巫行132 住人
さて、浜の村の朝。山の麓の避難所から、甲斐甲斐しく巫行に訪れる巫女見習いを傍目に、今後の案を練る。
まだ気の早い話ではあるが、この村とも交易を結ぶのであれば、里とこの浜の間に在る村とも仲良くなっておきたい。
間には水分の巫女の初仕事が行われた農村がある。稲霊が信仰を失い、怨みにより悪鬼と化し、それを退治した地だ。
あそこの村民は余り気心の良い人々には思われない。巫女にも逆恨みで砂を投げつけられている。
気が進まないが、道の上にある以上は選り好みも出来ないだろう。まあ、あの村長の気質からして、自身が噂の水分の巫女だと言えば媚び諂って来るだろうが。
「一応、帰りに寄るかなー」
欠伸と共に呟くミクマリ。
もう一件、元より彼女の隠れ里と交友のあった村。こちら側とは方角が違うが、そこも外せないだろう。
当時は両親の死と、急な里長への就任に呑み込まれてしまい、挨拶も碌に出来ていなかった。妹巫女との分業が落ち着いた頃には、妹が巫行で何度か赴いてはいたが、ミクマリは何かと理由を付けて里を出る事はしなかった。
両親が流行り病を治しに赴いて、感染されてしまい歿する原因を作った村だ。今にして思えば、怨みとは言わないまでも、気まずさがあって付き合いを忌避していたのだろう。
「うーん……」
――面倒臭いなあ。
あれだけ切望した復興であったが、どうも北の地で折り返してから勢いを欠いていた。
「今日はあの子は居ないの?」
「おー、釣り覚えたから捌き方を教わる為に避難所の女衆の処へ行ったんじゃあ。ナギとすれ違ったんやないか?」
「……そう! じゃあ、ちょっと手伝って欲しい事があるんだけど!」
「おー、今日は漁も無いからな。一日暇じゃい。良かったら手伝うぞー」
「じゃあ、一日手伝って!」
ナギとアカシリの会話が聞こえてくる。続きが気になるが、自身の仕事へ戻らなくては。
「姉様、準備出来ました」
アズサが小屋から顔を出した。
「じゃあ、行きましょうか。帰りに一件、別の村で挨拶をするわね。泊りじゃなくて、挨拶だけ」
「あい。よーやっとうちに帰れるなー。あっちゃこっちゃ行くのも疲れたわー」
そう言うアズサは笑顔だ。
海神に挨拶を済ませ、浜を出る姉妹。面倒な用事はさっさと済ますに限る。大した道のりではなかったが、ミクマリはアズサを背負って大股に山を跨いだ。
昔も一応は道らしい道は存在した。山道も水術の未熟だった娘でも踏破が敵う程度のものだ。迷わぬ為の標になるものと休憩の場を支度すれば、術や身体に自信のない者でも楽に往来が出来そうだ。
嘗て界隈で名を馳せた俊足の盗人も、今や隻腕に二つの花束を抱える御身分だ。野盗の心配も無いかも知れない。
「姉様、どしたんけ?」
ミクマリは足を止めた。
「……気配が無い」
呟く。足を止めたのは稲霊の村を見下ろす山の坂道だ。
「……ほんまやなー。声もせーへん」
北の地で何度も経験してきた破滅の類型。目に見えた破壊や、焼失の臭いはしないが、稲霊から鞍替えしたという神の気配も、屋外で活動する村民の気配も察知出来ない。
何よりも、稲霊を祀っていた村の畠が、夏場だというのに土色を露出したままだ。
「誰も居ないのかしら?」
幾つか小屋を覗き込むが、人の姿は無し。人骨や遺品も転がっていない。
「お出かけかいなー? ……姉様、あっこ! 声がする!」
アズサが一件の小屋を指をさした。
急いで小屋へ向かうと、気配に気付いたか、中から人影が三つ出て来た。
「お客さんか、珍しいのう。その立派な衣は巫女様じゃな?」
年老いた男性、腰を摩り歩くのも辛そうだ。
「……」
一緒に出て来たのは少年。警戒の眼差し。
「巫女様、綺麗な衣」
それに幼い童女。彼女の髪は結われず伸びっぱなしで顔が隠れてしまっている。
「この村、どうなさったんですか? 他の方達は……」
訊ねるミクマリ。老翁は事の顛末を語った。
この村は農業を推し進め、狩猟や採集よりも田畠に頼って暮らす先進的な村であった。農業が根付くと田畠を司る神の稲霊が生まれ、その神威のお陰で豊穣の地となった。
ある時、旅人との交易で手に入れた良質な石の農具が加わった。農具は農民達の知識と経験に加勢を加え、更に恵まれ豊かに為った。
その頃から彼等は、作物が手に入るのは自分達の腕前と道具のお陰だと口にし始め、気紛れな神の恩寵を蔑ろにし始めた。
代わりに、確かな効果を齎す道具へと信仰が移り、剰え、最初に手に入れた農具を祀り、別の神が生まれた。
それから稲霊が悪神と化してしまい、村を荒らし始めた。ある時、旅の巫女に頼んでそれを退治して事なきを得たのだが、今度は作物に病気が流行り始めた。
