巫行016 巫行
杣人のタケジイの伏屋は、竹林の拓けた処に遠慮気味に鎮座していた。
背の低い小屋の横では何やら土窯が仕事をしている。
「何を焼いていらっしゃるのですか?」
「竹を焼いて竹炭を拵えとるんじゃ。臭い消しや湿気取りに便利でな、巫女が居らんと言ったろう? 偶に遺体を腐らせる者があったり、水回りの世話を怠って病が流行ったりするから、この一帯では欠かせない物なんじゃ。御蔭でこの仕事は食うに困らん」
「ふうん。竹でも炭を拵える事が出来るのですね」
隠れ里出身の彼女の知る炭は、樫を炭化させた白炭と呼ばれる物であった。
風を送られた窯は恐ろしい程に熱くなり、焼き上がって直ぐに清流から取り寄せた水で冷やして完成とする。
火水二種の清めを受けた炭は儀式の間で使用されたり、飲料水や食事等の口へ運ぶ物を加工する用途に用いられていた。
ミクマリは「処変われば人変わる」は厭と言う程見て来たが、品が変わるのを意識したのは初めてで、静かに音を立てる窯の熱に興味を惹かれたのだった。
小屋の中は見掛けよりも広々として居り、板張りの床には笹の葉が散らかっている。
寝床は藁敷きの粗末なもので、彼独りには些か寂しすぎる空間を慰める様に竹束が置かれていた。
「さあ、食うが良い。少し前に人里から寄せた物ばかり食っとるから、余り新鮮な物は無いが。巫女さんなら火を通した物の方が都合ええんじゃったか?」
「御気遣いありがとうございます。食事に関しては、私の流派では特に気を掛けて居ません」
だった筈だ。巫覡の役に就いていた家族は食事の制限をしていなかった。
他所の巫女は大抵、儀式の前には生物を断ったり、逆に火を使うのを断ったりする仕来りを定めているとゲキは語っていた。
恐らくは奉る神の性質に依るものだろう。
「余り品数も無いが、勘弁してくれな。春なら筍でも出せたんじゃが」
食事は二品。艶やかに透き通る大根を煮たものと、栗の団子。縦に割った竹を器とし、水も輪切りの竹を盃にしている。
妙な妄想で疲れた娘には、噛む程に甘い団子が有難かった。
返礼にと今朝食べ切れなかった兎を提供すると、タケジイも舌鼓を打った。
竹取りの住まいと言うだけあり、窓には笹で拵えた日除けが掛けられており、竹籠や作り掛けた竹笠等の細工品も目に留まる。
「これは皆、タケジイさんが作ったの?」
声を弾ませて訊ねるミクマリ。
「そうじゃ。俺は竹を切り売りする以外は手空きだからの。仕事場も近いし、余った暇で品を作って暮らしの足しにしているんじゃ」
「器用ですね」
ミクマリは細工品の数々を覗き込む。細々とした物の中には、人型を模した小さな細工品が紛れていた。
「それは童を喜ばせる道具だ。赤子に見せると、ぴたと泣き止むって評判じゃ」
そう言ってタケジイは薄い竹板で作られた手足を弾いた。間の抜けた音が面白く響く。
「素敵」
ミクマリは頬を綻ばせる。
「素敵って、あんたは赤子じゃないだろう」
タケジイが苦笑いをする。
「私の里の子供は道具で遊んだりはしなかったから。仕事を手伝わせるか、身体を空けて遊んでやらなきゃいけなくって」
微笑むミクマリ。瞼を閉じると今でも彼等の遊ぶ姿が浮かぶ。
「そうじゃったか。どれ、俺に里の話を聞かせてくれんか」
「はい、喜んで」
ミクマリは眠気が襲うまで、タケジイに里の思い出を話して聞かせた。
無論、悲しい締め括りを避ける為、漂泊の旅に出た理由に就いては端折って語った。
頭に過ぎる不安や汚らしい物を、美しい思い出で掻き消したお陰か、悪い夢は見なかった。
