巫行011 水子
「これは大変失礼致しました“御使いの巫女様”。服従の印である御緋袴は汚れを落とし清めていた処でして、決して王の御意向に叛いたと言う訳では御座いませぬ!」
早口で口上を述べながら、額を床に繰り返し叩き付ける老婆。
ミクマリは閉口した。
巫女と云うだけで敬われたり畏れらるのは大概だが、ここまで行き過ぎた対応に遭遇したのは初めてだった。
「あああ……。御赦しを。ちゃっとこの村も泯るのか、しゃーないとは言え口惜しい……」
震える老婆。
「私はその“御使い”ですとか“王”ですとかを存じません。この袴は山頂の村の霊魂を慰め祓った際に頂いた品で、本来の持ち主とは流れを別にする巫女なのです」
ミクマリは静かに言って聞かせる。報酬としたとは言え、他流の衣を勝手に纏ったのは事実であり、言い訳をするのは非常に気後れがした。
――今後も毎回言わなきゃ為らないのかしら……。
「ほ、本当で御座いますか?」
老婆は顔を上げず、床に涙を零しながら言った。
「はい。ですから、御顔を上げて下さい」
「儂の失態を御赦しに……?」
老婆は袖で顔を覆って泣き始めた。
「私は過ちは先ずは赦すのが信条なので、そんなに恐れなくとも結構ですよ」
微笑むミクマリ。
「むむむ。王の使いであれば、失敗は絶対に赦さないと聞く、彼女の言う事は本当か? いやしかし、我々を験しているとも限らんし……」
『間怠い女め。脅して屋根と飯を奪った方が良かったか?』
「ゲキ様。脅かす様な事を仰らないで」
ミクマリは高い天井を忙しなく飛び回る霊を窘めた。
それから未だ顔を上げない老婆の震える肩に手を掛け、幼子をあやす様に語った。
「私は漂泊する水分の巫女です。山頂の村が泯びてしまった理由と、貴女達が私を恐れる理由をお訊ねしたいのです。それと、一晩でも良いので、旅の疲れを癒す屋根と食事を借りたくて村へ寄りました。若しも、信が置けないと仰るのなら、貴女達の困難の解決に力添えを致しますから、どうか」
老婆は顔を上げ洟を啜る。
「ミクマリ様……。この泉の村と山頂の村は、これまで持ちつ持たれつの関係で暮らして参りました。泉の村は農耕を、山頂の村は狩猟を得意とし、互いに物品を交換し補い合ってましたのです。得手の都合上、山頂の村には勇猛な男共が多く居り、それを取り纏める若き巫女もまた武芸に長けた女子でした」
最後に寿いだ霊魂が思い出される。村の破滅を悔やんでか、夜黒ノ気を纏ってしまった魂。
「しかし、ある時に遠方から“王の御使い”を名乗る巫女と術師の集団が現れたのです」
――術師の集団。ミクマリは目を見開く。震える眼晴。燃える霊気。
『落ち着け。俺達の村を襲った連中は緋袴ではなかった。黒衣だからな』
娘は守護霊に宥められ、気を落ち着かせる。
「ミクマリ様達の村もお亡くなりになったと? それで漂泊を。心共にすべき相手を仇と疑うとは、この泉の巫女は相当耄碌した様じゃな……」
イズミは正座をし、貌を一個の年長者へと正した。
「話を戻します。術師共は儂等に王の軍門へ下れと命じて来ました。税を納め、古い神を捨て村に伝わる巫術や呪術の法を渡せと迫ったのです。さもなくば、村を焼き払うぞと」
「酷い……」
嘗ての里長は唇を噛み締める。
「この泉の村はその呼び名の通り、裏手の森にある泉を祀っています。古い神で何が宿って居られるのかは儂も存じませぬ」
『良いものではないだろうな』
ゲキは吐き捨てる様に言った。
「ゲキ様!」
「いや、ミクマリ様。この御方の言う通りじゃ。泉は霊場でありながら、黄泉の気を引き寄せ易くなっております。生きるものにとって好い筈はありません」
『霊感のある者が多いのもそれが理由か』