稲の病気は道具では治せない。しかし、頼れる神は居らず。
結局、病は土地から来るものだと判断し、村民は別の農耕に向いた地を探して村を棄てて出て行ってしまったのだ云う。
「儂はもう、足腰が立たんからのう。足手纏いだと言って置いて行かれてしもうた」
苦笑いの老人。
「俺は爺が独りじゃやってけねえと思ったから残った」
漸く口を開いた少年。
「えーっと。あたしは……分かんない!」
童女は首を傾げる。
「こいつは、棄てていかれた」
少年が言った。
「棄てたとも限らんがのう。“モチコ”はのんびりしとるからの」
「棄てていかれたに決まってる。こいつには親父もお袋もいた。幾ら村長がこいつの事を嫌ってたからって、心配して戻って来ても良いだろ!」
腹立たしそうに言う少年。
「ま、そういう訳でここは儂等三人だけじゃ。旅の巫女様の御持て成しは、ちょっと無理じゃな。儂等三人なら、こいつが山を駆けて獲って来てくれるもので何とかなるがのう」
笑う老人。骨と皮ばかりの手が少年の頭を撫でた。
「撫でるな爺。俺が巫女様を接待する。食い物を採って来るから待ってろ」
「あたしも行く」
「お前は待ってろ。拳骨村長はもう居ねえけど、巫女様に無礼な事するんじゃねえぞ」
そう言うと少年は駆けて行った。
「なー、姉様」
アズサがミクマリの袖を引っ張る。
「うん。話してみましょう」
頷くミクマリ。
ミクマリは老人に里興しの話を伝えた。加えて、嘗て黄泉に引かれて鬼と化した稲霊を祓ったのは自分だという事も明かした。
「宜しければ、私の里の住人となって頂けませんか」
「儂は、この地の生まれでこの地で育った」
老人の口からその言葉が出ると、ミクマリの心へ直ぐに落胆が忍び込んだ。
「……故に、この地がどうにもならない事も分かる。若い頃にはここで日がな一日鍬を振るった身じゃったしな。だから、この地を離れる事に抵抗はせん。そもそも、老い先短い儂等より、野山に駆けて行ったあやつの方に聞いてやって欲しい。今や儂もこの子もあやつ抜きではやって行かれぬからのう」
「良かった。じゃあ、彼が戻ったら聞いてみますね。アズサ、ちょっと探して来てくれない?」
ほっと安堵の息。老人は地に囚われた者ではない様だ。
「はい、姉様」
アズサが席を立つ。
「巫女様はあっちの巫女様の姉やなの?」
童女はいつの間にかミクマリの膝に納まり、彼女の髪を弄くっている。
「そうよ。貴女も私達の妹になる?」
優しく問いかけるミクマリ。
「うーん……」
童女は暫く悩んだ後、
「あたし、巫女様の処の子供になる! 巫女様はお母さん!」と言った。
「若いお母さんじゃな」
老翁が笑う。
さて、程なくして山の方で喧しい「やっほー」だの「おーい」だのが響き渡り、耳を押さえた少年が連れ戻された。
彼は事情を聞くと「俺が爺を背負う」とだけ言った。
ミクマリの里を目指し、一行は村を去る。女子供に年寄りの旅。たかだが小峰一つ越えるにも苦労は多い。
本来ならば、命懸けに近しい旅であるが、そこは優秀な巫女達が術で長い散歩の如くに変じて見せた。
稲霊の村の三人は、水術や音術の披露、ミクマリの革細工の業やアズサの薬学にも一々目を丸くした。
「いやはや、若いのに大したものじゃ。今よりもましに為れば程度に思っておったが、これは儂もやる気を出さんといかんのう。老い先短い命じゃが、伝えられる事は全部若い者へ伝えよう」
少年に背負われる老人も気合が入った様だ。
「是非。でも、私の里ではお年寄りは長生きでしたよ」
「姉様の治療と、うちの薬があればだんないさー」
娘達が笑顔で返す。
新たに加わった子供達も、村を発った直後には少し不安気な顔を見せていたが、今は新しい里への期待と展望を口にする様になっていた。
処が、彼等は里に着くなり魂消てしまった。
それはそうだ、未だに泯びの残滓が残る上に、まともな小屋がたった一軒しかなかったのだから。
「これじゃあ、前の村の方がましだったんじゃねえか?」
少年がぼやく。
「ちょっと待っててね。先ずは山神様に挨拶だけして、陽が沈むまでに建てちゃうから」
「小屋をそんなに直ぐに建てられる筈が……」
勿論、その後に少年の顎は外れんばかりに開かれ、老人の目玉は飛び出しそうになった。
ミクマリは独りで道具も無しに木を切り倒して、小屋の跡地の窪みへ柱を突き立て、宣言通りに小屋を拵えてしまったからだ。
「ミクマリ母さん、しゅごい」
幼女は漏らした。
斯うして新たな共同生活が始まった。
