巫行056 張切
妹を加えた一行は霧の里から離れ、西の地へと足を踏み入れていた。
「広い処。次の山が遠くに見えるわ」
高き峯から鳥瞰する広大な土地。緑は見当たるが遠慮勝ちで、土の剥き出しに為っている地ばかりが多く見受けられた。
川らしき筋はあるものの、異様にか細い。それでも、その筋に沿う様に人の手が入っていると思われる点が多々見受けられた。
これまでずっと、豊かで険しい山岳地帯を中心に旅の足跡を付けて来たミクマリには珍しい風景であった。
『広い土地だ。だが荒んでいるな』
「うちの里よりも大きいなー」
アズサは広大な地を見下ろしながら“やっほー”とやった。山中とは違い、山彦は返らない。
『豺狼の王の國はこの先の山々を越えた場所に広がる、ここよりも更に広い、川多き豊かな平野にある』
「サイロウ……。ゲキ様は嘗てサイロウと術を競い合った事があると仰っていましたが、何処の地での事ですか?」
『この地よりも南方だ。比較的俺達の里に近い地だった。故に気に入らんかった』
「成程」
『当時と比べて奴の版図は広がっている。俺が会った時はまだ國という程の規模でも無く、奴は各地を行脚していたからな』
「この地も彼の手に落ちているのでしょうか……?」
『分からぬ。だが山脈一つ隔てて隣で、関わりが無いというのは無理な話だろうな』
「平和であれば良いのですが」
ミクマリは不安気に荒野を見下ろす。
『そうだな。処で、あれは何だろうか?』
ゲキが言った。
「あれってどれやろかー? ゲキ様、指で教えてえなー」
アズサは額に手を翳し目を細める。
『アズサ、お前分かってて言っとるだろう。俺に指は無い。盆地を何か黒い筋が走っておるだろう?』
「何かしら。良く見えないわ……」
土の見えた大地に走る黒。川の幾つかもそこで途切れている。
『罅割れに見えなくもないが、この広い大地にその様なものが出来るだろうか』
「土が乾いたら、ばりばりにならへん?」
「確かに空気は乾いてるけど……」
黒い筋を辿って行くと、今度は遠方に煙を見つけた。
「奥を見て下さい。火の手だわ。暮らしの火の煙がここから見える筈は無いし。争い事かしら?」
『気になるな』
「目指しますか? それか、私が駆けて見て来ましょうか?」
煙を睨むミクマリ。
『平坦な地である故、お前の脚なら半日もあれば着くだろうが……。サイロウの手の者や黒衣の集団絡みであれば、まだ手を出すには早いと考えておる』
「……そうですね。まあ、あれは恐らく野火でしょう」
惨事があるかもしれぬ印であったが、ミクマリは大人しく引き下がった。
『野火と見るか。お前ならば心配して飛び出すかと思ったが』
「この地に入ってから、妙に空気が乾く気がするのです。遠目で良く分かりませんが、河川も随分と弱々しい様な……」
『ふむ。水分の巫女であるお前が言うのなら間違いないだろう。水の難事の気配があるのなら、情報を集めながら各地を廻ってみるのも良かろう』
「下山する前に、為るべく荷物を整えて置きましょう。水も多目に貯えて。アズサも手伝ってね」
「はい、姉様!」
それから一行は食料や薬草の確保に努めた。
ミクマリは今日も兎の世話と為り、アズサは先に編み出した音矢ノ術を使い、鳥を射落とした。
二人の巫女の手に依って集められた冬の野草を薬味や薬に加工し、これからの備えとする。
妹分も山歩きに慣れて来たか、姉が何も言わずとも独りで歩き回れる様に為っていた。
道に迷う事はあったが、その時は空を見上げれば翡翠の祖霊が目印代わりに漂って居たので子供らしく振る舞う必要もなかった。
ミクマリは、支度をしながら盆地の様子を窺った。遠方の煙は消えている。自然に治まったにしては迅速だ。誰かが消し止めたか、野火ではないという事だ。
何かの儀式の類だろうか。あれだけ大きく炎と煙を上げて報せる神事であれば、大きな神が居るのかも知れない。
一応気配を探っては見るが、偶に空で感ぜられる様な神気は無い。空に全く神気が無いのは珍しい。
この山の峯辺りを境界に、盆地に向かう程に草木の精霊達も弱々しくなっていく気がした。
『若しかすれば、先程の煙は雨呼びの儀式の一種なのかも知れんな』
