巫行127 種明
石の社の流派。その本部。緑萌える小山の中に作られた、特別な高床の造りの巫覡の住まいと、大きな神殿を擁する地。
前回に招かれたのは入り口から程近い小屋の一つだったが、今回は中央に鎮座する広き神殿へと案内された。
朝日差し込む神殿内部。木造の床は平らで、何かを塗ってあるのか艶やかに光り輝いている。
仕度された敷物。目の前に並ぶ料理は、客人への持て成しか、或いは救い主への御饌だろうか。兎も角、何処で見たものよりも豪勢だ。
食事を囲って座るのは若き巫女姉妹と、壮年の巫覡二人。
「当流派の当主であり、神殿の主、神々の父との交信役を務めます、八尋の巫女と申します」
紅白の衣装、壮年の女性が頭を下げる。
「当主の補佐であり、御神々の結び手、神々の母との交信役を務めます、柱の男覡で御座います」
衣装同じく、壮年の男性。両手を付き、深々と頭を下げる。
「えっと、水分の巫女で御座います」
頭を下げるミクマリ。
「その妹の梓弓の巫女です」
アズサも続く。
「先ずは、私共の輩の手を穢れに染めしめた暴虐の王を討ち取って頂いた事の御礼を申し上げます」
再び頭を下げる巫覡。
「続いて、過酷な運命と知りながら、何の助力も差し上げられなかった事を、お詫び申し上げます」
三度の礼。
「申し開きをさせて頂きますには、古来より続きます仕来りと儀礼。そして惟神の事情に御座います。古ノ大御神に卜占にてお伺い奉りました処、旅の若き水分の巫女が我等を窮地依り救い給うと出ました。高天に頼る卜占は大事を捉えます。しかし、天津の御柱達はその性質気紛れ故に、中るとも限らず……」
並べ立てられる言い訳。彼等は未だに床に伏したままであった。
「御顔を上げて下さい。もう少し柔らかくいきましょう。流派や御役目に依る事情がある事は理解しています。私達も、自分達の都合で行った事ですから」
ミクマリは微笑む。
「実の処を申し上げますと、貴女がここに来た時点では、私は卜いの結果を一切信じておりませんでした。天津の神に頼る卜占が当たった事は一度も無いので。ですが、父母の御子御神方と父母に関わる交信をするのは我々の役目でして。尤も、これも今までに通じれた事は一度もありませんが。兎も角、卜いには貴女がサイロウに斬り捨てられる像と、反して貴女が勝利の祝福を受ける像、それにここで私達が会する像も映っていたのですが……」
「姉様は斬られていませんよね?」
アズサが首を傾げた。彼女も確りと正座をし、この場に相応しい振る舞いをしている。
「白烏兎ではサイロウの恐ろしい気に依ってあの場に近付く事が出来ませんでしたから、委曲委細を御教え頂けたら幸いかと」
ヤヒロが言った。
ミクマリは決戦の様子を出来る限り伝えた。一度は斬り伏せられた事や、その後、何かの神が自身に降りた事も。
「矢張り、サイロウは黄泉の術にも通じておりましたか」
ハシラが言った。
「はい。彼は生きたまま黄泉國に招かれ、黄泉の主の恩寵と、術師としての才覚の萌芽を授かり、人の身のままで地上へ送り返されたと云っていました」
「長命やあの恐るべき術力にはそういった事情がありましたか。予測はしていたのですが、実の処を申し上げますと、我々が祀り、その仲を取り持とうとしている神々の両親、その妻の方は……」
口籠るハシラ。
「黄泉國の主ですね。一般には“欲深なる母”と呼ばれる。夫は高天國、妻は黄泉。夫が迎えに行ったものの、仲違いをしてしまい、二人は二国に隔てられたまま」
「その通りです。その為夫は、永遠に妻への機嫌取りと贈り物を繰り返し、妻は夫への怨みと贄の求めを繰り返しております。間に挟まれるのは巫覡と国津神の暮らす覡國。我々は二柱の起こす幸不幸の均衡を取る為に在るのです」
「贈りの流派の方からも伺っております。」
「矢張り、彼等にも御会いになりましたか。我々は伝承として真実を静かに伝えるのが任、彼等は夫が妻へと品を贈るのを助けるのが任。実の処を申し上げますと、贈りの流派の存在や分裂の話は我々にも伝わっており、本流と亜流、どちらとも面識もあります」
ハシラは頭を中程に下げた。まるで首を差し出すかのように。
「……そうですか。御顔を上げて下さい。私達の里の事や、私達が彼等と逢う運命を知っていらしたのだとしても、私は決して怨んだりは致しません」
ミクマリは微笑みを崩さない。