先ずは、農地の一部を甦らせる事から始める。農村育ちの老人が農具の作り方から指南をし、ミクマリが水術で鍬や鋤、それから斧を拵える。
その道具を使っての肉体労働を買って出たのは少年である。彼は疲れても、ミクマリが代わろうとするのを拒んで鍬を振るい続けた。作物の種はミクマリの旅の最中に手に入れたものを験す予定だ。
「意地張らんとなー、姉様の世話に為ったらええのになー」
アズサは鍬を振るい続ける少年を見て溜め息を吐く。
「私も、余り調子が良くないから助かるわ」
ミクマリが言った。
「え? 珍しいなー。姉様、しんどいんけー?」
「うん、ちょっと今日は小屋で休んでて良い? 何かあったら声を掛けて頂戴」
「分かった。身体大事にしなあかんなー。姉様は休んどりー」
「ごめんね」
謝り小屋へ戻るミクマリ。彼女は本当に調子が悪かった。ここの処は気分が優れない日も多かったが、今朝からどうも腹周りがしくしくと痛む。水術でも治らず、薬も効いていない。
「良し、モチコの髪はアズサ姉様が切ったるからなー」
アズサは髪が伸びっ放しに為った童女に向かって言った。
「アズサ姉や、あたし、ミクマリ母さんと同じにして欲しい!」
「任しときー」
小屋の外で弾む子供達の声を聞きながら、ミクマリは横になる。
「姉様、鉄の小刀貸してー」
アズサが覗く。ミクマリは懐から刃物を取り出すと渡してやった。
「怪我しない様に気を付けてね」
「人の心配はええから。姉様もあんましんどいんやったら、うちが診たるからなー?」
「うん、ありがとう」
ミクマリは再び横になる。この気怠さと不快感には覚えがあった。
何だったか、何かの病気か、怪我か。旅を振り返っても中々思い出せない。
「あっ……」
股座に違和感。漸く、その正体が掴めた。自身を神の器とする御神胎ノ術の代償。欠けた自分の一部。
――私、帰って来たんだ。
見上げる天井。報告すべき相手は居なかったが、潮が満ちる様に歓びが広がった。
「姉様、ほんまに平気け?」
再び覗くアズサ。
「うん、大丈夫。今日はちょっと、だらだらしたいの」
返す笑顔。アズサは少し首を傾げたが、また「分かった」と頷くと顔を引っ込めた。
本来なら煩わしいばかりのそれ。初めての時も不安ばかりであったそれ。しかし、今回だけはその気怠さが愛おしく感じ、ミクマリは自分自身を寿いだのであった。
さて、ミクマリは体調不良が明けてからは、生まれ変わった様な心持で里の再興に注力した。
畑仕事や予備の小屋の仕度、未だ片付け切っていなかった瓦礫の処理。以前から付き合いのあった隣村へも顔を出し、里の泯滅から復興の着手までを報告し、今後の付き合いも快諾して貰った。矢張り、その村もこちらの事を気に掛けていた様で、存在しないと思っていた生き残りが再興を始めると聞いて大いに喜んでくれた。
更にミクマリは、アズサに頼んで目印代わりの御封石を沢山用意して貰い、里から浜の村までの路を一人で整備した。悪鬼悪霊お断り、質の良い水場には休憩用に坐り心地の良い石も置いた。
交易が盛んになれば、いつかは休憩所にも精霊や神が宿るかも知れない。水分の巫女は満足気に頷く。
いつしか季節は移ろい、山は点々と紅葉に衣替えを始めた。
山の神の力が最も強い季節となり、定着し始めた細やかな農業を呑み込まんばかりに山の恵みが大地へ散らばった。
五人の食事どころか、里一つを養うのも容易い豊かさに感じる。
里の者挙って談笑混じりに冬の貯えを拾い集める幸せな一時。
――足元は固まった。後は人を呼ぶだけ!
一仕事を終えて汗を拭っていると、そこへ一羽の白い烏が降り立った。
「アズサ、イワオさんから知らせが来たわ。きっと、新しい住人を連れて帰る事になるから、暫くここの事、御願い出来る?」
「ほいほい。姉様、うちにまかしときー」
胸を叩くアズサ。
「でも、旅の合間に一人で様子を見に戻ってくる心算だけどね」
「姉様は心配性やなー」
アズサが苦笑いをする。
「こればっかりは」
返す苦笑い。しかし、今度のミクマリの胸に心配は一匹も住み着いていない。取り戻されたやる気が不安の蟲を全て追っ払っていた。
加えて立派に成った妹への信頼や、サイロウの代わりに訪れた平和、二人揃って卜いも験して不幸の気配を否定しており、それも手伝っている。
「では、行って来ます!」
笑顔の里長。
ミクマリは川の水を借りると宙に足場を作り、空へと駆け昇った。
向かうは新たな住人の集う地。さてはて、一体どんな人々が集まって居るのであろうか?
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