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巫行126 翡翠

 ミクマリ達が次に足を向けたのは南方の地。

 湖の里とは一転、二人の表情は険しい。ここは地蜘蛛(ジグモ)衆、“贈り”の役目を持つ村。


 役目の手伝いを行った事で彼等からは好意を頂いてはいたが、里の仇連中と流派の根を同じくする者達であり、ミクマリは敵討ちだったとはいえ彼等の嘗ての(トモガラ)(オサ)の経験者を殺害しており、また連れ合う妹も自分自身の仇の身内であるという事実が付き纏う。


 ミクマリはもう、黒衣の術師達を怨んではいない。だが、神剣(カムツルギ)の村での一幕を伝えるべきかどうかは、非常に悩まねばならなかった。

 ものの筋として知らさずに済ますべきではない、だが、袂を分かった者達の惨忍な行為と、それの被害者と断罪者を目の前とすれば、新たな遺恨が生まれ得る。 

 ミクマリは頭上を見上げた。


「姉様、何処見てるんけ? うちはなー、死んだお陰で姉様の本当の妹に為れたんやからなー、別に構わんさー」

 忌憚なく笑う童女。割り切りの良い彼女の事だ、こちらの方は心配ないだろう。


 “彼”が居れば良い落とし処を助言してくれたのであろうが、生憎、霊声(タマゴエ)が響く事はもうない。


――これからは、私が決めていかなくてはいけないのね。


 未だ悩むミクマリの前には、笑顔で彼女の勝利を褒め讃える黒衣の術師達。オクリとその補佐であるコトとテキだ。

 この流派の役割である高天國(タカマガノクニ)からの穢れ降ろしと、それに伴う鬼退治は上手く行っているらしい。

 ミクマリが分流の首魁である男を討った事を伝えれば、彼等は“贈り物”を再び黄泉國(ヨモツグニ)へ贈るかどうかの検討を迫られる事となるだろう。

 放っておけば貢物が来なくなった所為で、黄泉の母が何かをするかも知れない。


――でも、これは彼等の問題ね。それに真実を知らぬままでいる事の危うさは、私も良く知っている。


「オクリ様達には、もう一つ伝えねば為らない事があります」


 ミクマリは話した。神剣の村と黄泉國で起こった一件を。オクリは終始黙って頷き、話の肝では後ろに控えた二人は冷や汗を浮かべていた。一方、アズサは意地悪くほくそ笑んでいた。

 熟練の巫覡達。互いに気配を探れば怨みの念を抱いていない事は分かり合えた。残されし問題は、今後の贈り物の処遇のみ。

 従わぬ鬼を滅する場合と、神楽に依り力を抑えて黄泉へ贈る場合とでは、小人数では後者の方が高い力量を求められる。暫くはこれまで通り滅する事として、村より新たな巫覡を選出して磨き、盤石としてから本来の均衡を護る為の任へ戻るという形で纏まった。


「悩む事もあるかも知れませんが、お勤め頑張って下さいね。私達はまた報せの旅に戻ります」


 ミクマリは、黒衣の術師達へ心からの労いの言葉を掛けた。

 その心根の成長を祝う者は居ない。



 さて、次に足を向けたのは、サイロウに依って一番手酷い打撃を受けていた流派の地。

 分社の地を乗っ取られ、各地で“王の御使い”として悪行の数々を行うように仕向けられた、石の社の流派である。

 元より、社の流派は他の信仰の添え物として、神々の父母への信仰を布教するのを本懐としている。

 ミクマリも本部の者と話した事はあるが、外で活動する巫覡との親交が多い為にいきなり本部へ訊ねる事はせず、以前に案内を務めて貰った里の守り人の元を訪れる事とした。


「おまん、ミクマリか? 久しいのう!」


 お邦訛りに彫りの深い顔の男。

 イワオは目敏くミクマリを見つけ、破顔と共に駆け寄って来た。


「サイロウをぶっ倒したん、伝えに来たんやろ?」

「もう知っていらしてるんですか?」

「うちは、各地に白烏兎《シラウト》を飛ばしとるかんな。おまんがここを出てから各地で善行を繰り返して来た噂も、旅人連中から聞いとるで。俺も鼻が高くてしょうがねえわ」

 そう言って彼は、元々高い鼻を更に高くした。

「こんな別嬪で有難い巫女様の頭をぶん殴ったなんて、俺はお婆ちゃんに顔向け出来ねえなあ」

「あはは……」

 まじまじと眺める男の視線にミクマリは頬を熱くした。

「おまんが来るの、本部の方々も待っとったんや。何と、本部の(カシラ)様方が会いたがっとるらしい。今日はもう遅いから、明日案内するが、ええな?」

「はい」

「里の巫覡にはサイロウの話はもう伝わっとる。やが、おまんから直接話を聞くまでは口外したらあかん言われててな。折角の吉報やのになあ。うちで噂広めたら、あっちゅう間に旅人が覡國(カンナグニ)中に届けてくれるで」


