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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
承ノ一 心鎖して
50/150

巫行050 役目

夜黒ノ気(ヤグロノケ)! まさか本当の鬼だったとは! 討てミクマリ! 奴の底力は雪の鬼女依りも遥かに優れるぞ!』

 守護霊の警告。


 反して、霊気に依る威圧を行っていた筈の娘は、髪と衣を激しく震わせながらも座を解かずに居た。


「討ちたくありません。仮にミサキ様が真の鬼であろうと、里長であり、御使いに仕える身。そして何よりも、ナツメの母です」

『土壇場になってまで、何故その様な事を。この者は実子に自分の育てた巫女を殺させようとしたのだぞ。お前も今の今まで腹を立てていただろうに。このままではお前が()られるぞ。返り討ちにする大義はある!』

 ゲキが説得する。

 しかし、ミクマリは相手の夜黒の炎を見る事もなく、ずっとその女の目を見続けている。

 (アマツサ)え、練っていた筈の霊気を抑え、髪や衣を遊ばせるのを止めてしまった。


『死ぬ気か!』

 ゲキはその身体の権利を奪おうとミクマリに飛び掛かる。しかし彼女は手を挙げ、それを制した。


「ミサキ様の動向には嘘があります。私には分かるのです」

 ミクマリが言った。


 すると、ミサキの掌に浮かんでいた明らかな黄泉(ヨモツ)の炎が消し去られた。


「御見通しで御座いますか。矢張り、ミクマリ様は御使い様の宣託にあった運命(サダメ)の者なのですね……」

 ミサキもその身に宿していた二色の気を掻き消した。

「何か深い訳があるのでしょう。ゲキ様、ミサキ様からは夜黒ノ気こそは感じますが、憎しみを感じないのです。本当に鬼であればナツメを追うか、アズサを殺すかしていたでしょう」 


――いえ、若しも本当の鬼母(キボ)為らば、母の愛を餌にナツメにアズサを殺させたでしょう。私が鬼為らば、そうする。

 ミクマリは自身を鬼に重ね思う。


『むう、確かにそこは妙だとは思ったが。しかし、その()の説明がつかんぞ』


「これは、ミサキである故の力です。神の御使いは、覡國(カンナグニ)に住まう生きた身。生きながらにして高天國(タカマガノクニ)黄泉國(ヨモツグニ)を行き来します」

「黄泉國も……」

「多くの人々は黄泉には神は居わさぬもの、居わしてもそれは神ではなく穢神(サグメ)偽神(ギシン)であり、神と性質を異なるものと決めつけています」

『実際、そうではないのか?』

「纏う気は違えど、本質は神のまま。生き物の欲や怨み、死等に働き掛けると云うだけで御神には違いないのです。ミサキはその御神達を黄泉神(ヨモツカミ)と呼んでいます」

「黄泉神……」

 そう言えば社の巫女のイワオも似た様な話をしていた。

 と為れば、蛭子神(ヒルコシン)も矢張り神なのだろうか。あの雪の村で滅した鬼は偽神ではなかったのだろうか。


「神もまた、巫覡と同じく何かに仕え司る存在。黄泉神は心を司り、国津神(クニツカミ)は土地を司ります」

天津神(アマツカミ)はどうなのだ。連中は勝手気ままに振る舞っておるが』

「自分自身。それこそが仕える先なのです。天津神は世界を創ると同時に世界を構成する要素そのもので、気ままに在る事が役目なのです」

『勝手だな』

「全ての神は益も害も表裏一体。荒魂(アラミタマ)和魂(ニギミタマ)揃ってこその存在。天津と国津に就いては御存知の通り。黄泉に於いても、害だけでなく役目と御利益があるのです」

『その様なものが……?』


「あるのです。負の心は肉を動かす力と引き換えられます。復讐も正しく行われれば心に晴れを(モタラ)します。そして死は、心身に安らぎを」

 御使いの使いの言葉。

 復讐者でもある二人には否定を吐き出す事は出来なかった。


「高天に行けぬ者の御霊を黄泉に行く事を許し、それを弔うのは黄泉國が魂の安らぎの場だからです。無念を持ち黄泉に縛り付けられた魂には(ハラエ)は届きません。それを晴らす唯一の方法こそが復讐なのです」


「でも、復讐をすれば新たな禍根や夜黒を呼び起こします」

「それは復讐の程度や方向、或いは方法が間違いなのでしょう。一人殺されてその者の為に一人を殺せば、仕手(シテ)は二人分の穢れを背負わねば為りませんから。多くの者の魂はそれに耐える器を持たないのです。故に、怨みの念が覡國に留まる内か、黄泉から送り返されて来た処で手を打つのです」

「では、蛭子神や鬼も何か役目を……?」


「御会いになられた事があるのですね。御使いが目を掛けるだけの事はあります。私はどちらも目にした事は御座いませんが、御察しの通りどちらもある種の神です。蛭子は黄泉より哀しみを持ち出し、無垢なる器にそれを託します。器は(ハシラ)と成り、巫女に滅されることで黄泉に溢れる哀しみを減らすのです。鬼もまた然り。その身を怨みや憎しみを受ける器とし、滅される事で柱としての役目を果たします」


