巫行130 道返
再び男に案内されて集落へ。
巫覡の頭の返が詰めているという祠。館や神殿ではなく、野晒しの石柱が何本も立つ変わった祠だ。
彼は、御封石の整備や御守り作りが主な仕事で、この神風の強い里の小屋の屋根を抑える石の管理等も行っており、また、この里は石の神も佑わう地らしく、石神との交信の役も担っているそうだ。
「案内頂き、ありがとう御座いました」
ミクマリが礼をする。
「ええって事ですわ。おらは何もしとらんかったさかい」
「草を摘んでいらしたのでは?」
「あれは働いとる素振りをしちょっただけ。おらは、あわよくば邪神様の案内人として食って行こかと考えちょるんですわ。ミクマリ様が祓わんでくれて良かった」
男はそう言って笑うと、退散して行った。
「おっさん行ってもうたなー。頭さん、ここに居るんやろかなー?」
「御仕事柄、外している事が多そうだけど……」
祠を眺める二人。林の様に立ち並ぶ石柱は、人の背丈の二倍から三倍はある。
「……ふふ。心配ないわ」
石柱の陰から、低い女の声がした。封印を掻い潜ってでも分かる確かな霊気。
「ここの巫女様でいらっしゃりますか? 私は……」
ミクマリは自己紹介をしようと、声の方へ向き直った。
「良いの。噂には訊いているわ。貴女は……水分の巫女……ミクマリちゃんでしょ? あたしの結界を掻い潜って漂う霊気。気だらけのもじゃもじゃ、と言った処ね」
女の声は愉し気だ。
「こーっと、うちは……」
アズサが自己紹介をしようとした。
「良いの。貴女の事も存じているわ。貴女は……梓弓の巫女……アズサちゃんでしょ? 水分の巫女の妹にして、神剣の村の英雄の」
「おあ、うち、有名になってもうた!」
幼い巫女は驚き笑い、姉の衣の袖を引っ張る。
「良かったわね」
笑い掛けるミクマリ。
「あの村とは距離はあるけど、旅の路で繋がっているのよ。今年も春頃に嵐の香りがぷんぷん臭って来たわ。それにしても、本当に妹ちゃんまで有能なのね。気の量はあたしと互角位かしら? おけけが生えてる筈もない歳なのに」
「カエシ様は強い男覡様みたいやにー」
柱の陰に隠れた巫女がアズサと互角だとすれば、それを従えるカエシは相当の手練れだろう。
「それなら、邪神様の件も安心ね」
「そう、あたしは強い男覡。この地の巫女頭カエシ。この湖の神に抱かれた地の南西の地を守護するお・と・こ」
柱の陰から出現人物。
低い女声から巫女と思われていた人物は、どうやら男だったらしい。
細い線、臍を露出した特異な衣。しかし、その腹には見事な腹筋が浮かんでおり、腰の細さに反して骨盤は岩の様に盤石で、その先に伸びる脚も衣に覆われておらず露わで、ミクマリに負けず劣らずに科やか。
髪も同じくミクマリに匹敵する長さと美しさを備えた黒で、良く手入れがなされており、唇は染料で血の様な赤。そして睫毛もまた、傾き始めた日を反射して光っている。
「……姉様。この人恐い」
アズサはミクマリの陰に隠れた。
「どうして? 綺麗な方じゃない」
ミクマリは首を傾げる。
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃないの。ミクマリちゃんも、とっても綺麗よ。嫉妬しちゃう位。世の中の男って、肉付きの良い女ばかり抱きたがるけど、あたしは細くて科やかな子の方が美しいと思うわ」
そう言ってカエシは、くねくねと腰を揺らしながら歩み寄って来た。
「えへへ……」
褒められたミクマリは下を向いて頭を掻いた。
「それで、かの有名なミクマリちゃんが一体、この地に何の用事なのかしら? 若しかして、サイロウにぎたぎたに荒らされた村を救いにここまで来たとか?」
「はい、カエシ様。その若しかしてです。他にも、お知らせしたい事もあります」
「カエシ様だなんて、他人行儀に呼ばないで。カエシちゃん、で良いわよ」
カエシはミクマリに顔を近付け、妖しく微笑んだ。
「カ、カエシちゃん……」
ミクマリは彼の言いなりにそう口にすると、頬を赤らめた。
「ふふ、可愛いわね。それで、お知らせしたい事って?」
ミクマリはここへ辿り着くまでの旅の道程と、サイロウの死を報告した。
カエシは彼女の語りに頷き、救い切れなかった地に就いては「そうね、辛かったわね」と涙を見せ、サイロウの討伐に就いては両手を取って「貴女は素敵よ。とても素晴らしい事をしたのよ」と褒め倒した。
ミクマリは彼に引きずられる様に古い話も持ち出して話した。その度にカエシは彼女を労わる言葉を掛けた。
「あら、泣かないのね。そんなに辛い事があったのに。貴女、心も強いのね……」
