巫行018 喧騒
村長が宣言通りに戻らない事に心配する村民は余り多くは無かった。
彼には元々塑造な一面があり、思い返せば計算されたのは移動の時間のみで、取引に掛かる手間は忘れ去られていたのである。
それでもミクマリは胸で不安を弄び、月夜を拝みに寝床を抜け出した。
『また夜更けに出歩いて。朝起きられぬ様に為っても知らぬぞ』
「村の方々は余り心配していませんでしたが、矢張り気になってしまって」
当てなく家々の間を歩く。共に吹き抜ける秋爽に乗って虫の共鳴が耳に届く。
『惚れた腫れたは勘弁してくれよ』
「そんなではありません! ……確かに顔立ちは整っていらっしゃりますけど」
青年の揃いの歯を思い出す。そう云えば鼻筋も通っており、眉も凛々しかった。
『面食いか』守護霊が吐き捨てる様に言った。
ミクマリは何か反論してやりたかったが、何者かの気配に気付いて足を止めた。
「巫女様ですか?」
暗がりから女性の声。
「はい。眠れなくって」
ミクマリが返事をすると、大柄な女子が現れた。
「やっぱり巫女様でしたか。ああ、厭だ。何でも視えてしまうんだもの」
大柄な女は呟くと、ミクマリの頭上のものに気付いて短く声を上げた。
『これまた醜女だな』
非情な感想。
すると、大柄な女は下を向き、広い肩を窄めた。
「ゲキ様! 聞こえてらっしゃるみたいですよ。謝って下さい」
守護霊を叱る巫女。
「良いんです。本当の事だから……。おらは、この村じゃ女として見て貰えんです」
女は身体とは正反対の声で言った。
「酷い。この村の方は気の好い方ばかりだと思ったのに」
「いえ、おらがいけないんです。身の程を知るべきだったのに、村長に惹かれて竹藪から出て来るから」
『竹藪から出て来る? ……さては化生の類、山姥か』
大女はゲキに苛められ、更に小さくなった。
「ゲキ様。態と言ってますよね?」
『無論だ』
「黙ってて下さい」
ミクマリが冬の様な声で言うと、守護霊は一揺らぎして静かになった。
「おら、タケジイの娘のオタケと言います」
「まあ、タケジイさんの? 御父様には宿と御食事を頂きました」
ミクマリは頭を下げる。
「そんな! 頭上げて下さい。寧ろ頭を下げなきゃなんねえのはおらの方だ……」
「どうしてですか?」
「巫女様と村長が仲良うしとったから妬いたんです。お恥ずかしい」
頭を掻くオタケ。
「恥ずかしがる事も謝る事もありませんよ」
「この形じゃ、恋をするなんて烏滸がましいんです。竹藪で竹切ってれば良かったのに、色気出して村で独り立ちするなんて言って。挙句、人前で村長に求婚さして、皆に笑われちまったんです。村の若い娘は皆おらを嫌ってます」
「恋……。それで、村長さんの返事は?」
「村長として未熟だから、今は誰とも契りは結ばないって」
「でしたら、まだ分からないじゃないですか」
ねんねの娘は屈託なく笑った。
「ええ? 穏便な御断りでしょうに……。おらには視えるんです。好いとる事を伝えた時、村長の霊気がぶるりとしました」
「そう……霊感が御強いのね」
「御蔭で、偶に変なもんや炎の様なもんが見えたり、妙な声が聞こえるんです。それを他のもんに話してる内に、余計笑われる様になってしまって。今度の事も、胸が笹が触れ合うみたいに騒めくんです。おらの悪い予感は、当たるんです」
「当たるんです」もう一度繰り返して、オタケは溜め息を吐いた。
「私も、村長さんが戻って来ないのが少し気になっています。良い器が見つからなかっただけかもしれませんが」
「巫女様もそう仰るのなら、間違い無いです。きっと村長の身に何かあったんです」
闇夜に一滴の光。
「オタケさん……」
「すんません。おら、もう寝ます。巫女様、失礼しました」
そう言うとオタケは洟を啜る音と共に退場して行った。
翌日、ミクマリは朝陽よりも早く目覚め、竹林で霊気を磨き心身共に覚醒させると、村の者に集落への道を訊ねた。
勿論、彼女は若き村長の後を追う。
『気掛かりなのは分かるが、村長が無事に戻ってもオタケが幸せになるとは限らんぞ。と言うか無理だろう』
娘は風切りの音で聞こえない振りをした。
昨日に村の革細工師に頼んで修理して貰った革の沓は、彼女の霊気の巡った脚力に充分に応えている。
彼女は朝日を追い越し山を登り、太陽が山頂に差し掛かる前に集落へと辿り着いた。
涼し気な盆地に広がる家々。村長や巫女に依って統率をされていないという話であったが、家の向きや田畑の区画が雑多な点がそれを示している様だ。
『これが噂の集落か。良いかミクマリ。長が居らぬという事は、自由である分、風紀が乱れているのが普通だ。怪しげな誘いや、盗人や暴漢に注意するのだぞ。お前の場合は、悪霊や熊よりも、小狡い人間の方が危険だからな』
「はい、気を付けます」
――彼は何処かしら?
