表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
結ノ章 終止符を
116/150

巫行116 黄泉


――歩いている。私は歩いている。ここは何処?


 酷く暗いのに、視界ははっきりとしている。秋の山道。音はせず、光も無く、蟲や小動物、鳥の姿も見えるが、何故かどれからも命を感じない。

 そして、ここは有り得ない程の悪臭で満たされていた。


 凶目(シコメ)き、汚穢(キタナ)き、常秋(トコアキ)黄昏(タソガレ)黄泉國(ヨモツグニ)


 ミクマリも、これまでの経緯や話からして、この地がそれであると直ぐに理解した。だが、引き込んだ張本人の姿もなく、自我もあれば肉もこれまでと変わりが無い。自分は死んでもいなければ、鬼に変じてもいない。


 暫く進むと、村があった。常に黄昏た景色だという事以外は、覡國(カンナグニ)と同じ様に見える地。だが、村に暮らす人の姿は酷いものであった。

 皆、醜く腐っており、襤褸(ボロ)の様な布切れを纏っている。会話や暮らしの為の仕事もある様だが、彼等の多くは寝るのと食うのと……まあ、後は娘が頬を染めて隠れる様な情事に夢中であった。


 ミクマリは観察を続けた。

 彼等は怒ったり、悲しんだり、奪い合ったりを繰り返している。だが決して、殴ったり殺したりと次に発展する事が無い。

 食物の取り合いをして片方が口に入れたかと思えば、直ぐに、仲良く抱き合う。かと思えば、片方が相方を放りだして(イビキ)を掻き出したりもした。

 負の感情……邪気は幾らでも沸いて来る様だったが、同時に直ぐに立ち消えているのだ。欲もまた同じく。


――声を掛けて見ようかしら。


 木陰から村を眺めるミクマリ。

 醜い光景ではあったが、何処か羨ましい様な振る舞い。少しばかり、あれに加わりたいという欲求が起こった。


 一歩踏み出す。枯れ葉を踏む音。


『いけません。早くここから離れて』

 密やかな霊声(タマゴエ)が聞こえた。


「誰?」

 声の方を振り返ると、そこには青白い焔……一つの霊魂が浮かんでいた。


『付いて来て』

 そう言うと霊魂は、幽かな光の尾を引きながら何処かへと飛んで行った。


 ミクマリは言われるがままに従い、それを追った。


――何処かで聴いた声。若しかして、若しかしてだけど……。


 確かめたかったが、霊魂は慌てている様子で、可也の速度で飛行している。

 ミクマリも、肉体や霊気はあるものの、どうも水術の効きが悪く、息を切らせて追い掛けねば為らなかった。


 村から離れ、森を突っ切り、広い場所へと出た。黒い丸石の続く景色。黄昏に輝く流れ。ここでも健在の安心の出来る水音。川だ。


「ここまで離れれば平気でしょう。見つかってしまえば、仲間入りをさせられてしまいます」

 霊魂はくるりと尾を翻すと、どうやらミクマリと向かい合った。


――矢張り、この声は……。


『色々話さねばならない事があるのですが、先ずは……謝らせて下さい。貴女をこんな過酷な運命(サダメ)に巻き込んでしまって。ごめんなさい……ごめんなさい、姉様(・・)


 大人びた口調、幼い声。何処か自分と似ている響き。

 ミクマリは袖で口を覆うと、静かに涙を流した。


『姉様。本当に、夢の通りに為ってしまった。本当に、姉様まで、黄泉に……!』


「――……」

 口を開き、その名を呼びそうになる。だが寸での処で、抑える。


『ありがとう御座います。私はまだ、巫女の力を残していますから。姉様、ここでは、決して食物を口にしては為りません。若しも、この國で食事を行えば、魂がここに根付いてしまいます。そうなれば、時を正しく感じる力を失い、二度と覡國の地を踏む事は出来なくなるでしょう』