――多分、あの人なら怨んでなくても、意地悪でお小言の一つや二つは言っただろうけど。
「ミクマリ様は、今は鬼に変じてもいらっしゃらない。夜黒の根の気持ちと、上手く折り合いを付けられていらっしゃるのですね」
微笑むヤヒロ。
「え!? えっと……はい。私も守護神も、鬼へと変じ掛けていました。一度は鬼の面に支配され、サイロウの國にて乱暴を働いたりも……」
白状し、首を縮めるミクマリ。どうせ全部見られているのだ。
「……あの赤い衣の鬼は貴女でしたか。恐らく、あれが貴女だとは誰も感付いていないでしょう。あの混乱では怪我人こそは出ていますが、死者は出ておりません」
ヤヒロの微笑みも崩れない。
「あの、私が撃った巫覡の中に、水術使いの女性が居たのですが、彼女の傷の具合とかは御存じありませんか?」
「分社の事で余り詳しくは存じませんが、水術使いですから、大事にはなってはいないでしょう。ですが……」
「ですが?」
「あの娘は神代の身でありながら、足抜けをしたと報告がありました。それも、別の男覡と誘い合わせて。最近は、うちから抜けてしまう若い子が多くて。矢張り、祀る神々が一向に御姿を現されないのがいけないのでしょうか。それとも、禊や儀式の約束事に煩いのがいけないのでしょうか……」
頬に手を当て、溜め息を吐くヤヒロ。
「ふ、ふうん。そうですか」
ミクマリは、興味薄気に頷く。
宜しくやっている様だが、何故か安心よりも苛立ちの方を強く感じた。
「妹様の事もお悔やみ申し上げます。多くを奪われた貴女は一度は鬼に変じていながら、未だ覡國に人の身で立っていらっしゃる。これも貴女が撒いた幸と慈愛の賜物に違いありません」
ハシラも表情を落とす。
「……はいっ!」
アズサが元気良く挙手した。
母の治める國を詳しく知れる機会だ。知りたがるだろう。姉妹はヤヒロとハシラへ黄泉國で起こった出来事を詳しく伝えた。
勿論、ミクマリは社の流派の役目へ、忌憚なき労いや応援も捧げた。
それから食事に手が付けられ、会話の題材は旅や個人的な話にも及んだ。供された料理の中に巨大な海老がおり、それがまだ生きていた所為でミクマリが取り乱した事以外は、至極平和なやり取りに終始した。
石の社の里を後にした姉妹。
「ヤヒロさんとハシラさん見とるとなー、お父やんとお母やん思い出したさー」
アズサが呟いた。
「私も同じ事考えてた」
二人は少し寂し気に微笑みを交わし合う。
斯うして、交易の拠点からサイロウが斃れた事が発信される事となった。
報告すべき大流派は後一つ。
一季節前に旅の手掛かりの探求と妹の帰郷を兼ねて足を踏み入れた地、ミサキ達の暮らす霧の里である。
サイロウはこの地にて生を受けた。
「えっ……ミクマリ様、その子は誰!? 確かにアズサの霊気を感じるのに……」
今回は留守番ではなく、歓迎に現れたナツメであったが、笑顔での登場から早々に混乱と不安に支配された様だ。
「ナツメ。事情は全て話します。ミクマリさん、アズサ。先ずは私の話を聞いていただけませんか?」
娘を窘めたのは母のミサキ。彼女の貌は沈痛であった。
ミサキの口より明かされる真実。
今振り返れば、不審な点は全て合点がゆく。
アズサが見習いのまま巫覡の足りた村へと派遣された事、生贄に選ばれた事、これら全てはミサキが御使い様からの命を受けて仕組んだ事であった。
「穏便に引き取って頂くというよりは、連れ出される形を想定していたのですけどね……。本当に御免なさい、アズサ」
床に額を擦り付けるミサキ。
当のアズサは、気を荒立てる事無く「だんなーい、だんない。ミサキ様と御使い様の御蔭って事やにー」と笑顔を崩さなかった。
ミクマリも同じく笑顔で同意した。終わり良ければ全て良し。
ミサキはもう一つ白状をした。石の社の流派は御使いの流派とは、元より親交があったとの事だ。流派全体としてではなく、その頭同士が、それぞれ三本足の仔烏と白い烏を向け合って、情報交換をしているのだとか。詰まりは、ミサキも半信半疑ながらも全てを知っていたという。
「そやけど、うちとミサキ様は、他にも姉様に謝らなあかん事があるんやわー……」
頬を掻くアズサ。
「なあに? 何でも言って」
「鏡には映っていたのです。妹巫女様が御霊を擦り減らしていらっしゃって、彼女の付近には既に里の方々の御霊が見当たらない事が……」
ミサキが答える。
「……そっか、そうですか」
流石に表情を落とすミクマリ。
