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巫行147 称賛

おそろ……お揃い。

吾妹(ワギモ)……男性から妻や恋人、親しい間柄の女性を呼ぶときの言い回し。

あめつち……天地。全世界。天地の神々。

 泉の村を後にし、次なる(トモガラ)の待つ地へ向かう。

 石の社でイワオに交易や入植で世話になった事への礼と、礼が遅れた事の詫びを入れ、次に向かうは再生の盆地である。

 山が囲い、湖を抱く広大な土地。元より木々は少なかったのか、緑を描くのは枝ではなく広く続く草原。


 ミクマリは晩夏の日差しと、僅かに秋を孕んだ雄風(ユウフウ)に誘われて、人や獣の影も無しに草原へと降り立った。


「こんな処で降りて、何やろ? ホタルん処までもう少しやろー?」

 姉の背から降ろされたアズサが首を傾げる。


「うん……ちょっと、何となく」

 遠くには緑萌える山。月がもう一巡すれば、西の方から衣を着替える姿が拝めるだろう。

 初めてこの地を踏んだ時は、草木一本生えない(ヒビ)だらけの荒野であった。

 今は土も潤い、ぐんと伸びた草が川やそこへ暮らす獣を覆い隠している。少し視線を上げれば、直ぐそこには真っ白な雲だ。


「ちいと、あつあすなー」

 顔を手で扇ぐアズサ。

「でも、風が気持ちいわ」

 提髪(サゲガミ)と衣の大袖が揺れる。


「あれ? 貴女、髪を伸ばしたの?」

 ミクマリはアズサの後頭部に縛られた髪を見つけた。

「今更気付いたんけ? モチコが姉様とおそろにしてるの見たらなー、羨ましくなったんさー」

「そっか。愉しみだね、お揃い」


――最後にアズサの髪を弄ったのはいつだったろう。いつもそばに居た筈なのに。


「はーあ。何か眠なったなー!」

 アズサは両腕を上げてそう言うと、そのまま草原へと倒れ込んだ。

「え? お昼寝するの? 今から?」

「姉様がそんな事言うとは思わんかったなー。あかんけ?」

 アズサは腕を枕に、既に目を閉じている。


「ううん、良いと思う。ちょっとお昼寝しましょう」

 ミクマリも隣に転がり、同じ様にした。


 見上げれば一面の青と白。上天気の空はいつも同じで、いつも違う風景だ。それは何処からか始まっていて、何処までも続いている。

 風が雲を運び去り、また別の雲を運んで来る。草の囁きが頬を撫ぜ、少し青臭い香りが鼻を(クスグ)った。


「静かね」

「そやろけ? 色んな音が聞こえるさー」

「アズサは音術があるから」

「ちゃうなー。姉様も耳を澄ましてみー」


 耳を澄ませば、草の擦れ合いの中に、何かの跳ねる音。姿は隠されているが、小鳥の(サエズ)りも微かに聞こえる。


「土の中にも土竜(モグラ)おるなー」

「それは聞こえないかな」

 笑うミクマリ。

「でも、やっぱり、ここは私と貴女で、二人切りね」

 腕を伸ばして妹の手に触れる。

「そやなー」

 握り返される(タナゴコロ)


 二人は眠った。それから、いつの間にか真っ赤に染まった空が草叢(クサムラ)ごと二人を呑み込んでいった。


――このままずっと、こうしているのも悪くないかな。里にも戻らずに……。


「あ、痛ぁあ!?」

 唐突に上がる悲鳴。アズサの頭に野犬が齧り付いていた。

「こんにゃろ!」

 身を起こし、拳で犬を叩くアズサ。

「もう! 乱暴しないの!」

 憐れな声を上げる犬を撫でてやるミクマリ。

「うー! 姉様、獣には甘いんやから……」

甘手(アマテ)なので! ……じゃ、そろそろ行こっか。あんまり遅くに訪ねると迷惑だろうし」

「そやなー」


 二人は立ち上がり、友人の暮らす村へと足を向けた。


 二人がホタルの村を訪ねると、お決まりの様に唐突な祭りが始まった。

「そうかそうか。里作りは順調か。あたいの処も結構ごたごたしたけど、何とか落ち着いたかな」

 短髪の娘が腕を組みながら頷く。

「いや、お前は何もしとらんだろうが」

 その父親が溜め息を吐いた。

「したじゃん。折角、里の役割も決まったのに出てこうとする奴が多かったから、あたいに勝ったら里抜けを許してやろう! ってね」

「ホタル、それは皆の妨害をしてるだけじゃ……」

 ミクマリは苦笑した。

「ホタルさんは相変わらず乱暴者ですから。許婚(イイナズケ)の方を子分みたいに連れ回して悪霊や野盗の退治に勤しんでいます」

 カエデが言った。

「そーそー。賊の類が矢鱈と増えてね。土地が豊かに為った上に、サイロウが居なくなっちまったから、雑魚が好き勝手を働くんだ。あたいは警邏(ケイラ)の役で忙しいったらないよ」

 忙しいと言いつつも表情は彼女の性分を表している。

「奴のお膝元では、彼の威光を恐れてか悪行をする者が少なかった様ですな。隣近所でも治安の悪化を聞きます。誰しもがサイロウや、その御使いを恐れておりましたからな」

 解説するトムライ。


「……」

――ひょっとして、サイロウを斃したのは間違いだったのかな?

