巫行138 瞞着
「まさか、くたばらなかったなんてな」
床に伏したまま言うサルノテ。
「貴方はまだ、生きたいという事なのでしょう」
ミクマリは彼の横に座ると、手を翳し身体の様子を探った。
「もう、痛くも痒くも無いんじゃがなあ」
ミクマリは与母ス血液の術を以て、サルノテの身体に入った毒と血液を別け、体力消費に依らない治療を行って彼を救った。
正確には、彼自身の念のみで術を行使した為、ミクマリは彼が助かる為の切っ掛けを与えたに過ぎない。
迷い無く与母ス血液の術を行使出来たのは良いとして、治療の内容が初めてのものであった為、予後が気になった。
患者の言う通り、身体への打撃は回復し切っている。後は寝て食っていれば数日で完治だ。心の毒の方も、治療術で消費してやったお陰か、晴れやかな顔をしている様に思える。
「まだ、動かない様にして下さいね」
「退屈なのは好かんなあ」
「数日の辛抱ですから」
「数日でも、山仕事が空くと困るじゃろ? ユミヒキは俺の拵えた矢を気に入ってんだ」
「“カケル”君が代わりに仕事をするって。畠は後は収穫を待つだけだからって」
カケルは稲霊の老人の処の少年だ。
「あいつ、矢師も出来るんか?」
「道具を作るのは“メツケ”さんが代わるって。浜から戻った処だから、暫くはこっちだって」
メツケはサルノテの連れ合いの物腰の柔らかい青年だ。今日はカケルと共に山仕事に出ている。
「爺んとこの童は達者だな。もう一人の童はどうしとる?」
「あの子は、また口を利かなっちゃいました」
結局、彼が口を効いたのはサルノテが瀕死になっていた期間だけだ。安心を得た後は話し掛けても首を傾げるか頷くかするばかりであった。
「ふうむ……。どうしたもんじゃろか」
寝たまま腕を組むサルノテ。
「もう一回、蛇に咬まれてみます?」
「うへえ、ミクマリ様もそんな冗談言うんかい」
サルノテは苦々しい顔で笑う。
「冗談は兎も角、また誰かがやられるといけないので、アズサに頼んで少し駆除して貰う事にします」
アズサは前の身体の頃程ではないが、蟲に関する仕事を得手としている。「新しい身体を毒馴れさせる」と言って毒を舐めたり、蟲から態と受けてる事がある。
正直、姉としては心配以外の何物でもないのだが、本人がけろっとして生きている以上、信ずるしかない。それに、彼女の“苦手”の力はこういう時の為にあるのだ。
「そうじゃな。童共が山に入らん様に注意しても、毒蟲の方が降りてくる事もあるからのう」
「では、早速取り掛かります。安静にしておいてくださいね」
ミクマリはサルノテの鼻先に指をさした。
「あいあい。……っとその前に、これ返しとくわ」
サルノテが“何か”を差し出した。
「ちょっと!?」
ミクマリは頭に手をやる。あるべき物がない。盗人の掌の中に霊簪。
「もう! いつの間に。全然懲りてないんだから!」
「それはな、くたばり掛ける前に盗った。誰も気付かねえんじゃもんな。じゃがよ、ミクマリ様にたっぷり構って貰えたから満足じゃ」
白い歯を見せるサルノテ。
「ああ、そうですか!」
ミクマリは簪を引っ手繰る。
「その分、誰かを構おうと思うんだ」
そう言うと、彼の顔付きが変わった。
「……そう、それは良いかもしれませんね」
頭に簪を挿しながら返事をする。
「あの童の事、俺にちょっと任せてみてくれねえか?」
「本人次第ですけど……。山仕事でも仕込むの?」
「どうじゃろな。向いて無くはねえとは思うが。あいつ、放って置いたらずっと同じ事やってんじゃねえかな? 色々験させてやろうと思うんじゃ。ま、上手く行くかどうかは分からんが。俺は構ったり構われたりが好きじゃが、あいつはそうじゃねえ様じゃからな……」
そう言ってサルノテは背を向けた。
――良い方に向かってくれたら良いな。
ミクマリはもう一度念押しをした後、サルノテの小屋を出た。
それからアズサの処へ行き、蝮の駆除の依頼をする。
「そやなー。こどもしが噛まれたらあかんなー。栗林の“ねき”に蛇穴がぎょーさんあるんやにー」
薬草を検め乍ら頷く童女。口には何やら木の実の粉を固めて焼いた軽食が咥えられている。
「それは危ないわ。もう少し秋が深くなると栗林にも用事が増えるから、今の内にやっておいてくれない?」
「山神様は怒らんのけ?」
ぼりぼり齧りながら訊ねるアズサ。
「山神様は鳥と獣だけ。蟲は気に為さらないわ。水神様だと魚だけでなく、蛇や蛙を贔屓なさる事もある様だけれど」
「ほーん。そやったら、壺もろたら直ぐ行きます」
アズサは仕事の手を止めて立ち上がった。
――これで一安心ね。
ミクマリでも蛇の駆除は可能だ。だが、役割分担は大事だ。
――大事ね! これはアズサの仕事!
