巫行139 白鷺
「ぎゃああ! 頭が割れる! マヌケになっちゃう!」
頭を抑え転げ回るシラサギ。
「アズサ様! どうしてシラサギの頭を叩いたんですか!?」
部下のヒツチが目を丸くする。
「そやなー。里のもんにはずっと黙っとったんやけどなー。うちなー、霊気で嘘が見抜けるんさー」
枹で自身の掌を叩きながら、嘘吐き娘を見下ろすアズサ。その表情は厳しい。
「う、ぐぐ……そんな事が出来る訳が……」
涙目で見上げるシラサギ。
アズサが再び枹を振り上げた。
「あーっ! 待て待て待て! もうええから!」
アズサの手の中から欅の枹が消える。
「ええのんけ?」
サルノテを見上げるアズサ。
「ええんじゃ」
首を振るサルノテ。
「もうちいとでサルノテさんは、里から追い出されとったんやにー」
アズサがちらと里の権力者の方を見た。彼女は外方を向いた。
「証拠は!? 証拠はあるんですか!? アズサ様が嘘を見抜けるって証拠!! 大体、見抜けるならどうして今日まで黙ってたんですかあ!!」
喚く詐欺娘。
「やっぱり、今までも嘘を吐いてたって認めるの?」
ヒツチが目の色を変える。
「嘘じゃないもん! 嘘吐きはアズサ様とサルノテ! 鬼巫女! 強姦魔! ミクマリ様助けて!」
ミクマリの衣へシラサギが飛び込んで来た。彼女は頬と鼻の下を確りと濡らしている。
「シラサギさん。アズサが嘘の見抜きを出来るのは本当よ」
溜め息を吐くミクマリ。
「へえ。流石ミクマリ様の妹さんだけあって、偉い巫女様なんじゃなあ……」
頭に出来た瘤を摩る無実の罪人。
「ううう、納得が行かない! 嘘が見抜けるのが嘘じゃないって証明して下さい!」
「証明したら、ちゃんと謝るけ?」
アズサは両腰に手を当てて訊ねる。
「謝る。……っていうか、ほんとにそんな事が出来るなら私、何をしてやっても良いから! 里を出て行っても良いわ!」
シラサギは頑として信じようとしない。
「シラサギの事は兎も角、私もちょっと、信じられないかもしれません。アズサ様が珍しい術をお持ちなのは知っていますが……」
ヒツチが言った。日誘ノ音が珍しいとはいえ、ヒツチは少々、術や稜威なる者に就いての知識が怪しい。
「そやなー。うちの頭の中だけの事やし……。そやったら、何かうちの知らん事言ってみーや。嘘かどうか、当てたるさー」
アズサが促す。
「では、私はー山女魚よりも鮎が好きです」
「それは嘘やなー」
アズサが答える。
「微妙な質問。私が沢山質問する!」
割って入るシラサギ。
「私は嘘吐きじゃない!」
「それは嘘やなー」
「お前、その質問は意味がないじゃろ」
サルノテが呆れ声を上げる。
「人魂を見た事がある!」
「それは本当やなー」
「お墓に百人分位集まってて、私、高天へ一緒に行こうって誘われたの!」
「それは嘘やなー。術無しでも分かるさー」
「私は産まれた村を含めて三つの村から追い出された!」
「こーっと。嘘が混じっとるなー。回数が違うんかいなー?」
「正解! 本当は五回です!」
胸を張る娘。
「威張る事じゃないでしょうに」
ヒツチが溜め息を吐く。
「じゃあ、これは? 私は、こーーんなでっかい大蛇を見た事がある!」
両手を広げて飛び跳ねるシラサギ。
「これは嘘ね」
ヒツチが鼻で嗤った。
「んー? ほんまやみたいやにー」
アズサが苦笑いで答える。
「えっ、そんな筈無いでしょう? 蛇なんて精々手で掴める位の大きさしかないですよ。アズサ様、やっぱり見抜きの術なんて……」
ヒツチが疑惑の目をアズサに向ける。
「あのね、ヒツチさん。居るのよ、そういう生き物が。長く生きて精霊が宿ると、普通よりも身体が大きくなったりするの。ここの山神様はそういう方じゃないけれど、巨大な鳥だとか、蛇や蟹が神様に成る事もあるのよ」
ミクマリが補足する。
「何ならうちは、空飛ぶでっかい鱒も見た事あるなー」
笑うアズサ。
「私も、空飛ぶ魚は沢山見たかな……」
神の釣り針事件を思い出すミクマリ。
「ええ……魚って空飛ぶんですか。うちの神様は姿が無かったからなあ……。でも、お二人がそう言うなら本当に居るのかしら……」