 石の社の里の端に位置し、山々の旅の拠点となるこの村は旅人の出入りが多い。それに伴い交易品も良く集まり、この村自体も多くの特産物を有している。戦神(イクサカミ)の地にて採れる“カンカンイシ”の加工品も相変わらずの人気だ。


 ミクマリは交易の要を訪ねた序でに、今後に自分達が里を再興したいという事を、イワオに話して聞かせた。

 様々な知恵や工芸の力を借りたいのは勿論、自身の里にも入植者や交易の旅人が欲しい。

 ミクマリは「この地で里興しの協力者の募集は出来ないか」と頼み込んだ。

 イワオは難しい顔をして、「俺にはそこまでの権限は無い。ここは交易の村やし、交換に何かくれるのが流儀やがなー……」と唸った。

 だが、ミクマリが(シタタ)かにも“おねだり”をすると、「ま、流派の大恩人様やし、俺が頼んどいたるわー」と容易く陥落した。


 イワオは前回と同様に、特別の客人用の小屋を提供した。それから里の農村から取り寄せた米をふんだんに使った豪勢な夕餉と、土産代わりの弁当を持ち込んだ。


「ほうかほうか、矢張り外には、俺より強い巫覡が仰山おるんやなあ」

 旅の話を聞く男は、悔しそうな表情を浮かべる。

「術力や武力ばかりが人の力ではありません。この地を護るイワオさんは、立派に御役目を熟していらっしゃる強い方ですよ」

 ミクマリは微笑んだ。イワオは顔を蕩けさせた。

「やが、おまんの妹にも勝てそうにもないのは、ちょっと悔しいのう」

「イワオさんは強くないんけ?」

 アズサが首を傾げる。

「ちゃうちゃう。俺が弱いというよりは、おまんが強いんや。旅人に術師がくっ付いて来るのは偶にあるがな、俺が危ないと思う様な相手には早々お目に掛かれん。神様や役目に付き従う巫覡の実力が高いのは当たり前やが、旅の巫女や呪術師には(ムシ)ろ、しょぼい奴の方が圧倒的に多いもんなんや」

 イワオが答える。

「ふうん、そうなん? うち、里では(カス)扱いやったしなー、旅でも戦いではあんま役に立てへんかったからなー」

「アズサは、何の術が得意なんや?」

「うちは音術、日誘ノ音(ヒイザナイノコエ)が得手なんやにー」

日誘ノ音(ヒイザナイノコエ)!? ほんまにあったんか。本部の教えの中に出て来る、おはなしだけのもんやと思ってたわ」

 イワオは目を丸くした。

「珍しいらしいなー。うちの里の……何代も前のミサキ様に音術の使い手がおったらしいけど」

「ミサキ!? おまん、霧の里の出か。そうかそうか、あの秘境の巫覡の里。……ん? アズサはミクマリの妹やろ? 顔も似とるし。ミクマリは霧の里の出やないよな?」

 イワオが首を傾げる。

「こーっと……その辺は、めっさけったいな事情があってなー。説明すんのめんどいわー」

 アズサは笑って誤魔化す。

「ほうか、けったいでめんどいならしゃーないの」

 イワオは笑って流す。

「イワオさんは何の術が得手なんけ?」

「俺か? 俺は道返ノ石(チガエシノイワ)埴ヤス大地(ハニヤスダイチ)。石術と土術やな」

「石術? 土とは違うんけ?」

 アズサが首を傾げる。


「……石術は、石そのものに働き掛ける探求ノ霊性(モトメノタマサガ)を真髄とした術。土術は、土に住まう精霊に働き掛ける招命ノ霊性(マネキノタマサガ)を真髄とする術」

 ミクマリが呟いた。

「石術は水に霊気を込める水術と近い使い方が出来るけど、形が不変な為、用途の幅が狭い。その代わりに込めた霊気の保持に優れるので、結界の技や御守りの作成に優れる……」

 無意識に口から洩れる蘊蓄(ウンチク)。イズミの処で“彼”に教えられた話だ。


「お、流石は名高い水分(ミクマリ)の巫女様やな。仰る通り、石術はやれる事が少ないんやが、石の社の流派では“鳥の居住まい”に霊気を込めて結界にするのが習わしやから、石術使いは重宝するんや。ま、俺は採掘関連でばっか使っとるけどな」

「ふうん。うち、ミサキ様に自然術の才能を視てもろた時、石ころの術はやらへんかったなー?」

 アズサが言った。

「ほーん。じゃあ、ちょっと験してみるか?」

 そう言ってイワオが懐から石を取り出した。

「何で、石ころなんか持っとるんけ?」

「霊気込めて悪い奴にぶつける為や。使い慣れた大きさの石はいつも持ち歩いとる」


 イワオは石から霊気を取り除くと、アズサの前へと置いた。

「よおし、出来るかいなー?」

 小さな手が石へと翳される。


 不変の物へ力込めるは、探求ノ霊性。

 僅かながらも、確かに宿るアズサの霊気。


「おお! おまん、石術使えるんとちゃうか? っていうか、鍛錬も無しに直接触れずに霊気込めたんか?」

「うわーっ!? よっしゃー! うち、音術だけとちゃうやん! 何で今まで石に実験しやんかったんやろなー!? よっしゃ、明日からぎょーさん修行したるわー!」

 アズサは子供丸出しで(ハシャ)いでいる。


 いつだったか、アズサと近い年端の童男(オグナ)に男覡の才があるかどうか、“彼”は確かめたと云う。自分は伏せっていてその現場を見ていないが、丁度こんな感じだったのだろうか。


