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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
結ノ章 終止符を
120/150

巫行120 我家

 神剣(カムツルギ)の村は、まだ陽が沈む前だというのに、宵闇(ヨイヤミ)の様相であった。

 あれから既に数日が経過している筈であるにも関わらず、老若男女誰しもが沈み込み、子供の(ハシャ)ぎ声すらも聞こえない。


 ミクマリが村へ足を踏み入れると、直ぐにその姿は村民達の目に留まった。村長(ムラオサ)で巫女のツルギも霊気(タマケ)を察知したのだろう、慌てて館から飛び出して来た。

 彼女達はさめざめと泣き、小さな英雄とその姉への謝罪と感謝を繰り返し続けた。

 恩人とはいえ、数日滞在しただけの旅人へ、これだけの念を向ける事が出来る彼女達をミクマリは美しく思った。それを守り通した妹も、師も愛おしい。

 ミクマリはツルギへはアズサの甦生に纏わる話の全てを伝え、村民には黄泉(ヨモツ)に関わる部分を覆い隠して伝達して貰うように頼んだ。

 ツルギは口では信じられぬ話だとは言ったが、矢張りミクマリを信じているのだろう、語り終える頃には咎人としての貌は消え去っていた。

 それから、今やその真名(マナ)を呼ぶ事が禁忌となった娘。神隠し事件の末に授かった子を失った娘が、尊い役目に就いた事も伝えた。

 これに就いては、アズサの件の後に伝えたのが良かった様で、滔々(トウトウ)ツルギは地の「お婆ちゃん」の貌を取り戻し、暖かな雫をしわくちゃな頬へと流した。


 アズサの遺骨や遺品は厳重に安置されていた。一季節程、待っても取りに来なければ、祠を建ててそこに奉納し、宝剣と同様に祀り上げる予定だったらしい。

 ミクマリは丁寧な管理に礼を言い、村を後にした。


 所用を済ませ、自身の里の上空へと戻ると、報せの煙が穏やかに(クユ)っているのを見つけた。

 どうも無事だった小屋は一件も無かったらしく、二人は悄然と里の片付けを始めていた。


『おお、戻ったか』

 出迎えるゲキ。

「はい。ツルギ様達も安心していらっしゃいました」

『そうか、それは良かった』

 (ニコ)やかな霊声(タマゴエ)


「あっ、姉様おかえりー! うちの弓!」

 アズサが駆けて来る。早速ミクマリの荷物を見留めての笑顔だ。

「はい。荷物はツルギ様が大事に保管して下さっていたわ」

「婆やんに感謝やわー。やっぱ弦はみじゃけとるなー。早速、髪の毛使って直さんと」

 弓を検めるアズサ。

「そんなに大事な弓なのかしら?」

 アズサは既に蔓と髪で弦を支度していたらしく、張り直し作業に入っている。

『何やら、何代も前の御先(ミサキ)の持ち物だったとか。それ自体は水目桜(ミズメサクラ)を素材に作った只の弓らしいが。まあ、気持ちの問題だな』

 本来の狩猟道具や武器としての役目は持たぬ上に、成人男性程の丈がある梓弓(アズサユミ)。愛着は自身の巫女名の由来である処が大きいのだろう。

「気持ちの問題は大切ね。アズサ、一応前の衣も預かって来てるんだけど……」

 これは着古し、激戦で傷付き、前の身体の血ですっかり汚れてしまっている。

「うー、それは流石に着られんわー。うちも、ちゃんとした巫女の衣欲しいなー」

 今のアズサは、妹巫女が着ていたままの麻の衣の姿だ。ミクマリの里では特に巫女の衣装は定められてはいなかった。里を治めていたミクマリの両親も特に贅沢な服飾品を身に着けていた訳でもない。一点、守護神との繋がりを示す翡翠の霊簪(タマカンザシ)を受け継いでいたのみだ。