渋々引き下がるヒツチ。
「浜の村の海神様の育ててらしゃる子には、小屋程もある鯛が居ますよ。精霊や神様でなくても、鯨とか鱶はとても大きいの」
「へええ……」
ヒツチは目を丸くしている。
「じゃあ、俺も一つええか?」
サルノテが手を上げた。
「あい、どうぞ」
「俺はシラサギの事は襲っとらんし、帯も偸んどらん」
「嘘吐いとらんなー」
「序でに言うと、ミクマリ様の頭から簪を抜いてから、人様の物をその場から持ち出したりはしとらん。我慢出来ずに、持ち上げる処まではやっちまったんじゃがな」
肩を竦めるサルノテ。アズサはミクマリの方を見て頷いた。
――そっか、それは良かった。でも……。
「……へえ! 凄い術ね。流石、巫女頭じゃん! 騙されたなあ。只の賢い童だと思ってた。偉い巫女様の妹だからって、贔屓されてるだけだって思ってた!」
シラサギが声を荒げる。
「分かったわよ。私は嘘吐きよ。でも、出て行くのは本当。ちょっとね、こいつは同じ嫌われ者だった癖に、最近親切になってむかついたから、嵌めてやろうと思ったの」
嘘吐き娘は「ふん」と鼻を鳴らすと一同に背を向けた。
「出て行くんけ? シラサギは“何でもする”言うたなー」
アズサが言った。
「う、言ったけど。……でも、私みたいな嘘吐き、里に居ない方が良いでしょ? 仕事だって特別な事はしてないし、嫌われて相手も居ないから里の人を増やしてやる事も出来ない。無駄飯喰らいなんだからさ!」
「なあ、俺は出て行く程じゃねえと思うんだが」
一番の被害者が言った。
「甘いですよ。この子はまたやらかしますよ、絶対に」
ヒツチが言った。
「出来れば私は、追い出す様な事はしたくありません。別に仕事が特別でなくとも、家族を持たなくとも構いません。この里は、余所では生きられない人も一緒に暮らせる様な処にしたいの。貴女に出て行かれたら、私は困ります」
ミクマリが言った。
「別に、私なんて放って置けば良いじゃん。ミクマリ様の言ってる“一回は赦す”も百篇は破らせてるし、出て行って一回ぽっきり困らせるのと、これから先ずっと困らせ続けるのだったら、出て行った方がお得じゃん」
「もう嘘を吐かなきゃ良いだけじゃろが。俺の言えた事じゃねえが……」
「そりゃ、あんた達は自分のちゃんとした仕事や得手があるし、それ以外にも人の役に立ってるから良いよ。でも私は、嘘を吐くしか取柄がない」
「それ、取柄じゃない」
ヒツチが突っ込む。
「ほら、だったら出て行った方が良い」
「何でそうなるんじゃ。俺みたいに構って欲しいから嘘吐くんか?」
サルノテが歩み寄り、シラサギの肩に手を掛けた。
「うるさい。泥棒なんか手足を切られちゃえ」
嘘吐き娘は手を払うと、振り返らずに歩き始めた。
「おめえはほんとは、悪い奴じゃねえ。俺は知ってるんじゃ。今日までは、本当に人を困らせる嘘は言わんかったじゃろが! 子供と遊んで作り話聞かせてやっとる処も、俺は見たぞ!」
叫ぶサルノテ。
「うっさいわね。童を揶揄って遊んだだけよ。偸み聴きまで得意な訳?」
泣き腫らした顔がちらと振り返る。
「気になったから憶えとっただけじゃ!」
「何よ、気になるって。あんた、私に気がある訳!?」
立ち止まるシラサギ。
「無いが」
さらりと答えるサルノテ。
「嘘やないなー」
アズサが補足する。
「死ね!!!」
厳しい言葉を吐き捨てるとシラサギは駆け出してしまった。
「サルノテさん、今のは嘘でも、そうだって言うべきだったんじゃ?」
ヒツチが睨む。
「厭じゃ。嘘が問題になっとるのに一緒に嘘吐きになってどうすんじゃ。大体、ヒツチだったら、絶対嫌いって答えたじゃろが」
「間違い無いですね」
頷くヒツチ。
「うーん」
ミクマリは唸る。ああいった根っこが捻くれた者には、嘘も真心も中々通じない。小さな子供が相手ならば、捕まえて抱きすくめれば割と解決を見る問題であるのだが。
「なあなあ、ミクマリ様。何とかしてやってくれよ。このままじゃ本当に白鷺みたいに旅鳥になっちまう。若い女が一人で漂泊を続けりゃ、どうなっちまうか考えるまでもないじゃろ?」
「そうねえ……」