「……こーっと、骨はばりばり焼きにして、毒腺で薬。皮は紐やろー。後は開いて、メツケさんからもろた塩で姉様との夕餉にしよかなー」
アズサはぶつぶつと言いながら梯子を下りてゆく。
「アズサ。私は要らないから、全部食べて良いわよ!」
「んー? 姉様、蛇は普通に食べてはるやん。この前も美味しい言うてたし……」
アズサが見上げ首を傾げた。
「えっ?」
「この前、山鳥や言うて出した焼き物あったやん? あれなー、滑やったんやにー」
アズサがにやりと笑った。滑は無毒の蛇だ。
「嘘、気付かなかった……」
青くなるミクマリ。味は鳥と変わらなかったが、そう言われてみれば肉が妙に薄かった気がした。だが、アズサが張り切って仕度をしてくれたので、詮索はしなかったのだ。
「食わず嫌いはあかんなー」
「うう、姉を騙すなんて……」
額を抑えるミクマリ。
「姉様の事を想ったんさー。因みに、蝮は食うても毒にはならへんくてなー。味は鵯に似てるんやにー!」
アズサは食べ滓の付いたままの歯を見せ爆笑した。
過去にアズサが鵯の焼肉を出してくれた記憶が蘇る。ミクマリが文句を言おうと顔を上げると、既に彼女は遠くへ駆けて行ってしまっていた。
それから暫く、ミクマリの里では蝮が頻繁に器に乗せられたのであった。
ある日、アズサに呼び出しを受けた。ここは煙突の伸びた竈のある、粘土焼き小屋の前だ。
「姉様にお見せしたい物があります」
アズサが言った。彼女はまたも何か饅頭を齧っている。
「アズサ様、また食べてる……」
今日はヒツチも一緒だ。
「いつもなー、モチコが爺やんと作って出してくれはるからなー、つい食べてまうんやに……」
秋になった所為か、ここの処アズサは常にもぐもぐやっている。
「太っても知らないわよ。それより、見せたい物ってなあに?」
「うち等巫女もなー、新しい事せなあかんかなーって」
水回りを除いた大抵の巫行は、この二人に任せている。
祓や自然術を用いない巫行の括りは明瞭ではない。集落や流派の規律により、手出しをする範囲が異なる。
神との交信、術を用いた仕事、人の生死に纏わる仕事、卜占、そして薬事辺りは何処でも巫覡や術師が担当をする。それから、裁縫、酒刀自、政、警備を巫覡の仕事の範疇としている処もある。勿論、これらは一般の民でも役目や得手とする者がいるだろう。
その他にも、“神とのやり取りから発展した行為”が村民達の娯楽として昇華されている場合がある。
「……よいしょ。これです」
アズサは小屋の前に並んでいた大小の土器から、小さなものをこちらへと運んだ。その土器には革で蓋がされている。
「蓋がしてある。中に何が入っているの? また、食べ物?」
ミクマリは少し身を引いた。この前アズサは、蝮の駆除の際に生け捕りにして壺に納めていた。
「ちゃうなー」
そう言うとアズサは饅頭を口に咥え、両手で革の蓋を叩いた。
小気味良い音が辺りに響く。
「楽器……太鼓ですね!」
ヒツチが言った。
楽器と言えば、湖の里の火の神のお祭りの太鼓や鼓、贈りの流派が鬼を封じる神楽を行う際に用いられた和琴や笛を見た事がある。
「太鼓は良いんだけど、何に使うの?」
祭りの音頭を取るのも巫覡の役目だ。だが、この里にはこれを使う神事は特にない。
「こーっと、別に神さんと交信するとか、そう言うんやないんやなー。面白いからやるんさー」
拍子を刻みながら鼓を叩くアズサ。
「あっこの大きいんも、みんな太鼓やにー」
「あれ全部?」
小屋の前にはアズサの持つ鍋程度の大きさのものから、腰の丈程の大きなもの、細いものや太いものが揃っている。その幾つかには磨き上げられた木の棒が添えられている。
「ふうん……」