カエシの瞳は何処か寂し気だ。
「そんな事、無いです。でも、聴いて頂いて嬉しかったです。ごめんなさい、すっかり話し込んでしまって」
気付けば、石柱達が橙色の中で長い長い影を作っている。
「姉様、まだけー?」
アズサが石柱に寄り掛かりながら呻いた。
「あら、いけない! すっかり遅くなっちゃったわね! 今晩はうちの館に泊まって行きなさいよ。安心して。館と言っても、あたしじゃなくって、他の若い巫女達が詰めてる館だから。男のあたしは自分の家族の小屋で寝泊まりしてるの。御食事は館で取るから、行きましょ!」
カエシはミクマリの手を取ると走り出した。
「アズサ、行きましょ!」
ミクマリは通り掛けにアズサの手を掴み、連なって一緒に駆けた。アズサは溜め息を吐いた。
巫覡の詰める館の夕餉の時間。
生活する巫覡の性別は、カエシ以外は全て女性。年齢の若い者が多いものの、壮年や老年の巫女も見当たる。里が大きいだけあって、巫女の館はここだけではないらしい。
カエシは女性陣に気を遣っている風体ではあったが、女性の方は特に彼を気にしていなかった。彼が館に居ても衣を緩めたり、足を投げ出してお喋りに興じたりしている。
「今日の夕餉は鼈鍋じゃ!」
老巫女が火に掛けた鍋の中身を混ぜながら、楽し気に言った。
「鼈って何ぞ?」
アズサが訊ねた。
「鼈はねー。亀の親戚ですよー。砂や泥の中に隠れてて、身体に良くって、お肌がすべすべになるの! それから……ねー!」
「ねー!」
若い巫女二人が何やら燥ぎながら解説する。
「もう、やだ! 二人とも、ここには男子も居るのよ!」
カエシが声を上げる。
「あ、そうでした。カエシ様は男性でした……」
「カエシ様じゃないわ。カエシ、ちゃん!」
「そーでした、カエシちゃん!」
女子達からまた嬌声が上がる。
「姉様、やっぱきしょい……」
アズサが呟く。
「んもー、アズちゃん。馴れよ、馴れ! あたしも、ここの巫女頭に就くまではふつーの男だったんだけどねー」
「前は違ったんですか?」
「そうそう。ここの石神様の趣味なの。気を付けて下さいね、ミクマリ様。この方、普通に奥様もお子さんもいらっしゃるので」
若い巫女が笑う。
「ええ……」
ミクマリは頭が混乱してきた。祠で話し込んでいた途中から、彼が男だという事が抜け落ちていた。
「石神様も、中々うざこい神さんやなー……」
アズサも唸った。
「でも、悪い事ばかりじゃないの。女の振りをすれば、少し位は女の気苦労も分かるってものよ。巫行の合間を縫って、うちの仕事の手伝いもしているし」
「そうなんですか」
「それに、最近は働く男を眺めるのも満更でもない気がしてきて……うふふ」
カエシの赤い唇が妖しく弧を描く。
食事は鼈鍋の他に、鮒を塩と穀物で漬けて発酵させた品が出された。
姉妹はどちらの料理にも舌鼓を打った。
広い土地とはいえ、里から出る事のない巫女達は老いも若いもなく旅の話を聴きたがった。
姉妹が話すと彼女達は一々愉し気に声を上げた。特に受けが良かったのは、蟲の名をサイロウより背負わされた炎術師ホタルの腕前だ。
「うちら、微妙処の石と風ばっかやさかい、火の術には憧れるわー」
「ここやと神様の息吹で消えちゃうか、消えなくっても危なっかしくて使えないもんねー」
「その前に、お主等は修行が足らん」
老婆が渋い顔で言った。
「だってー、神風の所為で、招命ノ霊性の修行も、探求ノ霊性の修行も遣り辛いんだもーん」
「カエシ様が作った石室があるじゃろうに。あの中なら、気紛れな神威に煩わせられず、鍛錬が出来るじゃろ」
「やーだ。暗くて怖いもん。間違って閉じ込められちゃったら、邪神様みたいになっちゃうよー」
「あんたじゃ御利益無さそうー」
「やれやれ」
笑い声が上がり、老巫女も笑顔で溜め息を吐いた。
「ねね、アズサ様は、どんな術が使えるのー?」
「こーっと、うちはなー」
賑やかな食事の場。巫女達のお喋りは続く。
――うちも、巫女はもっと多い方が良いかな。でも、こんなに元気一杯だと、疲れちゃうかも。
姦しく話す女子達を眺めながら、ミクマリは自身の未来を思い描く。
火は多過ぎても仕方が無い、風からも森や山が護るから、余り弄らなくても良いだろう。水は自分がやるとして、精々、開拓や土木に使える埴ヤス大地があれば良いだろうか。
しかし、そんなに都合良く才能のある者が集まるだろうか。実の処を言うと、ホタルが味方にした術師達を少し当てにしていた。だが、サイロウが斃れた今となっては、彼等も、迎え入れてくれた地とサイロウの地、そして元の暮らして居た地を天秤に掛けねばなるまい。