「でも、泉の巫女達は水子を寿いでいたし、蛭子を呼ばない様にしていましたが……」

「天津と黄泉の性質の差です。水子は天に召される事に依り、高天の住人か“神の素”と成ります。しかし、天津神は気ままな為、此方から送ってやらねば為りません。一方、黄泉を支配する“欲深なる母”はその名の通り欲しがる質です。故に、均衡を保つ為に覡國の巫女が存在するのです」


『神々に振り回されるが人の運命(サダメ)か』

 ゲキが苦々しく言った。

 彼もまた、鬼と成れ果てれば、滅される事が使命となるのか。


「守護霊殿は神でも在りながら、鬼へと足を踏み入れて居られる様に思います。通常であれば、夜黒ノ気は神気を冒すもの。どちらの気も同時に持ち克、正気を保てるのは、貴方が元が意志の強い人間だったからでしょう。或いは、仕える巫女の力に依るものか。差し詰め鬼神(キシン)と言った処でしょうか。貴方の今後は、御二人の“人としての意志”に掛かっていると言っても過言ではないでしょう」


『鬼神か、気に入った。処でミサキよ。御使いは何故ミクマリに目を付けた? 川の神の態度を見るに、御使いが仕える神が古ノ(イニシエノ)大御神(オオミカミ)であるのは明白だ。御神胎ノ術(ミカミバラノジュツ)にて身体を貸す契約こそは交わせるが、悪迄は俺の巫女だ。訳の分らん勝手な仕事を押し付けられては困る』


「……」

 ミサキは目を閉じ、口も鎖した。


『言えぬのか。それとも、知らせなくとも何れ辿り着くと卜占(ボクセン)に出たか? 俺達は今更、信念を曲げる様な事はせん。社の巫女も何か腹に持っていた様だったが、お前達の思惑がどうであろうとも、唯、悲願を達成するのみだ』


「御二人の悲願とは?」


「私達の里は、黒衣(コクエ)の術師集団に依り襲撃され、(ホロ)ぼされたのです。里の者の無念を晴らす為に旅をしています」

 ミクマリが答える。

「黒衣の術師……は存じませんが。恐らくは豺狼(サイロウ)の王の手の者でしょう」

「嫌疑はありますが、確証はありません」

『半々よりも濃いとは思うがな』


「それを更に濃くする御話を致しましょう。術師、恐らくは巫覡の類。それでいて黒穢(コクエ)の象徴する色の衣を纏うのは、黄泉に関わりのある流派という事。サイロウは過去に一度、死の際を越えて黄泉國へと足を踏み入れたと聞きます。そして、再び覡國へと舞い戻ったと」

『甦ったと言うのか』

「はい。肉から魂が完全に離れ、黄泉へ引かれてから戻ったのです。彼はそれまでは霊感も無いただの童男(オグナ)でしたから。彼は黄泉へも関心を持っている筈です。それが行く事か行かずに済む事かは分かりませんが、黒衣の術師は恐らくそれに関連した流派なのでしょう」


『ふむ。処で、口振りからしてサイロウを見知っている様な気配があるが』


 ゲキの指摘にミサキは言葉を切り、間を空けて長く息を吐いた。


「全てを御話しましょう。御使いに止められていた訳でもありませんし。ただ、余りにも過酷な運命である故、私の人の心が躊躇したのです」

『勿体振るな。さっさと話せ』


「サイロウは、この霧の里の出身者です。と言っても、私も実際に会った事はありません。何代も昔のミサキの時代に産まれ、甦りを切っ掛けに芽生えた霊気を験す為に里を出ましたから」

「本当に長生きしてるのね……」

『力試しに里を出るとは愚かな』

 ミクマリはちらと祖霊を見た。

「それから数十年程経った頃、彼の悪名がこの隔絶された地へも聞こえる様に為りました。彼は多くの者を力で捩じ伏せ、多大なる禍根を生む存在です」

『話が見えたぞ。お前達の里の恥を、俺達に討たせようと言うのだな?』

「半分は正解です。確かに彼は里の恥。ですが、遠く昔に里を出た者の事を御使いは気に等掛けません。当時とは御使いも別の個体ですから」

『だったら何故だ?』

「彼の持つ“ミサキとしての才”が問題なのです。私が先程御見せした夜黒ノ気を繰る術。それと同じものを持ち、更には幼少時に黄泉國と覡國を行き来した事。その力はミサキを越え、まるで御使いそのものなのです。御使いは黄泉國は無論の事、高天國へも行くことが出来ます。若しも彼がその力を持ったとしたら……」