ミクマリは太鼓に耳を当てた。
――中には何も潜んで居ない様ね。ここの処、あの子ったら私を騙して来るから……。
「ミクマリ様。太鼓はそうやって使う物じゃありませんよ!」
唐突に鼓膜が痛む程に震えた。ミクマリが耳を当てていた太鼓が激しく音を鳴らす。
「ヒツチさん!」
耳を押さえて怒るミクマリ。
「ご、ごめんなさい。まさかこんなに大きな音が鳴るなんて」
平謝りのヒツチ。
「そりゃ、ちゃんと考えて作っとるからじゃ」
そこへ現れたのはサルノテだ。
「枹は俺が拵えた。ちゃんと太鼓に合った大きさにしとるぞ。それより、ミクマリ様は太鼓を見て何か気付かんか?」
サルノテは持って来た滑かな白い棒を鼓の上へと置きながら言った。
「あ、この絵は……」
太鼓の胴体に描かれた絵。この絵はあの無口な少年が地面に描いていたのと酷似している。
「そうじゃ。あいつに色々教えようとしたんじゃがな、どうも、ぼーっと何かを見る癖があるから力仕事や山仕事は危ないし、しゃあなしに女共の仕事少し手伝わせたんじゃ。そしたら、絵描くのが得手らしくてな。あいつはその場で言われたもんを上手に描きよる。他のもんには真似出来んじゃろ?」
太鼓には、“村の一年”が描かれていた。芽吹きの季節、雨の季節、恵みの季節、狩りの季節。
人が季節の仕事をしている横に、その季節を代表する生き物が描かれている。
「今度、石の社に人を迎えに行く時は、あいつも連れて行ってやってくれんか? あいつは色んなもんを見て憶えた方がええと思うんじゃ。絵なら、地面と棒がありゃどこでも出来るからな」
サルノテの提案にミクマリは微笑み頷いた。
「それで姉様。里の特産品を探してるって言ってはったし、太鼓とかどやろなーって」
「革を張ったのも実はあいつなんじゃ。何度も張り直してな。気に入った音が出るまでしつこくやり直したんじゃ」
太鼓を撫でる杣人の手は大きく優しい。
「いきなりでかい太鼓運ぶのはしんどいじゃろうし、先ずは小さい鼓と絵を入れた器でも持って行ったらええかなあ。代わりに鉄の小刀が欲しいな。あいつに木彫りを教えたいんじゃ」
「うちもたまには里から出たいなー」
「アズサ様が居ないと私が困りますよう!」
仲間達の話を聴きながら、秋つ方の風を衣に受ける。
――大丈夫。里は少しづつ良いものに為っているわ。
ミクマリは頭の簪に手を触れ、空を見上げた。涼やかな空に薄雲、着飾った山を見下ろす女神の微笑み。
……と、そこに僅かに霊気を孕んだ突風が吹いた。
「見ぃつぅけぇたぁわよぉおおお!!」
農村の方から駆けて来る若い娘。彼女の名前は“シラサギ”。本人曰く、「白鷺獲り名人の子だからシラサギなの。紐付きの投弾を長い首に命中させてね、凄いんだよ!」との事。
しかし言霊というものか、将又、運命の悪戯というものか。彼女は嘘と瞞着に塗れた詐欺娘に育ってしまい、自身の蒔いた種により里を出る羽目に為り、渡り鳥の様に各地を転々としてここへと流れて来たのである。
「騒がしいのが来たわね……」
溜め息を吐くのはヒツチ。彼女は里へ向かう旅の頃からシラサギと相性が悪い。顔を合わすと毎度の事の様に喧々とやり合うのだ。
「シラサギさん、そんなに慌ててどうしたんですか?」
訊ねる里長もどことなく気怠そうだ。もう一季節で里が興ってから一周年だ。その間、ミクマリも何度かシラサギに騙されていた。尤も、悪意のあるものは少なく、仕様も無い自慢話や人を驚かせる冗談の延長が多い。だが、見抜かれても素直に認めない為に話が拗れて、自分から成果を見せびらかしに来る窃盗犯とは違った方面で質が悪い。
「私、着物の帯を盗られたんですよう!」
顔を真っ赤にして地団太を踏む娘。
