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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
承ノ一 心鎖して
40/150

巫行040 紡績

 雪解けの村。村長(ムラオサ)の小屋。


『で、(ババア)よ。何か申し開きはあるか。貴様は比売の正体に気付いておきながら、他の者に隠しておっただろう』


 フブキは目を閉じ正座し、白湯の入った器片手に長く息を吐いた。

「守護神様の仰る通り、儂は比売神が神ではなく、鬼であるのを存じておりました。鬼は古来よりこの村を呪い、若い女を目の敵にして来たのです」


 盲目の巫女の口より語られるは、遥か昔の鬼女の伝説。


 まだこの付近一帯が今よりも寒く、冬に為れば山々が挙って白衣(ハクエ)に着替える時代。

 この村には一人の少女が居た。

 見目麗しく、長い黒髪艶やかで、小鳥の(サエズ)りの如き声で話す美姫(ビキ)であった。

 知恵も回り、心根も優しく、誰からも愛される少女。


 だが、彼女に不幸が襲った。大人の仕事を覚え切る前に両親が若くして死してしまったのだ。


 村民達は挙って少女を哀れんだ。少女は哀しみに暮れながらも、彼等の優しさに身を委ねた。

 彼女は満たされ、大人を見るまで労せず育った。


 しかし、彼女はいつまで経っても独り立ちをしようとしなかった。


 その美しさに任せ、男共を顎で使い働かず、足を泥で汚し手を冷水で赤切れさせる他の女共を嘲ってばかり。

 次第に心根は腐っていった。

 欲に任せて多くの男共を誘惑したが、妻を娶った男の多くは中々(ナビ)かなかった。同年の輩は彼女を残して皆大人に成ってしまった。

 それを面白く思わぬ少女は、誘引に従わぬ者やその伴侶を蔑み、(アマツサ)え食事に毒を混ぜたり蟲を(マジコ)り始めた。


 (サカ)しい女は怪しまれはしても、確固たる証拠は見せなかった。

 それ処か、一層呪力を磨き、その呪いに頼る者や(カネ)てからの虜を信者に置き、自身を女神と称し始めたのである。


 次第に村は呪術師の手に落ち、欲の尽きる処を知らぬ女は近隣の村々の男にまでも手を出し始めた。

 村の殆どは彼女のものであったが、それは力と見掛けだけの恭順で、真に彼女を慕う者ではなかったからだ。


 次第に悪評が広がり、村そのものが余所から拒まれる様になった。

 当時、この村は冬に為れば今と同じく雪に鎖される環境にあった。当然、冬場は他村に頼らなければならない。

 呪術師の女は村の暮らしを縛る縄となった。


 まず、最初に立ち上がったのは村の女共であった。幾ら呪術師とは云えど、その身は只の女。

 女は寝込みを襲われ、衣を奪われ、髪を抜き去られ、家財の一切を打ちやられた。

 従って居た筈の男共も村全ての女を敵に回す気概は無く、術師を(タライ)回しにし弄んだ挙句に、氷の張った湖へと投げ捨てた。


 女の怨みの声は冬の風を掻い潜り、一晩中村を(サイナ)んだ。だが、命尽きたか魂果てたか、翌朝には湖は静かになった。


 村は平穏を取り戻したかの様に思えた。


 しかし、春に為っても一向に村の雪は融けず、吹雪が荒れ狂い続けた。

 村民達は美姫の呪いだと直ぐに悟った。

 村を棄て、近隣に助けを求める為に彼らは荷物を纏めた。しかし、村から足を踏み出した女共が、次々と氷の岩へと姿を変じていったのだ。

 女達が村から出る事が叶わないと悟ると、男達も村へ留まる事にした。


 ()うして、万年雪に鎖された呪いの村が出来上がったのである。


『八つ当たりも良い処だな。不幸は大小あれど、誰しもが抱えるものだ。支える者を多く持ったというのに、それに寄り掛かり性根を腐らせたのは己の落ち度だ』

 ゲキは吐き捨てる様に言った。

「それでも、少し可哀想に思います」

 ミクマリは呟く。

『鬼に同情をするな。滅して無ければ付け込まれるぞ』

「村の方は、彼女がそんなに尊大に為るまで、誰も厳しくしようとしなかったのでしょうか。本当に彼女の為を想うのなら、彼等にもその責があったように思われます」

 守護霊を見上げる。緑の炎は同意するか様に揺らいだ。


「鬼と成った美姫は村を呪い続け、霊感のある者に働き掛けました。呪術に依りその者に強要し、自身を鬼でなく神と語り継がせたのです。長い時を経て、それは(ヨウヤ)く完全に女神と信じられる様に為りました。じゃが、とある巫力の高い巫女が神に不審を抱いたのです」