とは言え、空は快晴だ。
「乾けば地面に罅は出来るけど、あんなにおっきなのは見た事あらへんなー……」
「それだけ水不足が深刻なのかも知れないわ。旱魃や日照りなら私の出番ね」
ミクマリは茜の帯を締め直し言った。
「姉様の活躍が楽しみやにー」
『そうだな。現地に水分の巫女がおらんのか、おっても力不足なのだろう。尤も、これだけの規模の雨不足で国津神達の神威も届いていないのなら、並の巫女では手に負える難事ではないがな。お前ですら難しいかも分らんぞ』
「山の水をお借りしてはどやろかー? 姉様なら湖位は運べそうやにー」
「うーん……。そんな事をしたら湖の神様が泣いちゃう。それに、この辺りの山の水だけじゃ足りないと思うわ。これだけ広い土地を潤そうと思えば、先に山が枯れてしまう。そうなると元も子もないの」
「成程。姉様が水術を繰らはる処見たかったわー」
残念そうに言うアズサ。
『術で何処からか水を移すよりも、元を増やすべきだろうな。水を掘り当てるなり、雨乞いをするなり』
「地下水は兎も角、雨乞いは難しいんじゃないかしら……」
空を見上げるミクマリ。快晴も快晴。一面真っ青な空。冬晴れと言うにも少し暑い位だ。
「ちいとあたたいなあ。春が来たみたいやにー」
そういうアズサの顔も春の陽気を醸している。
『兎も角、下ってみよう』
盆地へ下ると、早速乾いた土の地面が出迎えた。陽炎で景色が揺らいで見える。
川を辿るも、それは申し訳程度の水が底の方に流れるのみで、それもまた土に依り濁ってしまっている。
窪みの大きさを見るに、本来ならばそれなりに豊かであったろう河川。そこに集まるのは毛皮を持った獣ではなく、白骨化した骸であった。
命枯らす過酷な地に跋扈する生者は、死の使いである黒鳥、烏。加えて、少量の水と豊かな死骸に群がる蟲達。烏はそれらを貪り喰っている。
アズサは自身の身内の様な黒鳥達を多く目にしたが、余りにも卑しく黒穢に群がるそれ等を見ると、笑顔を物憂げに枯らしてしまった。
ミクマリも同様に、水を求めて絶命した生物へ哀憐の情を禁じ得ず一々足を止めた。中には旅の行倒れか、一揃いの人間の家族の骨も見つかった。
二人の乙女は自身の飲み水を僅かずつ割いて、最早魂も去った骸に祈りを捧げた。事実としては無駄な行為であったが、師もそれを咎める事はしなかった。
僅かな草木を追い、比較的穏やかな地に辿り着く。それでも矢張り、田畠は死の様相。労して引かれたであろう灌漑の罅割れが虚しい。
役目を果たせない耕地を通り過ぎると、土と木材で出来た小屋小屋が見えて来た。
『この分だと屋根も器も借りられんだろうな』
「寧ろ、お弁当を分けて上げた方が良いかな……」
呟くミクマリ。
『水と同じだぞ。ここでお前が施しをしたとしても、次が無いのだから』
「分かってます。ちょっと言ってみただけです」
口を尖らせる。施しは癖の様なものだ。自分が目指すべきは、この地の餓えを根から断つ事だ。
「村の人見当たらんなー。皆“寒貧短”になってしもうてるんじゃ……」
アズサは辺りを見回す。
「縁起でもない事言わないの。姿は見えなくとも、霊気は感じるわ」
『村民全員が既に肉を失っているのかも知れんぞ。案外その方が快適だったりしてな』
「ゲキ様まで!」
『冗談だ。大方、無駄な体力を使わぬ様に小屋に引き籠っておるのだろう』
「もうっ、何処かの家を訊ねてみましょう」
手近な小屋に沓を向ける。
『身包み剥がされぬ様に気を付けろよ』
ゲキが警告する。すると、小さな手にミクマリの袖が掴まれた。
「……大丈夫よ。何処の地でも巫女は有難いものだから」
「うう、せやなー。うちも巫女の内では滓やったけど、村の人等は大事にしてくれはったし……」
そう言いながらもアズサは袖を放さない。
『尤も、此奴に手を出すなぞ、命知らずにも程があるがな』
嗤う守護霊。
「良い加減怒りますよ」
「あ! 旅人が居る! すげー! 飢えとらん旅人や!」
村中で立ち止まった一向へ声が飛び込んで来た。
「ほんとや」
子供の主は子供達。彼等はこの環境下でも痩せて居らず、その表情もこれまでの夥しい死の転がる道筋から連想されるものではなかった。
