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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
結ノ章 終止符を
118/150

巫行118 言霊

「……小娘が、母親振りおって。あゝ不愉快……」

 “欲深なる母”は一旦、静止すると、その膜に無数の刺を生やした。

「……味付けは、悔やみと痛みにしましょうね……」

 母の歯がミクマリを咀嚼せんと襲い掛かる。

『『姉様!!』』

 叫ぶ二人の妹。


 玉響(タマユラ)、ミクマリの懐の中が光り輝いた。血の膜は静止し、元の人の様な曖昧な姿へと戻る。


『ミクマリちゃんを食べちゃいけないよ』

 懐から飛び出したのは勾玉。

「これは、言葉の神様の珠……?」

『憶えててくれた? しまわれっ放しだから、忘れられちゃったかと思ったよ』

 屈託のない声音。

『あれは誰?』

 妹巫女が言った。

『あれは……姉様の腹みじゃいた神さんやん!』

 アズサが怒声を上げた。

『アズサちゃんには、そんな覚え方されちゃったかー。がっくし。……まあいいや、今はそれ処じゃない』


「……お前、“コヤネ”か……」

『御存知で? 神々の母に覚えて貰えるなんて、光栄だなあ』

「……原初の母と知っていて、祀ろわぬ気か……」

『僕は貴女とは血を分けていないでしょうに。神が何でも貴女の子という訳ではありませんよ』

「……(タオ)やき男神(オカミ)等、滅してくれるわ……!」

 國全体に強烈な夜黒ノ気(ヤグロノケ)が立ち上る。


『僕の(メイ)は絶対だ』

 宙に浮かんだ勾玉が眩い光を放った。


天津(アマツ)の國に根城託せし、言綾根(コトアヤネ)が命ずる。黄泉國(ヨモツグニ)の主よ、彼女達を赦し見逃し給え!』

 コヤネが祝詞を奏上すると、“欲深き母”の動きが静止した。


『いっその事、夫婦喧嘩を止めて下さいって言った方が良かったかな? でも、僕に取っては、ミクマリちゃんの方が大事だからね』

 歌う様に言うコヤネ。


「……(ワラワ)を、長く留めて置けると思うな。言葉の薄っぺらさは、妾は身をもって知っておるのだ……」

 悔しそうに声を震わす黄泉の主。


 勾玉に亀裂が入った。


『やっぱり、こうなっちゃうよね。もっと大きな珠を残せば良かったかな……。アズサちゃん!』

 コヤネが声を上げた。珠の亀裂が広がる。

『何な? 何でうち?』

 不機嫌に訊ね返すアズサ。

『アズサちゃん、二人を連れて逃げて。耳を澄ませるんだ』

『耳、在らへんけど……』

『惚けてる場合じゃないから。君の得意分野だよ。君にしか出来ない事だ。羽搏(ハバタ)きと、啼き声を探すんだ。それを追い掛けて』

『羽搏きと啼き声……』

 呟くアズサ。


「……妾が追えずとも、妾には幾千幾万の怨みと嘆きの配下が居る。醜女(シコメ)共よ、奴等を捕らえろ。肉の無い者はくれてやる……!」

 坂の上から、森の陰から、ゆらりゆらりと鬼共が来たる。

 どれもが長き角を生やし、手には鋭き得物。彼女達の貌は怨み、妬み、嘆き等、それぞれの極みに歪んでいる。


 醜女の一人が黄泉術を繰った。飛び掛かる紅き立氷(タチヒ)。躱すミクマリ。出力は大した事が無いが、今のミクマリにとっては危険だ。 


『最後の御願いだ。アズサちゃん、ミクマリちゃん。(ハシ)れ、逃げろ。立ち止まるな。絶対に幸せを掴み取って!』

 コヤネの珠が一層、(ハゲ)しい光を放つ。白の中、砕け散る様が見えた。


『姉様、アズサさん、行きましょう!』

 妹巫女は既に尾を引き疾駆し始めている。続くミクマリとアズサ。


 追い縋る鬼女達。またもミクマリは肺にから込み上げる血の味に咽る。しかし、コヤネの力の所為か、どんなに脚が傷み、眩暈がしようとも、身体は疾走を止める事は無い。

 耳元を唸る音が通過する。追い抜いて行く、紅い刃や黒い炎。


『姉様、アズサさん。ここで、お別れです』

 妹巫女が言った。


「ど、どう言う事……」

 息も絶え絶えに訊ねるミクマリ。


『私があの醜女達を喰い止めます』

「貴女だけで!? 消えてしまうわ!」

『私は、地上に戻るには魂を擦り減らし過ぎています。戻っても、長くは生きられません。御二人で行かれると良いでしょう』

 他人行儀な返事。

「貴女も一緒に来て。少しだけでも良いから一緒に生きようよ……」

 喘ぐ様に。

『大仰だなあ。長い、長い時の体感がいけなかったのでしょうね。……別れなんて大した事に思えない。でもきっと、そうで無ければ、足を引っ張ってまでも御二人に着いて行こうとしたんだと思います』

