巫行140 教育
巫覡としての仕事を覚える前に、先ずは才能を調べねばならない。
嘘吐き娘のシラサギを巫女見習いに据える前に、ミクマリとアズサは自然術と祓の験しをする事にした。
「やっぱり巫女と言ったら、術よね。火をばあぁーーっ! って燃やして、風をびゅびゅーっ! っと吹いて、土をもりもりーーっ! って出して、水をじょばじょばーってね!」
自然術の素材を前に、両手を擦り合わせるシラサギ。
「土と水は出すもんとちゃうんやけどなー……」
アズサが苦笑いをする。
「そもそも、そんなに激しく術を使う必要なんてあるんですか? 私はそんな用事ありませんでしたけど……」
ヒツチが首を傾げる。
「どうかしら。無い方が良いんだけどね」
ミクマリも苦笑いだ。大規模な自然術の行使は、稀に来る大きな災害への対抗や大事業、高位の術師同士の命の取り合いにしか用途がない。故に、多くの巫覡は才能を持っていてもそれ程の力を付けずに暮らす事が多い。
「でもでも、ミクマリ様の生まれ故郷は、サイロウの手下に泯ぼされちゃったんでしょう? やっぱり、悪い奴よりは強くないと!」
「そうね。争いは起こらないようにしてても、向こうからやって来る事もあるから。それに、他人を害する力を持つという事は、その危険性を理解するという事でもあるの。火は火事を起こすし、水には生き物、土にも精霊が住むわ。強過ぎる風だって破壊を起こす。それを無闇に使えばどういう事になるか。理屈では分かっても、身を以て体験しなければ本当に知っているとは言えない……」
「ミクマリ様は豺狼の王を退治なされたんですっけ。うちは彼等も素通りの寒村でしたので、彼は兎に角酷い奴だったという事しか。でも、彼が斃されたのなら、もう心配する必要もないような」
ヒツチが首を傾げる。
「そうかな。ミクマリ様は術の修行を始めて、たった一年でサイロウを追い越せたんでしょう? ミクマリ様は優しい人だから良かったけど、これが大悪人だったら? 他にもそんな才能の人がいるかも知れない。ここだって来年にはどうなるか分からないよ。ヒツチがそんな気楽な事言えるのは、何も見て来なかったからじゃない?」
珍しく真剣な表情で不安を述べるシラサギ。
「何よ偉そうに。別にサイロウみたいなのが居なくても、蛇に咬まれて死ぬかもしれないし、食べ物に中るかもしれない、流行り病や不作や不猟だって死に繋がるんです。何でもかんでも心配したって始まりませんよ」
「そうだね。でも、私も全ての村から、単純に追い出されてきただけって訳でも無いし……」
何かを思い出しているのか、嘘吐き娘の表情は昏い。
「はいっ!」
柏手が打たれる。アズサだ。
「そんな話はほかっといてなー、シラサギは術を験しー。姉様、御願いします」
他人の暗晦手繰るは招命ノ霊性。
ミクマリは暗くなった雰囲気を元手に邪気を練る。
「うっ、何か寒気が」
自身の腕を抱くシラサギ。
「この程度、墓地みたいなものです」
澄まし顔のヒツチ。
「そういやこれ、呪術に似とるなー。うちの音術も呪言も似たもんやろかなー」
アズサが呟く。
大した量の邪気ではなかった為、出来上がった夜黒ノ気は僅かだ。拳一個分程度の濁った靄が辺りを漂う。
「わ、お化けだ」
「お化けって貴女、もう少し言い方ってものがあるでしょう。これは夜黒ノ気という濃い邪気ですよ」
溜め息を吐くヒツチ。
「いや、今言ったの私じゃないんだけど……」
シラサギは首を振る。
「ミクマリ母さん、それ、お化け?」
小屋を覗く童女の姿が一人。
「お化けとはちょっと違うかな」
「ふうん……」
漂う気を目で追うモチコ。
「モチコも霊感ありやにー。巫女に成れるかも知れへんなー」
「あたしも巫女になるー」
モチコがやって来てミクマリの横に正座をした。御揃いの提髪が並ぶ。
「シラサギさんはちゃんと視えてる?」
「はい、視えてます! これは不安の色が強いですねー!」
分かってか先程の会話からの推測か、邪気の元手の気配を言い当てるシラサギ。
「では、巫覡の基本。清めの巫行に欠かせない祓の力の使い方を指南するなー。……こーっと、取り敢えず、清い気持ちでその靄を触って貰ったらええかな? うーん、説明ややこいなー」
アズサが腕を組む。
「兎に角やってみる!」