引き留めて里に縛り付けるのは容易い。その後が問題だ。
「今まで五度も追い出しを喰らってて生きてるんだから、それなりにやってけるんじゃないんですか?」
面倒臭そうに言うヒツチ。
「そうかも知れないけど……」
――でも、それじゃあの子にとって、良い事は無いわね。
「あの子は嘘吐き。それを知った上で付き合っていきましょう。……良し、アズサ!」
「何ぞー?」
「次に石の社に行く時は、貴女が私の代理を務めなさい」
「おー。急に話変わっとらんけ? でも、ええのんけ? うち、頑張るさー!」
お出かけの御許しを貰ってにこにこ顔の童女。
「それじゃ、ミクマリ様が村の巫行を手伝ってくれるんですか?」
ヒツチが訊ねる。
「私はこれまで通りよ。その代わり、アズサには次の旅までに巫女を一人、仕立てて貰います」
ミクマリはそう言うと、水の縄の両端を重くし、飛び去ろうとするシラサギへ向かって投げた。
「ぐえ!」
水縄が足に絡み、すっ転ぶ娘。
「あの子を巫女にしましょう。霊感も少しはある様ですし」
「そう言えば、人魂を見た事がある言うとったなー」
「うえ……私は反対なんですけど。絶対に碌な事になりませんよう!」
露骨に厭そうな表情のヒツチ。
「アズサ、巫女頭としてのお仕事よ」
「へへへ……あたたい奴やし、躾け甲斐ありそやなー」
再び手に木の棒を手にするアズサ。
「アズサ、暴力はいけないわ。でも、厳しく二人の躾けをしてやってね」
枹を取り上げるミクマリ。
「二人って、私もですかあ!?」
ヒツチが声を上げる。
「ヒツチさんは少し、依頼心が強いかも。それに、可也の経験不足です。これから里が広い繋がりを持てば、難事に衝突する事だって増えるでしょう。その時、私やアズサが傍に居るとは限らない。今の内に鍛えなくっちゃね」
ミクマリが言った。
「うー、それは有難いですけど。あの、やっぱりシラサギは追い出しません? どうせ扱かれるんなら、私が二人分頑張りますからあ」
相当シラサギと組むのが厭らしい。ヒツチは邪気混じりの嫌悪を全開にしてミクマリの茜色の袴に縋りついた。
「ふん、あんたなんて、さっさと追い抜いてやるんだから」
更に下から声。いつの間にやらシラサギが戻って来ている。足に水縄を絡ませたまま、ここまで這いずって来たらしい。サルノテが「芋虫みたいなやっちゃなあ」と呆れ声を上げた。
「追い抜く処か、貴女に巫女の任が務まるとは思いませんけど。巫行が如何に大変か、御存知ないのでしょう」
見下ろし笑うは、逃げた生贄の巫女。
「あんたは失敗して磔になって、逃げた癖に? 普段だって、こんなちっこいアズサ様に頼りっきりじゃん!」
言い争いを始める二人。
「なー、姉様。うち、この二人見とると、何かこそばなるわ……」
アズサが頬を染めた。
「そうね。誰かさんと、そのお友達にそっくり」
小さな巫女頭を撫でてやるミクマリ。黒い短髪はその手から逃げた。
「……ほら、二人とも、さっさと立ちいな! これからうちが、びしばし鍛えたるからなー!」
アズサは両腕を上げて大声で言った。
「ふー、これで一件落着じゃな?」
安堵の息を漏らすサルノテ。
「サルノテさん、赦してしまうの? 少し位、罰を与えた方が良いかも知れないわ」
「そうかも知れんが、それで次もあかんかったら、シラサギの奴は今度こそ抜け出すじゃろ? あんな普通の娘が外にほっぽりだされさたら、嘘で無しに悪さされるじゃろ。それか、何かもう辛い目に遭っとるかもしれんし……。人が“いがむ”んには、やっぱ何かしら理由があるんじゃろなあ……」
遠い目をするサルノテ。彼は「一回は赦す」と呟く。ミクマリはそんな彼の頭へ手を伸ばし、瘤を優しく撫でた。
「傷を癒します」
「有難え。でも、撫でる様にせんでもええじゃろ」
大の男が頬を染める。
「ま、俺もお咎めは受け取らんしな。別に咎められねえと、反省が出来ん訳じゃねえさ!」
瘤を引っ込めた青年は笑って言った。
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あたたい……わざとらしい、根性の悪い。
いがむ……歪む。