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巫覡、寿ぐ(ふげき、ことほぐ)  作者: みやびつかさ
結ノ章 終止符を
111/150

巫行111 春雷

 黒煙を目の当たりにし、ミクマリは霊気に依る探知を行った。


 村の付近から西方に掛けて、幾つかの強い気配。しかし、探求(モトメ)招命(マネキ)の触覚は一番欲しい答えを返さなかった。

 探知は静止した状態で行うのが普通である。上空での早駆けの最中だ。熟達した術師とはいえ、結果には疑いが残る。

 だが、目に見えた異変と、確認への恐怖が再探知を許さない。


 神剣(カムツルギ)の村上空。火の手は一つ。神器を安置している祠からである。


――御願い、無事でいて。


 ミクマリは足場を解き、水の羽衣の緩慢な落下に焦り付く。


 祠の傍に人だかり。ミクマリの降臨に気付き、どよめきが起こる。群衆から慌てて飛び出して来たのは、村の巫女ツルギ。

 老婆は口の中で言葉に為らぬ譫言(ウワゴト)を弄びながら、ミクマリの前まで駆けて来て、その足元で蹲った。

 辛うじて聞き取れた言葉には、謝罪の言葉と妹の名が含まれていた。


 ミクマリは老婆を捨て置き、人の囲いへと走り込む。

 彼女は一体どんな貌をしていたのであろうか。村民達は慌てふためき、逃げる様に道を空けた。


 人の去った後に残されていたのは、仰向けに寝転がったアズサの姿であった。


「アズサ!!」

 悲痛な叫び。駆け寄り、倒れた童女を抱き起す。


「姉様……」

 蚊の鳴く様な弱々しい返事。邪気(アドケ)ない唇の端が朱を描く。


「アズサ、何があったの!?」

「黒い服着た術師がなー……。あれが神器の剣を寄越せ言うて来てなー……。あかん言うたら村壊すぞ言うて、祠みじゃきよって。(バア)やんと剣じゃ勝てへんくてなー……。ほやで、うちがやったったんやにー……」

 力無く笑うアズサ。彼女の身体には多くの穿たれた穴や、炭の様に為った酷い火傷が無数に見られた。

「人を()ってしもたなー……」

 悔恨の呟き。


地蜘蛛(ジグモ)衆か。(ツルギ)は無事の様だが、敵の死体が無い。……そんな事はどうでも良い! ミクマリ! さっさと治療せんか!』

 喚くゲキ。


 無論、それがすべき事であるのは百も承知である。しかし、数多の治療と救命を繰り返して来た慈愛の巫女には、最早、為す術が無いのが良く分かった。

 優秀な幼き巫女の身体は既に碌に霊気が無く、肉は治療術に応える力を失い、唯、暖かさだけが残されていた。


『き、傷が癒せぬのなら霊気を分けてみては、口に食事を入れてみてはどうだ?』

 提案は彼らしからぬ震えで満たされている。


「アズサ……」

 呼ぶ外に出来る事はない。強き抱擁さえも、この無数の傷に依って苦痛に変ずるだろう。


 暖かな雨が一滴降り、(クチバシ)の印をなぞった。


「姉様、泣かんとってなー」

 妹の心配顔。


「アズサ、死なないで」

 それは祈りか懇願か。神に等しい娘が弱々しく言った。

「死んでは厭よ……」


「……うちさー、ほんまはなー、生贄にされた時に、のうなっとるもんやったしなー。お()やんもお()やんも死んで、(カス)扱いされてさー……。そやけど、姉様がたろうてくれて、めっささいこ焼いてくれて、妹にして()うて、おもしゃい事もあって……。ぎょーさんええもん、貰うてしもたわー」

