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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
承ノ一 心鎖して
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巫行049 一触

 凶鳥(マガドリ)退治の後、残った巫覡で手分けをして森に残された夜黒(ヤグロ)の残滓を祓った。

 ダイコン姉妹はすっかり霊気を枯らして身体を引き摺っては居たが、難事の解決にその表情は明るかった。

 アズサもナツメとの一件はあったものの、自身の活躍には大いに満足をしていた様だ。

 アズサの成長を目の当たりにしたゲキも、珍しく手放しで褒めていた。


 川の神と森の神へ新たな幣帛(ミテグラ)を捧げ、直会(ナオライ)にて腹を満たした頃には陽はすっかり沈んだ。


 屋根を供され、ミクマリは寝床へと横になる。大して霊気(タマケ)を使った訳でもないのに、厭に全身に疲労が纏わり付いていた。


 何となくだが胎が疼く。

 神和(カンナギ)の影響だろう。雷神の時と比べて刺激は微々たるものであったが、(クスグ)られる様な感覚が心を却って苛立つかせた。


 加えて、巫女姉妹達の一件が頭から離れない。特に三女と四女だ。

 妹に何処か似た面影のある童女に、母の愛に餓えた娘。

 ミクマリは、今や遠い昔の事の様に為ってしまった里での暮らしを反芻する。


 里の長として、家長として、子供や兄弟の世話に明け暮れた。ミサキとやらとミクマリの立場は良く似ている。

 ミクマリも同じ様に多くの子供に分け隔てなく愛を配っていた。だが、アズサとナツメの様な事は起こっていない。

 里が小さいせいか、血縁であろうとなかろうと大した違いはなかった。誰しもが家族だった。

 親は安心して養育者に子を任せ仕事をしたし、仮に親と死別れようとも、傍で誰かが見守った。


 霧の里では巫女候補に上がれば親元を離されるらしい。里は広い。逢えなくなってしまう。

 親には感謝され(ホマ)れとされる制度ではあるが、幼い子供にとっては試練に違いない。

 ナツメも親が生きており、近くで暮らして来たとはいえ、母とは立場や心に深い谷がある様に思える。


 だが、アズサの言っていた「死んだ後に一緒に居れるのは狡い」も良く理解できた。

 ミクマリ自身も里が(ホロ)び、全ての民と暮らす世を別ってしまっては居たが、父母巫覡にして、妹も同じく巫女。ミクマリ自身も運命の悪戯とは言え巫女と成っている。

 死後に高天國(タカマガノクニ)でまた逢えると考えれば、それだけでこの試練に満ちた旅の苦しみも半減するというものだ。


 このまま、二人はこの村で仕事を続けてゆく事に為るのだろうか。

 或いはアズサの申し立てを受けてナツメが他所へやられるのか。


 アズサ自身の事も気掛かりだ。

 彼女は巫女の姉妹の一員であり、広義ではミサキの娘でもある。だが、彼女を生贄として捧げる提案をしたのは紛れもなくその姉であり、許可を下したのは母だ。

 繋がりは血でも愛でも無く、単なる職務上の事。恐らく、感情上の事情等は受け入れて貰えないだろう。

 若しも、アズサの方が他所へやられたとして、立場はあるのだろうか。自他共に認める(カス)の扱い。ここではダイコン姉妹に認められたとはいえ、他所でも上手くいくとは限らない。


―――いやいや、アズサは成長している。伸び盛りだ。

 ミクマリは顔を振る。


 ゲキも『髪を切られてもあれだけの霊気が練れるのか。弟子に欲しい位だ』と褒めていた。しかし、幾らあの場では活躍出来たとは言え、彼女の能力は村の巫行では殆ど無用で、音術も……。


