巫行062 夢見
ミクマリは談笑をしているゲキとトムライの間に無遠慮に割って入った。
「ゲキ様。質問があります」
『どうした、? 血相を変えて』
「私の妹は、本当に高天國に居るのでしょうか?」
睨むミクマリ。ゲキは妹巫女を看取ったと話をしていた。
『知ってしまったのだな……』
「黒衣の術師は地蜘蛛衆と呼ばれる者で、サイロウの古くからの手下。そして、斃した巫覡を寿がず、黄泉へ送ると聞きました。あの子は、黄泉に居るのではありませんか?」
『連中が黄泉へ送るのは巫覡だけではない。巫覡の才がある者……詰まりはお前と胤を同じくする者全て、それに幼子や気高き老人も含めて、高天に昇るべき者全ての御霊を、だ』
目を見開く嘗ての里長。風も無いのに提髪が浮き上がる。
「子供達も皆ですか!? 何故……何故黙っていらしたのですか!?」
床を踏み鳴らし詰め寄るミクマリ。トムライは隅へと尻を擦って退避した。
『聞きたかったか? 知りたかったか?』
「……いいえ。ですが、隠し事は無しだと話をした筈です。共に復讐を果たし、無念を晴らして里を再興させると約束したではありませんか! あの子の魂が黄泉にやられた何て事を知っていれば、黒衣の集団に手を下す事を悩まずに済んだものを!」
『そうか。だったら、矢張り黙っていて正解だったな』
「悪びれもせずにっ!!」
右手に霊気。小屋全てを白の暗闇に塗り替える。
村中に響き渡る破裂音。
『俺を祓う気か? 今のは流石に効いたぞ。……だが、甘んじて受けて置く』
揺らめく翡翠の霊魂。ミクマリの掌が触れている。
「申し開きは受けます。話して下さい」
『全ては話せぬ』
「何故ですか」
『妹巫女との約束だからだ。ひいてはそれが黄泉へ引かれた里の者の魂が、悪霊や鬼に成らぬ為の手立てであるからだ』
「今更、それを姉の私が知って何の不都合が? ゲキ様は死んだ先代の巫女との約束と、生きた当代の巫女との絆、どちらを選ぶお心算で?」
自身の神を睨む巫女。守護神は身の無い姿で溜め息を吐いた。
『……これだから女は。望むならば一つを除いて全てを話してやる』
「一つを除いて? それは何? 良い加減に為さって下さい!」
眼力一層鋭く睨むミクマリ。
『話せぬ事。それは、お前の妹の居場所の“半分”だ』
ゲキが言った。
「半分……!? 居場所!? あの子は死んだのでしょう? 高天に昇らず、地蜘蛛に黄泉へ送られたのでしょう!?」
『話すと言っただろう。お前は子供か?』
「……」
歯軋り。
『地蜘蛛の集団を斃す事は、俺には全くの不可能ではなかった。だが、里の者を守り切る事や、黄泉に引かれた彼等の魂を清める事は不可能だった。後者に就いては、ミサキから黄泉の役割を訊くまでは、復讐が本当に魂を清める効果があると知らなかった故に無理だと思っていた、が正しいが』
「……無意味に復讐を奨めていたと?」
『違う。時間稼ぎと、里長や巫女としてのお前の成長を促す為だ』
「口で言って頂ければ良いでしょう?」
『それもあいつの頼みだったのだ。姉様は身を以て理解しないとお厳しくは為らないでしょう、とな。俺も同意だ』
「……」
ぐうの音も出ない。共に里を切り盛りした妹は全てを御見通しだ。
「ですが、里は泯びました。泯滅させられたのです」
『新しく興すのだろう? 彼女は初めからお前にそれを期待していたのだ。俺はお前がその答えに自ら辿り着けるとは思っていなかったがな』
「確かに、容易く返事を出来る事ではありませんが……」
幾ら妹や守護神だとは言えあんまりだ。
『続きを話すぞ。復讐に依り無念は晴らせぬと俺も妹巫女も信じ切っておった。故に、妹巫女はある術を験したのだ』
「術?」
『そうだ。彼女の才は俺に似て、広く浅くと言った処であったが、一つだけ秀でていたものがあった。それは“夢”だ』
「夢? 寝ている時に見る、あの?」
『うむ。霊感のある者は、夢占いを行ったり、未来を夢に見る事がある』
夢。目覚めて直ぐに意識せねば泡沫に消える世界。
ミクマリには覚えがあった。妹巫女の夢占い。彼女が巫女に成る前は「あんな夢を見た、こんな夢を見た」と良く話して聞かせてくれた。
