巫行031 石社
社の流派の本部を求めての旅路。水分の巫女は方々の集落で難事を解決しながら情報収集に努めた。
水源の具合を見てやったり、怪我人を癒したり、便利の良い薬草の煎じ方を教えてやったり、村に害為す悪霊を祓ったりした。
衣は社の巫女の神威を失ってしまっていた為に、只の薄汚い衣を着た呪術師と見られたが、折れず積極的に霊験を顕す事で信を得た。
難事の解決は水や心身の病、霊的なもののみならず、村落に害す賊徒の類や、冬に備える熊の退治にも及んだ。
賊は死なぬ程度に叩き、巫女の盟神探湯ではなく村の法に任せた。熊には手心を加えず、謝罪と感謝を以て人々の糧と為って貰った。
そして、見知らぬ人里で眠る夜はトウロウより学んだ結界で夢を冒されぬ様に努めた。
ミクマリは最早、これらを割り切り行える様になった自分自身に悲しまなかった。
それでも彼女は村々では子供と遊び、足を挫いた旅人は正体を確かめず癒し、休息時には擦り寄る獣の鼻先を愉しんだ。
守護神も彼女へと過度な干渉や指示を行わず、感想や多少の意見に留める事が増えていた。
旅が進むにつれ、本部の所在が明らかになる。幾つかの峯を越え、頂上から見下ろす村落の中に強い霊気を感じた。
『愈々、社の巫女の管轄する里に辿り着いたな』
「そうですね。彼女達の領内に入る前に、一つやって置きたい事があるのですが」
娘は守護霊を見上げた。近くから川の潺が聞こえて来る。
『水浴みか? 離れるか?』
「ええと、水浴みもですが、もう一つ験したい事があるので、離れずに居て貰っても宜しいでしょうか?」
『御印に変化でもあったか?』
「違います。水浴みの後に支度が出来たら呼びますから、絶対に覗かないで下さいね?」
頬染める娘。
『良く分からんが、分かった。この辺りに居る』
霊魂は退屈そうに円を描く。
「覗かないで下さいね?」
ミクマリは川の方へ向かいながら、前科者へ振り返った。
『覗かんわ。耳を澄ますだけにしておいてやる』
「耳も無いでしょうに……」
手早く垢を落とし、身体の手入れをする。
続いて術で水を均して水鏡を作り上げ、それに映った自身の顔と睨み合いながら、前に屈んで黒鉄の刃で伸びた髪を整えた。
それから、舞いの鍛錬を省き、代わりに一帯の清水を更に清め、それらを自身の支配下に置いた。
「この位の水なら良いかな」
呟く巫女。彼女は新たな業を験そうとしていた。
探求ノ霊性を用いて、流れる水を最大限に細く引き摺り出す。それを撚り合わせ糸を拵える。
本来ならば糸から布地を織るのだろうが、今の彼女にその技は無い。試行錯誤するも断念となった。
薄い膜を作り出し、布に見立てて衣を仕立ててみた。形はそれらしい品が仕上がった。
験しに袖を通してみるが、矢張り元が清流とだけあって、自身の肌の色が透けてしまっている。
そこで彼女は白い濃霧を纏ってから薄い水衣を被り、更に霧を重ね、もう一枚衣を羽織る事にした。
「ゲキ様、ゲキ様」
近くで退屈を殺している師匠に呼び掛ける。
『やっとか。倦み過ぎて昇天するかと思ったぞ』
守護霊が現れる。
「これ、どうでしょうか?」
やや声を上擦らせるミクマリ。
彼女は川の水で編んだ衣を披露した。
社の巫女の白衣を真似た上着に、同じく形だけ真似た水の白袴。
丈が長く、大袖や袴の裾は霊気が乱れているのか、その部分だけ水が散ったり泡だったりしている。
『紡ぎを験したのか。血の衣よりは見られる様にはなったが、少々仰々しいな。袴が荒ぶる瀑布の様だ。滝の巫女とでも改名するか?』
「これでも努力はしたのですが。矢張り、織物を学ばなければならない様です。どうにも生地が固くって。先の方まで形を整えると、お腹周りが固くなり過ぎてしまうのです」
身を捩ったり足を上げて見たりするミクマリ。白い滝の様に見えるそれは、傍目には布に近い動きをしていた。
『だから布地からやらねばならんのだ。暫くは前の衣で良いだろう』
「でも、あそこまで穢れた衣を着けて立ち入るのは無礼かと」
『ううむ、それもそうだな。特に、自分の流派の衣を部外の者が纏い、それが血で穢れていると為れば穏やかではない。水で衣を編むのなら、技術を得るまでは丈をもっと短くせよ。霊気を通す量を減らせば多少は扱い良くなる筈だ』
指南を受け、ミクマリは再び衣を拵える。
今度は袖を小袖に変え、袴は膝丈にし、肌隠しの足しに榊の葉を拝借して混ぜ込んだ。