老人も宣言通り、小屋の中に騒ぎを作る真似はしなかった。
翌朝、巫女が村を目指して出立する際、宿の恩返し代わりに一つ頼まれ事を受けた。
「先も言った通り、この先の村々には巫女が不在じゃ。偶に例の“騒がし巫女”が私腹を肥やしに来るのみ。依って、何らか巫力に頼る仕事が滞っていると思うので、聞き込んで力になって頂けないかの?」
こう云った次第である。
ミクマリは予てからその心算でもあったし、快い返事をした。
教えられた方角に進み、目印代わりに切ったり曲げられたりした竹を辿って行くと、陽の高くなる前に竹林を抜ける事が出来た。
なだらかな坂の下には藁葺きの屋根屋根が広がっている。
獲物を処理する女衆や、戸板の調整をする男の姿が遠目でも分かった。
ミクマリが村に足を踏み入れると、早速賑やかな声が聞こえて来た。
「巫女さんだ。巫女さんだ」
童女が指差し声を上げる。
「えっ、巫女さんかい? やあやあ!」
それを聞きつけて洟を垂らした童男が現れた。
彼は笹を振りながら、何やら講釈を垂れ始めた。
「……さあさあ舞え舞え! 生きるに飽いたら幽世を覗け! 怨みが募ったら黄泉に足を差し入れろ! 一宿一飯、若い男なら御奉仕致すぞ。毎度御馴染み騒がし巫女が御入村だよう!」
一通り文句を言うと、男児は相手を間違えたと悟り、目を潤ませ洟を啜る始末。
「怖い方の巫女さんだ。……ごめんなさい」
「前と違う女の人だよ。優しそうだよ」
童女が童男を小声で慰め、腕に肘を送った。
「大丈夫よ。私、怒ってないわ。今日はこの村のお手伝いに来たのだけれど、何か困ってる事はないかしら? 出来れば、お父さんやお母さんに聞いてくれれば嬉しいな」
ミクマリは微笑み掛ける。
すると二人の子供は顔を見合わせ「聞いて来ます」と元気良く言い残し掛けて行った。
「今のは何の真似だったのかしら」
首を傾げるミクマリ。
『騒がし巫女とやらの口上だろう。神事や儀式を歌や踊りに乗せて行う事は珍しくない。歌は矢鱈と文句が必要だから無理にとは言わぬが、舞踊はお前も必ず習得せねば為らんぞ』
「稽古はしているのですけど。自分だと上手く舞えているか分からなくって」
『批評すると怒るだろうが』
「隠れて覗く様にするからです。それと、肌を晒している時の舞いは覗かない様にお願いしますね」
ミクマリは霊性の鍛錬や水浴みの際に時たま舞いを験している。最近は大袖の着物と長い袴のお陰で動きの幅が広がり、一層愉快に感じていた。
ふと、今裸体を覗き見られれば、否応にも御印の件が師に発覚する事に気付いた。
「……処で、さっきの子供の遊びが騒がし巫女の真似だったのなら、彼女は良い人だったりはしませんか?」
ミクマリは逸らかしで咄嗟に質問したものの、自分でも妙な事を言ったと思った。
『何故そう思う?』
「だって、あれでは巫女へ無礼でしょう? 巫女にあの様な事をすれば、普通は叱られます」
『大人が騒がし巫女を軽蔑していて、子供には巫女の所業が理解出来ていないだけだろう。巫女は巫女で慣れ親しまれた方が仕事がし易い、大方そんな処だろ』
「ふうん。私も笹の葉でも持って舞って見ようかしら」
袖を小さく振りながら言うミクマリ。
笹は兎も角、暫くは着衣で踊る様に心掛けよう。
『マヌケ娘め、騒がし巫女の真似等は止せ。頭に茸が生えるわ』
「生えるんですか!?」
慌てて頭を撫でる。
『生えんわ。今のは冗談だ』
二人で子供を待ちながら四方山に就いて語らって居ると、先程の子供達が大人達を引き連れて戻って来た。
御多分に漏れず、“王の御使い”や“社の巫女”と勘違いをされて硬い対応を受けたのだが、ミクマリが事情を話すと容易く信を得られた。
