巫行051 旅立
結局、アズサとナツメは屋敷を飛び出したものの、行く当てもなく村をぶらついて居たらしい。
そして、屋敷で受けたミサキの気魄から醒めた二人はまたも村を騒がせて御用となった。
ミクマリとミサキはその報を聞きながらも膝を交えて話し込んで居たが、拘束されていた筈の二人が再三の喧嘩を勃発させた時、ある決断を下した。
「あんたの所為で耳が痛いんだけど」
「ナツメだって、うちの大事な残り少ない髪を焦がしたやん」
縄で縛られ、本部の巫女達に監視されながらも続く喧嘩。
「まさか、身内に霊気封じの呪術を行使する事になるとは……」
老巫女が溜め息を吐く。
「私も、女子供相手に武器を向ける事になるとは……」
こちらは屈強な戦士の男二人。一応は石剣の先が小娘共の首元に突き付けられている。
『俺も面倒を看切れんかったわ。済まん済まん。……それで、どうするのだミサキよ。矢張りアズサを贄にして済ますのか』
ゲキが巫女頭に訪ねる。
「生贄にはしません。他の神に捧げる予定だったものを別の神に捧げる事は、能々考えれば無礼ですから」
「じゃあ、どうするんですか母様! あたし、こいつと一緒何て厭です!」
「うちも厭や!」
「二人とも、静かに為さい。ミサキ様は既に二人の“処分”を決定していらっしゃります」
騒ぐ二人に言ったのはミクマリだ。
「「処分」」
二人は目を見合わせた。
「当たり前です。本来神に奉仕し、凶事を打ち払い人や神の為に使うべき巫力を下らぬ私欲に転用し、他者に迷惑を掛けたのです。二人には川を管理する村の巫女姉妹の任から降ろし、その衣を脱いで頂きます。村へは森の神との相性の良さそうな候補を選出し派遣します」
ミサキが言った。
「そ、そんな。あたし、腕前だけが自慢だったのに。巫女を辞めさせられたら……」
憔悴し切った娘の貌。
「……待って下さいミサキ様。私は構いません、でも、ナツメの事はどうか堪えたげて下さい!」
声を上げたのはその喧嘩相手である。
「アズサ、お前は一度死んだ筈の身。本来為らば、ここに居る筈の無い存在です。それが何を意見しようと云うのですか」
氷の如き返答。ミクマリも彼女の横に立ち、顔色一つ変えない。
「ナツメはミサキ様に認めて貰いたくて、ずっと頑張って来たんです。だから、他の子がミサキ様に優しくされるのが嫌で…・…。私と喧嘩に為ってしまうのもそれが原因なんです。だから、ナツメは、悪くないんです。私が居なく為れば、きっとちゃんとやって行けますから……」
「な、何よ急に。そ、そうやって良い子振ってミサキ様の機嫌を取ったって……」
図星を突かれたか、しどろもどろになるナツメ。身体はこの場から逃げようと力み震えている様であったが、拘束者達がそれを許さない。
「ナツメは巫女を辞めんときな。習ったやろ、人は死んだら黄泉に行くけど、巫女は死んだら高天に行くって。巫女辞めてしもたら、死んだ後も離れ離れやん」
「……どっちにしても同じよ! どうせあたしは大事にして貰えないんだから!!」
娘の叫び。
「だ、だんないよー! 寿いで貰うたら怨みも何も消えるし、巫女の役目やって終わりやもん。大事にしてくれるさー!」
母親は少し頬染めて溜め息を吐き、横に立つ巫女は少し微笑んだ。
「私が話をしているのに勝手に話を進めない様に。そもそも、巫女そのものを馘にするなんて話はしていません」
「えっ、じゃあ……?」
「ナツメ、貴女は巫女見習いに降格です。もう一度ここで学び直しなさい。それから、罰として貴女に与えていた小屋を取り上げます。今日中に荷物を纏めて“家”に帰る様に」
『成程な』
霊声も少し笑い混じりだ。
処分を言い渡された娘は何も言わなかったが、俯き膝の上で拳を握り、その上に一つ雫を垂らした。
「こーっと……うちはどうなるのでしょうか。う、わ、私なら、巫女を馘でも構いませんが……」
息を吐き、畏まるアズサ。
『アズサよ。一度、巫女と成った者は余程不遜で穢れた事でもせぬ限り、霊魂は高天に昇るのが掟だ。怨みを抱き、誰にも寿がれずに死ねば黄泉に行けるやも知れぬが……』