 フブキは瞼を上げた。白濁した瞳。


「当時の巫女は神の命に従い、招命ノ霊性(マネキノタマサガ)の鍛錬を日課として居りました。比売神を神和(カンナ)げる様にする為です。しかし、神が妖しいものだと気付いた以上、行を拒む様に為りました。比売神は怒った。そして、巫女の身体を乗っ取ろうとした……」


「若しかして、その巫女って……」


「左様。ミクマリ様の御察しの通り、この儂フブキです。儂は、身体を奪われようとも覡國(カンナグニ)で自由にさせまいと、先手を打って己の瞳を氷結させ自ら光を閉ざしました。比売神も醜く傷付き光を失った身体には辟易したのでしょう。儂に憑依する事は諦め、罵声を浴びせ服従を迫りました」


(シタタ)かな(ババア)だ。褒めてやる』


「守護神様、当時の儂はまだ二十で、比売神が欲する程の心身の持ち主でしたぞ。婆とは些か……」

『どうでも良いわ。それで心身共に穢れたものが憑依できぬ様に、代々の巫女に純潔の誓いを護らせた訳か』


「左様で御座います。心穢れた者は純潔の結界を厭います。儂以降の巫女は多くは有りませぬが、皆誓いを守り遂げました。そもそも、どれもが比売神の眼に適う程の器で無かったが……。何故ならば、招命ノ霊性の鍛錬法を儂は弟子達には伝えなかったからじゃ。純潔を守る事と力を不全にする事、儂が美姫を封じる為に講じた策は万全だと思われた。じゃが、この代で男にも霊力に恵まれた者が現れてしまった。そして運悪く、その男は招命の術に長けておった」


「ツキ様ですね」

 

「ツキには比売神の声が聞こえておったのじゃ。律儀な男でな、直ぐに儂に相談しに来た。巫女を差し置いて交信しては為らぬと言い付け、村内では霊性を閉ざして貰った。すると、今度はササメの身体に変調が現れた。唯一の肉の快楽である食事を奪われ、夢の世界も奪われた。ササメは次第に痩せ細っていった。ツキは神を疑いはしていた様じゃったが、核心には至っておらなかった。故に、儂がササメの変調を巫女としての完成が近いからだと言ったのを信じた」


「どうしてそんな事を仰ったのですか?」

「ササメを穏便に殺す為じゃ。鬼の器に成るに遠くは無かったからの」

「フブキ様……」

 眉を(ヒソ)めるミクマリ。


「儂も鬼ではない。正直言って、ササメとツキの仲は知り及んでおったし、我が孫が多くを禁じられ奪われる姿は面白くなかった。ササメも次第に幸せを得る他の若い女への怨みを募らせておった様で、このままでは果てる前に第二の鬼と成るのではないかと危ぶまれた。いっそ、二人に全てを話して、三人の力で鬼を討とうかとも考えたのじゃが、奴の実力は儂が(シカ)と存じて居る。犬死には火を見るよりも明らかじゃった」

『そこへ俺達が来たと言う訳だな?』

「その通り。御二人為らば鬼女を討てるやも知れぬと考えた。実の処を言うと、実力のある者が比売の領域に迷い込んだ際には、村へ招き入れる様にとツキには伝えておったのじゃ」

『喰えぬ婆だな。食えた婆なんかがおっても堪らんが。もしも、俺達の力が鬼女に劣った場合はどうする心算(ツモリ)だったのだ?』


「はははは! 御冗談を! ゲキ様の正体を、幾十年と鬼と共に過ごしたこの儂が見抜けぬとでも思いましたか? 他の者為らば騙せたかも知れぬが、その控え目な神気(カミケ)の下に隠した霊気(タマケ)夜黒ノ気(ヤグロノケ)も御見通しじゃ。儂は貴方が村に踏み込んだ時、酷く震えた。鬼女が姿を現し、剰え昔よりも遥かに強力な力を身に着けたのだと思っての」


『不覚。隠しきれてなかったか』

 炎を消沈させる霊魂。


「じゃが、貴方と共にあった巫女の気が雪解け水の様に清純で、何処か本物の神の香りをさせておった。そして、倒れたミクマリ様を守るゲキ様もまた、敢えて神気の結界で守った。儂は、この者達ならば村を長らく縛り続けて来た氷の縄から解き放ってくれるのではないかと感じた。……そして、それは見事的中した」

