巫行129 銅鐸
案内を買って出た男性に連れられて、集落の中を進む。
サイロウの國程ではないが、同じ湖を擁するホタルやカエデの住む地よりも一ヶ所へ集中して人が暮らしており、再生の地よりも更に大きな湖の恩寵を受けている。
湖からは無数に川が伸びているらしく、上りも下りも併せて数百は下らないという。そして、その川の多くに大小の川の神や精霊が宿る。川幅の広いものには舟も行き交っており、その最も太い川の下流はサイロウの國の傍にある海へと流れている。
その川や湖から程近い場所に彼等の生活の場が設けられているのだ。
「サイロウはおら達の村を襲わんで帰ったが、自分とこの川に繋がっとるやさけー、じょーだい穢れを気にしたんやろ。幾ら強くて悪い奴でも、だだけに暴れんのはよーない。おら達みたいに、川の神様に感謝せんとあこかい」
お邦訛り混じりで男が語る。
実際の処、サイロウが自身の國に引き返した理由は分からないが、その直後にミクマリを呼び出している為、恐らく理由は別の処に在ったであろう。彼はどの様な神も畏れない。
「これだけ大きな湖だと、立派な神様がいらっしゃるのでしょうね」
ミクマリは大きな声で言った。先程から僅かに神気を孕んだ風が強く、鬢や提髪が泳いで仕方が無い。
「ほや、今この吹かしとる風はのー、おら達の神様の吹く長ーい吐息って言われちょるんや」
「えっ、きしょ」
風の中、アズサが何か言った。
「ははは。言うても姿のない神様やさけー、只の喩えや。湖からずっと陸に向かって風が吹いとんやー」
「どうして、そんなに吹かせるのかしら?」
「さあのー。湖の神様は古過ぎて、声も聞かせてくりゃせんし。巫女様方が言うにはのー、山の神様の“おろし風”に張り合っとるらしいわー」
「ふうん……」
――神様ったら、また仕様も無い事を為さって。
「ま、村は殆ど湖の神様やのーて、各々川の神様や水場の主の神様を祀っとーから、濡れた衣乾かすのに丁度ええ位にしか思っちょらんのー」
案内の男が笑う。
「湖も後で見学してみましょう」
「巫女様は何しに来たんや? 若い姉妹やし、蠱りや笑い売りでもないやろ?」
男に訊ねられ、ミクマリはこの旅と今後の目的を掻い摘んで話した。
「おお、あの噂の水分の巫女様け!? いや、偉そうにしちまって“うい”やわ……こらえてくだない」
男が頭を下げる。
ミクマリは「御気に為さらないで」と言ったが、風に掻き消されてしまった。
「あの噂のサイロウを負かすお人なら、霊験灼然に違えねえ。やっぱり、“邪神様”をちゃんと視て貰わんと。うちの巫女様方は“商売”が得意なもんでなー。邪神様の噂で旅人を呼び込んで色んなもん交換しようって腹なんです」
「ええ……」
ミクマリは呆れた。悪いものとはいえ、神を人寄せの道具にする何てとんでもない巫女達だ。
「ほんまやったら、川を使って南西の下流域と色々やり取りしとったんやけども、サイロウが暴れよるし、西は険しい山やろ、南は社の流派がおってうちらの商売気質を“かなん”言うんです。湖越えた先とも勿論交流はありますが、暮らしが似た様なもんなんで、交換しても同じもん同士で詰まらんし。それ以上遠くはしんどい。そいで、苦肉の策っちゅー訳です」
「成程。サイロウが居なくなれば、川を使って下流の方々ともやり取りが出来ますから、考え直してみても良いかも知れませんね」
「ま、言うて、最近やって来た邪神様やし、元々サイロウの國とも暴れるまではやり取りがあったしのー。……やが、邪神様祓っちまうのは勿体無いかんなあ」
男が言った。
「勿体無い?」
ミクマリが首を傾げる。
「ええ。本人は邪神や言うてますけど、あの何て言うたっけ……お股の毛……社の毛……」
「夜黒ノ気」
「そう、その強い邪気と呪言、しょーもない妖言を放っとるんですが、顕れる効能が“良い事ばかり”なんで」
「うーん? でも、邪神は邪神。夜黒は夜黒です。村に置いたままで良い事は無いでしょう」