――深入りは無用だと思っていたのに。


「はあ……」

 溜め息。

 ミクマリが己に掛けていた誓約の縄は二人の娘に依って緩められ始めていた。これではいけない。私はここに暮らしている訳でもないのに。


 床に入ってから長いと言うのに、頭はまだ仕事を止めない。

 川神の残滓の所為で胎にも微熱。身体を冷やすにも川は遠く、そもそも当の川神の管轄の川で水浴みをする気には到底為らない。

 何処か罪悪を感じる疼き。神を降ろす度にこの様な夜を迎えねば為らぬのかと思うと、術を施した守護神や、今度の原因である神への苛立ちは募る。


 頭の中で二柱への悪口を並べる。厭らしい祖霊と、情けない(オロチ)。口煩い蘊蓄(ウンチク)屋と、言葉足らずの蛇頭。

 文句と寝返りを百程並べ立てた処で、床の中に固い物を見つける。


――珠だ。


 知らぬ間に生まれた神気(カミケ)の珠は、雷神の物と比べて随分と(ケチ)臭い大きさだった。元が自身よりも弱い神だ。効力も当てには為らぬだろう。

 それでも捨てるには忍びなく、大切に荷物の襷の袋に包んで置く。

 珠が出たせいか身体は温度を下げ、()()う眠りが娘に訪れたのであった。



 翌朝、ミクマリはダイコン姉妹に呼び出された。


 姉のダイコンに異変があったのだ。彼女はすっかり頬が扱けて目の下にも黒い隈を蓄えていた。

 気のせいか、例の太腿も僅かに痩せた様に見えた。

「どうなさったのですか? 昨日の疲れで? それとも何か病だったりしますか?」

 妹への態度を改めた女へ掛けられる声は優しい。


「いえ、ミクマリ様。何と申し上げますか……。神との交信は非常に疲れる儀式なのですね……」

 姉ダイコンの掠れた声。彼女は引っ繰り返りそうになり、横にいた妹ダイコンに支えられた。


「交信? 若しかして、川の神様が御出でになられたのですか?」

「その通りです。深夜、寝床で急に声を掛けられました。どうやら、火事の件で森の御神から川の御神へ苦情が入ったらしくて。これまでは面倒で声を出さずに居たが、態度を改めると」

「まあ! それは良かった」

「しかし、如何せんここと神の住まう川が離れている為、神託を行う為の(ホコラ)を川の傍に作らねば為らぬらしくて……」

「頑張り処ですよ」

 ミクマリは励ます。

「うう。あの川と村が離れているのは、元より神の意志とは関係無く雨期に溢れるからで、その傍に祠を立てるとなると、毎年建て替える羽目に為ります。また仕事が……」

 姉ダイコンは頭を抱える。

「姉様。川神と御話が出来るのだし、許可を取って河川を調整しましょう。さすれば祠も立て直しを免れぬやも知れませんよ」

「そうね。まあ、こちらの件は後で考えましょう。それよりも、ミクマリ様を御呼び立てしたのは川神の件だけではありません。一つ……御願いが御座いまして」

「何でしょう? 私で出来る事なら」

「私は暫く動けそうもありません。私に代わってミサキ様へ今回の件を報告して欲しいのです。勿論、部外の者だけでは話は通りませんので、アズサとナツメを伴って貰えればと」

 申し訳なさそうな表情。

「分かりました。御手伝いします」

 先に返事をしたものの、どちらか片方ならば兎も角、両方を連れて行けと言われれば表情は沈む。

 ミクマリは、何だか既に疲れて来た気がした。



 さて、本部のある村への道中。ミクマリの心配通りに、アズサとナツメの二人は喧嘩を繰り返した。

 どっちが悪いだの、どっちの手柄だの、どっちが強いだの。終いには御互いに里から出て行けと怒鳴り、術力比べをやり合った。

 流石にこれは慈愛の巫女も腕っぷしを以て止めねば為らず、彼女達の姉の流儀に倣って二人を水浸しにしてやった。


 ずぶ濡れの二人。火術使いの方は術に依り水気を乾かすと、(ハナ)を垂らすアズサを嗤った。

 アズサは憤慨し霊気を震わせはしたが、ナツメよりは思慮深いのかそれ以上はやり返さず、暫くは敵から離れて歩き、独り何やら唸っていた。


「ミクマリ様! 見て下さい!」

 唸っていた娘が呼ぶ。愉しげな声。今度は何かと溜め息を吐き見てやると、濡れていた衣がすっかりと乾いていた。

「どうですか? 音術で震わせて水気を飛ばしたのです! 大したものでしょー?」

 髪を切られ、そう経って居ない筈の娘にしては確かに良く出来る。昨日の一戦にしてもだが、「大声しか無い」と恥じていた時とは別人だ。

 ミクマリも正直な処では、褒めて頭の一つでも撫でてやりたいと思った。

 だが、ナツメの目の前でその様な事をする訳にも行かず、ゲキへもミクマリ自身が「どちらにも贔屓はするな」と予め釘を刺していた為に、微妙な笑みを返すしか仕方が無かった。