 高天國(タカマガノクニ)に関しても似た言い伝えを訊いている。それよりも、妹巫女が厭に他人行儀なのが気に為った。妹としてではなく、巫女としてのあの子の装いだ。

「それは、戻れると言う事?」

『分かりません。その方法は知らないのです。でも、私が見た夢では、姉様は……姉様が私と……』


 霊魂が揺らぎ消え掛かる。


「何? どうしたの? 大丈夫!?」

『お静かに……。私は、もうあまり長く持ちそうにありません』

 哀し気な霊声。

「それってどういう? ねえ、消えてしまうって言う事? 里の皆は? 黒衣の術師に皆、ここへ送られたのでしょう?」

 捲し立てる様に訊ねるミクマリ。


『姉様……。その通りです。里の子供も、気高き者も、ここへ送られてしまったのです。私が至らなかった為に。私でなく、姉様が巫女に就いていれば、変えられたかもしれない……』

 響きは一層哀しみ深く。それから『ごめんなさい』と、いつか悪戯を叱った時に聞いた声が発せられた。


「良いのよ、貴女は何も悪くない。何も悪くないわ。一所懸命にやったんだもの」

 手を伸ばす……が矢張り相手は師と同じ霊魂。肉のある身が一体どうしようというのか。


『いいえ、姉様。私は何も、何もしていません。出来なかったのです』

「どういう事?」

『それを含めて、全てお話します。質問は後で受け付けますね』


 妹巫女の語る事の顛末。

 彼女は巫女に成る以前から、奇妙な夢を良く見ていた。予知夢、夢(ウラナ)いとでも呼ぼうか、夢の断片の光景が、(ウツツ)にも起こるというそれ。

 父や母が健在だった頃は、非常に曖昧だった夢。愉しいものもあれば、恐ろしいものもあった。全てが実現する訳ではないが、見えるものと起こる時系列はばらばら。

 覚えている範疇で繋ぎ合わせてみるが、答えは出ず。

 父母に相談すれば、そういった霊感は、巫行に就き霊気を磨けば鍛えられるやも知れないとの返答。

 故に彼女は、小さな胸に抱いた不安を晴らす為に巫女を目指す事にした。本来ならば、年長者である姉が先に就くべき座。両親への憧れを強く語り、何でも譲りたがる姉から、その座を譲り受けれるように仕向けた。

 夢がはっきりとするようになったのは、皮肉にも父母が病を貰い、伏せった頃であった。その時はもう、両親の命はどうしようもないという事を知っていた(・・・・・)

 甲斐甲斐しく世話を焼く姉を眺めながらも言い出せず、両親が歿(ボッ)し、そのまま巫女と里長の分業へ。


 巫女の座を継いだ事で、里の守護神ことゲキと出逢う。彼に師事し、馴れぬ巫行と共に、修行を(コナ)す毎日。師は厳しくもあったが、里を愛しているのは分かった。

 故に、今後に訪れる泯滅(ビンメツ)の運命を言い出す事が出来なかった。


『もっと早くに、二人に相談していれば良かった……』


 悔恨の霊声。ミクマリは微笑み、黙って首を振ってやった。

 幾ら、巫女で里長の補佐であろうとも、月水(サワリ)も見ぬ様な年端の子供だ。辛い事を周りに伝播させまいと、あの幼き胸に収め続けただけでも充分に尊い。


 里の泯滅は夢のお告げの通り。彼女は初めから里と民の命は諦めていた。だが、予知夢は全ての時をなぞる様に見られる訳ではない。(ケダ)し、予測不能の空白は己が決める事が出来る。そう信じた。

 巫行に就く様に為ってから直ぐに、肉体よりもその“たましい”の在り方が大切なのだと彼女は学んだ。守護神から里の外の話を聞けば、ここの者の“たましい”……取り分け、姉のそれはとても良いものの様に思えた。