村には矢張り困り事が幾つもあり、彼等は社の巫女にも助けを求めたらしい。
だが、王の御使い一行は霊気と武力を誇衒して布教と統治ばかりに努め、簡単な巫力の行使も頂けなかったとの事であった。
ミクマリはその日一杯、額に汗して奉仕した。
先ずは、出の悪くなった水場の検査。
憑ルべノ水の力を遺憾無く発揮。水脈の滞りを発見する。
自ら石の木起こしを振るって水量を取り戻し、水に残った微細な汚れを水術で清め、土気混じりの水から村民を解放した。
「普段は炭で濾過すれば綺麗な水が飲めるでしょう。ここには良い竹炭がある様ですから」
額の汗を拭うミクマリ。次の仕事へ取り掛かる。
流行り掛けていた咳病の原因を突き止めて村を死の足音から遠ざける医業。
「この一帯が窪地に為っていて水気が滞り易くなっています。見て下さい、戸板が湿っているでしょう? この拭えない黒い汚れが毒を出すのです」
術で水気を除き、ここでも男衆に混じって地面に土を盛り均した。
咳そのものに就いては竹瀝を煎じて対応した。
更に、こんな珍事にも対応した。
「“しし”ですか? 角の方? 牙の方?」
「牙の方ですな。逸れ瓜坊を拾いまして。育てて肉を獲ろうと考えとったんですが、どうも情が移ってしまって、村で可愛がってましてな。しかし、最近どうも気性が荒くなって来てまして」
今度は猪の検診と来た。
ミクマリは竹で編まれた頑丈な柵の囲いに閉じ込められた猪と引き合わされた。
猪は鼻息荒く柵を突いたり噛んだりしていたが、ミクマリが飼い主の代表が止めるのも聞かず鼻先に手を差し伸べる。
猪は娘の手のひらの臭いを嗅ぐと、直ぐに大人しくなった。
「魂消た。流石巫女様だ……」
ミクマリは目を丸くする男を尻目に、柵を開けて中へ入り、猪の毛深い身体を撫でてやった。
すると、荒ぶり機嫌を傾けていた筈の飼い猪が腹を見せた。その腹も撫でてみると、水っぽい手触りが重く弛んだ。
「まあ! 随分と肥えた子!」
子供を叱る様に声を上げるミクマリ。
「可愛いがり過ぎて、追々余り物を……」
男は照れ臭そうに笑う。
「良くないですね。少しづつ減らして、もう少し運動をさせて下さい。それと、出来れば柵を取り払って上げた方が猪にとっては良いのだけれど……」
獣は全く油断してはいるが、黒々と光る二本の武器は健在だ。
――でも、閉じ込めて置くのも可哀想だわ。
ううん、元は逸れ瓜坊だ。本来なら誰かの腹に納まる運命だったのだもの。多少の我慢はしてもらわなきゃ。
結局、この後ミクマリは男衆と協力して猪の牙を抜き、抜けた後の傷を術で癒してやった。
危険の少なくなった猪は、余分な肉を落とすのと引き換えに竹の檻から遊びに出して貰える約束を受けたのであった。
そうこうしている内に陽は沈み、すっかり村の信頼を勝ち得た巫女は、村民総出の持て成しを受けた。
口先だけでなく共に汗を流したお陰か、これまでの下にも置かない接待ではなく、歓談を交えた宴と為った。
『今日は良く働いたな。もっと男共を使えば良かったものを』
宴の最中に堂々と声を掛けて来るゲキ。
ここには彼を見咎めるものは余り居らぬ様である。体格が男の様な若い娘が独り、視線をやっているのみだ。
「里に居た時の癖でつい。巫女や神様が居ないだけで、村の暮らしも随分と苦労するものなのですね」
『どっちも居る様な、居ない様なと言った処だがな』
ゲキの返答にミクマリは小首を傾げて応えた。
巫女は例の騒がし巫女の事だろうが、神の方はどう言う事だろう?