シラサギは唇を舐め舐め夜黒の靄に手を近付けた。
……すると、靄が濃くなった。
「は? 濃くなったんですけど?」
「うーわ。最低ですね……」
ヒツチが小声で嗤った。
「シラサギは呪術の才能あるなー」
「心が穢いからです」
ほくそ笑むヒツチ。
「うーん。心が穢いとも限らへんなー。うちも呪術は出来るし、そもそも邪気を集めて練ったのは姉様やん? 霊気と邪気は表裏一体なんやにー」
「唯、邪気は邪気を呼ぶから、呪術を扱う人にはその気に巻き込まれて性根を悪くされる方も多いらしいわ。物事の切り分けが確り出来ていれば、祓の技も使う事が出来る筈よ。一時でも良いから邪念を棄てて、赦しの気持ちと斎く気持ちで心を満たしてみて」
姉妹の助言。
「やってみまーす」
言うが早いか、赤黒い靄が跡形も無く霧散した。
「早い」
声を上げたのはミクマリだ。
「おや、ミクマリ様。今ひょっとして、私をお褒めに為りました?」
若気る娘。
「そうね。私が出したのは、はっきりとした夜黒だったから。清めの力も強い方だと思います。何より、気持ちの切り替えが早い」
「私、演技は得意ですから!」
シラサギは胸を張った。
「調子が良いだけでしょうに」
その横で先輩巫女の一人が不満そうな顔をしている。
「こーっと、今の感覚が祓の技、巫女の霊気を使う感覚やにー。今はまだ、うちらの里のお墓は清いけどなー、埋葬とかが増えて来たら寄って来るんやにー。後は、獣の怨みとかを見つけたら祓ったってなー。そいじゃ、次やに!」
並べられるは火の付いた油皿、水の入った器に、精霊の多い畠の土。そして、その辺の石ころだ。
「よーし。待ってました!」
シラサギはアズサの指示に従って、それぞれの素材に手を翳したり、指をさしたりした。それから、叩いたり、話し掛けたり、文句を言ったり、煽てたりした。
「ふふっ、残念ね」
ヒツチが鼻で嗤った。
「うう……私は、どれも才能無し?」
火傷をした手をミクマリに治療されるシラサギ。
「そやにー……火、水、土、石。どれもあかんなー。声にも強い霊気が籠っとるんを聞いた事無いしなー」
「見て下さい! 埴ヤス大地!」
ヒツチは土に指を触れ、小さな柱を形成して見せた。
「ほらほら、シラサギさん、結ノ炎!」
続いて火皿に指を近付けると種火を宙へ持ち上げ、シラサギの顔へと近付けた。
「ヒツチさん!」
ミクマリが声を上げた。眉間に皺。
「はっ!? ご、ごめんなさい!」
平謝りのヒツチ。
「本性現して来たなー」
アズサが溜め息を吐く。
「冗談で術を人に向けてはいけません」
ミクマリはそう言うと、ちらと水の入った椀を見た。
自然の水操るは探求ノ霊性。
椀から水が持ち上がり、一切の歪みの無い球体へと変じる。
「良いなあ、憑ルベノ水……」
羨望の眼差しで見上げるシラサギ。
「たった一握りの水でも」
ミクマリが手を翳す。すると水球から一滴雫が垂れたかと思うと、勢い良く地面に向かって発射された。
風切る音と共に、地面に指程の大きさだが、底の見えない穴が空いた。
「……こうです。当たり処が悪ければ死に至ります」
「ひええ……」
ヒツチが身を引き慄いた。
ミクマリが水の弾丸を無数に並べて見せれば、若手達から小さく悲鳴が上がった。それから術を解いて水を椀に戻してやる。
「うちもなー、姉様より時間掛かるけど、音だけで似た事が出来るさー。石ころ投げても出来るなー」
「僅かな火が森を焼く事もあります。土術の行使が畠や草木を殺す事だってあります。ヒツチさんは認識が甘いです。鍛錬も足りません」
「仰る通りです。もっと土の精霊の声が聴けていれば、肥料で失敗する事もありませんでした……」
悄気る巫女。
「ここ、私の小屋なんだけどなあ……」
シラサギは穴に指を入れながらぼやいた。
「ヒツチさんが土術で埋めておいて下さい。そういう訳で、シラサギさんが使えるのは科戸ノ風のみね」
「丁度ええんちゃうけ? うちは風術好かんけど、里には風術の使い手は居らんしなー」
「えっ、私、風術が使えるの? 試験してないけど!?」
そう言いながら、鳥の様に腕をばたばたさせるシラサギ。
「貴女が起こす風に時々、貴女の霊気が乗ってるの。無自覚だとは思うけれど、風術の才能はあるわ」
「そやけどなー……」
アズサが唸る。
「そやけど?」