 故に、里の者と姉の“たましい”を救う為の仕度を始めた。姉の死や自身の死は夢に見ていない。里が黒き焼け野原と煤けた骨に変じるのは見たが、人々の魂の行末もまた未見。

 為らばそれらを救おうと、幼き知恵を巡らせ、土壇場になり、神に全てを願い託した。

 一番大好きなのは姉だ。彼女を護る為には守護者が必須。魂が紐づけされている神と民為らば、黄泉へ招かれたものの行く末は見なければならない。

 決して彼らが穢れぬよう、それが守護神や姉に害を為さぬよう、彼女は魂の全てを賭けて、民達の後を追った。


『でも最初から、遅かったのです。終わっていたのです。……黄泉に根付いた者は、時の感じ方が変わるのです。覡國よりも、遥かに早く時が流れるように感じます』

「それって、どういう……?」

『姉様、私が来た時には、もう、とおっくの昔に、皆は居なくなってしまっていたのです』

「そんな……!」


――じゃあこの子は、一体何の為に!?


『この國の主、“欲深なる母”は、美味しい処から食べる性格の様です。私と同じです。ずっと取って置いて誰かに取られちゃう姉様と反対』

 霊声が少し笑う。

「何の話?」

『先程の村の人達……彼等は特に大きな怨み等を抱かずに死んだ者です。ですが、この地に根付くと、邪気と欲を繰り返し醸す様になるのです。彼等は一見、普通に暮らして居ますが、その内に母に目を付けられ、その魂を喰われるのです。私達の里の者の多くは、自分を殺害した者と自分達の不運を酷く憎んでいました。元々が幸せだった分、その落差は大きい。だから、彼等は他の魂達よりも一等美味しそうに見えたのでしょうね』


 また“欲深なる母”か。ミクマリは必死に自身の心を白で塗り潰す。怒りや哀しみに呑まれれば、喜ばせるだけだ。


『戻る事も出来ないので、諦めてしまいたかった。でも私は、姉様とここでこうして再会する夢も見ていました。ここに来る迄は、単に霊魂と紅い衣を着た姉様が昏い川原でお喋りをしているだけに思えたのですが、実際に来てみると、ああ、そう言う事だったんだって……。それから、私は“彼女”の目に付かない様に、ずっと、ずっと何も考えない様にして、待ち続けました。それでも、次第に魂が擦り減り、その分この地に根付いてしまったので、本当に長く感じました。今はですね…・…意識しなくとも、哀しいとか、腹が立つとか思わないで済むんですよ』

 それでも、その声は哀し気に聞こえる。


――この子は、どれ程の時の中を待ち続けていたの?


 湧き上がる感情。……塗り潰せ。白く塗り潰せ。


『でも、やっぱり、姉様の顔を見たら、哀しくって、哀しくって仕方が無くなっちゃう……!』

 泣き声と共に、その焔が端から灰の如く散り始めた。


「……!」


――消えてしまう。あの子が。あの子の魂が。


「ねえ!」

 ミクマリは強く言った。

「私はね、幸せよ。今こうして貴女とまた逢えたのが、本当に嬉しい。貴女はどう? 私に会えて嬉しくない?」

 笑い掛ける。


『嬉しい。嬉しい。でも、身体も無いのに、泣きたくって堪らないのです』

「人は、哀しい時だけに泣く訳じゃないわ。嬉しかったり、安心した時にだって泣くものなのよ」

 流して見せるは真実の涙。


――この子が消えぬ様に、消えぬ様に! この地で頼れるものは、これまでの想い出と、旅で学んだ事だけ。


「貴女がやった事は、無駄ではないわ。私は、貴女とゲキ様の考えに従ってずっと旅をして来た。辛い事もあったけれど、素敵な事も沢山あった。哀しい事も沢山見たけれど、それと同じだけ……ううん。もっともっと、沢山の幸せを作って来たんだから!」

