巫行131 逡巡
神の息吹の里を後にし、自身の里へ戻る途中に神剣の村へと足を延ばす。
老巫女ツルギとアズサは再会を果たし、互いの気掛かりを処理した。
更に、石の社の里へと寄り道をし、里の入り口の守り人に顔を出す。
彼は三度目の歓迎をし、新たな里興しへの参加者の募集を約束してくれた。社の本部にも既に許可を取っており、話はすんなりと進んだ。
「人が集まったら白烏兎を飛ばしちゃる。旅の辛くなる冬になる前に来てくれや。おまんが作る里がどんな里になるか、愉しみやのう」
イワオも守り人の役目の都合上、湖の巫女頭と同様に自分の地を離れる事が出来ない。彼はミクマリの里へ想い馳せる様に目を閉じ頷くと、里興しの成功を祈った。
次にミクマリ達が訪れたのは、こちらも三度目の来訪、海神の佑わう浜の村。
神の釣り針の被害を受けてから半年程である。
未だ暮らしの拠点の全てを浜へ戻す事が出来てはいなかったが、一部は一足早く浜へ帰っていた。
海の男達は、山の幸で賄った逞しい身体を海の仕事で黒く焼き、毎日漁へと出掛けている。海の地力が戻り切っていない為に制限付きの漁であったが、矢張り海の男は海に居てこそなのだろう、彼等の表情は明るい。
勿論、隻腕のアカシリや見習いの少年も立派に仕事を熟している。
村と土地は打撃を受けたが、ミクマリの神和により海神は力を増し、あれ以来は村へ波濤の難事が押し寄せる事もなく、凪の日々が続いているという。
『じゃがのう、一つだけ奇妙な出来事があったのじゃ』
穏やかな潮風と共に幼声が耳へと届けられる。
今から月の満ち欠け二つ前、海神が春の海の監視をしていると、自身の海域に不審な物体を補足した。
海を漂う木製の大きな箱。蓋がされており、中身は見えない。
不安と共にその物体を霊視してみると、中には一つの霊気と神気。それ程強い気配では無かったが、海神は警戒をした。
その箱が海流に依って自身の浜へと漂着するのは目に見えている。復興が軌道に乗り始めたばかりだ、成る可く不安要素は排除しておきたい。
『じゃが、近隣の海域とも仲良くやってゆこうと思えば、一度こちらに流れた正体不明の物を、他所へ押し付ける訳にも行かぬからの。結局は村の者とも相談して、その箱を開けて検めてみる事にしたのじゃ』
なんと、中に入っていたのは、一人の生きた少女と一体の遺体。
少女は黒髪長く、肌は日に焼けた訳でもないのに赤茶けており、長きに渡る漂流の所為か、弱り痩せ細っていた。頭には沢山の羽根飾りを着け、衣装も何かの神の気を受けた品で、その他、骨や宝石の装飾を多数身に着けていた。
同梱されていた遺体は干乾びてはいたが、恐らくは壮年の男性と思われ、彼もまた豪華な衣装と呪術的な品々に囲まれた状態であった。
「どう言った事情かしら……?」
『うーむ。それがさっぱり言葉が通じなくてのう。お邦訛り処の話ではないのじゃ。遥か遠方の地から流れて来たのじゃろう。女の子は生きたまま入れられて、男の方は最初から死んでおった様じゃ。吾が視るに、何処かの村の長の葬儀ではないかと思う』
「じゃあ、その村長の娘さんが入り込んだのかしら? 何かの事故で?」
『どうかの。あれも“副葬品”の一つやもしれぬ』
「成程……余り好い気はしませんね」
ミクマリは表情を落とす。無意味な生贄と大差のない行為に思える。弔いに品を添えたり、権力者の為に特別な儀式をするのは分かるが、一人の死者の為に新たな死者を出すのは哀しい。
『ま、吾は他所のやり方には口を出さん。じゃが、うちに流れ着いた以上はうちのもんじゃからな。どうするかは吾と村の者が決める』
「その子は今? 追い出してしまったのですか?」
『まさか! 霊気は一般の者よりは優れるが、特に暴れる訳でもないし、邪気も人並み、只の小娘じゃ。性根も悪くない。最近、出歩ける位には元気になって、言葉が分からないなりに村の者と上手くやっておるよ』
