巫行117 妹妹
『お父やんもお母やんも居らんし、黄泉行ったら会えるも嘘やん! 村行ってみても、身体がのうなったからか知らんけど、まーた滓扱いやし! あー、めっさ腹立つわ!』
怒るのに夢中なのか、アズサの霊魂はこちらに気付かない。
怒りは負の感情。霊魂に一瞬、赤みが差したかと思うと、その端がちりちりと音を立てた。
――いけない!
慌てて駆け寄るミクマリ。
『ま、ええけど』
直ぐに元に戻る霊魂。ミクマリはずっこけた。
『……なっとな? どちら様ですか? 村はこっちじゃないですよー』
アズサがこちらに気付いた。
「痛てて……。アズサ!」
起き上がり、再度名を呼ぶ。
『え!? その声は姉様やんなー!? 何で姉様が黄泉にいはるん!? 姉様、死んでしもたんけ!?』
震える魂。彼女は急速に赤黒く染まってゆく。
「ア、アズサ……」
――どうしよう。
『あ、そやけど、うちも死んどるなー? また逢えた、姉様死んだ、よっしゃ!』
その色は速攻で元の色だ。
『へへへ……こっちに来たって事は、姉様もやられてしもたんけ?』
愉し気に寄って来る霊魂。
「……えっと、そうじゃないのだけれど。兎に角、また逢えて嬉しいわ」
ミクマリは平常心に努めた。覡國で似た事をやられたら、流石の彼女も拳骨をお見舞いしたかも知れない。
『矢張り、姉様のお知り合いの御霊さんでしたか』
妹巫女が言った。
『姉様言うとー? そっちの魂は何ぞ?』
アズサは怪訝そうに言うと、妹巫女の周りをくるくると回った。目を放すとどっちがどっちか分からなくなりそうだ。
「この子は、私の妹よ。前に話したでしょう? 黄泉で頑張ってるって」
『言うてはったなー……』
アズサはぴたりと止まった。
『こーっと……妹巫女様、おおきになー。うち、姉様にたろうて貰て、めっさ幸せやったんやにー。姉様を巫女にしてくれて、ほんまにおおきになー』
『そっか、じゃあ夢で見た姉様と一緒に居た子は、貴女なのね……』
妹巫女が呟く。
『なーなー、姉様、聞いて欲しいんやにー』
アズサが寄って来る。
「なあに?」
『あんなー、うちだけなー、身体がなー、たらわへんくてなー。ほやから、連れの一人も出来やんし、ずっと寂しかったんやにー』
甘える様に纏わり付く霊魂。妹の言う通り、他の死者は不完全ながらも身体を持つのに、アズサは霊魂のままだ。
『アズサさん、死んでらっしゃるのにどうして黄泉に染まって無いのでしょうか?』
妹巫女が疑問を呈する。彼女の言う通り、性根も元のアズサのままだ。
「さ、さあ……」
ミクマリは知らんぷりをした。恐らく、自分がアズサの肉体をばらして衣にしてしまったのが関係していそうだ。結果から見れば悪くない話だが、詰まりはアズサがこの地でまたも滓扱いされているのは、ミクマリの所為という事にもなる。
『処で姉様、このごつい衣は何なん? めっさきしょい“かざ”するやん?』
「さ、さあ何かしら? ここってどこも酷い臭いだから」
ミクマリは乾いた笑いと共に誤魔化した。
――言えやしないわ。これが貴女の身体ですなんて。
『ま、ええわ。二人は何しとったんけ?』
相変わらず切り替えの早い童女。
『私達は、姉様が地上に戻る為の方法を探しているの』
妹巫女が答える。
『え? 姉様、死んどらんのけ?』
「ええ、私は生きたままここに引っ張り込まれたの」
『ほーん、そうかー。そやったら、ここに居る道理はないもんなー。うちも、一緒に帰りたいなー……』
寂し気に呟くアズサ。
『御二人は随分、仲が宜しかったのですね』
妹巫女が言った。
『そやにー。うちと姉様は姉妹なんやにー。妹巫女様と違って、血は繋がっとらんけど。“たましい”の姉妹やにー』
『そっか。それなら御互いに身体はもう無いから、同じね』
『妹巫女様とも姉妹やにー。どっちがお姉さんかいなー?』
互いに追いかけ合い、くるくると回る霊魂達。
『さあ、どっちでしょう? 私にはもう、時の流れが良く分からなくって。どっちも姉様の妹で良いじゃない?』
『そやなー。何か、うちらゲキ様みたいになってもうたなー』