『成程な。野心溢れる男が高天國をも手中に収めんとするのを防ぎたいという訳か』

「はい。尤も、出来るとは思いませんが」

『同感だ。人の持ち得る力で天津神の暮らす國を荒らす事等は不可能だ』

「あの……サイロウも男覡ならば、死して寿がれればどの道高天へ上がってしまうのでは?」

『それでは野心も消えてしまうだろうが。今更になって基本的な質問をするな。執着というものは、“執着そのものへの執着”も生むものだ。欲する事を止める事を頭では望めても、心根から望む事は不可能なのだ。そうで無ければ、誰しも怨みや欲を棄てる事は容易いだろう』

「成程……」

「サイロウは、生きたままで高天へ上る事を企んでいます。人の身で神に成ろうと企んでいるとも。その為に、各地を支配して巫術の数々を修め、神器を求めているのです」

『只の欲かと思えば、随分と不遜な輩だな。若しも叶えば、高天國を荒らす事も出来るやも知れんな』


「どうで御座いましょうか。御察しの通り、御使いはサイロウが斃される事を望んております。御力添え頂けますか?」


 ミクマリは胸で拳を握る。

 使いをやり、多くの人々を苦しめて来た悪逆なる王。過ちを許さず、従わぬ者は滅する。自身とは真逆の性質。

 尊い神の御意志ならば、受ける必要があるのではないか。しかも、その手下に里を泯滅(ビンメツ)せしめた者共が居るのならば……。


『否だ』

 ゲキが言った。


「ゲキ様。どうしてですか? 序でとは言いませんが、黒衣の集団がサイロウの手の者であれば衝突は避けられないでしょう? サイロウは悪です」

『お前は少しばかり力を付けたからと言って、図に乗っておるな。先の川神への態度が示しておる。はっきり言うが、お前では奴には勝てぬ』

「霊気の研鑽が足りないのでしたら磨きます。里の事が第一なのも決して忘れる気はありません」

『マヌケめ。矢張りまだ青いな。確かに術力の差も当然だが、それ以前の問題だ。お前はこれまでに何を見て来た。多くの神や支配者は表裏一体であったろう。サイロウのやり口が悪であろうとも、その陰には命を長らえ暮らしを紡ぐ者が居るのだ。それを破壊すれば、多くの者の怨みや哀しみを受ける事と為るであろう。お前はそれを全て受け切れるか? それとも、罪薄き者達を返り討ちにする事が? 無理だな。それを可とする非情さがあるのであれば、俺は疾うに正気を失っておる』

「……」


 返す言葉も無い。ミクマリは顔を赤くして恥じ入った。


『ミサキよ、一つだけ訊ねる。御使いはミクマリがサイロウに勝つと信じて遣わそうとしているのか?』

「……いいえ。唯、向かわせろと。私の羽根占いにも“斬り伏せられる”と出ています」

『舐めおって。これだから高天の存在は。詰まりは良くとも相討ちか、サイロウを討つ為の手駒の一つに過ぎんと云う事だ。到底呑めた話ではない』

「そうですか……。尤も、抗おうとも運命(サダメ)から逃れられるかは分かりませんが」

 どう云う意図か、ミサキは「ほうっ」と息を吐いた。


『ふん、それを変えるのが人の力だ』

 翡翠の霊魂が揺らめく。


「……私では力不足でしょうか」

 ミクマリが呟いた。

『そうだ。力不足だ。お前はお前の器に足りる事だけ考えろ。言ったであろう。お前はお前らしくあれと。お前の領分は正義ではない。慈愛だ。話が逸れてしまっていたが、お前はこの女に何か言ってやりたい事があるではないのか? それ故に、この女の嘘を見抜いたのであろう?』


「そうでした……」

 少し哀し気な表情。出て行った二人の娘の事もすっかり端にやられていた。

「ミサキ様。神々や御使いにもそれぞれ役目がある様に、巫女にも役目があります。恐らく、ミサキ様はその役目を真剣に担っていらっしゃるのでしょう。ですが、私達は巫女である前に人間の女。そして、貴女はナツメの母親でもあります」


「……何を仰りたいのか分かりませんが」

 ミサキは俯いた。


『ミサキよ。ミクマリは嘗て、里長を務め、多くの子供を育てていた娘だ。そしてその絶望の末路を身を以て知っておる。若輩者ではあるが、旅に依り多くの知見と、多くの村落の暮らしやその盛衰を目の当たりにしている。何かお前の力に為れる事があるだろう』


「……」

 ミサキは顔を上げない。


『どれ、俺は少し外そう。あの不出来な娘達がまた騒ぎを起こさぬ様に監視しておかねばな』


 守護霊が退席すると、ミサキは(ヨウヤ)く顔を上げた。その顔は先程の巫女頭の厳しいものとは違い、何処にでも居るような悩める女の顔であった。


「お悩みがあるのなら御相談下さい。微力ながら御力に為りますから」

 ミクマリは微笑んだ。


******

荒魂(アラミタマ)和魂(ニギミタマ)……神の荒ぶり害為す側面と優しく平和的な側面。和魂は更に智や奇跡を司る奇魂(クシミタマ)、幸運に働き掛ける幸魂(サチミタマ)に分類されるという。

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