「ねー、何しとるんー? 他所から来たんなら交換? お嫁さん?」
童女が訊ねる。
「私達は旅の巫女。何か困ってる事が有ったら、お手伝いしたいのだけれど……」
「へぇー。巫女さん。この巫女さんは若いなあ。うちん処の巫女婆さんは棄てられた。隣の爺さんもや」
「棄てられた?」
不穏な単語に顔色を変える。
「困っとる事ならあるよー。今ねー、虫探しとるんやけど、見付からんくて困っとるねん」
童女が言った。
「虫? それやったら、うちが探し方教えたるさー」
アズサが嬉々として言った。
「ほんま? やったー。巫女さんと虫捕りや」
「石とかまけてみた? 寒いと下に引っ込んどるんやにー」
子供達はアズサと連れ立って走って行ってしまった。
『良いのか?』
「大丈夫でしょう。大人は見えませんが、子供は元気で、邪気も感じない村です。それより、年寄りが棄てられたという話が気になります。何か悪さを働いたのでしょうか?」
『いつぞやの騒がし巫女を思い出すな』
「棄てられたのは一人ではない様ですけど」
『まあ、訊ねれば分かるだろう』
「わー。一杯おる!」
子供達の歓声。アズサは小さな役目を確り果たしている様だ。
「どれが食べられる奴やろ?」
「こーっと、これと、これは煮たらいける。そっちは暫く餓えさせてから炙って、それは脚をみじゃいて……」
ミクマリの耳に不穏な計画が聞こえて来る。
『……良いのか?』
「わ、私が食べる訳じゃないので……。多分、食べられる物が余り多く無いからでしょう。矢張り、水を先に何とかして上げないと」
ミクマリはゲキと連れ立って、小屋を訪ねた。
大人達は矢張り小屋に籠っており、身綺麗にした巫女を見ると丁寧に拝んだ。彼等は子供達と違って、痩せている者が多かった。
この村は言うまでも無く、旱魃に依る水不足と食糧不足に悩まされていた。
蟲の類と烏位なら口に出来た為、それで糊口を凌いでいるらしい。子供達には充分な量であったが、当然大人の身体には物足りない。
この地は元来、河川の水を借りて農業を営んでいた農村が多く、旅人もあり南方やサイロウの擁する國や、それよりも更に西方とも交易があったらしい。
特に、西の山では良質な“カンカンイシ”が採集されるらしく、彼の王の國に限らず、遠近各地から資源を求めて人間が集まると云う。
彼の王も無闇に全方位を敵に回す様な事はしないらしく、自身の國に遠くない山でも無法は働かないらしい。
だがそれは悪迄、政治上の配慮であり、版図を広げんとする性質は変わらず、この地も一年前までは彼の傘下としてに強引に治められていたと云う。
「一年前? 今は違うのですか?」
ミクマリが訊ねる。
「そうです。一番西にある集落の連中が追っ払ってしまったんや。それまでは、サイロウに無理矢理従わさせられとって、毎年農作物を巻き上げられとったんですわ」
痩せた男が語る。
サイロウは武力に物を言わせて、何十年も昔からこの盆地を支配していた。強要、脅し、そして見せしめ。最初に犠牲になった村は既に昔、今は残骸すらも残らない。
その内に彼の國に作物を納めるのが当たり前に為っていった。納めても住民達の腹を満たすのに足りる食物を調達する為、この地は農業が発達したのだと云う。
怪我の功名。そこまではまだ良かったのだが、最近になりサイロウが“腕試しに”この地の治水を司っていた神を呼び出し、剣を向けたのだ。
「神様を斃す為に呼んだ……」
『相変わらずの様だな』
「何や、斃されたのが偉い雨の神様の一部だったそうで。それ以来、この地には雨が降らんくなったんです。それだけやなく、奴は大地に大きな亀裂を作り出してもう滅茶苦茶で。元々はこの地には大きな湖があったのですが、それも干上がってしまったんですわ」
『亀裂……山頂から見たあの黒い筋か。そこに水が落ちたのが湖の干上がった原因として大きいだろうか』
「サイロウにはそれ程までの力があるのね」
ミクマリは身震いする。
神退り、この地から水が奪われた。残された大きな爪痕。被害は土地から恵みを奪っただけでなく、旅人を遠ざけた。
しかし、暴虐の王はそれでも作物の上納を求めたのだ。