『そっか。あの方ともお知り合いなのね』
『ゲキ様はうちらの御師匠様やにー』
『あの方、厳しくて、ちょっと厭らしいでしょう?』
『分かるわー。いつも姉様の水浴み覗かはるんやにー』
『姉様の裸何て御覧になって、何が愉しいのかしら……』
『分からへん……』
「……」
お喋りをする妹達を眺めるミクマリ。どちらも同じ青白い焔であったが、瞼を閉じれば、二人の姿が浮かぶ様だ。
――二人が欲しい。二人とも私の妹。皆一緒に生きられたなら、どんなに良かっただろう。でも、叶わない。矢張り、ずっとここで……。
『よし。姉様が出られる方法、探しに行こかいなー?』
尾を引き移動を始めるアズサ。
『当てはあるの?』
『在らへんけど、誰かに聞くしかないやんなー?』
『そうね、大丈夫かな……』
不安気に揺らめく妹巫女。
一行は、付近の村を目指して進みだした。醜い蟲だらけの黄昏の森を越え、上ったり下ったり、坂道を幾つも越える。
その間も、妹二人はあれやこれやとお喋りを続けた。
ミクマリは相変わらず鼻が慣れず、矢鱈と坂の多い地形に身体を疲れさせていたが、耳はこれ以上ない程に幸せだった。
ずっと帰る手段が見付からなくても良いとさえ思った。
どの位歩いたかも不確かだが、漸く村へと到着。
『うちが訊いて来たるなー』
アズサが村民へと近付いて行った。村の者達は相変わらず、欲のままに好き放題に遊んでいる。
村の外れから、アズサの仕事振りを眺めてみるが、村民達がアズサに反応している様子はない。
暫くするとアズサが戻って来て、落胆の報告をした。
「じゃあ、次は……」
『矢張り、近寄らない方が良い気がします。アズサさんは一応こちらの住人ですが、私達は……』
二人が言い掛けると、住人の一人がこちらを向いた。
「肉じゃあ。新鮮な肉の臭いがする」
覚束無い足取りでこちらへとやって来る、腐った住人。
「あ、あの。この國から出る方法とか、変わった噂とか知りませんか?」
恐る恐る訊ねるミクマリ。
「肉、肉。若い女。寄越せ!」
むんずと掴まれるミクマリの衣。彼の者からは明らかな邪気の高まり。
「止して下さい!」
ミクマリは反射的に霊気を練った。
『姉様、いけません! ここで祓の力を使うと……』
妹巫女の警告。悲鳴を上げる腐った男と、アズサ。
『あばばばばばば……』
アズサはじりじりと魂を散らしている。
ミクマリは慌てて気の行使を止めた。
『あ、危なかった。ここは全てのものが穢れているので、気を付けなければ。アズサさんも、魂を露出しているので巫女の祓には弱く為っています』
そう言う妹巫女の魂も、端が僅かに散ってしまっている。
「ああ……ごめんなさい。本当にごめんなさい」
顔面蒼白、繰り返し謝るミクマリ。
『仕方無いさー。うちも知らへんかったもんなー』
慰める様に擦り寄るアズサ。
――妹二人の魂を自分で滅したりなんてしたら、鬼に成る処の話じゃないわ……。
青色吐息のミクマリ。
ふと気付く。詰まりは、黄泉に於いては、清め等は存在しないのではないだろうか。ここで滅するか、上で滅するかの違いでしかない。地上に於いて、清めが働くのは、恐らく魂が肉に宿って居る故にだ。夜黒に冒された者を祓うと、その精神の性質は清められるが、魂は確実に擦り減ってゆく。
一度は、妹巫女と同様に、直接住人達を祓い清める手段が無いかと考えたが、初めから無駄な事だったのだ。
――ほんと、大マヌケだわ。
自身を嘲笑うミクマリ。
『……うわ。姉様、この人きしょい』
アズサが声を上げた。
先程、ミクマリの衣を掴んだ男は祓の力を受けた所為か、半分溶け落ちてしまっている。しかしそれでも、ミクマリの血衣の先を握って手放さないで居た。
男の手が衣を千切り取り、それを口の中へと運んだ。
『ひい。衣は食べ物ちゃうやんやん! 何やさぶいぼがでるなー!』
悲鳴を上げるアズサ。
『アズサさん、身体が無いので鳥肌は立ちませんよ』
冷静に指摘する妹巫女。
『うう、そやけど、何やろなー……。あの衣がみじゃけるの見ると、震えてしまうんやにー』
震えるアズサ。
「肉……」「肉……」「女……」