「そうですか。なら、心配ありませんね。復興の方も順調な様ですし、良かった」
微笑むミクマリ。
『ミクマリの処の進捗はどうじゃ?』
「うちは、漸く人集めを始めた処で。山の神様の許可と使える土地はあるのですけど、住民が居ないと始まりませんから」
『そうか。じゃが、他所の地に根を下ろせる者となると、爪弾き者や言葉の違う者も混じるやもしれぬなあ』
海神の呟き。
「でも、遠方の方だって自分の言葉ややり方が通じなくて不安でしょうし、追い出された方もきっと寂しい思いを為さっています。そんな方々も安心して暮らせる里が作りたい……」
そうは言っても、誰しもが善意や協調性の足りる人間とは限らない。慈愛を口に出しておきながらも、ミクマリは鬼胎を抱いていた。
『ま、お主なら何だかんだやり遂げるじゃろう。今や、あのアカシリも村に欠く事は出来ない存在じゃし、箱入り娘も皆と仲良くやっておる。吾が大丈夫なら、ミクマリはもっと大丈夫じゃ!』
元気の良い霊声が響いた。
「ありがとうございます」
微笑むミクマリ。
『じゃが、自分の土地だけでやれる事には限界がある。吾等は今回の事でそれを良く学んだ。今の仮住まいは山からの世話と海からの世話が逆転しておるし、吾も死んだ貝や海藻の種をお隣さんから譲って貰って育て直しておるからの。その内に舟旅が出来る様になれば、遠方の世話にもなろう。蟹神にも礼を言わねばならん。ミクマリよ。お主の里はご近所さんとは仲良くやっておったのか? ここから程遠くない筈だが、吾は嘗てのお前の里を知らんのじゃが』
ミクマリの暮らして居た里は隠れ里であった。山間に小規模な村を点々と抱え、直接の交流が在った里外の村は山を共有する隣村一つだけだ。
空を駆けた際に上空から目の端に入れたが、村自体はサイロウの手を逃れた様できっちりと存続をしていた。だが、何となしに挨拶が出来ないままでいる。
『それはいかんのう。お隣さんとは仲良くせんとな。どうじゃ? 隠れ里は止めて、もっと開かれた地にしてみては。その村だけでなく、何なら吾の村まで旅の路を確保してみるのも一興じゃろう』
「それは良い考えですね。旅をしたら、里のやり方だけでなくって、他所との繋がりも大事なんだなって、私も思ってましたから」
『ここからお主の里まで、目立った峯は一つ二つじゃったか? 里が出来る頃には、うちも交易で海の幸を出せる位には戻っておるじゃろうからな。ううむ、ミクマリの里と交流かあ、今から想像しても、わくわくするのう!』
愉し気に響く海神の声。
それから、二人は村作りについて情報を交換し合った。
海神の村は、故昆布巫女とその同期の者達が興した村で、海神も彼等の信仰に依り生まれた。幼き女神は生まれてから今日までの苦労や苦難、そして喜びをミクマリに話して聞かせた。
ミクマリはこれまでの旅の見聞を伝えた。陸に疎い海神には些細な話も随分と喜ばれた。
すっかり仲良くなった国津神とのお喋りを終えたミクマリは、村の手伝いから戻ったアズサと共に、落陽に染まる浜を散歩した。
「村が元気に為っとって、良かったなー」
「そうね。海神様も元気だった」
「うちらの里も、元気一杯の里にしよなー?」
こちらを見上げ、笑い掛ける妹の顔。声はアズサ、身体はあの子。どちらとも同じだが、どちらとも違う。
――変わるものもあれば、変わらないものもある。
思えば丁度一年だ。里が泯滅せしめられ、守護霊と共に旅立ち、多くの苦難を乗り越え、妹達との出会いと別れをし、輩との絆を深め、仇を討ち果たし、北を旅して折り返して来た。
旅立ちは晩夏。全ての季節を一巡りし、漸く帰って来られた。後は里を甦らせるだけだ。
だが、無からの再開は、破壊者に対して霊気を向けて剋す事や、傷を癒す事よりも大変な難事である。
――私に出来るかな。出来ると思いますか?