『衣は念の為、焼いて清めておくと良いだろう。当人の魂が生きてる故、黒穢(コクエ)を生む事は無いとは思うが』

 それを聞いたアズサは、早くも自身の形見の品を烽火(ノロシ)の焚き火の中に放り込んだ。

「あら、あっさりと」

『もっとこう、自身の前の身体との別れの様なものがあると思ったが』

襤褸(ボロ)布やん。別に要らへんしなー。処で姉様、うちの骨はどうなったんけ?」

「ああ、あれは粉々に砕いて、遠くの海へ撒いて来たわ」

 あっけらかんと言うミクマリ。彼女はツルギから骨を受け取った後、遠く北の海まで足を延ばし、そこで自身の術を以て骨を粉砕していた。

「ええ……」

 アズサは身震いをした。

「あれ? いけなかった?」

 ミクマリは首を傾げた。

『幾ら、本人が生きてるとはいえ、あれだけ溺愛した妹の骨を良くもまあ……』

 ゲキが溜め息を吐く。

「だって、前の身体の骨が魂に悪さをするかも知れないのでしょう? そんな事は、絶対に許しませんから!」

 胸を張るミクマリ。

 アズサはそんな姉を見て溜め息を吐くと、火に包まれた衣に向き直り、両手を組み合わせて何やら祈りを呟いた。


 三人は衣の弔いを済ませた後、今後に就いての相談をした。


 里の家々は、地蜘蛛の足抜け連中にすっかり焼かれてしまっている。瓦礫を片付けるのは必須として、先ずはここを拠点に活動する為の屋根が必要である。

 実際に里を興す際は、建築の経験者から指南を受けるか、その技を手に入れて挑む事になる。今の彼女達に出来るのは精々、木を突き刺して柱を作り、枝葉を重ねた屋根を支度する程度だ。

 ともあれ、山の恩恵を多く借りねばならぬ為、それを管理する神に挨拶せねばならない。


「ゲキ様、山神(ヤマカミ)様って女鹿(メジカ)の姿なんですよね?」

 ミクマリが訊ねる。里に属する神というよりは、里を内包する山の神であり、人との接点は山中に設けられた祠と、巫覡であった両親位だ。ミクマリ自身も実際にそれと分かって会って話した事は無い。

『そうだな。あれは特に変わらず山に居る様だな。お前が留守にしている間、姿は見せてはおらぬものの、何度かここへ気配が近寄っていた』

 ミクマリは探知を験してみる。付近に、不安気に揺れ動く神気(カミケ)を一つ感じた。

 そちらの方角を見やると、何も探知をするまでも無かった様で、木々の間からこちらの様子を窺っている女鹿の姿を見付けた。

「早速、山の木を借りる許可を頂いて来ますね」

 ミクマリは鹿の居る方へ礼をすると、歩み寄り始めた。

 すると、鹿も自ら森から抜け出してこちらへと近寄って来た。

 元は鹿の精霊が高天よりの神気を受けて神へと成ったのだろう。ミクマリが手を差し伸べると、他の獣と変わらず、きゅるきゅると甘ったれた鹿の啼き声を漏らしながら、身体を親し気に押し付けて来た。


『……はっ。何か良い香りがするので、つい』

 女性の霊声が響く。

「始めまして、で宜しいのでしょうか? 私はこの地の人里の、里長夫妻の娘で、短い間でしたが里長も務めていた女です。里が(ホロ)びた後に、水分(ミクマリ)の巫女と成り、守護神様と共に漂泊(ヒョウハク)の旅に出ておりました」

『山で何度か見かけたのを憶えているわ。あの巫覡達の処の総領娘さん。いつも山の生き物達へ優しかった子。人里の悲劇は私も目にしています。本当に良く生き残って、こんなに立派に成って……』

 愛おし気に鼻先を向ける山神。ミクマリも静かに頬を摺り寄せた。

『処で、あちらの子は貴女の妹さん……よね? 御両親が亡くなった後に巫女へ就いたと聞いていたのだけれど、気配が……』

 アズサを見詰める鹿の目は不安気だ。

「それには複雑な事情がありまして」

 ミクマリも表情を落とす。


『久しいな、山神。近い内に、ここに再び人里を作ろうと考えておる。山を騒がせてしまうかも知れないが、許してくれぬか?』

 ゲキがやって来た。

『うっ、お前は性悪な守護霊』

 女鹿は忌々し気に言うと、後退った。

「ゲキ様、嫌われていらっしゃるの?」

『ははは。守護神の代替わりでこの地に降りた際、辺りを見物しておったらこいつと出逢ってな。神に成ったばかりの俺よりもしょぼい気配だったから、たっぷりと貶してやったのだ』

