巫行148 国津
再生の大地に数日間逗留し友人と遊び、戦神からの平和の約束を頂き、温泉にもたっぷりと浸かって身も心も艶やかに潤したミクマリ。
自分の里に帰る序でに、海沿いを行く事にした。蟹神の村への寄り道。ミクマリは海神への助けに慌てて舟へ乗り込んでしまった為に、別れの挨拶も助力への礼も言えないままでいた。
「おー、水術師! 元気にしてたかに?」
天井を突き抜けて蟹神の声が降りて来た。小屋の入り口を見れば茜色の脚が見える。
「はい、お蔭様で。蟹神様も相変わらず息災な様で何よりです」
「……元気ってもんじゃないわ。彼ったらコンブの村へ助けに行くのを止めてから、あっちこっちで面倒を拾って来ては人助けしようとするのよ」
蟹神の村の巫女ナマコが溜め息を吐く。彼女は相変わらず髪の毛の手入れもせず伸ばしっぱなしで、砂の地面に引き摺っている。
「人助けして何がいけないんだに?」
「……いけなくはないけど、手に負えなくなる度に私に押し付けるのは止して頂戴。私にも仕事があるんだから」
神を窘める巫女。
「相変わらずやなー」
アズサが笑う。
「アズサちゃんは少し痩せた? また新しい薬の調合を教え合わない?」
「ええなー。この前の“おっきく実る薬”は姉様にだけ効かへんかったなー。毛が“海雲みたいに生えてくる薬”は里におる禿に験したら、上手く行ったさー」
「……そう、やっぱり“こっち”は手強いわね。また改良しないと。……ねえミクマリさん、ちょっと色々験したいから手伝ってくれない?」
そう言いながらミクマリの衣の袂に手を掛けるナマコ。
「え、遠慮しておきます!」
悲鳴を上げるミクマリ。
「……ま、冗談は兎も角。貴女の里の噂もコンブの村経由でこっちへ届いているわ。口寄せや薬学で困った事があったら、言って頂戴ね。こっちもうちの蟹が手に負えなくなったら助けを求めるから」
と、言いつつもまだ手を放さないナマコ。
「うう、この人苦手」
ミクマリが呻いた。
「噂と言えば、お前の処の“蝉揚げ”は中々の美味だったに。来年もまた夏が楽しみだにー」
蟹神が何か言った。
「えっ?」
「お前の処の名物は土器の面白い模様と“蝉揚げ”だに? この前、例の片腕の漁師が交易に来てお裾分けしてくれたんだに。うちも“蟹揚げ”でも開発してみるかにー?」
ミクマリはアズサを睨んだ。アズサは小屋から抜け出そうとしていた。
「ま、まあ、私が食べる訳じゃないし、良いか……」
ミクマリは少し前に食べさせられた蝉の甘味を思い出しながら、溜め息を吐いた。
蟹神の村を後にし、最後の旅行地へ。引き籠る以前は、ミクマリも里の代表として交易や相談で訪れていた浜の村。
『おう、引き籠り娘め、やっと顔を出したか。と言っても、先に世話に為ったばかりじゃが』
村に入るなり幼女の霊声。
「海神様、御久し振りです。御心配おかけしました」
『うむ。こちらこそ、先の嵐の時には、お前の結界の世話に為った。嵐はここを先に襲ったからの。あれだけの力を持った嵐の神から護ろうとすれば、流石に吾も難儀する』
「村は大丈夫でしたか?」
『ぼちぼちじゃな。村よりも、海域が随分引っ掻き回されて、吾の管轄外の魚が随分と迷い込んで来て混乱しておる。まあ、一季節もすれば馴染むじゃろうが』
「力不足で済みません」
頭を下げるミクマリ。
『何が済まないものか。本当なら吾が命を賭してでもあの異国の神を追い返すべきだったのじゃ』
「あの神様は何故、荒ぶっていらしたのでしょうか? それに、助けを求めていらした様にも思えます」
そして、ミクマリが声を掛けたのに呼応して足を止めた。
『うーむ、言葉がさっぱり分からんかったからのう。うちの“ハコイリ”の使う言葉とも、また別の言葉じゃった様じゃ。敵意ではないのは吾にも分かったが、それでも分からぬもんは分らぬ。他所の事情等を気にしておったら、切りがないぞ。どうしても気に掛かるのなら、はるか南の海の向こうで言葉を学んで来るんじゃな。それかもっと霊気を磨いて、全ての海を覆う程の結界でも張れば良いのじゃ』