首を傾げるシラサギ。
「私達も風術の骨は分からないから、余り指南はして上げられないの。水や石だったら私達が、火や土ならヒツチさんが当てになったのだけれど」
――一通りの術に通じていたあの人が居ればまた、話も違ったのでしょうけど。
「うーん。でも、皆の出来ない風術の才はあるのよね? 霊気や邪気も素早く扱えるし」
シラサギは、ちらとヒツチを見やった。
「わ、私だって火と土が……」
「火もねー、風を送ってやれば大きくしたり消したり出来るし、土だって風で吹き飛ばせるじゃん? それに、雨雲を運ぶのも風だし、風に乗って運ばれる種だってあるんだから」
シラサギは勝ち誇った様に言った。
「え、そうなんですか?」
きょとんと首を傾げるヒツチ。
「「「えっ!?」」」
一同が声を上げた。
「そんな事も知らんと巫女やっとったんけ……」
アズサが額を抑えた。
「うわ、はっずかし。私ですら知ってる事なのに」
こちらは口を押えて笑いを堪えている。
「私は土いじりと神様との交信くらいしかしてこなかったから! べ、別にこれから学べば良いじゃないですか!」
顔を赤くするヒツチ。
「頑張ってねえ。頭の勉強をしてる間に、私は巫力を追い抜くからねえ」
虚仮にしつつ、何やら両手を下から上へ向かって仰ぐシラサギ。
「何仰いでるんですか……って、くっさ!?」
顔を顰めて鼻に手をやるヒツチ。
「良い事を教えて進ぜよう。穢れとは邪気。臭いを運ぶのは風。邪気と風の両方を操れる私は自由自在に放屁を届ける事が出来るのだ!」
シラサギが何か言った。
「あっとるけど、出任せやなー」
笑うアズサ。
「アズサ、やる気は出たみたいだから、後は頼むわね。特に二人の礼儀作法」
ミクマリは幼き巫女頭に耳打ちし、苦笑と共に退席した。
賑やかな小屋に背を向けて、ミクマリは人を育てるという事に思いを馳せる。
二人は良い競争相手に為るだろう。互いの良い処と悪い処を上手く吸収してくれると良い。序でに、仲良くなって貰えれば有難い。
シラサギも巫女らしくなれば虚言癖も治るかも知れない。
――巫覡の後進や里の者の心は少しづつ育っている。私も少しは成長出来た……かな?
「ミクマリ母さん、帰っちゃうの?」
モチコが袖を引っ張った。
「うん。私の出番はもうお終い」
幼女を抱き上げるミクマリ。
「あたしも巫女に成りたい」
「モチコは、もうちょっと大きくなってからね。その時は、私が御世話をして上げるから」
彼女は才有りだ。だが、霊気や霊性の鍛錬は心の鍛錬でもある。善悪の判断の付かない子供の内は難しい。
ミサキの処の様に育成に馴れていれば話は別だろうが、普通は御霊が高天國に招かれる年頃の子供の心根が、その様に発達する事はない。
もしも、幼くして早熟に心を律してしまえるのなら、それはきっと哀しい事や辛い事情が絡むのであろう。
――暫くはお姉さん達が頑張るから、モチコはもうちょっと後ね。
「愉しみ」
モチコが言った。
「そうね。愉しみ」
少しの未来、小さな子供に自身の業を伝える姿に思いを馳せる。
――その時も、私は今のままなのかな。
ふと、寂しくなる。里の事、仲間の事、子供達の将来に就いては幾らでも想像が出来る。
だが、自身の事、里がまほろばの地と成ったその後の事となると、どうしてだろうか、何も浮かばずに暗闇ばかりが続いてしまうのであった。
――その先には何があるのかな……。
求めた平和には飽きを隠せず、戻った女の胎さえも結局は煩わしいだけのものと化している。自身の歳であるならば、色恋の一つや二つあってもおかしくはない。
今や多くの物事を自由にする権利も力も持つというのに、噂をして喜ぶ程度にしか興味が持てなくなっている。
水術を控える様になってからは腹も余り減らない。腹が減らねば食事の旨さも半減だ。
「……帰ってお昼寝でもしよう」
溜め息の様な呟き。ここの処、眠るのが愉しみに為りつつある。
「あたしも寝るー」
「そうね、じゃあ私のお部屋で一緒にお昼寝しましょうね」
ミクマリは童女を抱きながら、とぼとぼと小屋へ戻ったのであった。
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斎く……心身の穢れを落とし、神に奉仕する事。その様な気持ち。