「最低ー!」

 ミクマリが鹿を抱いて非難を浴びせる。

『いや、本当にその通りだ。済まぬ。当時は俺も若く、浅墓で高慢であった故、あの様な態度を取ってしまった。この通りだ』

 守護霊は、地面に着く程にその身を下げて謝った。

『赦しましょう。私はこの山を(サキ)わう存在。仮令(タトイ)、神であろうと貴方もまたその範疇なのです。守護神殿も、自身の里を奪われて今日まで随分苦しんで来たのでしょう? お疲れ様でした……』

 山神の声が優しく響く。

『う、うむ。(カタジケナ)いな』

「ふふ」

 ミクマリはゲキの霊声に照れを感じ取った。


 巫女と神達はこれまでに起こった事、これからの展望や計画等を全て交換し合った。

 山神は鳥や獣が運ぶ噂を聞き齧っていたらしく、慈愛と神に比肩する霊気で有名な巫女がミクマリである事を知ると、改めて驚き、我が子の事の様に喜んだ。

 里の再興に就いては、元より山との関係を乱さぬ暮らしを送っていた為に、特に反対は無く、鳥や獣に就いても、長らく人の暮らしと共に在った故に、人が消えた今の方が落ち着かないと聞かされた。


『愉しみだわ。また、この地が賑やかになるのね』

『大事業である故、直ぐにとはいかぬが、気長に見守って居て欲しい』

『約束しましょう。人の魂の神よ。共にこの地に根付き、末永く佑わい続けましょう』

『ああ、そうだな……』


 山の神は森へと帰り、木々の伐採の許可を得たミクマリは、不格好ながらも一件の小屋を拵えた。

 殆どが水術に依る(ワザ)だ。水の刃で木を伐り乾かし、肉体へ霊気を巡らせ担ぎ上げ、そのまま飛んで地面に叩きつけて柱を突き刺した。

 アズサとゲキは特にやる事もないので、惜しげも無く怪力を発揮する細い娘をぼんやりと眺めていた。


 その日の内に、不格好ながらも雨風を凌げそうな小屋が出来上がり、小屋の前で火を焚いて夕餉(ユウゲ)の時を迎えた。

 新しい我が家。始まりの一歩。


 それからミクマリ達は数日掛けて里を清め、束の間の幸せを堪能した。


――そう、束の間の幸せ。私達にはまだ、避けて通れないものがまだ一つ残されている。


 ミクマリはこれまで、多くの地で善行を行い続けて来た。その成果は既に噂となり、人、神、鳥や獣までも知る処となっている。

 これを一国の主が聞き付けない筈がない。その噂の肝となる行為は、その豺狼の王の信条に反する内容であり、(アマツサ)え、水分の巫女が神にも比肩する実力の術師である事も漏れなく付随する。

 力で他者を押さえ付け、術力比べにも目が無いという彼が、この話を聞き捨てる筈がない。


 興味を示せば、この地を求めて動き出すだろう。聞き込み一つにしても、無残事が付き纏うかも知れない。それが起こるのを黙って見過ごす訳にはいかない。隠れて、彼の行為や脅威に目を瞑り耳を塞いでいても、本当のまほろばの里を興す事は出来ない。