「御利益って言っていいもんか、兎に角、若いもんには受けが良さそうなんが多くて。精力増大、縁結び、子宝。男莖がでっかくなって、乳もたわわに実るっちゅーもんなんですわ。実際、酷い邪気は持っとるんですが、あの神様が来てから、何となく漁も作物もよーなった気がするんですわ」
「実る……ふうん、それなら無闇に祓わない方が良いかも知れませんね」
「姉様?」
「アズサ。私達も“邪神様”を視てみましょうね。悪いものだといけないし」
ミクマリは鼻息荒く言った。
「……うちが確りせんとあかんなー」
アズサは溜め息を吐いた。
さて、男に案内され、村の外れの湖側に“邪神様”が安置されている祠に到着した。
その祠は奇妙な円筒状で、派手な装飾と、稲穂の様に輝く色が特徴的で、眩しい位に陽の光を反射している。
一応は四方を霊気の籠った石柱により封印されており、人の心に害為す靄は漏れ出ていない様だ。
「眩しい……。これは何ですか? 宝石?」
「いやいや。“銅”ですわ。何や二種類の金属を混ぜて作ってるもんで、遠い地から伝わった品で、銅鐸って言うもんすわ」
「金属? 銅鐸?」
ミクマリは首を傾げる。
「おー、ミクマリ様のおわす地には伝わっとらんのですけ?」
「はい、初見です。これとは別の材質ですか?」
ミクマリは懐から黒鉄の小刀を取り出した。
「おー、それは“鉄”ですわ。いっちゃんええやつや。石の種類に金属ってのがありまして。火でごっつ熱くしちゃると泥みたいに溶けるらしいんですわ。それを冷やして固めると形が作れるって寸法で。頑丈やし、便利やさかい、交易出来れば嬉しい品の一つですわ。これは銅と錫っちゅーもんの混ぜもんでして、素材自体はどっかの山奥にあるとかないとか……」
「ふうん」
「ま、結局は秘密だそうで。話も旅人からの受け売り、実はこれも貰い物なんですわ。旅の人等が邪神様に憑りつかれてしもうて、気味が悪いから何とかしてくれって。そいで、うちの巫女様がこれで閉じ込めたら出て来れん様になったって訳です」
「この銅鐸の中に邪神が……」
ミクマリは拳を作って軽く銅鐸を叩いて見た。ごわんごわんと重く響く音。
「あっ、叩くと気付いて何ぞ呪い掛けてきますよ」
――宜しい、受けて立ちましょう。
ミクマリは両腰に手を当て、胸を突き出し銅鐸の前に立つ。
銅鐸と地面の隙間から黒い邪気が漏れ出て来た。
「これは、呪いの邪気やなー?」
呪術に通じるアズサが言った。
「ふうん……」
しかし、ミクマリの身体に届く前に邪気は消え失せてしまう。
「これに呪われると良い事があるっちゅー話なんですわ。巫女様方も縁結びとか興味ありまへん?」
「うちは縁結びは興味あらへんなー? 姉様も流派的にあかんやろー?」
――うちの場合は、純潔を守るのはあの人の趣味だったのだけれど……。
だが、何となく悪い事をしている気がしてきた。尤も、縁があっても今はその気も暇も無いし、どちらかと言うと別の御利益の方が気になる。
そこへ、村娘と思しき者が現れた。
「邪神様、邪神様。ありがとう御座います。貴女様の御蔭で、乳が大きくなり、村長のお孫さんがごにょごにょ……」
村娘は強く目を瞑り、何かを呟きながら必死に銅鐸を拝んでいる。
ミクマリはこっちへ来いと胸の方に靄を仰いでみた。効果は無し。寧ろ靄が消えてしまう。
「呪いやから姉様には効かへんのやにー」
「……。きっと悪い神様ね! 滅しましょう! 銅鐸の無駄遣いです!」
ミクマリは腹を立てている。
「まー、銅鐸も他に幾つか貰ったらしいんですけど、正直な処、使い方が分からんらしくて。巫女様も嘆いてはります。手間を掛けて邪神を封印して、旅人を長く滞在させてやった見返りには安いって」
苦笑いの案内人。
……きえーっ! ここから出せーーっ! 儂は世を恐怖に陥れる……様ぞ! ……ってやる! 呪って……るー!