「恐らくは。この流派に伝わる術は僅か二つ。水面に石を沈める卜と、蛭を使った虫送りの呪法のみ。他の巫覡の技は毒や薬に関する知識です。卜占には頼りますが、呪法は世話に為ることは無い。荒事は山頂の仲間に頼れば良かった。それでも、要らぬ戦禍を招くよりはと服従の体を繕ったのです。作物には不自由しておりませんでしたからな」
『“体”にしては大仰だったがな』
「山頂の村にも勿論使いが行きました。ですが、儂等とは違い頭からして血が上り易い質。一度は友好の品を受け取ったものの、結局は戦になってしまいました。彼女達も勇猛果敢に戦った様ですが、結果は御二方の御存知の通り……」
イズミは長く息を吐いた。
「あれ程の力を見せられた以上、“体”で通すのも難しくなり、王の作った法に従う事と相成った訳ですが……」
「イズミ様、クワの奴目が御目通り願いたいと」
外から男の声。
「近づけるな。尊い客人が居られるのだ」
イズミは答える。
「待って下さい。私、クワさんとお話がしたい」
「ミクマリ様がそう仰るのなら。貴女程の霊気の巫女であれば、術師共とも渡り合えたかも知れませんな。山頂の戦士達も勇猛だったとは言え、悪迄も獣相手での話。巫女も火術の才よりも弓術を好んでおった。人の武器等は術の前には大したものではない。結果は鏖殺の結果が示して居る。……おい、クワを通せ」
イズミの命に従い、表で見張って居た男がクワを伴い入って来る。
クワは乱れた髪を梳かし直して多少は見れる容姿に為ってはいたが、その表情は相変わらず死の臭いをさせていた。
「お前はここに立て、クワが乱心したら首を落とせ」
イズミが男に命じる。
「イズミ様。大丈夫ですから」
ミクマリは男の足元で丸まり、ひたすら謝り震える女の背を撫ぜた。
「何があったのか、お聞かせ願います」
しかし、クワは話は疎か、一層震えを酷くするばかりであった。
「仕方の無い奴め。まあ、どの道、儂が話そうと思っていた処だ」
イズミは溜め息を吐く。
「この女、クワの名は桑の実より拝借した名であり、多くの子を産む様にと名付けられたものです。クワは祈り通じて少し前に六つ子を産み落としました。食い扶持に困る村でもない訳ですから、本来ならばとても目出度い事。六人全て欠ける所無く健康。その上に、そのどれからも儂や次代の巫女候補を上回る巫覡の素質を感じました。まさに村の宝。珠の様な子等でした」
一瞬、幸福な表情を覗かせる老巫女イズミ。
「しかし、運の悪い事に王の使いが滞在していた時期に産褥に伏しており、六つ子が使いの巫女の目に留まったのです。そして……」
――この村、王への叛逆の恐れあり。忠義示すならば子を全て土に還せ。
丸まって居た女の慟哭が一層激しくなる。
「本当に酷い」
ミクマリは袖で涙を拭った。
拳が震える。何て事をさせるの。王とは一体……。
「カカカ……」
唐突にイズミが笑い始めた。
「誰がその子等を土に還したと思いますか? カカカ、何を隠そう? この儂だ!!」
膝立て床板を激しく踏み鳴らされる。
「このクワは今こそは気狂いだが、母としての素養申し分ない女だった! そんな母が子を殺められる道理など無い!! だから、村の存亡を賭けた判断は村長であるこの儂がせねば為らなかった!! 子供何ぞは名付け前であれば人間ではないのだ!! 抑々の処、この儂の恭順の繕いが透けて見えていたが目を付けられる種だったに相違いない!! 全ては!! このイズミが!!」
老婆は皺だらけの顔を更に刻み、嗚咽を漏らした。
「このイズミが諸悪の根源なのです……」
泣き崩れ落ちる老婆。
悲哀の慟哭は見張りの男にも、ミクマリにも伝播した。
濡れた宙を漂って居たゲキは誰へとも無く罵声を吐くと外へと出て行った。
深夜、仔細を知ったミクマリは、未だに焼けた様に痛む目尻と鼻の下を気にしながら、提供された小屋を抜け出した。
本当の元凶の種を持ち込んだ巫女や術師はもう立ち去って久しく、怒れるミクマリにはしてやれる事は無かった。
それでも、六つ子を沈めたと言う裏手の泉へ、責めてもの哀悼を手向けたいと考えたのであった。