「詰まらない術を覚えちゃってさ。巫女辞めて家に帰って洗濯の手伝いでもすれば?」

 ナツメが勝ち誇った様に嗤った。


 直後、霊気の籠った音波が飛んだ。その次には火球。続いてまた水浸し。

 そんなこんなで村へ辿り着く頃には、一行はすっかり草臥(クタビ)れて口を利かなく為ってしまった。


 本部の村では霊気のぶつけ合いを察知したか、男衆が武器を構え、巫覡や見習いが腰に手を当てながらの出迎えであった。

 幸い、先頭に立って居た巫女頭は一行の小娘二人を見て直ぐに事情を悟り、自身の子達を引き連れた見知らぬ巫女へと謝り、直ぐに村民達を解散させた。


「里の者達が大変ご迷惑をお掛け致しました」

 巫女頭の屋敷へ通され、着席して直ぐに追加の謝罪。

 ミサキは年増の女で、ミクマリよりも一回り以上は年上に見えた。大きな黒羽根の飾りを胸元に着けている事以外は、他の霧の里の巫女と大差の無い装いだ。


「それで、本日はどの様な御用件で。予定とは違う事象が起こったのは分かりますが……」

 ミサキはアズサを見た。アズサは床に視線を落とす。


 ミクマリは最初に川でアズサを見つけた時の話から、川神から難事の解決を託された処までを話して聞かせた。

 ミサキは一つ一つに礼を述べ謝罪をした。彼女からは部外の巫女に何らかの嫌疑が掛けられる事は無かったが、話が佳境に入った頃にまたも二人が騒ぎ始めた。


「あたしが火術で敵を丸焼きにしたんだよ!」

「止めを刺したのはうちやん! あんな、御使いの烏様を夜黒の鷹が……」


『また、このやり取りか』

 ゲキが溜め息を吐く。


「違う。あんたは後から来て手柄を横取りしただけだ。姉様達と三人でやれた!」

「霊気を練りながらずっと見とったもん。三人共、ミクマリ様に迷惑掛けとったやん! 火事だってナツメの術の所為やったやん? 森の神様も困らせとったやん!」

「そもそも、あんたの髪の毛の所為で大事になったんでしょ! あんたが(カス)じゃなかったら、そもそも贄にも選ばれなかったじゃん! あんただって巫女だっただから、気付かなきゃいけなかったのに!」

 相容れない二人の娘は正座を解くと、滔々(トウトウ)掴み合いの喧嘩を始めた。

 とは言え、育ち盛りの歳の差というものは体格に如実に反映されるものだ。あっという間に“妹”の方がアズサを組み敷いてしまった。

「ほら見ろ。あたしの勝ちだ。あんたなんか、生贄になって死んでいれば良かったんだ!」

 勝ち誇り笑うナツメ。


 ミクマリは蛮行に及ぶ娘の母を黙って観察する。

 彼女もまた、娘の事を口を結んだまま見つめている。


「うち、こんな奴と一緒に巫女何て出来やん!」

「あたしもあんたが生きてるって知ってたら、村に来なかったよ! 母様、こいつを余所の村にやって。それか、本部に戻して。どうせ未熟者だしね」

「それ、うちが頼もー思っとった事やん! ナツメの方が帰れ!」

「……ふん、それも良いかもね。あたしの方が年上だし、大人気ないからね。村の巫女の役は譲って上げるよ」


 ナツメがミサキを見た。

「ナツメは任を果たしなさい。私情に依る意見は認めません。アズサは生贄が過ちだったとは云え、役目を果たせなかった(ザイ)があります」


「ちょっと待って下さい! どうしてそんな事。アズサが生き残ってはいけないと言うのですか!?」

 今度はミクマリが声を上げた。

「その通りです。アズサは既に死んだ者です。贄を供する際、御使いにも(ウラナ)いにて御伺いを立てているのです。代わりにナツメをやり、その分の巫女候補も補充しましたから。当初の予定とは変わりますが、森の御神へ御許しを得るのにでも使いましょうか」


 何て女だ。ミクマリは、今度は自分が腕を振り上げそうに為るのを堪えねばならなかった。


「か、母様。あたし何もそこまでは……」

 流石に動揺を隠せないナツメ。


「母様ではありません。ミサキ様と呼びなさい。ナツメ、貴女にはアズサを森の御神に捧げる任を与えます」

 巫女頭の指令。

「そ、そんな事出来る訳……」

 ナツメの貌に恐怖が張り付き、色が失われて行く。

「やり為さい」

「厭だ」

「為らば、私が先に処理をしてから……」

 ミサキが立ち上がる。


「……鬼だ。母様は鬼だ! 行こう、アズサ。ここに居たら殺される!」

 ナツメはアズサを無理矢理立たせると、手を引いて駆け出した。


 しかし、ミサキはそれを追わずに再び坐した。


「娘さんの仰る通りです。ミサキとは鬼の御使いなのですね」

 ミクマリは皮肉を込めた笑みと共に言葉を投げる。彼女の提髪は風も無いのに揺らめき棚引いていた。


「貴女も似た様なものでしょう。その様な神を連れて。私がその者の正体に気付かないとでも思いましたか」

 ミサキの指摘。守護霊が揺らめく。


『成程。分かって居ながら招き入れたか。娘共を外へ逃がしたのも、全ては俺を滅する為か?』 

 ゲキの放つ気が神から地の色へと変わる。そして薄っすらと黄泉の気配。

「まさか。全ては御使いの御意思。子の命や私の私情等は些末なものです」

 対抗するかの様にその身の霊気を高めるミサキ。木造の屋敷の柱が鳴る。

 一触即発の二者。


「里の方針や信仰に口を出す気はありませんが。信徒が鬼であれば神もまた鬼へと変ずるでしょう。どうか考えを改め頂けないでしょうか」

 二者に割って入る霊気は更に強烈である。持て成しに供されていた湯が飛蝗(バッタ)の様に部屋を跳ねた。


「御断り申し上げます。無知なる部外の巫女よ。神の御意志の深き処を知るはミサキの運命(サダメ)。御神の為ならば、(ジャ)にも鬼にも成りましょうぞ」


 ミサキは掌を上へ向けた。這い寄る気配。震える霊気。



 何もない空間に生み出されたのは、夜黒き炎であった。



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