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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
承ノ一 心鎖して
39/150

巫行039 鬼女

「あれは……(オニ)?」

 身体が芯から凍えそうだ。天へ上る赤雪の中、ミクマリは泣き笑いの形相をした女を見る。


『そうだ、あれが鬼だ。ササメが変じたのではない。黄泉國(ヨモツグニ)より影向(ヨウゴウ)した鬼が身体を乗っ取ったのだ』

「私と、ゲキ様との様な関係……」

『否定はせん。だが、信頼も無ければ、血に依った結びつきも無い筈だ。あのままではササメの心も魂も持たぬぞ』


 鬼女は喰らい付いていた男の首の肉を噛み千切ると、その身体を投げ捨てた。


「ツキ様!」

 悲痛な叫びを上げるミクマリ。

『助けよう等と思うなよ。治療の成否に関してはお前の力量次第やも知れぬが、あれを前に隙を曝け出せると思わぬ事だ』


 それでもミクマリは放り出された男の方を見た。

 一瞬にして広がる血の湖。その身体は脈打つ事も無ければ、苦痛を示す様子も無い。


 瞬間。娘の目の前に異様に爪の伸びた腕が迫った。

 霊気(タマケ)を直接ぶつけて弾くも、後方へ弾き飛ばされる。


『ミクマリ、無理はするな。俺と代われ!』

 守護霊が駆け寄る。


「やらせて下さい。……最早、ツキ様がああ為ってしまった以上、ササメ様も未来(サキ)を望む事は無いでしょう」

 背の痛みに顔を歪めながら身を起こす。彼女の背が打った氷面には亀裂が走っている。


「唯、腹が立って仕方が無いのです。何の謂れがあって、あの鬼と云う者は村を雪に閉ざしたのですか。何の大義があって、ササメ様を不幸に落とし、その身体で愛する人の命を奪ったのですか?」

 立ち上がるミクマリ。

『遥か昔に鬼と化し黄泉(ヨモツ)へ行った者だ。怨みの根源は()うに消えているだろう。怨み晴らせず地上に仇為す無差別の復讐者。それが鬼だ』

 氷鬼に義は無し。


赦さない(・・・・)