 ミクマリは言い聞かせる。自身へ、妹へ。


 魂が散るのが止まり、ふわりと揺れた。


『姉様……。信じます。私がここに来てから、次第に黄泉に来る者の質が落ちてきているんです。質といってもこの國の主の食事としての質ですよ。きっとそれは、姉様が頑張り続けた証ですね!』

「私も信じるわ。だったら、御互いに胸を張りましょう。努力は何も無駄になってはいないわ!」

『そうですね……そうだった。姉様、夢にはまだ続きがあります』

 妹巫女は声を上げた。

「続き?」

『そうです。姉様は、里を再興なされましたか?』

「どうかしら。復興の手伝いは沢山したけれど」

『そうでなくて、私達の里を片付けて、その地にもう一度里を構えたかという話です。私が見たのは、姉様があの地で見知らぬ方々と、汗水を流して、泣いたり笑ったりしている姿ですよ』

「そうなの?」

『はい、姉様の旅は終わりではありません』

 明るい霊声。


「でも……」

 ここは黄泉だ。幾ら妹から励ましを貰おうとも、また立ち上がれる機会が訪れるかは疑問だ。

 同じ様に心を殺してでも、二人で静かにここに居たい気持ちの方が強かった。


『いけませんよ。何を考えているのか丸分かりなんですから。姉様は、起きて歩かねばならないのです。いつまでも、寝穢(イギタナ)くしていてはなりません!』

 妹の叱咤。嘗て毎朝そうしてくれた様に。

『ここからは夢のお告げではなく、勘です。姉様はきっと立ち上がります。つい最近、変な魂が黄泉に来ました』

「変な魂?」

『そうです。死んだ者がここに来ると、暫くしてから蟲が身体を地上から届けてくれるのです。蟲や鳥獣に荒らされるので、さっきの村の方の様な不完全な姿に為ってしまいますが、普通は地上と同じ身体を手に入れます』

「ふうん?」

 首を傾げるミクマリ。

『あ、懐かしいな。その“ふうん”。……ええとですね、その子の魂は、いつまで経っても肉体を運んで貰えないんですよね。肉の大半を失っていても、高天に行った人の分から借りられる筈らしいのですが、あの子だけ、ずっと霊魂のままで』

「貴女と同じという事?」

『どうでしょうか? 夢に出なかった領域なので、姉様に会うまでは余計な事をしない様にと、放って置いているので』


 妹巫女の霊魂はくるりと宙返りした。


『きっと、何かの手掛かりに為る筈です。行きましょう、姉様!』

 再び尾を引き、飛び始める霊魂。


「あっ、ちょっと待って!」

 追いかけるミクマリ。


 二人は走った。ミクマリはまたも息を切らせたが、ほんの少しだけ愉しい気持ちに為っていた。姿形は変わってしまったが、姉妹で野山を駆けた事が思い出される。


「ええと、ここです。驚かないで下さいね?」


 妹が静止し、言った。何やら霧がかった地だ。只っ広く、平らな地面があるのみ。


 息を整えていると、急に地面が盛り上がり、そこから腐った人間が現れた。

「ひっ!? 呪術!?」

 身構えるミクマリ。しかし、その人間は二人を無視して、ふらふらと何処かへと行ってしまった。

『違いますよ。蟲から身体を受け取った黄泉の住人です。何処へ行くかは知りませんが、まあその辺で暮らすのでしょう』

「そ、そう……」


 暫く平らな土地を歩いていると、一つの霊魂が彷徨っているのが見えた。


『あれです。行ってみましょう』


 妹と二人で、霊魂へと近付く。


 ……何やら霊魂は、ぶつくさと独り言を言っている。


『ほんま、何でうちだけ身体が届かへんのやろなー? 蟲さんら、持って来たる言うとったのに。ねっから来やへんなー。ひょっとして、はんま食わされたんけ?』


 ミクマリは思わず立ち止まった。あの霊魂からは慣れ親しんだ声と、お邦訛りが聞こえて来た。


「貴女、アズサなの!?」


******

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