「むっ? 今、何か聞こえたかしら?」
ミクマリは銅鐸に向かって耳を澄ます。何も聞こえない。
「ねえ、アズサ。何か聞こえなかった?」
アズサを振り返る。
「……」
彼女は目を満月の様に丸くしていた。
「どうしたの?」
「こ、こーっと……。姉様、ちょっとええですけ?」
アズサはミクマリを通り抜けて、銅鐸に耳を当てた。それから「ええ……」と呟いた。
「ねえねえ、どうしたの? 若しかして、私、呪われちゃった?」
訊ねるミクマリは何故か愉し気だ。
「姉様がこの程度の呪力で呪えるかいな……。うちかて大して効かんわ。そやけど、この“邪神様”は何ぞ悪さはでけへんやろなー」
アズサが笑った。
「どうして?」
「この“邪神様”も呪われてるんやにー。呪いが返るか、反転して掛かる様になっとー」
意地悪く笑い、銅鐸を叩くアズサ。
……ぎえーっ! 憶えのある霊気! 貴様はーーっ!?
「アズサ、また何か聞こえた!」
ミクマリは銅鐸に耳を当てる。
「知らへん、知らへん。姉様、これ放かっといても平気やにー。お腹空いたし、何か食べ物探しに行こー」
アズサは倩兮と笑いながら歩いてゆく。
……ぬおおおお!! うおおお!! 立ち去れええええ!! 立ち去れ小娘ええええ!!
「むっ、私は嫌われてるみたい。効果無しかあ……」
ミクマリは怨嗟の声を聴き取り、悄然と溜め息を吐いた。
「あの、ミクマリ様。邪神様は置いといても、ええんですけ?」
「はい。妹のアズサは音術と石術、それに呪術にも通じているので。あの子が大丈夫と言うのなら、大丈夫なのでしょう。ここの巫女様は、霊気や術力は高い方ですか?」
「頭の返様が石術一辺倒で立派な男覡様。他には風術使いの方が多くて、風の加護のあるこの地では腕前が冴えます。この邪神様も、商売に使えるかと思って、頭が敢えて滅さないで封印しただけで」
「そう、なら平気そうですね」
ミクマリは、本当は滅しておこうかと考えていたが、“御利益”に授かった村娘の直向きさや、真剣な表情に負けておいた。
封印越しで良く分からないが、この程度の力で封印される稜威なるものなら、まともな巫覡が居れば問題無いだろう。
「あの、ミクマリ様は水術に通じてらっしゃるんけ?」
男が訊ねる。
「ええ」
「うちの方では水術が使える人は川の神様や水場の世話で忙しいさかい、余り人里の方では仕事を為さらんのですわ。良かったら、御手伝い願えませんけ?」
「はい、勿論。お暇があるのなら、巫女頭様にも会っておきたいのですけど。サイロウの件も伝えておきたいですし」
返事をしながら、ミクマリは銅鐸を少し恨めしく振り返った。
銅鐸はもう邪気を出してなかったが、何となく震えている気がした。
「有難い事で。里が広いさかい、誰しもが巫女様方の世話になれるもんやなくって」
再び男の案内を受けるミクマリ。
「アズサー。お食事の前に、巫女頭様に会いに行くわよー」
湖の方へ行こうとしていたアズサを呼び止める。
「はい、姉様ー!」
返事をして駆けて来るアズサ。しかし彼女は立ち止まり、銅鐸の祠に向かって、何だか悪い貌をして笑ったのだった。
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じょーだい……おおかた。
ほや……そうだ。
だだけ……無闇に。
うい……申し訳ない。
かなん……かなわない、困る、厭だ。
こらえてくだない……勘弁してください。
さかい……ので、なので。
妖言……仕様も無い噂や人を惑わす言葉。戯言。