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巫行142 墓石

 滅亡の危機を乗り越え、新たな住人を受け入れたミクマリの里。

 交易の要の石の社の里とはいえ、口伝には時間が掛かったらしく、前回の半分程度には入植希望者が集まってい様だ。生誕の地を棄て小さな村から丸ごと身を寄せた者達も居たが、彼等は自身の村のやり方に固執する事は無く、またミクマリの里も民の精神や掟が固まって来た事もあり、彼等も上手く受け入れる事が出来た。


 新たな仲間の為の家々が建ち、耕地も広がり、里の規模としては黒衣の術師の襲来以前と同程度のものとなった。

 ミクマリはこれまで通りに里の者達と接し、隣村や浜の村にも程よく通い、長としての仕事を全うした。

 里は再び新たな命の誕生を迎え、或いは誰かが連れて来た犬達も加わり、噂を聞き付けた里外の者が見物や交易に訪れるようにもなり、賑やかになった。勿論、新たに加わった人々にも貧しい者や爪弾き者が多い。曲がり者の矯正も時に優しく、時に厳しく行われた。


 (カツ)ての問題児達も、それぞれの歩調でこの里を自身の故郷へと定めていった。


 嘘吐き娘のシラサギは、風術師としての力を著しく伸ばした。強風の技は使い出がなかったが、風術師特有の風の流れの勘、(ソラ)読みの術が特に秀でていた。

 彼女の天気卜いは百発百中。農業、狩り、交易へ出る者等、皆が頼りにした。真実を言い当てる力を得た彼女は、相変わらず冗談は言い続けたが、悪癖であった虚言は鳴りを潜めた。


 その好敵手であるヒツチは、霊気の伸びこそは大して見られなかったが、霊性(タマサガ)の感は良く磨いており、土弄りが上達し、火術の修行の心算(ツモリ)で始めた料理が好評を得て、独り身の男に良く誘われるようになっていた。本人は人気を鼻に掛けてシラサギを“おちょくる”種にしていたが、里の男達へその気はなく、彼女自身の本命は、見聞を広める為に交易にくっ付いて行った先の隣村に在りとの噂だ。ミクマリは盗み見の為に何度かこっそりと後を付けたが、今の処は面白い場面に当たっていない。


 サルノテは後輩の面倒見が良く、新たな里の民にも慕われている。更生から半年程度で里の兄貴扱いとなった。彼に芸術の仕事を与えられた少年は、相変わらず口を利かず、またその名を名乗る事もなかったが、彼の描く土器の模様や楽器は交易に於いて人気の品となっている。


 他者への迷惑ではないが、アズサはもう一本奥歯を失い、それから少し肥えた。元が痩せていた為にその肥えが女性的な魅力に直結する事は無かったが、何処となく以前の肉体の彼女に似た。

 手下や後輩が増えると、元より出来ていた礼儀作法や、幼さに相応しくない威厳も高まり、仕事に精を出す時は肉体の元の持ち主に非常に良く似た。ミクマリはそんな両方の妹の面影を重ね、今や三國何処を探しても存在しない妹巫女へ心の中で使いの燕に便りを届けさせた。


 便りと言えば、アズサの生まれの霧の里も平和を謳歌しているそうだ。親子は姉妹にとても会いたがったが、巫行で里を離れられない。今度、ミクマリがアズサを担いで空を駆け、数日間の旅行をする計画を立てている。


 人だけでなく、物にも変化があった。塩の定着。農業の成功や山の知識の発達により山菜の収穫が安定し、浜の村から塩や海産物が安定して手に入れられるようになった。

 少し距離が空いてはいるが、次の夏と冬には勉強と交流を兼ねて人員の交換も験す話が挙がっている。

 稲作に於いては、水田(スイデン)という畠を水に浸す方式が存在するらしく、巫女と農業の知識のあるもの達によって検討がされたが、大地を弄り過ぎるし、そこまで潤沢な水源もない為にこれは頓挫した。


 他には、良質な道具の流入だ。これまでは各々が大切に持っていた道具を使うか、里の近辺で拾える石を適当に加工し利用していたのだが、石術に通じるアズサが術力を伸ばしてから石の社の里を訪れた為に、相当な知識と技術がミクマリの里にも(モタラ)された。

 アズサは石の社にて有用な石の“波長”や“響き”を憶えて来たらしく、自分達の里の近所にも良い堀場がないかと暇を見ては探っている。

 理想は“カンカンイシ”だそうだが、それは見つからないらしい。代わりに、緑色の岩石の層を発見し「ま、これでええかなー」と言っている姿が目撃されている。


「あの子は本当に賢くなっちゃって……」

 姉の方は妹をすっかり信用しているので、彼女の持ち帰った蘊蓄(ウンチク)を子守唄に居眠りに精を出した。

 妹は妹で姉には甘く、ちゃっかりその衣を纏った身体に引っ付いて夢を共にした。


 しかし、幸せな時期があれば、辛い時もいずれ訪るる。

 里の創立の頃から身を寄せていた稲霊(イナダマ)村の老翁(ロウオウ)が、滔々(トウトウ)覡國(カンナグニ)を去る日が訪れたのだ。


 彼はその長い生を農村で過ごし、知識や経験を若手に余す事無く伝えた。彼を「(ジイ)やん、爺やん」と慕っていたアズサは、その薬学の知識を以て、運命(サダメ)に対して相当の悪足掻きを行った。