絵元も古びた麻から蔓に変え、樹皮の帯や榊の実を使った飾り紐を誂えて、彼女なりに意匠に拘った。
再度の審査では「少々土着の呪術師らしくなったが、まあ良し」と云った尊大な評価を頂き、ミクマリも水鏡に映した自身の姿に小鼻を膨らませた。
「衣が出来たのは良いけれど、少し寒いかしら」
洟を啜る。
『霊気の練り方が足りてないのではないか? お前は量ばかりで質が物足りんからな。神気を込めた水であれば、炎で干上がる事も、寒さで凍る事もないのだが』
「何か良い手が無いか、時々験してみます」
こうして装いを新たにした水分の巫女は、満を持して守護霊と共に社の巫女の管轄する里へと足を踏み入れた。
『済まぬがミクマリ。ここから先は独りで行って貰っても構わぬか?』
村の中の様子を窺える距離になった頃合い、守護霊が言った。
「何故ですか?」
『巫女に余り視られたくないのだ。本部の信仰は太古の神だが、集落一つ一つでは別の神の気配もあるだろうし、部外の神が立ち入るのは拙い』
「そうですか……。少し寂しいですが、了解しました」
言葉通りの顔で言う娘。
『うむ、済まぬな。遥か上空で暇を潰しているから、万が一何かあったら天へ向かって霊気を飛ばして呼び掛けろ』
そう言うと霊声は空へと溶けて消えて行った。
ミクマリは里に足を踏み入れると、自分以外にも路を行く人の姿を幾人も見つけた。
狩猟に出掛ける村の者だろうか、槍や投弾を持ちながらも談笑して村を出て行く者。秋の成果物と思われる野菜がたっぷりの籠を背負った者。
村の者多くは獣の皮の服を着ていたが、それとは大きく違った丈の長い麻の衣を着た男女混合の一団も見え、外から来たと思われる年増の巫女が男に声を掛けていたりもする。
その中には全く理解出来ない言葉で喋る集団が居り、彼等は背が少し高く、面長で低い鼻をしていた。
「面白い里だわ」
ミクマリの前をまた別の集団が通過する。何やら数人掛かりで竹を通した籠を運んでいる様だ。
籠には黒曜とは違う鈍い色の岩石が詰まっており、村へと続く斜面で固く楽しい音を弾ませている。
運び手の男共は皆一様に手足逞しく、巌の様な肉の膨らみを付けていた。
彼等を物珍し気に眺めて歩いていると、何かに側頭部を打ち付けた。強烈な痛みが頭を駆け抜ける。
何事かと衝突物の正体を涙目で追うと、それは路の左右に生えた二本の石柱であった。
石柱は上方で更に別の石柱を寝かして渡しており、何らか人の手で組まれた物である事が分かる。
「マヌケ娘め」
痛む頭を摩りながら見上げていると、何者かに声を掛けられた。一瞬、師に失態を見られたのかと頬を染め声の主を振り返る。
「わ、私ですか?」
「そうや。変な衣着た術師の娘!」
そこに居たのは、先程の運び手よりも立派な体躯の男性であった。
彼も先程の珍しい顔の集団とは違ったが、普段見掛けない顔立ちをしている。何処か遠方の血が入っているのだろうか。
岩の様な頬や顎を持ち、鼻は異様に長く、肌は武骨さに似つかわしくなく色白。気のせいか、瞳の色がやや緑掛っている。
そして肌色と対照的に、黒い艶やかな髭が叢生していた。
その髭は生えっ放しではなく整えられており、黒髪も上で纏められ紐で結われている。
服は麻の衣の上に毛皮の腰巻。衣には赤と緑の染料で何かの植物らしき紋様が描かれていた。
首には良く磨かれた瑪瑙の管玉、手首にも同じく……。
「いつまで見とるんやい!」
男は岩の様な拳骨がミクマリの脳天を叩いた。娘は二度目の頭部の痛みに涙を零す。
「ご、ごめんなさい。でも、叩かなくっても良いでしょう!?」
「眼力で霊気を送られて、何や呪術でもやられたら困るからな。おまん、余所の巫女じゃろ。ここから先は社の巫女の領域や。何しに来たか言え」
男は両腰に手を当て娘を見下ろす。厳めしい顔だ。
「私は、水分を役目とする漂泊の巫女です。旅先にて社の流派の方々の御耳に入れたい話を得たので、御知らせに参りました」
ミクマリは頭に霊気を通わせ出来た瘤を引っ込めながら申し開いた。
「ほおん。“カンカン掘り衆”にくっ付いて来た売笑かと思うたが、本物の術師の様やな。俺は石社の里の守人で、この村の男覡の“イワオ”や。おまんみたいな他流の巫女や賊が里に入り込まん様に見張るのが仕事や」
「御通し願えませんでしょうか?」