 ミクマリは表情を昏くする。


「んな訳あるかいな」

 アズサがミクマリの腰を突っついた。


「ミクマリの考えてる事は、あたいも分かるぞー。気にすんな。悪党なんて、いつでも、どこにでも居るもんだ。それより、サイロウがくたばった後にさ、あいつの後釜を狙って隣を乗っ取ろうとする奴がいたんだぜ。前みたいに力付くでな」

「そんな酷い事」

「隣と協力して何とか押さえたけど、手練れの集団が相手だったから、あたい等も苦労したよ」

 袖を捲り上げ力瘤を見せるホタル。また傷跡が増えている気がした。

「隣もサイロウが居なくなって少し揉めた様ですが、最近は落ち着いて旅人も増えましたな。耕地を求めて里への移植があるもんで、儂は結構忙しい……」

 ぼやくトムライ。

「この地には湖と池がたっぷりありますから。大地の方は、最近は手を加えなくても自力で回る様になったので、私はする事がなくなっちゃって。山神様も元の山へ御戻りになられました」

 神和(カンナギ)の力を持つカエデは欠伸をしながら言った。

「ここへ来るまでに見て来たけれど、本当に良い土地になったと思うわ。カエデさん、お疲れ様」

 微笑み掛けるミクマリ。カエデは頬を染めた。

「石の社の方からも使いが来て、本部に来ないかって訊かれたんですけど、あそこは取り決めがお堅いのでお断りしました。ミクマリさんの処だったら直ぐに飛んで行くんですけど」

「いらんいらん。うちにも風術師おるし」

 アズサがぼやく。

「なあ、ミクマリ。今回はゆっくりしていけるんだろ?」

 ホタルが訊ねる。

「ええ、その心算(ツモリ)。少し御厄介になっても良いかしら?」

「全然構わないって。住んでくれても良いぜ」

「ミクマリさんは自分の里があるんです。やっぱり、私がそっちに行こうかな」

「この里だって、半分位はミクマリが立て直した様なもんだろ。何ならこれまで手出しして来た村を全部纏めて王様になっても誰も文句を言いやしないさ」

 笑って言うホタル。

「それは流石に、疲れて死んじゃうかも」

 苦笑いのミクマリ。

「他人の面倒を看るのは楽じゃありませんからなあ。実の娘でも楽じゃあないが……」

 ぼやくトムライ。


「あ、そうだ。前に来た時に誘い忘れてたんだけどさ。また行こうぜ、温泉」

「良いですね。行きましょう。お背中、流しますよミクマリさん」

 そう言うとカエデは立ち上がった。

「今から行くのかよ? 陽はもうとっくに沈んでるぞ?」

「今から行けば明け方までには着きます。その時間帯が一番人が少ないんですよ。最近、温泉も有名になってしまって、日中は落ち着かないんです」

 鼻を鳴らすカエデ。

「ま、良いか。夜中に山道を歩けば面白い事があるかも知れないしな」

 ホタルも立ち上がる。

「良し、じゃあ儂も……」

 トムライも立ち上がった。

「は? 親父も一緒に温泉に入るのかよ?」

 父親へと怪訝な視線を向けるホタル。

「い、いかんのか? 若い娘達だけで夜道を歩かせる訳には……」

「厭らしい」

 カエデが罵倒した。

「きっしょ」

 アズサも何か言った。

無下(ムゲ)なり」

 親父の企みは打ち砕かれ、小さくなり座り直したのであった。



 湯気の合間から見える岩の懸崖(ケンガイ)。その武骨な山の向こうからの御来光を、裸の娘達が拝む。

 痺れるような湯の熱さが身体に染みわたり、心身共に固くなった部分が解される気がしてくる。

 一行が(クツロ)ぎ、眠気も棄て置いて談笑をしていると、唐突に“強い気配”が現れた。


「神気だ……!」

 ミクマリは湯の中で身体を隠す仕草をした。

「いつぞやのお猿かいなー?」

「いや、この気配、あたいは良うく覚えているぞ」

 ホタルは湯から立ち上がり、天を見上げて抜けた歯列を見せる。


戦神(イクサカミ)だ」


 辺りに充満する神気。圧殺せしめんとするかの如きの気の重さ。しかしそれは唐突に反転し、和やかな雰囲気のものとなった。


水分(ミクマリ)の巫女よ。我は見ておったぞ。剣の切先に坐するが如くの苦心の末、其方(ソナタ)は宣言通りにまほろばの地を築き上げたようだな。高天國(タカマガノクニ)でも(アタ)わえぬ事業を娘一人の手で(マツタ)くとは、我は感服した』