 姉の顔が崩れるのに相反して、懐古する妹の顔は笑顔へと成ってゆく。


 アズサは長く声を出し疲れたのか、腕の中で少しづつ、重くなってゆく気がした。


「もっと、もっと一緒に愉しい事しよう? 私の事を手伝ってくれるんでしょう? 里で巫女頭に成るって言ったじゃない……」

 何に対する拒否か、ミクマリは激しく提髪(サゲガミ)を振って言った。

 暖かな雫が散り、娘達の頬や地面を濡らす。


「姉様、泣き虫ちゃう? だんないよー。うち、居らんくても、ゲキ様おるし、姉様ならだんないさー」

 少し意地悪に笑い、それから緩んだ微笑み。

「だんなくない……だんなくない……!」

 折角の慰めを涙で塗り替えようとするミクマリ。


「……が、死んだら」 

 小さな呟き。


「死なない!」

 大きな叫び。


「……うちが死んだら!」

 振り絞られる声。

高天國(タカマガノクニ)に行くんやにー。……姉様が死んだら、何処行くんけ?」


「……高天國よ……」


「そやにー。……一緒や。また一緒やん。だんない。うち、待っとるからなー? はんま喰わさんといてなー」

 妹からの約束。


「……うん」

 嗚咽を押し込む様に頷く。


「最期に、また“あれ”やって……。うち、村護ってん。誰も死んでやん……」

「そうね……アズサは偉いわ。自慢の妹よ」

 傷付き果てた身体を優しく抱き、黒き短髪に(タナゴコロ)を這わす。


「姉様は、ぬくいなあ……」

 幸せな吐息。


「アズサ……」

 もう一度呼ぶ。


「姉様……おおきになー……」


 最期の感謝が小さく為り、声に込められた幽かな霊気が耳に触れる。



 胸に掻き(イダ)いた小さな体が、ふっ、と軽くなった。



 それから、空の叢雲(ムラクモ)が春の雨を降らせ始めた。


 催花(サイカ)の雫温かく、心には時戻りの冷たき時雨(シグレ)を降らせて。

 遺された者は、玉響(タマユラ)の間に幾星霜(イクセイソウ)の瞬きを感じる。


 それから、只の肉の塊より、生命(イノチ)の結晶がひょっこりと顔を出した。

 離別の時だというのに妹のそれは、出たり引っ込んだりを繰り返したり、宙に尾を引き剽軽(ヒョウキン)な舞を披露した。


 「泣かんとってな」と聞こえる筈のない声が、耳の奥へ残響する。


『ミクマリ』

 哀しくも優しい師の促し。


 巫女は両の手を握り合わせる。


 練れぬ霊気。起こらぬ導きの柱。


――手放したくない、失いたくない。


 執着というものは、こういう気持ちなのだろうか。

 私の妹は、また死んでしまった。

 私の大切なものが、またこの手から零れ落ちてしまった。

 本当なら、アズサとはずっと一緒だと、そう誓い合った筈なのに。


――私の妹。


『……』

 師は唯静かに揺らめく。


 もう、失い疲れてしまった。多くの大切が過ぎ去り、新たな大切を手にしたというのに。それも取り上げられてしまうのか。

 姉の愛など、巫女の矜持など、私の覚悟など、運命(サダメ)の前では何の意味も無い。


 妹の魂が、姉の前で寂しく揺らめく。


 子を失った母達も、こんな気持ちだったのだろうか。


――この子は、アズサは。


 アズサは何処かで、或いはずっと前から、自身の死に就いて考えていた。父母を黄泉(ヨモツ)に取られ、自身が巫女に成った事で、死後の再会を失った事を嘆いていた。


――為らば、私が高天で再び(マミ)える母と成ろう。


 組んだ腕を一度(ホド)き、愛しき生命(ミタマ)を包み込む様に再び握り合わせる。



 いつしか春の嵐を巻き起こしていた雲を突き抜け、ハレの道が空へと延びる。



――アズサ、また逢いましょうね。


 最後の一滴(ヒトシズク)を流し終え、一人の女もまたハレを取り戻す。


「高天に……」

 開く唇。


「還る命を……」

 その寿ぎは、何よりも清く、何よりも美しく。



 ……招かれざる祝詞によって、儚く散った。



「母の元、(シタタ)き者のその御霊(ミタマ)(サソ)伊邪那美(イザナ)み、黄泉へ贈らん」



 耳を(ツンザ)春雷(シュンライ)。瞬けば稲光と共に光の柱は消え失せた。


 戸惑う御霊は、何かを訴えかける様に激しく揺れたが、大地へ引かれ沈みゆき、……そして、覡國(カンナグニ)を去った。


******

のうなる……亡くなる、死ぬ。

たらう……拾う。

さいこ焼き……世話焼き。

おもしゃい……面白い。

ぎょーさん……たくさん。

はんま喰わす……すっぽかす。

ぬくい……温かい。



おおきに……ありがとう。

だんない……大丈夫。

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