それが時偶、現実のものと為る事があった。巫女の家系の霊感であろうと、巫女を目指す妹の才を微笑ましく思っていた。
『夢とは、頭の中だけの事とも、“他國”へ繋がる道や、“他國”そのものだと云う説もある。夢の巫女はその力を鍛え高め続けると、魂をその他國と繋ぐことが出来るとも……』
「他國とは、高天や黄泉を指すのですか?」
『そうだ。妹巫女は巫行に就いてから、霊感が高まり続けていた。予知の精度やその卜占や、夢に関連した術式を次々と会得して行った。俺も余り詳しい分野では無い故に、彼女が何処までの力を身に着けていたかは分からぬ』
「若しかして、あの子は知っていたと?」
『そうだ、彼女は知っていたのだ。里が泯びる事を』
「いつから? 知っていたのなら何故相談をしなかったのでしょうか?」
『さあな。俺ですら、その時が来るまでは何も知らされなかったのだ。何でも自身で片付ける気質は姉譲りだろうが……。それか、どう足掻こうが泯滅の道しかないという事を確信しておったのだろうな』
「あの子は、そんな事を抱えながら……」
胸で拳を握るミクマリ。
『……そうだ。故に俺は妹巫女に従うしかなかった。彼女は里の者の命を救う事は初めから考えていなかったが、魂を救う事は捨ててはいなかった。滅亡後の事を考えて計画を練っていたのだ』
「でも、復讐がその手立てではないと思っていたのでしょう?」
『うむ。故に、自身の編み出した術を用いて、直接祓う事を企てたのだ』
「直接……だから地蜘蛛に斃されて黄泉に行ったと?」
『違う。地蜘蛛の術とは別物だ。妹は斃されてはおらぬ。まだ生きている』
「生きて……」
頬が緩むのを感じた。だが、それの意味する事に気付くと身体中から汗が噴き出始めた。
「若しかして、鬼に成ってしまったの?」
『それも違う。最後の生き残りの二人の内、当時に巫女だった方が鬼に成れば俺も無事では済まぬ。肉体を覡國に残し、夢を通して魂のみを黄泉に送る事でその役目を果たそうとしているのだ』
「そうですか、そんな術が……」
胸を撫で下ろす。“あの子”に自身が止めを刺し滅する結末は、この世界の全てが泯びようとも受け入れられない。
『……しかし、里の守護神である俺は鬼に近付きつつある』
「確かに。つまり、あの子の計画は失敗してしまったと仰るのですか!?」
『彼女も黄泉に根付いたのであれば、お前が一度俺の許を離れた時に、完全に鬼に変じてるだろう。ぎりぎりの処で堪えているか、難航しているかだ』
「で、では私達も黄泉へ行き、あの子を助ければ良いのでは!? そうすれば……」
『それはいかん。彼女の計画の内では聞かされておらぬ。それに、彼女は“片道限り”だと言っておった。黄泉から覡國へ戻るには、“欲深き母”の尖兵と成るか、鬼と成り影向する他にないと聞く』
「……それじゃあ……矢張りあの子は……」
崩れ落ちるミクマリ。顔を覆い啜り泣く。
『結局の処、当初お前に科していた復讐を果たす事が解なのは変わらぬのだ。サイロウの目を偸んで地蜘蛛衆を叩き、その後新たな復讐から逃れながら里を興せるかと言われれば不可能の様に思えるが。妹を信ずるのなら、それしかない』
「あの子は? あの子の身体は何処にあるの?」
『それが話せぬ事だ。某所で俺の結界で護っている。お前が近付く事で万一術が阻害されたりすれば拙い。それに、若しも身体が無残な姿に為って居れば、その時点でお前の心は死ぬだろう。そうなれば、俺も終わりだ』
「……そうですね。知らないままの方が良い。あの子はまだ、戦っているのね」
袖で涙を拭う。神の霧で編んだ衣は暖かい。
『だが、問題が一つある。これは俺も頭を悩ませているのだが、ミサキの言っていた“人が怨みを受けられる限界”の話がある』
「私も憂いています。地蜘蛛もまた人。サイロウは王。繋がりがある以上、憎しみの下に殺してしまえば私達はその報いを受ける事に為るでしょう」
『そうだ。心根の優しいお前は特に心配だ。夜黒ノ気は単純な量よりも、霊気や神気を塗り替える性質が強みだ。それに、お前が持ち堪えたとしても、俺はもう既に半分鬼に変じておるしな。……自分で言うのも何だが。俺が鬼に変ずれば、お前も“無理”だろう?』
少し照れ臭そうな声色。
「……はい」