紅白の衣装の巫女が集落に足を踏み入れると、住民達は目敏く彼女を見つけた。
住民の反応はその環境の所為か、他の村とは違い個人個人で大きな差があった。
通常通り“王の御使い”として扱い恐れる者、漂泊の巫女として屋根と器の貸し出しと引き換えに肉体上の要求を行う者。
“騒がし巫女”の弟子扱いをする者、竹林の村同様に助力願う者、単に乾いた好奇心を潤そうとする者。
厄介な事に、これらの声掛けは全てが動的に、引っ切り無しに行われた。
次から次に話し掛けられ、流石のミクマリも親切心打ち棄て、自身の目的を訊ねる為の隙が出来るまで、断りの返事をし続けなければならなかった。
『これもまた、各々が自立して役割分担をしている集落の特色なのだろうな。こうして部外者を探っておるのだ。規律が薄いかと思ったが、この様な暗黙の了解もあるものなのだな』
関心するゲキ。ミクマリは人に揉まれてそれ処ではなかった。
「きゃっ!」
娘は悲鳴を上げる。気のせいか、身体を弄られた様な気がしたのだ。
不快感から逃げようと慌てて地を蹴り、民衆の頭上を緋色の袴をはためかせ飛び越えた。
「飛んだ! 何て軽業使いじゃい!」
「気を練って術でやったんじゃなかろうか」
「するってえと、あれは本式の巫女じゃろか?」
驚きと推察を口にする住人達。
「もうっ! 人に紛れて変な事をしないで下さい!」
着地して口を尖らせるミクマリ。痴漢を働いた犯人は不明。
空転鈴々。
村の奥から聞き慣れない音が響いた。
「さあさ、皆様お集り。恐らく吃と、何か御困りの御様子。品を掠める盗人か、不義を働く亭主か嫁か、将又流浪の蟲の民か。呪い卜占祈祷に慰め、一宿一飯一回無料。厭世手空きに薬を煎じる。界隈切っての何でも屋。今日は東で明日は西で。皆様を騒がせに参ったぞえぇ!」
旋律的な口上を述べ、手にした大小様々な土鈴の束を打ち鳴らし耳目を集めるは、面妖な化粧と白い提髪、大きな耳輪。
更には首には勾玉と管玉で作った首飾り、手首にも似た装身具を何重にも巻き、玉同士を打ち付けて常に音をさせている。
纏う衣も色々な彩で、幾重にも重ね着をしており、背には何やら大きな箱を背負っている。
兎も角、目にも耳にも煩い女。さてはこの集落を縄張りとする噂の巫女であろう。
『あれが騒がし巫女か。名前通りだな。耳が無くて良かったわ』
忌々しそうに吐き捨てるゲキ。
「余り霊気は感じませんね」
『偽者か、呪術の際だけに発揮する質なのだろう』
騒がし巫女が現れると、ミクマリに集まって居た注目は緩和された。
白けたか元の仕事に帰る者、用を言い付けに騒がし巫女へ矛先を変える者、腕を組んで彼女を睨む者。多くは最後に属し、中には「出て行け」と野次を飛ばす者もあった。
しかし、騒がし巫女は非難も何処吹く風で、相談客相手に耳へ手を当て大仰に頷いている。
「……成程! 主の旦那が乞人の男と目合うもので悔しいのじゃな!? 為らば、この騒がし巫女が一肌脱ごうではないか。脱ぐと言っても主の旦那と寝ると言う意味では無いぞ。この巫女の呪力を以てして、罰を与えるのじゃ!」
そう言うと、背負った箱を地に降ろして、中から長い物を二つ取り出した。一方は浜大根、もう一方は黒曜の刃の鉈だ。
「さて、この呪術には協力者が一名必須。そこな男子! そうじゃ、お前じゃ、ちょっとこっちへ来い」
騒がし巫女は見物人の男を捕まえると、浜大根を股の間に挟ませ、相談者の女の前に立たせた。
「さあ、不幸なる御夫人よ。この黒曜の刃を以て、大根を断つのじゃああ!」