何者かへの問い掛け。見上げる先には空。
秋の初めに血の朝焼けと共に決意した里の再興。長き旅路がそれへ僅かな逡巡を与えていた。
それでも、引き返す道はない。
――出来る筈。一人じゃない。……出来るかな?
ミクマリは、ふと胎が痛んだ気がした。この胎にはもう、宿すべき神々は居ない。
「なーなー、姉様。あれ、ナギさんちゃう?」
アズサが袖を引いた。
ナギは嘗ての村長、コンブの孫の巫女見習いだ。祖母と同じく水術の才を持つが、多くの巫行に於いてはまだまだ修行中の身。
それでも彼女は、母や祖母を越えてミクマリの様に成ると豪語している。
「何をしてるのかしら?」
ナギは何やら岩の陰に隠れて、その向こう側を覗いている様だ。
「ナギさん、何してるの?」
後輩の水術師に話し掛けるミクマリ。
「あっ!? しーっ! ミクマリ様! ばれちゃいますよう!」
ナギは人差し指を口の前に立てた。
「覗きしてはるんけ?」
「べ、別に覗いてる訳じゃ……」
彼女の見ていた先には、隻腕の男と、長い黒髪と赤黒い肌の娘が居た。娘は珍しく色鮮やかな模様の衣を着て、頭に羽根飾りを一つ差している。手には釣り竿。どうやら、アカシリが漂着娘に釣りの指南をしている様だ。
「あの方が海神様の言ってらした箱入り娘さん」
「そーです。あの子が外の子!」
突っ慳貪に言うナギ。
「海神様は、もううちの子だっておっしゃてましたよ」
「うー、やっぱり。神様が決めたのなら仕方ないか……。厭だなあ……」
ナギが呟く。
「あの人、厭な人なんけ?」
アズサは耳に手をやり、二人の音を偸み訊こうとしている。
「え!? ううん、良い子です。名前も言葉も分からないのだけれど……」
顔を激しく振るナギ。頭に挿した昆布が揺れる。
「ほんまやなー。何いっとーか分からへん」
アズサが唸る。
アカシリも言葉が分からないらしく、身振り手振りを交えて釣りの骨を教えている様だ。娘も時折、首を傾げてはいたが二人の顔は常に笑顔であった。
「何か、えー雰囲気やにー」
「そ、そんな事無いです! アカシリさんは新入りや若手に優しいだけ!」
ナギが否定する。
「悋気はあかんなー。羨ましいんやったらなー、混じって来たらええのになー?」
アズサが笑う。
「そういうんじゃありません! アカシリさん、腕が片方だけになっちゃって一人じゃ色々大変だし、良く怪我をされるので、私が手伝ったり、水術で良く治療をしてるんです。それで、交換でこちらの仕事も手伝って貰ってて。なのに、最近はあの子の事ばっかり!」
己の肉体操るは調和ノ霊性。ナギの掴んでいた岩が悲鳴を上げた。
「嘘はあかんなー」
「嘘じゃありません!」
「じゃあ、気にしなくても良いじゃない。あの異国の子もナギさんと同じ位の年端でしょう? きっと、お友達を欲しがってるわ」
ミクマリが言った。
「う……友達。どうしようかな、ミクマリ様が言うなら、私も混ざってやらない事は無いけど……」
ナギは少し目を泳がせた後、アカシリ達の方を見た。
しかし、間が悪かった。文化の違いか、これまた何かの意図有りか。初の釣果を喜ぶ箱入り娘が、ひしと男へと抱き着いている処であった。
「……! アカシリさん何て知らない!」
ナギは水術の早駆けを使い、砂を撒き上げて山の避難所の方へと去って行った。水術の鍛錬は順調の様だ。
「あーあ」
ミクマリは、走り去る娘が袖で顔を拭う動作をするのを見つけて苦笑いをした。
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鬼胎……不安や心配。悪い事への恐れ。