「それはそれで高慢な気がします」
『高慢のう。神やそれに並ぶ者以上の存在はないじゃろう? お主は一体、何に気を遣って言っとるんじゃ?』
「自然の理……とか?」
『まあのう、吾も自然を無理に曲げる事は控えておるが、先の嵐は他所の神の仕業じゃったしな。それに、自然に抗うのは生き物の本能じゃろ。そうでなければ漁師は舟も無しに海をゆかねばならぬし、獣が山に穴を掘って雨風から逃れるのも図々しい事になるからの』
「うーん……」
腕を組み唸るミクマリ。
『吾は以前も同じ助言をしたと思うが……何と言うか、お主は随分と頭でっかちになったのう』
「そうでしょうか?」
『そうじゃ。初めて逢った時はもっとこう……頭の御目出度い奴じゃった!』
「ええ……」
『だってそうじゃろ。邪気混じりの神を連れて他所の神の領域へ踏み入ったり、盗人を捕まえて更生させろなんて言ったり、寝坊で神和の儀式を遅らせたり……』
初来訪の時の事を並べ立てる海神。その声は意地悪く笑っている。
「はー。姉様は昔っからあんごしやってんなー」
アズサも笑っている。
『処で、じゃ。お主のひっ捕らえた盗人じゃが、ナギやハコイリと進展がちっとも無い。詰まらないのじゃ!』
苦情の如き調子で言う海神。
「あらら。アカシリさんは相変わらずですか」
『実は男色の気でもあるのではないかと疑ってもみたが、そっちの気はない様じゃしなあ』
「男色……」
『漁師には割とおるもんじゃ。広い海の上で男ばかりが舟に押し込められて、欲の発散のしようもない。幸い、沖ならば村の女共の目も届かぬ。余所の女と違って、手を出して子が出来る事もない訳じゃしな。何も起こらぬ筈がなかろう……? ま、吾が見ておるんじゃがの!』
「まあ!」
頬を染めるミクマリ。
『言うて、“そういうの”は海の生き物でも無くはないしの。身体の仕組みそのものが変容して性別の変わる魚もおるし』
「ふうん……。人間の場合は“どうなさる”んでしょうか……」
またも腕を組んで唸るミクマリ。
『そりゃお主……』
「何じゃ、ミクマリ、来とったんか。久しいのう」
海神が何かを言い掛けたが、そこへ件のアカシリが現れた。
「あ、お久し振りです。アカシリさん」
何故か頬を染めるミクマリ。
『噂をすればなんとやらじゃな』
「海神様まで。何の噂をしていらしたんですかい?」
アカシリが見上げ首を傾げる。
『お主の好みの女子の話じゃよ』
海神が言った。
「はえ!?」
目を丸くするアカシリ。
『お主はどんな女子が好みなんじゃ?』
「どんなって、そりゃあ……」
目を泳がせるアカシリ。
『最近は村では“賭け”が流行っておっての。アカシリがどっちを取るかって』
「また、その話ですかい! 勘弁して下せえよ海神様!」
『はははは! 実はのう、先に卜占を験しての。吾はお前が誰を好いておるのか知っておる』
「えっ!? 本当ですか?」「勘弁してくれい!」
ミクマリとアカシリが声を上げた。
『よしよし……ミクマリにだけ教えてやろう』
「やった! うーん、でも秘密のままの方が面白い様な気も……」
と言いながらもミクマリは耳の横に手を宛がった。アズサも何やら霊気を醸した。
「わーっ! わーっ! 止めろ止めろ! 止めてくれい!」
逞しい片腕を振って男が騒ぐ。
『ははは、冗談じゃ。吾は卜いは好かぬ。未来は、分からぬ方が面白いのじゃ!』
笑う幼声。
『だからの、ミクマリよ。先の事等を心配しても仕方が無いのじゃよ。なる様になる。これからもご近所同士、仲良くやってゆこうな』
「……はい!」
ミクマリは微笑んで返事をした。
「人を使ってなーんか上手い事纏めおったな、この童は」
アカシリがぼやいた。