 平坦に響く霊声。

『妹巫女さんは来やへんのけ?』

『うん。……アズサさん、妹の座は貴女のものです。貴女にはその資格があります。姉様の事を御願いしますね。あの人、確りしている様に見えて、全然仕様のない人ですから』

 寂し気な呟き。

『そやなー……』

 アズサの共鳴。


「そんなの、いけないわ! 皆で、皆一緒にここを出ましょう!」

 叫ぶミクマリ。妹巫女は徐々に速度を落とす。反して、ミクマリの身体は駆け続ける。


『姉様。私はずっと、ずっとお慕い申し上げておりました。本当に、幸せ者の妹でした』


 絞り出すように響く……さようなら。


「――……!」

 愈々(イヨイヨ)、叫ばれる妹の名前。


『もう、大事な一番で呼んじゃいますか!? 本当に仕様のない姉様。……頼みましたよ、もう一人の私』

 妹の魂が静止する。迫り来る鬼女達。

『長く堪えて来た分、ずっと練り続けて来た分。全て出させて頂きます!』


 燃え上がる魂。何よりも熱く、何よりも白く。

 光と成ってゆく妹の魂が、鬼女達と共に灰燼と帰して行く。


 ミクマリは彼女の真名(マナ)を叫んだ。これまで戒めて来た分、全部を。喉で、心で、涙で。


 後には愛しき者の姿も、追手の姿も無く。


『姉様、上を見やり』

 アズサが短く言った。


 空を見上げると、一羽の黒鳥が旋回しているのを発見した。三本足の巨大な(カラス)


『御使い様やに。姉様、付いて来られるけ?』

 空へと昇り始めるアズサ。

 ミクマリは涙を拭うと、身体に哀しみに依る夜黒ノ気を巡らせた。


――水気を操るのが出来なくとも、血液(コッチ)なら……!


 己の血肉操るは調和ノ霊性(ノドミノタマサガ)

 跳躍。


 主失いし血肉に命ずるは探求ノ霊性(モトメノタマサガ)

 破れた紅の袴の残りを足場に変じる。


 繰り返される着地と跳躍。上昇する度に、その口から別れの言霊が零れ出る。


「さようなら」


「さようなら」


「さようなら!」


――私も、貴女の姉で幸せでした……!



 御使いが羽搏き、空に雷鳴の如き(イナナ)きを響き渡らせた。

 烏が厚き黄昏の雲へと突っ込む。その翼が闇を切り裂き、道を示して行く。後を追うミクマリ達。

 赤昏き黄泉路(ヨミジ)を越え、その先に青い空を見た気がした。


 ……まあ良いわ。地上でもっと美味しく成りなさい。“彼”が貴女の醸しを手伝ってくれるわ……。


 下方で声。ミクマリは無意識に天へと腕を伸ばす。その(タナゴコロ)が掴み取るのは、太陽。



 視界が光に包まれた。



 潮騒(シオサイ)。遠く海の()が反響する。

 気付けばミクマリは、母に引きずり込まれた時と同じ洞穴に立っていた。


『は?』


 素っ頓狂な男の霊声。振り返れば、守護神のゲキが居る。その色は赤黒く変じていたが、急速に元の翡翠へと戻っていった。


「戻って来れた……」

 安堵の息を吐くミクマリ。

『呑み込まれた、全て終わったと思ったら、十も数えぬ内に帰ってきおった。解せぬ』

 ゲキが呟く。


「そうだ。アズサ、アズサの魂は?」

 ミクマリは辺りを見回した。洞穴には霊魂は一つしか見当たらない。

『アズサ? 何故アズサの名が。と言うか、何があった? どう言う事だ? 俺にも分かる様に……』

 捲し立てるゲキ。


「う、ううん……」

 人の呻き声。童女の声だ。


 ミクマリは寝かされたままの妹巫女の身体に駆け寄った。

「ああ、しんど。めっさ、酔うてもーたわー」

 額を抑える妹の身体。

「あ、貴女、若しかして……」

「あっ、姉様やん。一体何がどうなったん? ここは何処け?」

 そのお邦訛り、少し恍けた表情。

 確かに、身体は妹巫女のものだ。だが、その声音(コワネ)は明らかに……。


「アズサ!」

 妹の身体を強く抱きしめるミクマリ。

「姉様、こそばいなー」

 嬌声を上げるアズサ。


『待て待て待て待て! アズサだと!? その身体は……いや、確かにその気配と声はアズサ。ああミクマリ! 頼むから俺に分かる様に説明してくれ!』

 頭上でゲキがばたばたと暴れ回っている。


「良かった……良かった……」

 確かな肉の感触。抱いているのはあの子の身体の筈なのに、それは確かにアズサの感触だ。

 止め処なく溢れる涙。ここの処、ずっと泣きっぱなしだ。

「姉様、めっさししくっとるなー」

 アズサは苦笑しながら頭を撫でてくれている。


「……」

 彼女の生還と共に、もう一つの事実を思い出す。消えて無くなってしまった、血の繋がった妹の魂。

 流れる涙は色を変えて、一層烈しくなった。

「分かるさー。姉様、一緒に泣こうなー」

 アズサも泣き出す。


『おーい。聞いておるのか』

 ゲキが何か言った。


「おおきにな……」

 アズサが泣き声の中、何者かに礼を言った。


 一頻り泣いた後。二人は身を離し、互いの顔を確認し合った。


――矢張り、変な気分。確かにあの子の顔なのに……。


 笑顔のアズサ。その顔は嘗ての嘴の黥面(ゲイメン)ではない。


「姉様、ようやっと(ワロ)うたなー。にっこにこの姉様の方がええなー」

 アズサが胸に飛び込んでくる。

 髪は長く、厚ぼったかった耳朶(ミミタブ)は薄く為っている。確かに違う身体。これはあの子であり、アズサであった。


――私の妹。


「あ、そや。姉様……」

 もう一度顔を上げる妹。


「なあに?」

 首を傾げる姉。


「こーっと……」

 照れ臭そうに頬を染めるアズサ。


 それから、満面の笑み。

「ただいま!」

 帰宅を告げる、最良の言霊。


「お帰り、アズサ!」

 ミクマリは笑顔で迎えた。


******

こそばい……くすぐったい。

ししくる……泣く。

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