 それでも、ミクマリとゲキにとって、この安らぎは手放し難く、互いにこのまま何事も無ければと言葉交わし合わずにはいられなかった。



 月が一つ満ち欠けを済ませた頃、幸せの時は終わりを告げる。

 終焉の知らせを運んで来たのは(クロ)き翼。生と死、三國の間を行き来する三本足の(カラス)であった。


 明朝、アズサがマヌケな姿で小屋に駆け込んで来た。

「姉様、ゲキ様! 豪い事になってしもたわー!」

 彼女の頭の天辺には、一羽の烏が鎮座していた。

「これは、小さな御使い様?」

 ミクマリは眠い目を擦り首を傾げる。

「御使い様の、御子(ミコ)さんやにー」

『ミサキからの呼び出しか?』

 ゲキが訊ねた。

「こーっと。……うち、どうやらこの御子さんの言う事が分かるみたいです」

 アズサは鳥を頭に乗せたまま、正座した。


 アズサが言うには、この御使いの子は、“とある人物”からの伝言を届けに来たらしい。

 その人物とは、件の暴虐の王サイロウ。矢張り彼はミクマリとゲキに会いたがっているらしい。

 招きには「応じなければ、こちらから探す」とだけ付け加えていた様だが、その一言だけでミクマリの頭には、これまで巡って来た地が再び血と焔に包まれる様子がありありと浮かんだ。


『行くしかない様だな』

「そうですね。会いたいと言う事は、戦い以外の道も残されていると考えても良いのでしょうか?」

 力無く微笑むミクマリ。

『そうだと良いがな』

 こちらの霊声もまた、物憂げな響きである。

「何ぞ嘘吐いたら、うちが暴いてやるさー」

 アズサは鼻息荒く言った。

『いや、アズサは置いてゆく。お前はここで待っておれ』

「なっとな!? 何でなん? うちも行く! 御二人の力になるやん!」

「ごめんね。私達はもう、貴女を危険な目に遭わせる気は無いの。呼び出しが無くても、いつかはサイロウに会おうと、ゲキ様と相談していたの。貴女を置いて行くのも、初めから決めていたの」

 ミクマリはアズサを引き寄せて、堅く堅く抱き締めた。


「そんな、抱き方止めりー!」

 突き放すアズサ。

「姉様とゲキ様が、うちの事が大事なんは知っとるさー! そやけど、うちかて二人の事めっさ大事や。そんな、今生の別れみたいな事すんな!」

 目に涙を溜め、声を荒げる。


「別に、死にに行く訳じゃ……」

『ミクマリ。それが無くもない事を、アズサも分かっておるのだ。正直言って、俺も容易く事が運ぶとは考えられない。勝ち目があるにしても、戦いたくはない』

「そうね……若しかしたら、帰れないかも知れない。否定出来ないわ。だからこそ、アズサにはここで、この新しい家で待って居て欲しいの。漸く、帰る場所が出来たんだから」

 ミクマリは微笑んで見せる。

「絶対やにー!? 絶対に帰って来てや!?」

 零れる涙。

「うん、約束するわ」

 ミクマリは妹の頭をそっと撫でた。

「ゲキ様も、帰って来やんとあかんからなー!」

『当たり前だ。俺も新たな里で民達に祀り上げられなければならないからな。そうだ、ミクマリ。その時は身体を貸せ。酒を呑んで飯を味わいたい』

「約束しましょう。でも、酔っ払って私の身体で変な事を為さらないで下さいね」

 微笑むミクマリ。

『……愉しみにしておけ』

「もう! ……まあ、一度だけなら赦します。だからアズサ、私達の勝手も、一度だけ赦して頂戴ね」

「うん……」

『俺達が無事に戻れる様に、祈っておいてくれ』

「はい。そやけど、何に祈ろかいなー? うちの神様や姉様の無事を願うのに、何にお祈りしたらええんかいな……」

 寂し気に言うアズサ。

『そうだな。確かにそこらの神に祈っても、俺やミクマリの方が遥かに優れておる故、加護もへったくれも無いな。まして、サイロウ相手となると尚更だ』

「だったら、お日様にお祈りしておいて。私は、何にお祈りをすればいいか分からない時は、いつもそうしているわ」

「そやにー。お日さんやったら、うちも姉様も同じもんが見れるもんなー」

 アズサはそう言うと、漸く笑顔を見せた。


 そうして、巫女と神は、我が家を発った。

 向かうは、最強の男覡の待ち受ける國。彼女達の運命(サダメ)は、神すらも知り得ぬのであろうか。


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