『何じゃ? 神に向かってその口の利き方は! 神罰を下してやろう! おーい! ハコイリ! ナギ! アカシリがお前達に何ぞ話があるそうじゃぞー!』
浜の村中に響く海神の声。
「ぎゃああ!! 何て事するんじゃあ!!」
アカシリは砂を蹴って逃げ出した。
『ははは! そっちではハコイリが釣りの最中じゃぞ!』
海神が教えるとアカシリは反転し村の奥へと駆け出す。
「海神様、今、御呼びになられましたか?」
踵を返した先には巫女見習いの姿。
「ひええ、ナギ!」
またも反転。
「えっ、アカシリさん!? ちょっと、何で逃げるの? 待ちなさい! あっ、ミクマリ様、アズサ様、こんにちは!」
挨拶をしながらアカシリを追ってゆく娘。姉妹は手を振って応える。
『行けっ! 追い掛けろ! 組み敷くのじゃ!』
煽る海神。
「あはは! ほんま、何処もおもしゃい神さんがおってええなー」
水術であっという間に追いつかれて押し倒されるアカシリ。それを指差して笑うアズサ。
「そうね。良い神様ならね」
「なー、姉様。うちも神さんお祀りせーへん?」
アズサが訊ねる。
「ん……うちは充分でしょ。前も言ったけど、山神様がいらっしゃるし。祖霊信仰しようにも、まだ里も始まったばかりなんだから……」
ミクマリは目を逸らした。
「ほーん……」
「あの! 海神様! 組み敷きましたが、次はどうすれば!? と言いますか、アカシリが何か悪さを!?」
ナギが声を上げた。
『良し良し、では何でも良いから、後は好きな様にすると良いぞ!』
「えっ!? えっ!? えっと、じゃあ……」
ナギはアカシリの顔へと迫り……。
「アーッ!? ナギサン!? 何ヲナサッテルノデスカ!?」
妙な訛りの声が響いた。赤茶けた肌、長い黒髪に羽根飾り。異国より流されて来た箱入り娘だ。
「ヌケガケハ、ナシッテ約束デシタヨネーッ!?」
ハコイリは釣り竿を振り回しながら二人の方へと駆けてゆく。
「はー、あの人、こっちの言葉覚えはったんやなー」
「私の知らない処であの子達にも色々あったのねえ……」
感心する姉妹。
『それに就いては、あやつ等が居らぬ時にこっそり教えてやるから、また改めて訪ねて来るが良い。それより、アズサよ。お主からの依頼の方じゃが……』
「こ、こーっと、それもまた別の機会にして下さい!」
慌てるアズサ。
「え? なあに? 海神様に何か御願いをしたの?」
「ちいとなー。それより姉様、あの人等おもしゃいなー」
アズサは引き攣った笑いを浮かべながら、争うアカシリと二人の娘を指差した。
『何じゃ? ミクマリは知らぬのか? 近い内に祝いがあるからと言って、御饌に相応しい大きな魚を用意してくれと言われて……』
「御饌? お祝い?」
首を傾げるミクマリ。
「そ、そやなー。里が出来て二年経つから、そろそろ、お祝いかなーってなー? そ、そんで里長の姉様が元気無いと台無しやん? そんで無理矢理にでも旅行になー?」
頭を掻きながら言うアズサ。
「そっか、そうね。もうそんなに経つんだ……。ごめんね、ありがとうね、アズサ」
――すっかり気を遣わせてしまった。本当に良い子なんだから。
妹を抱きすくめるミクマリ。
「は、はは。どういたしまして……」
『ははあ、秘密にしておったのか。良く分からんが、美しい姉妹愛、これはこれでありじゃのう』
海神が何か言った。
――大丈夫、戦神様も加護をくれたし、私の周りは良い人や良い神様ばかり。里に戻ったら、のんびりとやろう。
海から風が吹いた。ミクマリは水平線の向こうを見詰める。
いつしか、夜に眺めた吸い込まれそうなそれとは違い、優しく包み込む揺らめきを湛えている。
「良し、じゃあ、明日には皆の処へ帰ろう! 私もまた里の為に頑張るからね!」
陽の光を映す海に負けず劣らずの笑顔と共に、ミクマリはそう宣言した。
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あんごし……アホ、マヌケ。あんごさく。