「盗られたって、誰に?」
ミクマリは首を傾げ……ながらもこの場に居合わせた男をちらと見た。
「そりゃ、こいつに決まってますよ! この泥棒! 変態! こいつが私の帯を盗ったああ!!」
指をさされるのは勿論、サルノテだ。
「待て待て待て待て! 俺は盗っとらんわい! 最近はそんな気も起きんくなったんじゃ! そりゃ、一回か二回は手が伸びた事はあるが」
両手を振り振り否定する盗癖の男。
「信用出来ない! 前に私が一生懸命苦心して心を込めて骨を折って綯った縄を盗ったじゃん!」
「いつの話だ! あれは直ぐに返したじゃろうが。それに着物の帯なんぞ盗ったら、脱げてまうやろ!」
「そう! 脱げたの! だから代わりに縄で縛ってるのよう!」
腰を指差すシラサギ。衣は確かに縄で固定されている。
「ミクマリ様、こいつを懲らしめて下さい! あのほら、何て言ったっけ……盟神探湯! あれに掛けて!」
鷺の如くけたたましく喚く娘。
「サルノテさんは盗ってないって仰ってますけど……。いつ盗られたんですか?」
前科が無数にあるとはいえ、ここの処は村民から窃盗被害の報告は上がっていない。生死を彷徨ってからまだそれ程は経っていない為、偶然かも知れないが。
「……それ、聞きます?」
ぴたりと静かになるシラサギ。それから下を向いて沈黙。
「ミクマリ様。この子の言う事を信じちゃいけませんよ。私だって、何度騙された事か」
ヒツチは彼女の味方をする気はない様だ。
「俺は盗っちゃいねえよう!」
とはいえ、こちらの言も信じ切って良いものかどうか。
「シラサギさん、どうしたの。何があったの?」
ミクマリが覗き込む。
地面にぽつり、娘の目から一滴の泪。
「盗られたのは夜中なんです。目が覚めたら、衣が開けてて。男の人の影が。私、小屋に独りでしょう? 大きな声を出そうとしたら、口を塞がれて……」
それからシラサギは声を立てて泣き始めた。
「……この野郎っ!」
態度一変、ヒツチはサルノテに飛び蹴りをかました。
「痛えっ! 何しやがるんじゃい!」
もんどりを打つサルノテ。
「手癖の悪い男だとは思ってたけど、そんな事するなんて信じられない!」
繰り返し男の頭を蹴飛ばすヒツチ。
「俺はやってねえよ! 大体、俺とこいつは村も違うだろ!」
「何の言い訳にもなるか! 盗みの報告はどっちの村からも上がってます!」
今度は拳の雨霰だ。
「ミクマリ様! 助けてくれ!」
サルノテは反撃をせず、助けを求めた。
「……」
慈愛の巫女の表情も冷たくなっている。彼女の腕の中には泣き続ける娘。地面の上に崩れ落ち、すっかり汚れてしまっている。
それでも、はっきりとしない限り、ミクマリが表立って責める事はない。唯、頭の中で棒やら玉やらを潰す刑の事を考えているだけである。
――一回は赦す。玉は二つ。
「おおい! アズサ様! 頭が瘤だらけになっちまうよ! 俺はそんな事した覚えはねえ!」
童女に助けを求めるサルノテ。
アズサは黙って太鼓の傍へ行くと、“一番大きい枹”を手にした。
「おいおいおいおい! 勘弁してくれよ! それは上等な欅で作った奴じゃねえか! 一等堅い奴じゃあ!」
サルノテは慌てて逃げようと藻掻く。
「姉様!」
アズサが声を上げる。ミクマリは応じて、シラサギを放すと懐から水筒を取り出し、水縄の支度をする。
……するとアズサは、そのぶっとい棒を使って、当の被害者の娘の頭を打っ叩いたのであった。
******
こどもし……子供達。
ねき……傍。かなり近くを指すニュアンス。
瞞着……誤魔化す事、騙す事。
投弾……狩りや戦闘用の粘土や石の弾。縄の両端に投弾を結んで、獣の足や首に搦めて取るボーラーという道具がある。