巫行032 交易
イワオはすっかり降参した。
慈愛の巫女は試験を早くも三回中二回を合格で収めたが、残りの奉仕に関しても自ら買って出た。
力を悪用しない事を身を以て証明すると、守人の男は快く村の案内と持て成し、加えて本部へ取り次ぐ事を約束した。
「使いを飛ばしたから、本部からの返事を待つまではゆっくりして行くと良い。俺が直々に村を案内してやる。それにしても本当に驚いた。外にはおまんみたいな巫女が沢山おるんか?」
「どうでしょうか。旅もまだそれ程長くはしていませんし……」
――私みたいな巫女。
ふと、表情に影を落とすミクマリ。
「元気ねーのう。若しかして、俺が打った処が痛むか? 済まんの。仕事柄、怪しい奴には先に手を出す様にしとるんや。本当は、“お婆ちゃん”には女子には優しくせいよと言われとったんやが」
大きな体を窄ませるイワオ。「ごめんしてな」と繰り返す。
「御気に為さらず。少し疲れただけですから。怪我の方も平気です。……処で、あの方々は何をしていらっしゃるのですか?」
娘は努めて興味深そうに質問を繰り出した。
先程、岩の掘り出しを行っていた一団に、入村の時に追い越された岩入りの籠を担いでいた一団が加わって、何やら話し込んでいる。
「あれは、“カンカン掘り衆”や。こっからずーっと西の方にある山で採れる良質な石を運んで帰って来たんや」
「カンカンって何ですか? 態々遠くへ人をやってまで?」
「ここでも僅かに採れるが、質も量も今一やからの。西の山にも集落を構えてこっちに運んでるんや。“カンカンイシ”は質の良い安山岩でな、石の道具や楽器に使うんや。ここのカンカンイシの道具の評判を聞いて物品を交換しに来るもんが多いんや。旅人の出入りが多いから、俺みたいな仕事も必要っちゅう訳やな」
鼻を鳴らすイワオ。彼の瞳は、熱心に石の検めをする仕事人達を満足気に見守っている。
「他の旅人にもさっきみたいな試験をしてるんですか?」
「あれは実力のありそうなもんだけにや。霊気や身なりや身の熟しで大体の身分は分かるからの。暴れられると困りそうな奴にだけ試験を科しとる。信用せん様で悪いが、例の話とやらが無くとも、俺を打ち破ったら本部に通達が行く様になっとる。この村は本部の使いの鳥が見とるからの」
「ふうん」
ミクマリは上空に視線を向けた。のんびりと雲が浮くばかりで、鳥も師の姿も見当たらない。
村は石器が特産物なだけあってか、どの家々の外にも平たい石の台や丸太の輪切りの台が備えられていた。
そこでは男や女が道具の加工をしていた。木や骨を使った柄を整えたり、石を嵌め込んだりしている。野外で肉を焼く女も熱した石を使っての調理だ。
「畠はやっていないのですか?」
「畠はあそこだけやな」
イワオが指差す先には、山肌に段々に作られた畠があった。水路が完備されている様で、段を水が落ち行き渡るように仕掛けられている。
「ここは山間で斜面が多いから、水は兎も角、土地が狭い。あそこ以外じゃ果実の種を捨てる位しかやっとらん。狩りも隣村のが良い狩場を知っとる。もう少し本部に近い村では粟や稗を沢山作っとるよ。それらはここの品や仕事と交換や」
「ふうん、里の中で役割を分けているのね」
嘗ての里長は感服を込めて頷いた。男は娘の評価を目敏く取り上げると、表情を柔らかくした。
「渡来して来たもんが水田を験したんやけどな。それは失敗してしもたわ。作物を育てるのも難しいもんや」
「渡来? 水田?」
「はるーか遠く北西にある土地から来たらしい。遠過ぎて言葉が違う連中や。畠を水で満たして稲を育てる法を教えてもろたよ」
「凄い。そんな遠くの人ともやり取りしているのね!」
目を輝かすミクマリ。
「勿論、こっちも渡来人や旅人に教えられっぱなしやない。社の里は神様の信仰だけでなく、他の里や村に道具に就いて教えとる。特に石器や採掘に強いんや。皆で色々な知恵を分け合ったら、暮らしに困るもんも減るってお婆ちゃんが言っとったからな」
胸を張るイワオ。
ミクマリは中年の大男の口から再度出た“お婆ちゃん”に頬を緩めた。
男が自慢するだけあって、村には余所で見られない技術や品が多くあった。
石の呪術道具や装飾品はこの里発の品で、女性の身体を象った物や、男性の象徴を象った物が多く見られた。
呪術道具ではあるが、他者を害為すものではなく、妊娠や安産を祈願したり、植物の芽吹きを助ける効能があるそうだ。