「おまんやったら、あっちゅう間に俺なんか追い抜くやろなあ」

 イワオが苦笑いをしている。大柄な男には表情も姿もある。しかしミクマリには、ふと彼が、揺らめく翡翠の霊魂の様に見えた。

「姉様、姉様! うち石術使えるやん! なーなー、見て見てー!」

 燥ぐアズサ。


「……」

 ミクマリは立ち上がった。


「どしたん?」

「ちょっと、お腹が一杯になって暑くなっちゃったから、夜風に当たって来るね」

 ミクマリはそう言うと、二人を残して小屋を出た。

「はい、いってらっしゃい?」

 アズサは首を傾げる。

「おー。最近、(ヌク)なったが、夜は冷えるから気い付けろよー」

 見送るイワオ。

「なーなー、イワオさん。うちに石術の事もっと教えてーなー」

「しゃあないなー。その代わり、有名になったら俺が石術の師匠やって広めるんやぞー?」

 遠ざかる愉し気な声。


 里の端の村。旅道(リョドウ)の集まる谷は、常に風が強い。

 谷間の村では、火事を恐れて夜は火を余り焚かない。付近を見回しても、里の入り口である“石の鳥居住まい”に立つ見張りの松明(タイマツ)が揺らぐのみ。


「――……」


 巫女が名を呼んだ。悄然と吹き荒れる風の音がそれを掻き消す。

 巫女は空を見上げる。

 風が雲を運んだか、空に月星の姿は無し。


――これから、ちゃんとやっていけるかな……。


 弱気を心で呟く。

 彼女はここの処、頭上を見上げる癖が染み付いているのを自覚した。余りに繰り返すもので、妹や他の者にも首を傾げられてしまっていた。

 日中であれば、太陽を拝む振りをして誤魔化せもしたが、今はそれすらも眠りに落ちている。


――寒い。


 霧の衣の隙間を縫って、冬の残り香が身体を刺す。

 そう言えば、前にここへ訪れた時も、身体を冷やした挙句に倒れてしまった。


――あの時は……。


 彼との想い出を反芻する娘。


 ふと、視界に“翡翠の霊魂”が飛び込んで来た。思わず目を見開き、瞳の奥の渇きが消えるのを感じた。


『いやあ、矢張り儂や旅の御神様の見立て通り、立派な巫女様じゃったな』

 守護霊より響く霊声は老婆だ。


「あっ……“お婆ちゃん”」

 ミクマリは僅かな困り眉と共に微笑む。


『覚えとってくれたか。イワオの守護霊の婆さんじゃよ。お前さんの噂は儂も聞いておる。いや、本当に立派じゃ。本部の方々も珍しく、(ハシタ)ない程に喜んでおった』

 翡翠の揺らめき。


 ミクマリは堪らなくなって、老婆へと旅の概略と、自身の守護神の神去(カムサ)りを打ち明けた。


『そうか、そうか。そりゃしんどかったのう。じゃがのう、儂が視るに、お主に憑いていた旅神様の加護ももう消えておるのう。苦難の旅は、もう終わりという事じゃ』

「そうですか……」

 加護は実感できていなかったが、宣告されればそれもまた寂しい。

『じゃがの。お主は別に守護神殿と二人切りで歩いて来た訳では無いのじゃろう? これからも、独りぼっちではない』

「……そうですね。でも、矢張りあの人がいないと、難しい会話の場では困ってしまいます。明日だって、社の本部に話を伝えないとならないし」

『本部の方々も色々あるもんでな。お主に話せんかった事情もあり、先は冷たくせざるを得んかった様じゃが、今はそれも無くなって、お前さんの事を心待ちにしておる。きっと力になって頂ける筈じゃよ』

「そうですか」

 ミクマリは、自分でも分かる様なぎこちない笑顔を浮かべた。

『巫女がそんな顔をしておると、神は心配でおちおち高天で休めんぞ。お前は、うちの仕様の無いイワオとは違うんじゃ! ほれ、笑え笑え』

 そう言って老婆の霊魂は、空中に尾を引きながら、珍妙な(タマ)踊りを披露した。


 “彼”がそうしている様に見えて、ミクマリは噴き出した。


『そうじゃ、若い女子(オナゴ)は笑顔が一番じゃ! では、儂はイワオに感付かれる前に隠れるからの! 達者でな!』

 遠ざかって行く老婆の霊魂。


 ミクマリは空へ去る翡翠の流星へ一礼をした。


 それから両手で頬を軽く叩くと、未だに賑やにやっている小屋へと戻った。


******

けったい……奇妙。

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