巫女は少し笑った。
『故に、鍛錬を言い訳に遠回をさせている気がしないでもない』
「構いません。事に挑むならば万全を期すべきですし、何より遠回りの多くは善行でしたから」
ミクマリは立ち上がり、頭の翡翠の霊簪を整えた。
『お前はどう考える? 俺とお前で黒衣の術師を討ち黄泉の怨みを和らげ里の無念を晴らせたとして、その後やその歪が生むもの全てを包めて、良しと出来るだろうか?』
「秤に掛けて比べるのが卑しいのは承知しています。それでも私達は守護神と巫女。私達の里の為に在るべきでしょう。ですが、その後の事があります。あの子が里の再興まで含めて計画に入れているのに、私達が怨みを背負い鬼に変じてしまうのは話に為らない筈です」
『だな。或いは、怨みを受けても堪え切れるという事なのやも知れぬが。あいつは細かな処を説明しなかったからな』
「困りましたね」
姉と祖霊は互いに呆れた笑いを浮かべた。
「あの子の予知が的中するとして、結果が見えた上で託したのならば、どう動いても希望です。ですがそこが不明なのですから、私達は慎重を期すべきです。カエデさん……社の巫女から、地蜘蛛の衆は南方の村からの出身だと聞きました。加えて、自らサイロウに手を貸していると」
『また直接乗り込んで確かめると言うのか。地蜘蛛衆でもサイロウに就いた者が異端であれば、仮初めでも大義が立つ。そう為れば多少は気が楽だが』
「それだけではありません。サイロウと黄泉へ送る術を用いる連中が繋がる事、それに、サイロウ自身が一度黄泉から戻った経験があると云う話が気になります」
『黄泉から覡國へ戻る法を探し出し、黄泉へ行き妹巫女を助けると? ……大逸れた事を』
「何なら、全員分の魂を持ち帰ります」
ミクマリは床を睨んだ。
『“欲深なる母”に喧嘩を仕掛ける気か? 蟲も殺せぬ癖に。それに、持ち帰っても意味が無い。村の者の肉体は疾うに失われておる』
「……為らば、あの子だけでも。身体が無事かも知れませんし、そうでなくとも再び寿いで、あるべき場所に行かせてやりたい」
『賛成だ。期待はせぬがな』
守護神が笑いを含んだ霊声で言った。
「この地の難事を解決したら、次は地蜘蛛衆の村へと赴きましょう」
『ふむ。いつか感付かれて責められると思ったが、思わぬ希望が湧いたな。あいつが戻れるかも知れぬ、か……』
霊声は優しい。
「あの、ゲキ様」
『何だ?』
「先程は手を上げてしまって、ごめんなさい」
『あれは痛かった。肉が有れば俺がまだ上だが、今の俺を本当に祓えるだけの力が身に着いた様だな』
痛いと言いながらもゲキは愉し気に揺らめく。
「大丈夫ですか?」
ミクマリは右から左から覗き込む。
『大丈夫だ』
「良かった……あの、もう一つお尋ねしても?」
『何だ、妹の身体の場所以外なら全て答えるぞ』
「では、若しもあの子が甦ったとして、その場合は私と妹、どちらが“一番の巫女”になるのでしょうか?」
訊ねる娘の表情は一途。
『は? 意味が分からん』
「分からなくとも結構です。お答え下さい」
巫女が一歩詰める。
『分らん事には答えられん』
守護神は漂い逃げる。
「計画が済む頃には巫女を務めた期間や巫力を私が勝るのでは? 霊気に関しては既に自信がありますが」
『何を下らぬ事を』
「大切な事です。これまで、私はあの子の“代わり”として巫女を務めていたと考えていたのです。私には私だけ出来る役割がある事が良く分かりました。でも、裏を返せばずっとゲキ様とあの子が繋がっていたという事で……。その、信用の面でちょっと瑕が」
迫るミクマリ。逃げるゲキ。
『知るか、答えぬ』
「何でも答えるって言ったじゃないですか。嘘吐き!」
『勘弁してくれ。どちらも“俺の巫女”だ』
「そう言うのって無いと思いますけど! ……良いもん。あの子が帰って来たら、絶対に白黒付けて貰うんだから」
詰め寄るのを止め、態とらしく頬を膨らませ外方を向くミクマリ。
……するとその視線の先には、トムライの姿と先程まで同じ小屋で話をしていたホタル、カエデ、そして妹のアズサの姿があった。
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