灯りも持たずに森へ踏み入るミクマリ。イズミにはこの森に火は禁忌だと言われた。
夜の森や山に踏み入る行為と言うものは、居ながらにして夜を迎えるのとはまた別格の印象を与えるものである。
湿り気を帯びた空気の流れは死者の吐息、妖しく伸びる梟の声は黄泉への誘いの如く感ぜられた。
それを肯う様に何者かの霊魂が薄く光った。
例の子の霊だろうか? 或いは守護霊か。
しかし、歩を進めるとその霊の数は一つでも、六つ程度でも無い事に気が付く。
天空の星の様に瞬く魂達。多くの死霊の集まる霊場。
それは泉に近づく程に濃くなり、天の川を髣髴とさせる。
泉の場では木々は天を晒しており、本物の天の川が現れた。
それらは更に水面にも映し出され、眩しいまでの輝きを放ち、三つの川が遍く照らす。
ミクマリは水に映った自身の緋袴姿を初めて見た。これはこの村にとって、憎しみの姿なのかと思うと、今朝の浮かれた自分の頬を張りたくなる心情である。
ふと、霊魂の一つが、彼女の頬に優しく触れた。
霊魂は通り過ぎると、他の霊と遊ぶ様に互いを追い合い輝いた。
「……綺麗。でも妙だわ。こんなにもの霊が集まって居るのに、憎しみも悲しみも感じないなんて」
――この泉は一体何なのかしら。イズミ様やゲキ様が言う様に、悪いものを祀っているとは到底思えないわ。
「それは、この子達がまだ何も分からないまま死んだからだよ」
若い女性の声がした。
森の奥から現れたのは白衣緋袴の若い女性だった。
ミクマリは半歩下がり、身体中に霊気を張り巡らせた。
辺りに居た魂達が辺りに散って逃げる。
「驚かせないであげて。悪さはしないから。あたしも“この子達”もね。水子の霊って奴だよ。あたしはイズミ様の弟子。村の皆には“若イズミ”って呼ばれてる」
“若イズミ”が泉に近づくと、散った霊達が彼女の周りに集まった。
「子供なんてさ、気付けば何処かの家で新しく産まれちゃってるもんだけど、人間としてすら認めて貰えないまま黙らせられるのは、やっぱり可哀想だ」
「そうね」
ミクマリは同意する。
「あたし達の村では“子供は七つまでは神の内”って言われててね。幼くして死んだ子は魂を清めて寿いで高天國へ送ってあげるの。
ここへは、ずっと遠くからも水子や子供達の霊魂が集まって来るんだよ」
「高天へ? 巫女でもないのに?」
「うん。幼子は上じゃなくて下に行くんだ。それを手伝うのがあたし達の役目」
「尊い役目だわ」
そこいらを埋め尽くす命の揺らめきが二人の巫女を円に囲む。
「ね、貴女もその赤い袴を履かせられているの? 厭になっちゃうよね。あ、偉そうだったら言ってね。貴女、あたしと余り歳が違わないでしょ?」
「ええ。私はこの袴は自分で履いたけれど……巫女に成ったのは仕方なかったからかも知れない」
口を衝いて出る本音。
幼子以外に、この様に気さくに話掛けられたのは何時振りだろうか。
若イズミの快活な態度に依り、早々にミクマリの警戒は解れてゆく。
「お互い、苦労するよね。あたしも本当だったら、上の村の男を婿に取る予定だったんだけれど。そしたら、婆ちゃんから煩く言われなくて済む様になるし」
「そう……」
上の村。暮らす者も彷徨える者も残っては居ない。
「好きだったんだけどな、あの人の事。多分、最後は頑張って逝ったんだと思う。兎を追うにも本気の人だったからね。……あーあ。したかったなあ、結婚。そうでなきゃ泉の巫女は継げないからね」
若イズミは両腕を上に伸ばし、まるで好物を食べ逃したかの様に言った。
それから、彼女が指を宙に走らせると六つの魂がやって来た。水子達は指先の霊気を楽し気に追い回して居る。
「巫女なのに結婚をするの? ここで祀っているのは母神?」
「……まさか。そっか、婆ちゃんは部外者には“泉の秘密”は洩らさなかったんだね。だったら、あたしも言えないな。でも、流派や信奉する神様に依って、あたし達巫女の立場も色々でしょ?」