長きに渡った主従関係であろうと、それ程までの苛斂誅求に黙ってはいなかった。
盆地に点在する各地の村落が蜂起した。盆地の連合は激しく戦い、支配者の手の者は撤退。
現在は一番彼の国に近い地にある西の村だけが、時たま戦を仕掛けられているのみと為った。
殺し合いによる命の危機は去ったものの、結局残されたのは荒れた大地のみ。支配からの解放を喜ぶ間も無く、彼等は虫を齧って暮らしているのだと云う。
「今朝も襲撃があったみたいですわ。快勝やった様ですが。最近は誰も心配もしまへんわ。黒い烽火を見ませんでしたか? あれが連中を追い払った証なんですわ」
「成程」
『王の手の者を何度も退けるとは達者な連中だな。逢ってみたい』
「私も、サイロウのやり方を良しとしない方達なら、仲良くなれそう」
「仲良くねえ……。巫女さんは逢いに行かん方がええですよ。連中は“蟲”ですから。盆地のもんも半々位で嫌ってますねん」
「蟲……」
「“火垂の衆”と呼ばれてる連中ですわ。飲み食いよりも術力比べの好きな連中で。誰彼構わずに喧嘩を吹っ掛けますねん」
矢張り、蟲と呼ばれるだけあって、難儀な性質を持っているらしい。
「と言っても、単に力比べが好きなだけで、殺生を好む訳やないんですけどね。サイロウの連中を追っ払ってくれたんも彼女達の集落の力が大きかったし、そもそも、蟲呼びを始めたんはサイロウ側なんですわ」
「そうなの。でも、嫌われてしまっているのですね」
「元々はこの地の黒穢を清め弔う役割を持つ村やったんですが、今度の村長は頭が悪いからなあ……。特に連中の使ってる術が問題でして。只でさえ干上がった土地なのに、連中は結ノ炎とか云う術の使い手で、術を使えば使う程この地の水気が……ああ、喋って居たら喉が渇いたわ」
咳き込む男。ミクマリは水筒を差し出す。男は礼を言うと一口だけ口にし、「巫女様の分を取ったらあかんな」と言って水筒を返した。
『火垂の衆はひとまず置いて、先ずは水の確保だな』
「圧政から解放されたのなら、後は水問題さえ解決すれば次第に諸々の問題も解決するでしょう。大地が潤えば草木が戻り、獣も戻ります。土が甦ればまた田畠を耕せるでしょう」
「おお、巫女様。雨乞いが出来なさるんで?」
「雨乞い……自体は出来るのですけど」
空を見上げる。矢張り斃されてしまったからだろうか、空には神気は皆無。あるのは青空と黒鳥ばかり。雨乞いは雨神や水神に頼む儀式である。神自体がこの地に居ないとなれば、相応に目立つ対価が必要となる。
「供物が要るのなら、村から食べ物を掻き集めますが。それか、娘っ子でも用意しますか? 子供ならその辺で飯探ししてる筈なんで……」
「……! いけません! 雨乞いはしません。水は代わりの手段で用意します!」
ミクマリは男の申し出を却下し、慌てて小屋を飛び出した。
――命を犠牲にして得る幸せは哀しいわ。折角、平和に為ったのに。
「良し、ここは……」
水分の巫女は両袖を持ち上げ、掌を地面に翳した。
『地下水か。都合良く見つかれば良いが……。少なくとも俺には水の気配を感ぜられんが、大丈夫か?』
守護霊が疑問を呈する。
「巫女様、何しとるんです?」
村人が首を傾げる。話をしていた男とは別の男だ。
ミクマリは返事もせず、うんうんと唸りながら地面に手を翳し村を徘徊し始めた。
「巫女様は何をしとるんや?」「さあ、知らん。何や気張っとるけど」
暇なのか、巫女の来訪を聞き付けた村人達が彼女の後を付いて回る。
「うーん……うーん……」
水の気配は見当たらない。浅い処は全く当てに為らない様だ。ミクマリは更に集中し、意味も分からず後ろに続く村人と共に辺りを練り歩く。
「巫女様何しとるん? うんこ?」
「アズサちゃんのおねーさんやろ? 水の巫女様や言うとったで」
「姉様、唸っとるけどどうなさったんやろけ?」
子供達も現れる。彼女達は何か、もぐもぐばりばりと口を動かしていた。
「ここだ!」
ミクマリはとある一件の小屋の傍で立ち止まった。石窯を持つ土造りの小屋だ。
「あのっ。ここの小屋、壊れてしまっても構いませんか?」
「いや、良くないけども。器作りの小屋や。尤も、水が無いから粘土を捏ねる事も出来んけど」