「うちにもなー、ミサキ様の鏡の中身なー、よう見えとったんやわー。酔った言うてたんは嘘やったんやにー」
「そっか……」
「私が口止めをしておいたのです。……本当に、隠し事ばかりでごめんなさい。アズサも、赦して頂戴。私はアズサが死ぬ事まで知っていたのに、誰にも伝える事が許されなかった」
ミサキは袖で顔を覆い、さめざめと泣き始めた。彼女を責める者は誰も居ない。
「でも、母様。アズサは生きて戻って来ました」
ナツメが言った。
「そうね。御使い様に指示を受けていたのは、宝剣を祀る村へと差し向ける処まで。私の卜いでもアズサが命を落とす処までしか視えていませんでした。あれ以降、御使い様も沈黙を守ったままですし、何がどうなったのかさっぱり。でも、確かに彼女はアズサの気配……」
ミサキはアズサを見詰める。
「そやにー。ナツメ、ミサキ様。うちはまたいにアズサやにー」
はいっ。またも挙手。
再三、語られる黄泉の出来事。
黄泉の役割や、その地には清めや安らぎ等は存在せず、その先も母に喰われるか、地上へ鬼として影向して滅されるかのみという事実は、巫覡達を酷く落胆させた。
「それでも、人の心の在り様に救いへの道が秘められているのだと、私は思います」
語りの度に添えられる慈愛の巫女の言葉。頷くミサキ。これまでに会った流派の当主達も、ミクマリの意見へ静かな頷きを返している。
互いの種明かしが済み、先ずは新たな身体を得たアズサへの抱擁が行われた。
抱かれる本人は酷く擽ったそうに笑っていたが、母子のどちら共が「抱いた感触も確かにアズサだ」と感想を述べると、アズサは自身の胸を触りながら「そやろか……」と言った。
その姉は発する気とは一致しない笑顔を向けて、「私と同じ血の流れる身体になって、嬉しいでしょう?」と宣った。
霧の里では数日間の滞在をした。親子、特にアズサの親友が強く希望して引き留めたからだ。
その間、アズサとナツメは子供に還り、少しだけ前の様に喧嘩をしたり、仲直りをしたりもした。保護者達は互いの娘の自慢を競い合う様に交換した。
後ろ髪を引かれる思いで出立する妹の故郷。姉のミクマリもまた、この地を自身の一つの家の様に感じ始めていた。
「姉様、次は何処行くん?」
アズサが訊ねる。
「どうせ全部周るんやったら、海行かへんけ?」
提案がなされる。
「海? どうして? 海神さんの処は、向こうの復興が進んでから知恵を借りに行く予定なのだけれど」
「ちゃうなー。ほら、海でしか採れへん薬の素材もあるやんー? うち、ちょっとナマコから教わった“おっきく実る薬”験したくてなー」
自身の胸を圧すアズサ。
「……あれは効果が無かったでしょうに」
ミクマリは不機嫌に言った。
「薬の効きには個人差があるんやにー。姉様があかんくてもなー、うちならいけるかも」
「薬効の差は身体に影響するものです。私達は血を分けた姉妹! 私が効かないなら、アズサも効かないの!」
ミクマリはぷりぷり怒った。
「うち、ぺったんこ厭やなー」
アズサは怖気付かずに宣る。
「ぺったんこじゃありません! ちゃんとあります! 大体、前の身体にだって胸が無かったでしょうに!」
「ちっちっち。姉様、うちのお母やんは“ぼいん”やったんやにー。うちの霊感はお母やん譲りやしなー、大きなったらうちもぎょーさん実ったんちゃうかなー?」
宣い続けるアズサ。
「……」
ミクマリはアズサの腰から弓を取り上げると、自身の腰へ結わえ付けた。
「え、姉様。何ぞ?」
それからミクマリは返事もしないで、首を傾げるアズサを抱きかかえると、空高く飛び上がった。
「あーっ! じっと負ぶって飛んでくれとーやん!」
アズサが喚く。普段は空駆けではアズサを背負って移動している。本人曰く、その方が酔い難く、上空でも恐くないらしい。
「次は、北の地に向かいます。海はまた、今度!」
「姉様、すまんなー、堪忍してー。あーっ! 恐い! 負ぶって運んで下さい!」
謝るアズサ。
「知らない! 急ぎましょう。きっと、北の地には何も知らないままの人や、困ってる人がまだまだ居る筈だから」
ミクマリは駆ける。空を駆ける。サイロウが荒らして間の無い、未踏の地を目指して。
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惟神……神でいらっしゃるままに、神慮神意のままに。
じっと……いつも。