石器と交換で遠方から持ち込まれた品も数多くあり、蓋付きの土器や、物同士を接着する力を持つ土瀝青もあった。
土器一つとっても様々な模様があり、蛇の鱗、鹿の角、鳥の翼、貝殻、縄、櫛か何かで描かれた奇妙な線等、種類が豊富である。
中には表面が鮮やかな赤色の品もあり、それは漆の木の樹液を塗布したものだと云う。
「便利の良い品や珍しい品を交換して教え合ってこの里は発展しとるんや。見飽きんやろ?」
しかしまあ、特に娘の目を引いた品は、村民の身に着けた朝焼け色に輝く石を加工した装飾品であった。
「あれは瑪瑙っちゅう宝石やな。ここでは俺が霊気を込めた石を御守りと通行証代わりにするんや。どんな石でも生半可な呪術や蟲は弾くぞ。おまんにはまあ……護りは不要やろうがな」
鼻を掻くイワオ。
「素敵な御守り。イワオさんの心が籠っているのね」
「“イワオさん”」
男は赤くなり、大きな身を捩った。
「……そや、忘れる処やった。おまんにこれをやる」
イワオは頭を振ると自身の首に掛けてあった管玉の首飾りをミクマリの首に掛け換えた。
「安心せい。何も術は込めとらん。俺の霊気が多少籠っとるだけや。それを見える処に引っ掛けて置けば、里では本部の方々以外はおまんに文句を言わん筈や」
「ありがとう御座います。でも、貴重なものでは?」
ミクマリは寂しくなったイワオの胸元を見ながら言った。
「こーっと……ま、せんどやるのは無理やが、おまんは特別やからの!」
土地訛りの言葉と共に男は笑う。
娘は自身の胸元に掛けられた瑪瑙の管玉を見つめた。
武骨で祖母想いな男の顔と瑪瑙の贈り物を見比べると、胸から何かが湧き上がってくる気がした。
日暮れの空が男の堀の深い髭面を、一層頼りのあるものへと魅せる。
――もしかして。
ミクマリの頭にとある言葉が浮かんだ。
風が吹く。
谷間を吹き下ろす晩秋の颪と、彼女の纏った水衣が悪さをし、肌を盛大に擽った。
「はっくしょん!」
湧き上がった感情は“くさめ”と共に何処かへと吹き飛んで行った。
ミクマリは夕餉には辛い味付けの狸と大根の汁を頂いた。
食事は石掘りの衆も交えて行われたが、連中は良く食った。彼らの、特に“カンカン掘り衆”は戦士でもあるらしい。
ここ数十年で、採掘場の取り合いで血が流れる様になったそうだ。
「昔は資源も知らぬ者同士でも分け合っていたんやがなあ」と、イワオは“お婆ちゃん曰く”で話して聞かせた。
食事が済むと、焼米の入った袋と屋根を一つ供された。
本来は旅人は旅人で纏めて寝床を貸すものらしいのだが、「おまんは特別だ」との事である。
寝床の灯りの下で洟を啜りながら水衣の改良を考えていると、刺す様な空気が小屋の隙間から流れ込んで来た。
谷の村では風が止まない。時折、冷気と共に遠くで石を叩く鋭い音を運んでくる。
娘は水の膜で冷たい侵入者を遮ろうかと考えたが、あの武骨でどこか無垢な顔を思い出すと、何となく悪い気がして控えておいた。
衣と霊気を弄る手を止め、瑪瑙の首飾りを見て微笑む。
件の“お婆ちゃん”が云うには、この辺りは彼女の若い頃は冬場に雪が積もったらしい。
ミクマリは雪と云うものは真冬の寒い日に雨に混じる程度しか見たことがない。
一面の雪化粧は美しいものだと聞かされて、隙間風の寒さに想像の雪原を弄んだ。
「……何かしら?」
結界を張らなかったのが却って功を奏したか、小屋の辺りに“何かの霊魂”が漂って居るのに気が付いた。
邪気は感じない。色こそは師と同じ翡翠だが、それ程に強い霊気でもない。巫女の見立てではその気配は怨みや哀しみではなく、心配の気の強いものだ。
巫女の居る小屋の辺りを彷徨っているのならば、何か助けを求めているのかも知れない。
ミクマリは外へ出た。
『うわっ、出てきおったわ!』
霊声だ。視界に一瞬だけ霊魂の尾が見えた。
「あの、どちらの御霊様でしょうか? 宜しければ御相談に乗りますが」
ミクマリは気配の去った方へ声を掛けた。すると、霊魂はこちらへ戻って来た。
『性悪ではなさそうじゃな。いやなに、特別の客人用の小屋の中で強い霊気の練りを感じたものじゃから、不審に思って覗きに来ただけじゃ』
霊魂は老婆の声を響かせた。
「不安がらせてごめんなさい。少し、術で衣を編んでまして……」
『ほう、矢張りお前か。熟達した霊性を扱う娘じゃ。昼間に話を偸み聞いたが、本部の方へ行くんじゃってな?』
「はい。御知らせしたい事が御座いまして」