 勝ち誇った様に笑う老婆。

『身勝手だな。ミクマリの心根までも見抜いておったのなら、蜘蛛が糸引く様な事はせず、正直に話せば良かったのだ。神である俺が止めても、こいつは絶対にお前に助力したぞ』

 守護霊の言にミクマリは黙って頷いた。

「それは……儂の落ち度じゃ。矢張り長らく村に居座り、長として全てを操るやり口が心身に染み付いておったのじゃろうな……」


『要らぬ危険に我が巫女を巻き込んだ罰は受けて貰う』

 火勢を強める霊魂。


「村は呪いから解き放たれ、儂は目を掛けていた孫娘と、孫息子の様な二人を失った。悲願を果たし、楽しみも失ったこの命に最早意味は無い。命じられれば直ぐにでもこの老いた心臓を一握りの氷塊へと変じて見せます。祝詞は不要。儂は黄泉で魂を苦痛に浸します」

 胸に手を当てるフブキ。


「フブキ様。無意味に命を落とす様な事は為さらないで。貴女の役目はまだ済んでいません。巫女としての務めが終わったとしても、村長としての務めがあります。村の者はまた近隣との交流を取り戻すでしょう。多くの人との関わりは、幸も生めば不幸も生みます。再び鬼に変じる者が現れない様に、過ちを語り継ぐ者が居なくてはなりません」


「ミクマリ様は儂を赦すと仰るのですか?」


「違います。そもそも怨みにも思って居ません。それに、今のままでは死んだ後に高天(タカマガ)に昇った二人へ顔向けが出来ないでしょう?」

 諭すミクマリ。


 フブキは目を見開いた。

「今、何と仰いましたか!? 二人が高天へと?」


『そうだ。ミクマリは命を賭して二人の御霊を鬼の爪牙(ツメキバ)から救った。今やあの二人は怨みも不幸も捨て去り、高天で乳繰り合っている事だろう』

「そうで御座いましたか。ありがとう御座います。二人の魂は鬼に喰われたものだと……。ああ、感謝しても感謝しきれませぬ」

 老婆は震える手でミクマリを拝み、(メシイ)の瞳を光らせた。

「……然らば、儂は何か御二人に御礼を致さねばなりませぬ。言葉通りの寒村故、旅の御役に立てる物も余り御座いませんが……」

 老婆は(ハナ)を啜り言った。

「それでしたら、織物の技術をもう少しだけ教えて頂けないでしょうか? 思ったよりも早く事が運んでしまって、全てを習い損なってしまったので」

 ミクマリに教えたのはササメであった。今でもあの細い指が規則正しく糸を繰る様子が瞼に浮かぶ。

「喜んで。この儂が自らミクマリ様に当村の秘伝の技を伝授いたしましょう。この目は光を失っては居りますが、耳や手足が代わりを務めます故」


 斯うして、ミクマリは村を永遠の氷結の縄から解放し、織物の技術を得た。

 フブキは村の者に全てを話し、長きに渡り村を騙し、罪を犯した為政者として村民へ頭を下げた。

 村民達は若者の死を嘆き悲しみながらも、来たる春へ思いを馳せた。

 全てが丸く収まった訳ではなかった。ミクマリは神や鬼を剋す力の持ち主である事が知り渡り、湾曲的であれ村長と共謀し人望厚い若者の落命を手伝った者として見られた。

 感謝をする者は多かったが、その陰で「今までずっと、雪の中でもやって来られたのに」と言う言葉まで囁かれた。


 互いに命の恩人である故に、ミクマリは村民の前ではそれを甘んじて受け止め、胎の底で哀しみを弄ぶ。


「……これじゃ私達、悪者みたいじゃない」

 出立の前夜。小屋の中でミクマリは堪え兼ねて不平を漏らした。

『不愉快だが、そうしなければ村民達も不安で仕方が無いのだ。有力者を二人失い、雪解けと共に新たな暮らしが始まる。知らされた穢れの歴史への怒りのやり場もない』

 ゲキが宥める。

「ゲキ様、少し御甘く為られていませんか。以前だったら、こんな事があれば日がな一日文句を言ってましたよね?」

 祖霊を睨みながらミクマリは犬を掻き抱く。犬だけは何も知らず、撫でる手に身を任せ舌を垂らして幸せそうだ。

『そうか? お前のが移ったかも知れぬ。だが……彼等の、この村のやり直しは臭さず祝福してやりたいのだ』

 里の守護霊の炎は静かに揺れる。


「……そうですね。貴方の言う通り。今は唯、彼等の新たな始まりを寿ぎましょう」


 水分(ミクマリ)の巫女は両手を握り合わせ、見えない何かに向かってこの村の未来(サキ)の幸せを祈ったのであった。


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