「そうね、そう」
ミクマリは星空を見上げる。
――私は守護神を祀る巫女。死するまで純潔を貫く運命にある。
昼間に出て行ったゲキ様はどうして居るだろうか。若しもここの魂に混じって居たら、見つけられるだろうか。
一つの霊魂が指へ纏わり付いた。無論、彼女の守護者のものではない。
ミクマリは微笑を浮かべる。
――直ぐに見つかるわね。あの方はこの子達と違って、意地の悪い気配がするから。
「婆ちゃんが“ああ為っちゃった”以上、あたしは早く結婚して子供を産まないと。この村の男じゃ頼りないけど」
若イズミが面白く無さ気に呟いた。
「イズミ様はまだ元気そうでしたけれど」
「そうじゃないの。この前、村の為とは言え、泉の巫女の禁忌に触れてしまったから。あの人じゃ、もう役目は果たせない。こんなにも溜まってるのに」
厳しい目で水子の霊達を見やる若イズミ。
「あたし、まだまだ修行が足りないんだ。霊気もそうだけれど、実は巫力も今一で。この前何て、お手洗いが近い人に出す薬に間違って大棗を煎じちゃって」
「大棗は腹下しに使うものじゃないの!」
ミクマリは声を上げる。余り利用する機会は無いが、彼女も薬草には詳しい。
それは巫行とは別に、里の者の面倒を看る為に身に着けた知識であった。
「そうそう。でも、味見したから出す前に気付いたんだよ。でも、あたしが湯放りが止まらなくなっちゃって、朝起きたら寝床を汚してたよ」
「まあ!」
あっけらかんと言い放つ娘に驚くミクマリ。
「ははは。他にも蓬と油菜の包みを間違えて傷に塗っちゃったり……」
「全然似てないじゃない!」
今度は噴き出した。油菜の種は酷く辛いのだ。
「だよねえ。塗った相手が、あの人だったから笑って赦して、くれたけど……」
粗忽者の娘は唇を噛み締め言葉を切った。
「若イズミ……」
胸が激しく締め付けられる。
「ねえ、若イズミ。私にも何か貴女のお手伝いが出来ないかしら」
「外の巫女の貴女が? あ、ごめんね。でも、確かに貴女の霊気は凄いかも。これだけの人は見たことがない。気だらけって感じ」
お道化て見せる同年代の娘。
「何それ」
ミクマリも笑う。
「……ありがとう。でも、“その時”はもう少し先の予定だから。今のあたしの腕前だと、それも熟せるか怪しいって話だけれど」
「やっぱり、他流の巫女には教えられないのね」
「ごめんね。これはあたし達の役目だから。気持ちだけで充分だよ、ミクマリ」
――ミクマリ。
最早呼ばれ慣れた新しい名。ミクマリは、彼女には自身の“元の名”を呼んで欲しいと感じた。しかし、それは我がままに過ぎなかった。
目の前の輩は立派に役目へと向き合っている。
「ねえ、旅の話を聞かせてくれない? 拙い処は端折ってしまって構わないから」
若イズミはそう言うと、草露も気にせず泉の畔に胡坐を掻いた。
ミクマリも続き、足を崩して座る。
「良いわよ。明るい話は少ないけれど」
「……またごめん。そうだよね。若い娘が独りで漂泊の旅だなんて、良い事情じゃないよね。やりたくない事も一杯させられたんだろうね」
若イズミは眉を寄せ赦しを請う。
「気にしないで。それに、独りって言うと語弊があるのよ。実はね……」
ミクマリは“仕方の無い師匠”の事を話して聞かせようと考えた。
星の泉の中、束の間でも友情を育めたら、きっとこの辛い旅の中でも輝く宝珠の様な思い出になるだろう。
『ふん。今の話で凡その推測は立ったぞ。泉の巫女の真の役目も、この泉に封じられた者の正体もな。お前達は“穢神ノ忌人”なのだな』
招かれざる客が二人の前へと降り立った。
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水子……生まれて間もない赤子の事。またはその霊。死産や中絶で失われた者の魂も含む。