「そ、そうでした……。それも習ったんだった」
幼くして死後の展望を悲しむ娘。
「母様、アズサを馘にしないで。この子の両親はもう居ないの知ってるでしょ? まだ一人でやってけないよ。巫女を馘に為ったらどうすればいいの!?」
今度はナツメが懇願する。
「この子はまた勝手に。馘は馘です。どの道、村の姉妹も生贄に捧げた以上、一緒にはやり辛いでしょう。アズサは得手上、他でも使い出が無いでしょうから」
「じゃあ、家に置いてやって下さい!」
「その場合は喧嘩をしたら、二人纏めて追い出しますよ。御使い様の任の妨げに為るのならば、里からの追放も辞しませんが」
「う……喧嘩、しないから」
「信用為りません」
冷たく突っぱねる母。
「母様、矢張りあたしの事信じてくれない……」
『逆だろう。子だからこそ無理だと分かっておるのだ』
「私もそう思います」
部外の二人も苦笑と共に同意見。
「そんな、皆してアズサをどうしようっていうの!? ほら、アズサ。あんたからも御願いしなさいよ。我慢しよう。一緒に我慢しよう!」
彼方を見、此方を見て説得するナツメ。
「ナツメ、おおきになぁ。やけどうち、もう我慢はおとろしいわ。滓は滓らしく里を出て、“苦手”を活かして呪い師にでもなるさー」
あっけらかんと言う童女。
「いけないったら! 呪術師になんか成ったら、それこそ怨みを買って黄泉に引かれるよ。あ……あんたまさか!?」
「アズサ。黄泉に行っても、夜黒に染まった魂では弔われた御霊とは一緒に為れないわ。他の魂を穢してしまうから」
ミクマリが言った。
『そうなれば覡國へ害を為しに影向し、滅されるのみだな』
「……そっか。そやなー。当たり前やんなー。お父やんやお母やんも黒くするのは厭やなー」
漸う漸うその表情を昏くする童女。
「あんた達、信じられない。アズサに何か怨みでもあるの!?」
膨れる霊気と何かの焼ける音。ナツメの霊気を抑え込んでいた老巫女が悲鳴を上げた。
「鎮まり為さい!! 話は最後まで聞きなさいと何遍言わせれば気が済むのですか!!」
こちらも霊気が練り上がる。
「御二人とも」
ミクマリが口を挟み込む。母親は礑と気付き、霊気を鎮めた。
「ええとね。アズサは、私が引き受ける事にしました」
笑顔のミクマリ。
『……は?』
守護霊がマヌケな声を上げた。娘達も目を丸くしている。
「左様です。アズサの身柄はミクマリ様に引き受けて頂く事に話が纏まっております。私に最後まで言わせれば直ぐに終わったものを……」
ミサキが溜め息を吐く。
「尤も、アズサ本人が拒否したら他の手を考えなくっちゃいけないのだけれど……」
そう言って当人の顔を覗き込むミクマリ。
「えっ、へっ? うちが? ミクマリ様の旅の御共に!? ぜ、是非喜んで!!」
縛られたまま立ち上がるアズサ。体勢の均衡が取れずミクマリの方へと倒れ込み支えられる。
『待て待て待て待て! お前達、当の巫女の守護神を抜きに何を勝手に決めておるのだ!?』
ゲキは余程慌てたか、その場にいる者達の頭上を廻々と彷徨った。
「何ですか。お前らしくあれだとか、意地を張るなだとか人を散々煽っておいて。今更拒否はさせませんよ」
ミクマリは放すものかと、童女の頭を衣に埋めながら口を尖らせた。
『く、此奴め。おい、ミサキよ。お前だって分かっておるだろう? この旅が危険を伴うものだと。それにお前が御使いから託った……』
「……そうです。御使い様の意志はミサキの役にとって何より尊重されるべきもの。私には拒否権がありません」
『ぬう、若しやアズサを連れ出す許可を得たと言うのか?』
唸るゲキ。
「はい。私がこの提案をして直ぐにミサキ様は卜にて御使い様に御伺いを立てたんです」
「落とした羽根は床に立ちました故、“必須”との事です」
『ううむ……。いや待て、御使いが良しと言っても俺は認めんぞ!』
「えー。ゲキ様もアズサの事を褒めてらしたじゃないですか。弟子に欲しい位だって」
「ほんま!? 守護神様に弟子入りかいなー?」
腕の中のアズサは笑顔の頬を赤く染めている。
「悪さしたらいけませんからね」
ミクマリは祖霊の方を見て言った。