「ませんな。春売りのもんなら監視付けて滞在させたるが、本物の術師はいかん。おまん、悪さするやろ?」
「しません。私は無益な争いを好みません。先程も申し上げた通り、お話があって来たのです」
「話って何や? 俺も社の巫女の端くれじゃ。取り敢えずここで聞いたるから話せ」
イワオに促され、ミクマリは“王の御使い”の一件を話して聞かせた。
「ほおん。それで本部に行きたいのか。おまんが信じるに値する女かは置いても、そんな社にとって不名誉な話は捨て置けんな。嘘じゃったら盟神探湯に掛けるからな。俺の流儀の盟神探湯は尖った石に座る、めっちゃ痛ああい奴やからな」
イワオは「痛い」を強調しながらミクマリに迫った。
「嘘ではありません」
「ま、それを決めるのは俺じゃなくて本部の方々や。やが、おまんがこの村に入れるかどうか決めるのは俺や。今から三つの条件を出す。一つは村への奉仕、水分の巫女為らば水回りの世話が得意やろ? 奉仕して信を示せ。一つは霊気比べ、も一つは力比べや。俺は賊を追い返す役も持っとるからの。戦わずして決める事は出来ん。これらの内二つを示せばおまんがこの村を通る事を許してやろう!」
村の守人は腕を組みながら尊大に言い放った。
「分かりました。でも、怪我をする様な事は好みません」
ミクマリは相手の霊気を探りながら言った。
――どうにでもなりそうね。
「安心せい。勝負は腕相撲と、術で“験しの岩”を砕く力比べや。時間の掛からん順で熟すぞ」
さて、斯うして三つの条件を言い渡されたミクマリであったが……。
「おまん、女子の癖に怪力が過ぎるやろ。何か術で狡したか?」
イワオは痛めた腕を摩りながら言った。
「水術で腕力を増しました。男の癖に女子を叩く人に狡いなんて言われたくありません。それに、禁止されませんでしたし」
ミクマリは鼻先を上げて外方を向いた。有無を言わさず殴打された事を恨みに思っていたのだ。
「……へいへい。そうだすか、そうだすか。まあええわい。女子相手に本気になっても守人の名折れや。次は寧ろ女の方が有利やが……術の力で勝負や!」
イワオはミクマリの態度を呑み込み、村の傍にある岩が剥き出しになった土地へと案内した。
切り立った岩肌が壁を作っており、そこでは男手に依って岩石の掘り出しが行われていた。
「良し、じゃあこれを使うか」
採掘師よりも立派な体躯の男覡は作業者を追い払うと、地面から出た岩に霊気を通した。
「そうれ!」
轟音。
地面を揺るがす振動と共に引き摺り出される大岩。それは人の腰程もあった。
イワオは岩をミクマリの前へと転がした。
「凄い! 岩に霊気を通して軽くしたのね」
ミクマリは他流の術に素直に感心した。
「それだけやないぞ。岩壁が崩れんかどうかを術で確かめてから引っこ抜いたんや」
イワオは和気ながらもう一つ同じ大きさの岩を仕度した。
「それで、この“験しの岩”を砕くのが試験じゃ。俺が手本を見せてやる」
イワオは辺りから掌に納まる程度の石を拾い上げると、霊気を込めて大岩へと投げつけた。
風切りの音の後、岩の半分程が粉々に為り、吹き飛んだ。
「……どや? 怖気づいたか? ま、好きな方法でやって見せい。水術師なら水が要るやろ。言えば水瓶の一つでも用意させるが」
「“これ”で大丈夫です」
ミクマリは懐から竹の水筒を取り出すと、中身を半分程宙に撒いて大小幾つかの水球を成した。
「ほおん、本格的な水術じゃの。じゃが、水なんかで岩は砕けんじゃろうなあ」
岩の術師が笑う。
「えいっ!」
ミクマリは水球の中でも小さいものを選び、そこに霊気を込めて爪で弾いた。
水球は岩を砕くことなく穿ち、岩壁に当たり土煙を上げた。
「……」
目を見開くイワオ。
「やあっ!」
続いて、大きめの水球が豆粒程に圧縮されたかと思うと消失。辺りに水で火消した時の様な音が響いた。
「な、何をしたんや?」
イワオは慌てて娘の為に用意した岩に近付く。
彼が岩に触れると、それは縦に真っ二つに割れた。
岩だけでなく、岩盤の地面や岩壁にも黒い線が走っている。
「魂消た……」
イワオは堅い地面に尻もちを突いた。
「どーですかっ?」
未だ何となく痛む頭を持った巫女は提髪揺らして、得意げに男を見下ろしたのだった。
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おまん……お前、あんた。