 慇懃(インギン)な壮年の男の霊声(タマゴエ)。しかし、戦いを司る彼の声色は優し気に感ぜられた。


「御誉めに与り光栄です。ですが、私独りの力では御座いません」

『無論だ。だが、糸の紡ぎ手はお前に他ならぬ。それに、我の祠に害を為した愚王も成敗したようであるし、其方の行く手を追えば我の失せ物と再び(マミ)える事も出来た』

「失せ物……」

 戦神との過去のやり取りを思い起こす。彼は二本の剣を探していた筈だ。

吾妹(ワギモ)の許に置き去った剣は、大切に祀られておったからな。あれはあのままの方が良かろう』

 祀られた剣。神剣(カムツルギ)の村の嵐を呼ぶ神器が思い出される。

『それに、この地も眺め続けておったが、(シル)く再生しける草花の逞しさ、然るべき喰い合いの輪に戻った獣達の命の輝き、人の流れにより起こる新たな恋路に依って、趣味の詩歌も随分と愉しませて貰った。水分の巫女は言うまでもないが、この地に生ける人々の功労も大きい。就中(ナカンズク)、山神を神和(カンナ)ぎ緑を配り歩いたそこの娘の手柄は大きい』


「わ、私ですか!?」

 カエデは驚き、逆上(ノボ)せた顔を温泉の中へと沈めた。


『依って、二人には何か褒美を取らせねばなるまい。水分の巫女よ、其方の望みは何だ』

 戦神が訊ねる。


「私の望み……。戦御神(イクサミカミ)様は和魂(ニギミタマ)の御素顔では平和を司られると伺っております。私の里……いいえ。この覡國(カンナグニ)永遠無辺(トコトワ)の平和を御願い申し上げます」

 ミクマリは言った。

『そう望むであろうとは思っておった。だが、如何に天津(アマツ)大神(オオカミ)である我の全力を以てしても、覡國全てを(サキ)わうのは叶わぬ。其方の里や、それと繋がる範囲程度ならば』

「では、それで御願い申し上げます」

『良かろう。しかし、言っておいて何だが、それも永遠(トワ)の契りは出来ぬぞ。我が人々からの信仰を失わぬ限りとなる。これは気紛れではなく、あめつちの神に於ける運命(サダメ)だ。知人が言うに、遠い未来に信仰の概念そのものが崩れると卜占(ボクセン)に出ているそうだ。それが数百年先か、数千年先の事かは分からぬが』

「そうですか……」

 少し表情を落とすミクマリ。

『ははは! 人の身に余る未来(サキ)をも心配するか。其方は巫女だ、いつかはこちらへ来るだろう。それだけの力があれば、神としてその願いを叶える立場に成れるやも知れぬな』

 戦神は笑った。

『ともあれ、望みは聞き届けた。我が和魂を懸けて、まほろばの里に平和の恩寵を授けよう』

「ありがとう御座います」

 ミクマリは湯から立ち上がり、深々と礼をした。


『して、もう一人の娘は何か望みはないか?』

「わ、私ですか……」

 湯をぶくぶくとやりながらカエデが言う。

「私は特に。今のままで充分、幸せですから」

「何だよ勿体ねー! 願いが無いんだったらあたいにくれよ。戦神様、一度お手合わせを!」

 ホタルが言った。

『お前はどちらかと言うと、最近は妨害をしていたように見えたが……。どちらにせよ、お断りだ。今の我は和魂が殆どを占めておる故、争いと対を成す存在と化している。手合わせは疎か、演武ですら疎んずる心持ちである』

 溜め息交じりの霊声。

「ちぇー」

 残念そうなホタル。

「あ! では戦御神様! ホタルへの嫌がらせで、この地を平和にしていただけませんか?」

 カエデが言った。

『ははは、良い提案だな。では、その通りにしてやろう』


「まじかよー!」

 ホタルがひっくり返り、湯飛沫を上げる。一同は大いに笑った。


「……ありがとう御座います。戦御神様」

 ミクマリが呟く。


『礼なら既に聞いた。これからも励むが良い、慈愛の巫女ミクマリよ』

 包み込む様な気が溶けてゆく。


 ミクマリはもう一度、天に向かって礼をした。


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