『何故俺の方を見て言う。童女趣味なぞ無いわ。弟子も取らん!』
「じゃあ、私の弟子にします」
「ゲキ様は大師匠様やにー」
『愚かな。未熟者の癖に弟子を取ろう等とは笑止千万。お前には任せられんわ。俺がやる』
「はい、では決まりで御座いますね」
ミサキが柏手を打った。その顔は明るい。
さて、それから小娘達の拘束は解かれ、それぞれの「処分」への仕度をする事と相成った。
ナツメは自宅の荷物を実家に戻し、先ずはこの顛末の報告をダイコン姉妹へ伝える任を担った。
アズサも同じく村へ旅支度の為に彼女と同伴せねば為らなかったので、全員揃って村へ戻る事となった。
ミサキへ一足先に別れを告げ、村へと引き返す。
報告を受けたダイコン姉妹は「ミサキ様の決めた事なら」と言いつつも何か思案する様な顔をしていた。
尤も、「次の巫女の配置には少し時間が掛かる」と云う追加情報を耳にして、直ぐに明白な落胆に変わったのだが。
「しっかし、あんたがこの人達に弟子入りする事に為るなんて……」
「うちも吃驚したさー」
和やかに言うアズサ。彼女は自身の通り名である“梓弓”を背負い込んでいる。
弓は大仰な代物で、彼女処か大男の背丈程あった。他にも何やらごちゃごちゃと荷物を背負っている。
「私もまさかこんな事に為るなんて」
提案した張本人も笑顔だ。
『俺が一番魂消たわ』
「守護霊さんが魂消たら“無”だと思うけど。……でも、良かった。アズサもちゃんと居場所が見つかって」
ナツメが言った。
『この態度の変わり様よ』
村へ引き返す際、ナツメはまるで妹の手を引く様にアズサの手を握り続けていた。アズサもまた、抵抗をせず大人しく従っていた。
「これでお別れだと思ったら、矢張り寂しくって。ごめんね、アズサ。今まで沢山意地悪して」
「良いわー。うちもやったしなー。どっちも水に流すんやにー」
そう言って二人は抱擁を交わした。
「……じゃあ、お別れだね。ミクマリ様、ゲキ様。アズサの事を頼みます」
巫女頭の娘は丁寧に頭を下げた。
「はい。頼まれました」
『安心せい。お前らを越える巫女に育ててやろう』
「一つだけ残念なのは、“あれ”が出来なかった事だね……」
顔を上げたナツメはやや不安気な表情だ。
「“あれ”?」
ミクマリは首を傾げる。
「霧の里では、里の者が旅立つ際には、残った者がその髪を環になる様に結って“また戻って来られます様に”ってお祈りをするんです」
アズサが答える。
「あんたのその髪じゃ、ちょっと無理だね。旅立ちの儀式は出来ないけど、必ず無事でいてね」
「うん。ナツメもお母さんと仲良くね」
ナツメはアズサの言葉に少し頬を染め「うん」と呟いた。
二人の様子を眺めるミクマリは満足気に頷く。
「あ……! アズサ、見て!」
表情を変え、遠方を指さすナツメ。
そのやや霞掛かった平野の先には、一本の大木。その上には巨大な黒鳥が留まっていた。
「わー、御使い様だ……」
「見送りに来たのかしら?」
巨大な烏は里中に響く様な大声で一鳴きだけした。
それから木を離れ、霞の中へと消えてゆく。
その巨鳥は普通とは違い、脚が三本ある様に見えた。
『ふむ、去ったな。では、行くか』
師が声を掛け、娘達は別れを交わす。
斯うして、里の無念を晴らす為の旅に、新たな道連れが加わった。
未だ童女の気色の抜けぬ娘。彼女の紡ぐ運命の糸はミクマリの織り成す生地にどの様な模様を与えるのだろうか。
霧の里は今朝も朝靄立ち込める風景を延々と連ね、遠く朝焼けの炎を輝かせていた。
彼女達の旅はまだ、始まったばかりである。
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だんない……大丈夫。
おとろしい……面倒臭い。疲れた。
梓弓……梓の木で作られた神事に用いるとされる弓。矢を射るよりも、弦の音を使う事が多い。
梓の木は現代におけるそれとは違い、水目桜を指す。
また、単に神事に用いる弓全てを梓弓と言う場合も。その大きさは流派に依り様々で、和弓程ではないものの、中には六尺二分(180センチ)の巨大なものもあったという。