新しい術師を探すにしても、自分は“あの人”程は才能を見抜く力に長けていないし、水術以外に関する知識に乏しい。
「はあ……」
先の事を思うと少し溜め息が出た。
「あら、ミクマリちゃん。ちょっと元気が無いわね。疲れてる? 肩が凝ってない? 揉み解してあげるわよ」
小気味良く指を鳴らすカエシ。
「えっと、私は水術があるので、身体の不調は特にないです」
「んー。そういうのじゃないのよね。やっぱり、何でも術や薬に頼るのはいけないと思うわ。人の手で、人同士が触れ合い協力するって事も大事だと思うのよねー」
カエシが頬に指を当てながら言った。
――いつか何処かで、私も誰かに同じ事を言った様な……。
「カエシ様の按摩は気分がええですじゃ。ミクマリ様も是非受けてみられるがええ」
老巫女が勧める。
「えっと……では、御願いしますね」
「良しきた! じゃあ、そこの毛皮の上で横に為って。脱いだりはしなくても良いわよ」
ミクマリはカエシの言に従い、毛皮の上に横になった。
「じゃ、ミクマリちゃん。失礼するわね」
腰に指の圧が掛かる。広がる痛いような気持ちの良いような感覚。
「あら、水術師が治療に長けるのって本当なのね。とても柔らかいわ。でも、血の巡りは余り良くないかも。特にお腹の裏辺りが滞ってる」
「ん……」
漏らす息で返事をしてしまう。自身の身体の治療は怠った心算はないが、押される部分が良い具合に温かくなっていく気がした。
「ミクマリちゃんは、里を興すって言ってたわね。どんな里を興すの?」
カエシが訊ねる。指圧は徐々に上へと進む。
「皆が仲良く助け合える、優しい里を……」
「素敵。ミクマリちゃんなら絶対出来る。貴女は皆の帰る家になると良いわね」
「……家?」
「そう、家。あたしもね、石神様に仕え始めてから自分の家や、館の皆の世話をする様になったけれど、皆が無事に戻って来てくれるのが堪らなく嬉しいの。あたしが食事の支度をして置いたり、疲れた人達に声を掛けると、元気になってくれたりしてね……」
カエシの撫でる様な声と、肩の付け根への指圧が心地好い。ミクマリは涎を垂らした。
「貴女は柔らかな水術師だけど、堅い石だって捨てたものじゃないのよ。そこにどっしりと構えてる安心感っていうのかしらね。何も言わないで、唯、そこに在り続けてくれる。水は流れたり、波風で忙しくしなくちゃいけないから、少し疲れちゃうわね。肩の力を入れ過ぎない様にね」
「ふぁい……」
夢見心地で助言に返事をするミクマリ。
「やっぱり、腰回りが何か固くなってるわね。念入りに解してあげる」
指圧が腰に折り返して来る。
「身体に流れる血や霊気にも、道筋があるらしいわ。何処かで滞ると、本来持っているものが出し切れなかったりするそうよ。腕前的にはきっともう充分でしょうけど、流れが良くなると、気分も良くなるものよ。貴女の身体や衣からはすっごい神聖な気を感じるから、余計な御世話かしらね?」
ミクマリは何か返事をしようと思ったが、再び胎周りを襲う心地良い痺れに意識を奪われた。
「道って良いわよね。何処までもずーっと伸びて。でも、この里はね、旅の通り道であり、ある意味では行き止まりの里なの。ここで折り返して帰っちゃう人が多いのよ。ミクマリちゃんもその一人ね。貴女の旅も、まだまだ折り返したばかりかしら? これから元の土地に帰って、人を集めるのでしょう? 大変でしょうね。旅人を泊めるの一つにも、色々な出来事があるのに、知らない人達と家族になろうっていうのだから」
……。
「ミクマリちゃんがサイロウを討ってくれたお陰で、きっと、この地も変わるわ。新しい風が吹くの。もっと珍しい物や、面白い人にお目に掛かれるかもしれないわね。あたし、色んな人に御守りを配るのが好きなの。皆の旅の無事を祈って。だから、人寄せ何かしちゃったりしてて。無事でも、二度会える人は滅多にいないのだけれど、それでも新しい出逢いって胸がときめくのよね。ミクマリちゃんも、唯、折り返すだけじゃなくって、素敵な出逢いがあると良いわね」
……。
「里が出来たら遊びに行きたいけれど、巫女頭はこの地から離れられないのが残念ね。あたしは遠いこの地から、貴女達の成功と幸せを願っているわね……」
沈みゆく意識。暖かな言葉と愛撫に抱かれ娘は眠る。
夢の中、遠く未来に、まほろばの里で愉し気に火を囲む、三人の姿を思い浮かべながら……。
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