騒ぎを聞きつけたか、他の村民達もこちらへと近寄って来た。
『逃げましょう!』『そやにー!』
言うが早いか妹達の残像は尾を引いている。ミクマリも慌てて走り出す。
住人達は追い駆けて来た。半分は腐敗して骨を露出している癖に、坂でも森でも構わず、彼等は平気で踏破してくる。
「村に居た時は鈍間だったじゃない!」
苦情を言うミクマリ。
『欲の力って偉大ですよねー』『そやにー』
暢気に飛行を続ける妹達。こちらはこちらで、肉の疲れ知らずの存在である。
始めの内は何とか距離を離せていたが、地上の身体のままであるミクマリは息を切らせ、追い付かれてしまう。
長く余った衣の袖や袴の裾を掴まれ、千切られ、その度に彼等はそれを拾っては口に運び、ミクマリ達との距離を開いた。
『姉様の衣がどんどんこわけてく』『いっその事、その衣を差し上げてしまったらどうでしょう?』
「良いのかしら……」
ミクマリはちらと妹達を見やる。どちらがどちらかは分からぬが、アズサの方を見た心算だ。
『ええんちゃう? 姉様、下にもいつものん着たはるやん』
アズサからの許可。
ミクマリは血衣の上半身を適当に裂くと、三度に分けて後方へと放った。目論み通り、村民達はそれに夢中になった。
何処をどう走ったかは覚えていないが、何とか腐った連中を巻き、落ち着く一行。
『何処まで行っても、同じ景色やなー』
『そうですね。私の知る範囲でも、坂と森ばかりで』
「上り坂ばかりで、きつかった……」
ミクマリは木陰に座り込み喘いだ。
『姉様、お疲れ様やにー』
アズサが纏わり付いてくる。
『アズサさん、その白い衣には触れないで。私達には綺麗過ぎる』
妹巫女の指摘。アズサが慌てて離れた。
『しゃーないからこっちにしよなー』
アズサはミクマリの下半身、紅の袴の方に鎮座した。もう一人の妹も真似をする。
「疲れた。術も抜きに、こんなに身体を動かしたのは久し振りだわ……」
未だに息が整わない。それだけ水術の行使が身体に染み付いているのを実感する。
『もう、追って来ないでしょうか?』
妹巫女が言った。出来れば、あれで満足して欲しい処だ。これから先は住人は避けて通った方が良いだろう。となれば、手掛かりを探すのにも苦労をしそうだ。
……あゝ、やっと見つけた……。
『もう、見付かったん!?』
アズサが声を上げる。
「……違う、この声は!」
……その白い衣は、ここではよおく目立つ……。
声は坂の上から聞こえて来る。程無くして、何かの影……いや、光だろうか。形容しがたい人型の様な、或いはそうでない様な女が現れた。
『あの人は……黄泉國の主、“欲深なる母”』
“欲深なる母”は、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。ミクマリは立ち上がり、身構えた。
――いけない。平静を保たなければ。
走る力無く、祓も禁じられ、水術は理の外。ミクマリは二つの霊魂に離れる様に指し示すと、紅の袴の一部を、拳十個分もあろうかという、長き剣へと変じた。
「……それで、妾を切ろうというのかえ……?」
黄泉の母の生の声。心臓が昏くなる様な、熱くなる様な、凍える様な気がした。
『姉様。勝てへん気がするなー……』
アズサがぽつり。
『アズサさん、姉様を信じていないの?』
『信じてるさー。そやから、あかん気がする。“あれ”をあの剣でみじゃこうにも、姉様に水術で挑む位、あんごさくな事やと思うんやに……』
アズサの指摘。ミクマリも気付いていた。黄泉の主を、生半可な同質の力で剋する事は不可能だろう。大体それが出来るのであれば、ここに引き込まれはしなかった筈だ。
「……ふふふ……」
母が一歩近付いた。
「……」
剣を構えるミクマリ。彼女は引かない、引けない。後ろには何よりも大切なものが二つ控えている。
「……安心しなさい。一番美味しそうなお前から食べるから……」
母の身体が膨れ上がり、赤とも黒とも付かぬ膜へと変じた。
視界は黄昏から夜黒へ。
ミクマリは呑まれる寸前に振り返り、言った。
「二人とも、私を放って逃げて」
******