「代わりにここを水場に変えますから」
「ほんまに? それやったらまあ……」
村民は首を捻りながら承諾した。
「では、皆さん、少し離れて居て下さいね」
ミクマリは乾いた地面に両手を突け、地下深くに眠る水の流れに呼び掛ける。
「……? 何や、何も起こらんなあ?」
村民達は首を傾げる。ミクマリはずっと同じ姿勢を維持したままである。
「……え? 姉様、凄い霊気。えええええ!?」
声を上げたのはアズサ。ミクマリと地面を交互に見比べ仰天している。
「た、大変や。地面の下から音が……豪いこっちゃ! 皆、急いで逃げりー!!」
アズサはミクマリの周りに居た見物人達を急かし始めた。のろのろと離れる村人達。
「離れろ言われたから離れたけど……」
「足らへん足らへん! もっと逃げりー!」
「何を大仰な」
小さな巫女の慌て様に村民達が笑う。
「ええから、逃げなーーーい!!」
霊気の籠った絶叫。村人は全身を振動させ、慌ててその場を離れる。
すると、大地が揺れ始めた。
「何や!?」「地震や!」「大地の神様が怒っとるんか!?」
蹲り頭を抱える人々。
気合一発。水分の巫女が発声と共に気を解放する。強烈な風が巻き起こり、避難を促していた娘がひっくり返った。
巫女の足元に亀裂。それから地面が沈み、大地が泥の池と化してゆく。
池からは茶色く濁った水が次々と溢れ、見上げる程に吹き出し、次第に勢いを増して透き通った液体を迸らせた。
村の中に現れた水。それは休む事無く広がり、辺りの家々を巻き込んで大きな池を成した。村人達はアズサの警告で退避をしたものの、呆然とその膝を泥に沈めていた。
「み、水だー!!」
村民達の歓喜の声。彼等は水を濁ったままに気にせず浴びたり、口にしたりし始めた。
「い、一杯出ちゃった……」
乾いた笑い声をあげるミクマリ。彼女も半身を泥に沈めている。
『張り切り過ぎだ。マヌケめ』
師はすっかり呆れている様だ。
「あ、後は濁りが落ち着いたら池の底を固めて……。って聞いてないですね、皆さん」
ミクマリは髪や衣にこびり付いた泥を乾かし落としながら苦笑する。
村人達は既に大人も子供も一様に茶色に染まっていた。
「アズサ、壺や器を集めて来て。泥のままじゃ身体に毒だから、私が術で清めて水と土を分けるわ」
「はっ、はい!」
返事をするアズサ。そこへ悪乗りをする童男が彼女の顔に泥をぶつけて笑った。
「こらーっ!」
アズサはお返しにと泥を手に取り、音で震わせ飛び散らせた。仕返しを受けた童男が嬌声を上げる。
アズサの戯れは他の子供にも被害を及ぼし、それに応じた子供が泥団子を投げ返す。
それは無関係な村民に炸裂し、大人の彼は笑いながら手当たり次第に辺りに泥を掛け始めた。
泥合戦が次第に連鎖してゆき、泥と笑いが飛び交った。
「ちょっとアズサ、遊んでないで手伝っ……べっ!」
村の恩人の顔にも泥。
『ははは、様が無いなミクマリ。どれ、折角だから仕返しでもしたらどうだ?』
復讐を勧める守護霊も愉し気だ。
「もうっ。……まあ、良いです。それより、私決めました」
顔の泥を拭ってミクマリが守護霊を見上げた。
『おう、何をだ?』
「私、この大地を穴だらけにしてやろうと思います! 神を剋したサイロウに一矢報いるのです。この地に池を多く作り、それが大切にされればその内に多くの水神が産まれるでしょう。大地が潤えば嘗ての支配者は必ず悔しがる筈です」
ミクマリは鼻の下に泥を付けながら不敵に笑う。
『面白い。やって見せい。……だがまあ、張り切り過ぎるなよ。村民はまだ気付いておらぬ様だが、見た処は五、六件は小屋が沈んでおるからな。幸い中には誰も居らんかった様だが』
「えっ、本当ですか!? ど、どうしましょう。叱られてしまうかしら……」
慌てて辺りを見回す娘。特に彼女を咎める声は飛んで来ない。
張り切り過ぎた娘には、代わりにもう一つ泥団子が炸裂し、不遜な笑いが巻き起こったのであった。
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あたたい……暑い。
寒貧短……からからに干乾びてぺったんこになっている様子。