『この村には、神が生まれ掛かっておる』
「えっ、神様がですか!?」
思わず声を上げるミクマリ。
傍で談笑していた村民が怪訝そうな顔をして見やった。「神様と御話していらっしゃるのかなあ?」
『そうだ。神とて初めから存在している訳ではないのだ。明確に信仰が無くとも、それに等しい扱いを受け続けて居れば、関する物事を司る神が降誕する。万物八百万に神は宿る。古い例では太陽、月、大地、川や山、風等の森羅万象。霊魂の神格化ばかりが神ではない。草木や作物の種類別にも宿る事がある。最近の流行りは稲の神だ。神は自然や人工物が生物の意思を受けて精霊化したものに高天の意志を受けて神化するのだ』
「この村の場合は、何の神様なのですか?」
『昨晩からこれまでに掛けて、お前やここに暮らす者達が世話に為っている物があるだろう?』
「うーん、何かしら」
ミクマリは竹の盃を手に首を傾げた。
「ミクマリ様、神様と御話で御座いますか? てっきりうち等の村にはいらっしゃらないかと思っていましたが」
村長が訊ねる。ここの村長は若い青年である。
「今、私が話をしているのは私の故郷の守護霊です。御先祖様なんです。彼が言うには、この村に新しい神様が産まれ掛かっていらっしゃるのだとか」
「本当ですか!? それはありがたい。でも、村巫女は“居ない”し……。ミクマリ様にここに居を構えて頂ければ、これ以上の事は無いのですが」
端正な顔つきの青年が歯を見せる。
「折角ですけど、成さねば為らない事がありますから」
ミクマリは少し名残惜し気に答えた。目の端で、先程ゲキの存在に気付いた体格の良い娘が胸を撫で下ろすのを捉える。
「そうですか。処で、新しい神様とは、どんな神様なのでしょうか? 祟り神の類で無ければ良いのですが」
『竹の神だ。黙って居れば良かったものの。口にしたからには責任を持ってお前が神が覡國へ天降るのを手伝え』
「竹の神様ですって。……ゲキ様、それは私に神和をしろと言う事ですか?」
不安。神代。御印。腹の下が疼く様な気がした。
――彼は私が神代に近づいた事に気付いたのだろうか。
『お前にはまだ無理だ。修行を始めて一季節跨いだ位ではな。そういう事ではなく、この一帯を神を迎えるのに相応しい環境に整えてやれと言う事だ。村の内外の穢れを払ったり、恐らく高天に通ずる道が開けるであろう竹林に祠を仕度したりするのだ』
「成程、そう言う事ですか」
胸を撫で下ろす。
――どうしてかしら。
私が御印を付けた事を知れば、ゲキ様はきっと喜ぶ筈だ。予定よりも早いのなら、褒めてくれるかもしれない。
それでも何故か、言い出すのが怖い。
「あの、それで、竹の神様は良いものでしょうか? 悪いものでしょうか?」
村長が訊ねる。
『切った竹を徒爾な扱いにせず、感謝をしているからな。まず間違いなく善神として生まれて来るだろう。だが、甘やかすなよ。確りと神性を増して貰えれば、村を佑わう神に成るだろうからな』
神の先輩が忠告する。
「……物の神に良いも悪いもありません。貴方達の心掛け次第でしょう。普段お世話に為っている竹材や竹林を大切にしてくださいね」
ミクマリは村長へ忠告を伝えながらも笑顔は絶やさない。
「そうですか。でしたら、明日にでもタケジイに相談して祠を拵えます」
若い村長の真剣な眼差し。彼にとっては一世一代の大仕事となるだろう。
「そう為さってください。私は明日、近隣のお清めを行い、神様を迎える準備をします」
「何から何まで。本当に」
熱っぽい視線が注がれる。ミクマリは自身の頬がその熱に共鳴したのを感じた。
『後は巫女の選出だな。竹の神であるなら、男神の翁か童子である可能性が高い。霊感のある女が居れば良いのだが。処女か、稚児の神であれば母親でも良いな』
ミクマリはゲキの言葉を受け、先程の武骨な娘を見やった。
……が、そこにはもう彼女は居なかった。
『ともかく、明日は今日より厳しい奉仕になるからな、確り休んで置けよ』
ミクマリは姿を消した女性を気にしながらも、師匠の言に頷いた。
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石の木起こし……石製の刃を持つつるはし。
祠……神様を祀ったり、住まわせたり、降ろしたりする為の小さな小屋のようなもの。人が入れる程大きなものはあまり造られない。