『恐らくじゃが、本部の方々は既に事情を知っておる。派遣して居る社の巫女へは時折、白烏兎を飛ばして様子を見ておるのじゃ。儂が本部で偸み聞いた話では、お前さんの事も存じられておる様じゃぞ』
「そうなんですか……」
ミクマリは気落ちした。
少々厭らしい話には為るが、この口で社の巫女の無念と不幸を伝え、それと交換に何かやり取りが出来ればと考えていたのである。
『そして、本部の方々はあんたの事を待っておるのじゃ』
老いた霊声から意外な言葉。
「そうなんですか?」
『うむ。他流の巫女が吾等の緋袴を着て歩き回った事に物申したいらしい』
全てお見通しの様だ。ミクマリは青くなった。
叱られるだけなら良いが、罪に問われ盟神探湯に掛けられるのではないだろうか。
『青い貌をしとるが、心配はないじゃろうな。社の巫女の一派は本来殺生は好まぬ流派じゃ。あの直ぐ手の出る喧嘩っ早いイワオでさえ、賊を無闇に殺めたりはしない。まあ、それは儂が確りと教え込んでやったお陰じゃろうがの!』
霊声は楽し気に声を弾ませて語った。
「貴女はイワオさんとはどう言った御関係ですか?」
『あれは儂の孫じゃ。せんど“お婆ちゃん”言っとったじゃろう? あいつは仕方無い奴でな、儂が死んだ後もずうっと儂の事を口に出しおる。剰え、儂の形をした土偶なんぞ祀り上げるもんじゃから、守護霊になってしまったんじゃ』
霊声は溜め息を吐いた。
「守護神様でしたか。私の故郷も祖霊崇拝の流派で、守護神様がいらっしゃります」
彼は今頃何をしているだろうか。
『神様なんてとんでもない。儂は只の逝き損ないじゃよ。ここの神様は交易の神と決まっとる。大勢の旅人が出入りして、誰しもが旅の安全祈願をするんじゃ。後は、石の神の気が頻繁に生まれるが、大抵はカンカン掘り衆にくっ付いて行って、西の山で大きな神に成りつつある様じゃな』
「御詳しいんですね」
『一応儂は近隣の神々に御許しを得て石社の里をずっと見守っておるからのう。この姿に為ってからは良く他の神や霊魂の事が分かる様になった』
「イワオさんとはお話をするんですか?」
『とんでもない。そんな事したら、あいつは絶対に甘える。儂は一度も姿を見せとらんよ。お前さんも、儂の事は秘密にしといてくれな。本当は早う安心して高天に返りたいんじゃが、あいつは結婚する気配も無いからのう』
「ちょっと乱暴ですけど、根は優しい方じゃないかしら。村の方々も頼りにしていらっしゃるみたいですし。その内に相手が見つかりますよ」
イワオは顔立ちは奇妙ではあるが、整っていると言えなくもない。
ミクマリも「好きか嫌いかと聞かれれば前者を取るかな」等と考えた。
『お前さんが嫁になってくれりゃ願ったり叶ったりなんじゃがな。今日の働きぶりは見ておったし。じゃが、神が許さんじゃろうな』
「私は交易の神様に余り良く思われてないのかしら」
ふと不安になる。交易しに来た訳でもない部外の巫女だ。
『逆じゃよ。あんたは既に神から何倍もの恩寵を受けとる。気に入られとるんじゃな』
「そうなんですか、良かった」
ミクマリは安堵の息を吐いた。
『……じゃが、それ故にあんたはここに留まる事を許されん』
脅す様な霊声。
「えっと、それって?」
『旅の加護を沢山貰ったもんが留まったら神の意向に反するじゃろ。それに、余分に加護を頂いたという事は、それだけの加護が無ければ打ち消せない苦難が待ち受けておるという訳じゃ。お前さんは何か大きな運命を背負った娘の様じゃ。本部の者もそれを見越してあんたを待っておるんじゃろうて』
「運命……」
『ま、年寄り婆は久しぶりに部外の者と話が出来て満足じゃ。お前さんは儂の見立てでもええ娘の様じゃし、孫は孫で役目を務めていればその内に神が縁を運んでくれるじゃろ。御互い、何も心配する事はない。唯、お前さんのこれからの路は決して平坦ではない事だけは忠告しておくぞ。……ではの』
老婆の御霊は予言とも預言とも付かない言葉を残して去って云った。
娘は空を見上げる。
今宵の晩は新月。風が星明かりに薄く浮き上がる秋雲を疾々と運んでいた。
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土瀝青……アスファルト。縄文時代には既に東北等一部地域で接着剤として用いられていたらしい。
漆……漆も同様にこの時代からあった。
颪……冬場に山から吹き下ろす風。有名な処では六甲おろしや八ヶ岳おろし、伊吹おろし等がある。
白烏兎……烏兎はカラスの呼び名。白いカラスの事。