発破を掛けられた女は気合一発、手渡された鉈を男の股間から生える物体に叩きつけた。
見物人の間から呻きと笑いが起こる。
『何て女だ』
「あれも偽の呪術なのかしら」
『……い、いや。“見立ての術”は形式の存在しないものも多い。あれは相談者の怨念を使い、自身の霊気は念を運ぶのみに使っておる。依頼主の怨みの分だけ効果が出る、とても理に適った残虐なる外法だ』
「ふうん」
巫女の娘は切断された大根の断面を見て薄笑いを浮かべた。
過激に演じて見せた効果か、次々と相談が追加される。相談者に人型を模した藁束を踏みつけさせたり、兎の頭蓋を天高く放り投げて何やら占ったりした。
成程霊験灼然。呪いの矛先が群集の中にも向けられていたらしく、独りの男が腹を押さえて呻き声を上げた。
すると相談者だった男がそれを見つけ、被術者の丸まった背を草履の裏で存分に汚して指さし嘲った。
「行きましょう。村長を探さないと」
ミクマリは怨恨劇から背を向ける。
『珍しいな。ああ云うのには喰って掛かるかと思ったが』
「形はどうあれ、人々に必要とされているのです。呪われる方もそれだけの事をしたのでしょう」
『お前、少し変わったか?』
守護霊は宙で制止し、揺らめいた。
「全てに構っていては埒が明きません。教えてくれたのはゲキ様ですよ」
『それもそうだな』
ミクマリは仕事をする人々に村長の情報を訊ねて回った。
その間、腹の底で不安と、落胆と、無力感が綯交ぜに脈打っていた。
嘗ては隠れ里全てを抱いて甘腕を振るって来たが、里から出て以降、埒外の懸案が増え過ぎ持て余し始めていた。
本当であれば、あの騒がし巫女にも呪いを呪いで返す様な助言ではなく、相談者の怨嗟を和らげる形で働いて欲しいと願いたかった。
験しもせずに諦めるのは彼女らしからぬ法ではあったが、今抱える神の生誕と、村長の消息と大柄な女の心の件だけで手一杯にあった。
既に彼女は一所懸命を尽くしていたのだ。
「竹売りの村からの使いだったか。あんたの処の長はこっちに来ているぞ。どうも具合を悪くしてる様で、知人の家で厄介になっているらしい」
聞き込みから不穏な情報を獲得する。取り返しが付かない事態でないだけましだと娘は自分に言い聞かせる。
情報を頼りに一軒の木組みの小屋を訊ねると、若い青年が出迎えた。
「おお、彼の村の方ですか。床に伏せっていて送り返す訳にも行かず、難儀していた処なんです」
「村長さんの御加減は悪いのでしょうか?」
「悪いと言うか、良すぎると言うか」
青年は困り眉と共に笑った。
中に案内されると、足を崩して座り込んだ村長が、虚ろな目で宙を眺めていた。口からは雫が垂れている。
『此奴は半分、高天に昇っておらぬか?』
「神様に成り掛けていらっしゃると言う事ですか?」
『冗談だ』
ミクマリは不謹慎な守護霊に舌を打った。
「あはははははははは!!」
急に村長が立ち上がり、肩を揺らして笑い始めた。
「また始まった」
青年は頭を掻く。
「舞いましょう! 責や立場何ぞ全て捨てて! ほぅれほぅれ!」
村長は青年の両手を取ると、身体を緩慢に揺らしながら幸せそうな貌をした。
「確かに高天に行ってそう……」
「こいつ、騒がし巫女の“舞茸”に引っ掛かったみたいで。ここを訊ねた時には、村に神様を御迎えするのだと息巻いていたのですが」
「彼の村の傍の竹林で、新しい神様が産まれようとしているのです。その捧げものを手に入れる為の旅でした」