 巫女の提髪が激しくはためく。

 急速に練り上げられ身体に満ちる霊気。


 辺りに静止していた雪々が赤き氷目矢(ヒメヤ)と化し娘に迫る。跳躍。彼女の立って居た場所が針山と化す。


 空中には既に鬼。夜黒(ヤグロ)き片腕が振り下ろされる。

 霊気を込め両手で受け止め、その身を形作る()を祓い滅する。


 清められた腕は消え失せず、元の白い細腕を覗かせる。


「ササメ様、まだ……」

 不意を突かれもう一方の腕を突き込まれる。腹を抉られるのは避けるが、その爪に厚い毛皮の衣を断裂せしめる。


 着地。水筒の残りの水を引き出し、水に許される限界まで霊気を込める。

 宙で雪を蹴り反転する鬼目掛け水を放つ。水は膜と化し鬼の姿を包み込んだ。


「はっ!」

 両手を合わせ念じるミクマリ。水球は縮み、光を放ち爆ぜる。


 鬼は姿を元の細雪(ササメユキ)の巫女へと変じ、氷上へ墜落する。


 霧の中跪く鬼女。

「あゝ、(ソネ)ましい。仕合わせる女の全てが嫉ましい……」


「貴女を祓い、滅します」

 霧を手元へ集め水球に戻す。余り時間が無い。散らす度に水は減り、身体も冷えて肉が(シナ)やかさを欠きつつある。


「小娘め。やって見せい!」

 未だ瞳は金色の鬼のまま。凝視と共に赤く輝く霧が現れミクマリへと吹き付ける。

 咄嗟に身を躱す。指先が霧に触れると、骨の芯までもが凍結した。

 調和(ノドミ)の操気に依り即座に治療するも、当たり処如何(イカン)では致死に値する威力に心を凍えさせる。


 連発。逃げた先に赤い霧氷。再び躱すも、再三の絶対零度が迫る。


 ミクマリは懐に手を差し入れると、霧に向かって僅かな神気(・・)を放った。


 赤天の霹靂(ヘキレキ)。赤き天空から大地へ轟音と共に(イカヅチ)が突き刺さる。

 神気の風が辺りの冷気を吹き飛ばし、落下地点に浄化の炎を生み出した。


「神気!? 神術か!? 貴様、一体何をした!?」

 鬼が枯れた声で叫ぶ。


 手に握った雷神の(タマ)にはまだ神気が残っている。神の炎は赤い雪にも負けず、湖面を溶かし始めた。


 水を得たミクマリは質問には答えず、無数の水球を生み出す。手早く霊気を込め弾丸と成し、唸りと共に鬼女へと叩き付けた。


 しかし、水球は小さな氷の礫と化し、鬼女にぶつかり輝きと共に消滅する。

 それでも氷の鬼は目を見開く。

「圧し返せぬ程の威力。信じられん。神を上回ると言うか」


「貴女は神じゃない」


「いいや、我は神だ。誰もが羨む美貌を誇った女神だ。我は仕合わせを得られなかったのに……!」

「八つ当たりじゃない!」

 繰り返し腕を振りかぶるミクマリ。溶けだした水が彼女に従い、水の刃と成り鬼女の身体に迫る。


「水は効かぬ!」

 赤き霧氷が水を凍らせる。


――霧が来る。

 ミクマリは自身の脚が徐々に鈍く為っている事に気付く。


「我が神術、静止ス雪(ヨモツユキ)の神髄を受けよ!」


 鬼が腕を突きだし、握った。


「……っ!」

 心の臓が痛む。胸を押さえ、霊気を急速に練り上げ血を巡らせるが、胸の中から身体が()てゆくを感じる。


「獲った!」

 狂喜の声。鈍った娘の眼前に迫る死の霧氷。


 次の瞬間、ミクマリと同じ形をした紅の氷人形が出来上がっていた。


「矢張り、私は神だ。女神なのだ。全ての女より美しく強い。水術使いの巫女等に敗れる筈がない!」

 嗤う鬼女。

 命も霊気も無い人形へと歩み寄る。


「しかし惜しい事をした。この巫女の身体を無傷で頂くべきであった。この器であれば、黄泉から覡國(カンナグニ)へ上がる処か、高天國(タカマガノクニ)を目指せたものを」

 鬼の腕一閃。ミクマリの身体が肩口から腰へ掛けて切断される。


「手応えが、無い……抜け殻か!」

 鬼女の顔が歪んだ。娘を象った氷が粉と散る。


 背後に厖大(ボウダイ)な霊気。

 鬼は振り返るも心臓へ光の掌底(ショウテイ)打ちを受けた。


 絶叫。


「この我を欺こうとは。小娘めえええ!!」

「貴女は私が祓う。絶対に!!」

 赤黒き渦を背中から天へ立ち昇らせる鬼。ミクマリの掌からも徐々に感覚が消える。


――我慢比べだ。負けるものか、絶対。


 極寒の黒と白の光の中、ミクマリの意識が途切れ掛ける。


 鬼が笑う、我は強い。一転、苦悶。


 巫女が再び力を振り絞り、(ニエ)とされた女の身体から全ての夜黒ノ気を取り祓った。



 霧散する赤黒い(モヤ)

 しかしそれは薄れながらも、膝突き腕抑える娘へと飛び掛った。


『それは俺の巫女だ』

 娘の周りに突如として現れた結界に阻まれ、神を名乗った醜女(シコメ)の霊魂は完全に滅した。


「……ゲキ様。私は最後までやれました」

 腕を押さえ苦悶の表情を浮かべながらも、巫女の身体は再び霊気を練っていた。


『危なっかしい戦いをしおって。俺の心臓まで何度も凍りそうに為ったぞ。俺はお前を失いたくはない』


「う……済みません」

 早くも頬に紅を取り戻すミクマリ。


『さっさと腕を治せ。それから、雷神の珠はまだ使えるか?』

「は、はい。(キズ)は入っていますが、まだ神気を感じます」

 握ったままの珠を確認する。


『それを、取り急ぎ奴の開いた黄泉路(ヨミジ)へと投げ込め。開いた主がくたばった故に、閉じる者が居らぬ。充分な神気を注ぎ込んでやれば、黄泉側が厭うて路を閉じる筈だ』

「開きっ放しだとどうなるのですか?」

『勿論、色々出て来る。尤も、向こう側の主たる“欲深なる母”は黄泉國の主だ。故に無秩序は嫌う。見つければ、あちらで閉じてくれるだろう。だが、それがいつに為るかは分からん』