 姉の方は旅や以前の里長の頃に老人の見取りを幾度か経験している。年老いた者が患う病には時折、薬学を以てしても対抗が出来ず、水術の治療を施せば治る処か悪化する代物が存在した。

 老翁が冒されていたのは、その肉体の叛乱の病であった。反旗を翻した肉は既に全身に広がっている。


 里の者達は彼の死の運命を里長から告げられると、老翁の小屋に集まり、涙を流した。取り分け酷く泣いたのはアズサであった。ずっと彼の面倒を看続けていたカケル少年は小屋を飛び出し、最期の場には居合わせなかった。モチコはまだその意味を理解していなかった様だ。

 老翁は足腰の悪さから小屋を出る事が殆ど無かったが、彼の惚ける事のない達者な頭脳を借りに訪れる者は多かった。

 彼は最期の挨拶をせねば為らぬとアズサへ頼み、命を削る程の痛み止めを使い、里の明るい未来を祝う言葉を述べ、付き合いの深い者達へそれぞれ助言を授けた。

 そうして、彼の実り豊かな生に終止符が打たれた。


高天(タカマガ)に、帰りし命を寿(コトホ)ぎます」

 口を利けぬアズサに代わって、里長が敬意の寿ぎを験す。老翁の御霊は巫女の祝詞の調(シラベ)に乗り、その存在を高みへと届かせた。


 魂が去った後、遺された肉体は覡國の生物の糧となるか、黄泉國(ヨモツグニ)の使者に持ち去られるかする。肉体やその残滓を野晒しにする訳にはいかない。

 支度だけされ、嘗ての里の民の白骨だけが眠っていた墓所に、新たな里の最初の住人が加わる事となった。


 多くの村がする様に先ずは殯葬(モガリ)小屋にて安置を行い、その間に墓を支度する事とする。

 魂が去った後の肉体は唯の“もの”に過ぎない。それでも人々は、その“もの”に彼の者の生前を思い出し、失われた魂もまるでそこに残るかの様に感じる。


――遺体の埋葬は遺された者への魂の慰め。


 ミクマリは里長として、墓の方式を決定する為の会議を開いた。

 各々の村のやり方を訊ね交換し合い、それらの利点や欠点、気持ちの上での納得の度合い等を精査し、最終的には幾つか挙げられた案の内から多数決を取った。


 墓の準備期間を殯葬の時とし、人々の心に彼の者の死を受け入れさせる。

 墓は穴を掘り、土の上へ遺体を丸まり眠る赤子の様な姿勢で安置し、半切りの壺の様な形の土器を被せ屈葬とする。そして、眠る土の上には印の墓石を置く。


 土器や墓石には、生前の彼の者の役割や挿話に関する絵を描く。これは里一番の絵師が埋葬者と親しかった者から話を聴き、真心を込めて描いた。

 尚、清め以外の一連の作業に於いては自然術の使用を禁止とし、非効率ながらも人の手の力のみで行う事を定めた。

 斯うした手間と手順を踏めば、埋め立てられたばかりの土の上で別れの挨拶を述べる頃には、遺された者の気持ちも多少は癒える事であろう。



 ミクマリは空を見上げる。里を興してから二度目の芽吹きの季節。柔らかな春日(カスガ)が彼女を見下ろす。

 あの老翁は、これまで彼女が、巫覡達が寿いで来た者達と同じ場所へと還ったのだ。

 人は、母から生まれ、子は独りでにその肉体に魂を宿す。

 それなのに何故、高天國(タカマガノクニ)へ至る事を“還る”と表現するのだろうか。


 数多の神々と接し、無情や身勝手の真実を()った彼女にもそれは分からない。

 唯一つ言えるのは、終わりを忌避し、次を求むのならば、高天に至るだけの資格を持つ生を送らねばならぬ事。

 巫覡としての立場を得た者は別として、一般の者はその魂が気高くなければ叶わない。

 これまでに出会った気高き者には、ミクマリやその師の尊敬に適う生き方をした者が多かった。いつかは里の他の者も旅立つであろうが、そのどれ程が高天に迎え入れられるのであろうか。


――高天國は豊かで良い処らしいけれど、本当にそうなのかな? ……ううん、気にする事は無いわ。ここが私達の幸せの、まほろばの地なのだから。


 額に手を翳し、太陽よりも遥か彼方を見詰める娘。

 いつか天に水の柱を立てた様に、小さき胸に広大な天へと挑む心を感じる。


――競い合っても、争っても何の意味も無いのにね。


「……お爺ちゃん、ありがとう御座いました。私、まだまだ沢山、頑張りますね」

 癖になった高天への反感を奥へと仕舞い、老人の墓標へ礼をし墓場を去る。


――少し、疲れてしまったかもしれない。


 先人達の眠る背後から冬の残滓が吹き付けた。

 乱れた提髪(サゲガミ)を整えれば、冷たく滑らかな手触りが伝わる。


――でも、休むのはもう少し先。


 遠くで、巫女の後輩達が里長を呼ぶ声が聞こえる。


「はーい、今行きます!」

 

 娘は再び里長の仮面を被ると、仲間たちの元へと駆けて行った。


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