また騒がし巫女か。ミクマリは腹の温度が上がるのを感じる。
「成程ねえ。それで張り切って竹細工をあんなに持って来たのか」
青年は村長の舞踊に付き合いながら言った。
小屋の隅には見覚えのある竹笠や籠が重ねて置かれていた。少なくなってはいたが、まだ目的は果たせそうに見える。
「騒がし巫女の舞茸の口上に、神の国に近づけるだとか、神の国の食べ物だとか言うのがあったからなあ。多分それで引っ掛かったんだろうね。放って置いても治るけれど、後数日は“これ”じゃないかな」
いつの間にやら村長は、隅で膝を抱えながら、じめじめとした気配を発しつつぼやき始めていた。
「おっ母、お父、何故先に逝ってしまわれたのですか? 僕はまだまだ不出来です。村長なんて荷が重すぎます。間違いを犯した時に、叱り、甘えさせてくれる人が必要なんです」
言い終えると天井を仰ぎ、大声で慟哭し始めた。驚いたのか、屋根裏から鼠が落下して来た。
『女々しい男だ。流石に数日は時の無駄だ。代わりに仕事を熟して帰るか?』
「験せる治療は一通り験しましょう」
ミクマリは件の呪術師を張り倒したい気になったが、溜め息一つで堪え。その情熱の矛先を錯乱者へ向ける事にした。
手持ちの荷物から煎じられる気付け薬を与えてたり、躁鬱の鬱なる気に対して祓えを行ったり、正気を失い忘我の処へ平手打ちや土壺の水を浴びせたりした。
どれが功を奏したのかは明瞭ではないが、ミクマリが憑ルべノ水に依って清めた煮え湯と火傷の治療を繰り返す強引な解毒法を思いついた時、幸運にも村長の青年は正気を取り戻したのであった。
「いやあ、御迷惑お掛けしました。本当にミクマリ様には何から何まで御世話になって。解毒の手腕も見事なものです。素敵な方だ」
後ろ頭を掻きながら歯を見せる青年。
この一件でミクマリの心からは魅力的な村長としての彼が去り、調子付いた子供の延長の様な男が鎮座したのであった。
「兎も角、早くお供えの品を手に入れて明日の早朝に発ちましょう」
病み上がりの青年の御追従を鼻で払い、ミクマリは家主に礼だけ言うと早足で小屋を出た。
竹細工を元手に、村では収穫されない野菜と、樅の食器を調達した。
樅は節くれだったり初めから汚れの目立ちやすい性質の木材ではあったが、上質な物であれば特別白く、無臭であるために竹の香りと喧嘩もせず都合が良いと青年は熱く語った。
彼は自身の食事の元手を叩いてまでそれを手に入れた。
ミクマリはそんな彼の若さ故の愚直な危うさに、余り好い気がしなかった。
仕事を終えた頃には陽は沈み、村長の面倒を看てくれた青年の家に一泊と相成ったのだが、巫女の娘はそれを丁重に断り、独り集落を抜け出した。
術式を以て走り、態々昏い山へと分け入り、行き道の途中に見つけておいた大樹の洞の中に身体を納めた。
青年達が夜這う事は考え辛かったが、彼等の横で意識を失うだけでも妙に汚らわしく思え、到着時に無礼を働いた者や、憎たらしい呪術師と同じ界隈で眠るのも不快であった。
洞の中は暖かく、全ての音を吸い取ってくれる様だ。
獣の糞や食べ残しも無く、鼻に届くのは土と木の香り。
巫女の娘は、大樹の胎に抱かれて、その晩を明かしたのであった。
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土鈴……土を焼いて作られた鈴。
勾玉……石を磨いた小振りな装飾品で、9の字の様な形をしている。穴が開いており、そこに紐を通す。
管玉……円筒状の石の装飾。