「成程」


 ミクマリは雷神の珠を御神渡(オミワタ)りが割れて出来た亀裂へと投げ込んだ。

 暫くすると、夜黒き穴の奥で雷鳴が轟き、大地を揺るがす震えと共に亀裂が閉じた。


 完全に立ち消える黄泉の気配。


「そうだ、二人は……」

 辺りを見回す。男の方は確認するまでも無かった。女の方は身体の形こそは保っていたが、唇と頬の色を一体としたその貌で離魂の事実を悟った。

『二人が死んだのは半分は俺の落ち度だ。雑魚と黄泉の尖兵を取り違えるとは、俺もとんだ大マヌケだった』

「助けられなかった……」

 ミクマリは氷上へ温かな雫を零す。

『何を言うておる。お前はササメを救ったであろう。それに、仕事はまだ終わってはおらぬ』


「それって……?」

 僅かな霊気。ササメの遺骸の上に薄く小さな霊魂。何処からともなく別の魂が駆け付け、その周りを回った。


『もう少し遅れていれば、ササメの魂は完全に鬼女に喰われ、滅する他になかっただろう。二人は巫覡の才のあるものだ。本来為らば高天へと昇る御霊。お前の尽力のお陰で、愛し合った二人の魂が永遠に引き離される事が避けられたのだぞ』


 二人の御霊は口を利かなかったが、ミクマリの前へと揃ってやって来ると、小さく揺らめいた。


「いいの、気にしないで。私は貴女達を赦すから」

 涙を拭い、少し張り付いた笑顔と共に魂達へ手を差し出す。


 いつの間にか空は碧落(ヘキラク)を取り戻し、暖かな太陽の微笑みを降らせている。

 巫女は太陽にも笑顔を返し、祝詞を上げる。



「高天へ、還りし命を寿ぎます」



 天高く伸びる清らかな柱。二人の巫覡の魂が高天へと登って行く。



 昇天を見届け、溜め息を吐くミクマリ。顔を降ろすと、二人の遺骸は既に消えていた。


『浮かぬ顔だな』

「二人とも生き残る術は無かったのかと、矢張り考えてしまいます。幸せに生きる未来(ミチ)もあったのではないかと」

『初めから仕合わせられた運命(サダメ)だったのだ。二人は若かった。若い内は強欲に欲しがるのが健全だ。幸せを求め、互いを求め合う力が強かった。偽神の力を欲したのも、連中の若さ故の過ちだろう』


 慰め。ミクマリは師の言わんとする事は理解出来た。それでも自身がその運命の生地の一糸に織り込まれていた以上、全ての咎を晴らす事は出来ない。


「私も、欲しがりなのでしょうか……」

『そうかも知れぬな。だが、欲さねば得られぬ。何事も求めねば見失うであろう。今のお前は、何を欲する?』

「何も要りません」

『詰まらぬ事を言うな。何でも申せ』


「そうですね……。だったら取り敢えず、頑張ったので褒めて頂きたいです」

 含羞(ハニカ)み守護霊を見上げる娘。 


 翡翠の霊魂が揺らめく。

『……ごほん! 良くやった! 格下とは言え、相性の悪い氷術を駆使する鬼を滅するとは、流石は俺の巫女だ』

 尊大な物言いだ。


「その言い方、止めて頂けませんか?」

 外方(ソッポ)を向くも、口元は緩い。


『いやあ、ミクマリは素晴らしいな。俺の誇りだなあ』

 抑揚のない霊声。

「嘘っぽいです。もっと自然で優しくお願いします」


『紅き氷結の術を受けた際、霊気を通した水の被膜で身を護り、更には己の像を作り出して敵を欺いた手腕は見事であった。その様、脱皮をする蛇の如し』

「人間扱いしてください!」


『理屈っぽく言ってやったのに。良いか、水神と縁が深いミクマリの巫女であるが、水神の多くは再生を司る蛇の精霊の出である事も多いのだ。俺はそれを引き合いに出し喩えて……』

蘊蓄(ウンチク)は良いので。もっと簡潔にお願いします」

『優しく簡潔で自然に褒めろと俺に注文する等、強欲にも程があるわ!』

 ゲキが滔々(トウトウ)怒りを見せた。


「欲しがりなので!」

 娘が笑い逃げ出す。守護霊もそれを愉し気に揺らめきながら追いかける。


 覆い切れぬ悲しみに笑顔を重ねて、ミクマリは雪解けの始まった村を目指し駆けた。

 糸の絡み次第では友人と成り得た二人の魂に、心の底で再度の寿ぎを捧げながら。


******

氷目矢(ヒメヤ)……木を切る時に補助に打ち込む楔。

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