医療の心得があるのは当然ですが、命さえ救えれば良いというものではありません。心身の両方を癒さねば魂が夜黒に染まってしまいます。彼等は圧政や服従から逃れて来たのです。貴方達の処へ身を寄せたという事は、身の振りだけでなく心の救いも求めているのですよ。それをこんな汚れて狭い小屋に押し込めて……」
新たな住人達はこれまでは何とか堪えて大人しくしていた様だったが、些細な切っ掛けで流血事や怨みの禍が生まれる事は想像に難くない。
彼等の多くは既にホタル達へ希望ではなく不満を募らせていた様で、ミクマリの師譲りの長ったらしい説教を聞くと、愉快そうな同意の声が聞こえて来た。
「ミクマリ様。私にも手伝わせて下さい」
声を上げたのは先に顔の治療を受けたカエデ。彼女は社の流派仕込みの巫力を発揮し、風術に依る換気等で腕を振るった。
ホタルよりは遥かに人の気持ちに通じる女だった様で、怪我人からの評判も良く、ミクマリも彼女の配慮に感謝を述べた。
その様子を見ていたアズサは鼻を鳴らし、飛び出したかと思うと、直ぐに両手一杯に草やら蟲やらを抱えて戻って来た。
「姉様! うちかって手伝います!」
何故かカエデを睨みながら言うアズサ。
勿論、彼女も得手の薬事を振るい、蟲に傷口の毒を食わせる怪し気な解毒法も披露し、他の巫覡を驚かせた。
誰も知らない薬の素材や利用法の説明も行い、加えて毒を転じて薬と成す法にも長けており、村の物資の不足を補うにも一役買った。
音術も何かの役に立っているらしく、彼女は声の音に依り患者の要求を的確に見抜いていた様であった。
「姉様、どやー? うち、役に立ったかいなー?」
頬を良く分からない薬で汚しながら言う妹。
「勿論! でも、薬事に関してはアズサには敵わないから、役に立つと言うよりは、私の方がお手伝いみたいなものね。尊敬するわ」
微笑み掛ける姉。
「うー。尊敬、尊敬……。何か、ちゃうなー……」
それから村長達が恢復した者の処遇や、怪我から病を併発した者の移送を行い、この小屋に伏せる者は一人、また一人と消えていった。
最後は揃って小屋の清めと祓を行い、小屋は晴れたものへと成った。
「いや、お恥かしい。戦いばかりで他の巫行が疎かに為っておりました」
トムライが頭を掻く。
「これからはもっと気を付けるよ。あの小屋は確かに気分の良いものじゃなかった。こっちの方ではミクマリには勝てる気が全くしないなあ」
能天気に笑うホタル。
――――!!
一段落を見たかと思った矢先、空に重い音が響いた。
「何の音!?」
ミクマリは空を見上げた。
「ああ、聞いた事が無いのか。じゃあ、見に行こう」
ホタルは特に気に掛けた様子はない。
広場へ案内されると、何やら村民が集まっていた。彼等は身体を装飾品で飾っており、何かを囲い輪に為り、その一人が木の棒で蓋をされた土器らしきものを叩いている。
その度に鈍い音が辺りの空気を震わせた。
「あれは楽器やなー?」
アズサが訊ねる。
「そうさ。あれは太鼓だ。でかい土器に獣の皮を張ってあるんだ。叩くと大きな音がする。本当は祭りや宴で篝火と一緒にやったり、景気付けに戦の時に叩くんだけどさ。今日はやらせてなかったら、あいつ等我慢が出来なかったんだろうな」
「本当にお祭り好きなのね。神様も幸せでしょうね」
火の危険や浪費は兎も角、太鼓を囲む人々はご機嫌で、見ていて胸が空くようだ。
「だろー? ちょっと自慢なんだ。夕餉の時間も近いし、そろそろ宴の準備だな。怪我人の恢復祝いもしたいし、明日からは人手も増えるから、今日はたっぷり食うか!」
「また山の神様に怒られるわよ」
溜め息を吐く。
「そん時はそん時。謝るさ!」
懲りそうもない娘。この村の隣に住まう神は、これからも苦労をする事だろう。
「あ、そうだ。飯を食ったら寝るんだから、ミクマリ達の為に寝床も用意しなきゃな。……と言っても、余りちゃんと支度はしてやれないな。只でさえ小屋が足りてないんだ。あたいの屋敷で一緒に寝て貰っても良いかな?」
ホタルが訊ねた。
「ええと……私とカエデさんの為に一件だけ用意して貰えないかしら。狭いもので良いから、お願い出来ない?」
ミクマリは頼み込んだ。
「カエデも? 別に屋敷はそこそこ広いから皆一緒で良いだろ。王の部下だったからって除け者にはしないぞ。もう友達だし、仕事も確りとしてくれたしな」
「そうでなくって、少し個人的にお話があるの。お願い」
「ふーん? まあ、一件なら何とかなるだろ。今は治療小屋が空いてるから、代わりに何処かを空けさせるよ」
「ありがとう。カエデさんも今晩、お話宜しいですか?」
「はい、喜んで」
似た衣の娘は笑顔で返す。
「姉様、うちも一緒に寝るー!」
アズサが声を上げた。
「今晩だけはアズサも外して頂戴。大切な話があるの」
「えーっ! 大切な話って何けー!?」
またもアズサはカエデを睨んだ。
「アズサ、ごめんね」
宥め頭を撫でる。が、彼女は腕から逃げて太鼓を囲う輪の方へ行ってしまった。
「あの、大切な話って何ですか?」
誘われた当人が首を傾げる。
「人目のある処では困るの。また夜に為ったお話します。多分その頃には、“変調”も出始めてるでしょうから……」
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野太い……話を聞かない人。
濠……掘った穴、溝。古代の防衛では乱杭、逆茂木等の尖った木で進路妨害をしたり、溝で穴を作り囲って護った。